2007.6.10 By.ゆみ
さわらび考古学教室・「印波国造の本拠地を探る」
大塚初重先生と巡る公津原古墳群見学会
T
☆プロローグ
瓢塚古墳にて・大塚初重先生ご夫妻と
古代、印旛沼の北東部は『国造本紀』のいう「印波国造」の勢力下にあり、その印波の地域には、東部(成田市)の公津原古墳群と、西部(栄町)の竜角寺古墳群の二大古墳群があったそうです。
2007年1月13日明治大学で大学古代学研究所主催の公開研究会「古代印波シンポジウム」が行われました。
このシンポジウムの中で、公津原古墳群は6世紀、竜角寺古墳群は7世紀が中心の古墳や集落遺跡が多いこと。
そして川尻秋生氏などの発表によれば、「丈部(はせつかべ)」と「大生部(壬生)」などの氏族が共存していた印波国造の支配領域は、7世紀後半になると、もともとの印波国造の本拠の印波評(郡)と、大生部直が急速に勢力を拡大した埴生評(郡)との2つの評(郡)に分かれ、その後(8世紀)、この勢力は、八千代市や印西市方面の開発に向かっていったことが、この地域の墨書土器などからたどれるとの興味深い報告がありました。
また今は消滅した台方下平遺跡も、その発掘調査の成果が注目されているところです。
さて新緑の美しい2007年5月3日(祝)、HP「さわらび通信」をご覧いただいている皆様方のご要望により、「第3回さわらび考古学教室」として成田ニュータウン内に散在している公津原古墳群を、車で巡ることになりました。
しかも今回は、この街にお住まいの大塚初重先生にお声をかけましたら、体調がよろしければご夫妻で参加されるとのこと。
心配だった先生のお風邪も幸いにも前日に治られ、五月晴れの絶好の天気にも恵まれて、総勢19名にておかげさまですばらしい史跡めぐりを催すことができました。
その様子をフォトアルバムにいたしましたので、ご覧ください。
麻賀多神社奥宮☆コース(=車で移動 〜徒歩)
10:00勝田台出発=保品=印旛村=吉高=印旛沼を渡って=甚平渡し跡=
10:55麻賀多神社奥宮・伝初代印波国造の墳墓古墳=
11:40台方下平T・U遺跡の跡=11:55大塚先生宅=12:00夢庵で昼食〜
13:00瓢塚古墳群=13:30赤坂公園駐車場〜船塚(8号)古墳と9号墳〜
14:20石塚(16号)古墳〜14:40埴輪窯跡〜
15:00大塚初重先生の詩のメモリアルパネル・ボンベルタ内の5・6・7号墳
〜駐車場=
15:20天王塚(21号)古墳・吾妻神社=15:50八代台古墳群=
16:20八代玉作遺跡=16:40台方下平遺跡の跡のGUSTで休憩=勝田台
☆古墳名称の番号について
成田ニュータウンには、公園・神社・学校内などに保存されている古墳39基について、公津原1号墳〜39号墳までナンバリングされて、市民向けのガイドブック(⇒『房総の古墳を歩く』)、現地説明板「ニュータウン古墳マップ」にはこの番号が記載されています。
なお、開発で消滅する前、公津原古墳群は128基の古墳を数えたそうです。
それらは、発掘調査されてすでに消滅した古墳を含め、瓢塚古墳群44基、天王・船塚古墳群46基、八代台古墳群23基の支群にグルーピングされ、この支群ごとにナンバリングされています。
『千葉県の歴史 資料編』を始め、調査報告書や論文、学術書では、発掘記録を重視するためか、もっぱらこの支群ごとの番号を使っているようです。
本HPでは、煩雑かと思いますが、「船塚古墳(公津原8号墳=天王・船塚古墳群1号墳)」のように、なるべく両方の番号を併記していきたいと思います。
☆資料
遺跡地図(H9.3「千葉県重要古墳群測量調査報告書」+H17「台方T遺跡台方U遺跡発掘調査概説」の図を合成)
現地説明板「ニュータウン古墳マップ」
☆「さわらび通信」の関連HP
発掘された古代のニュータウン・台方下平T遺跡現地説明会/「さわらび通信」
=成田ニュータウンの中の古墳群=台方下平遺跡にくらした人々の奥津城を訪ねて/「さわらび通信」
緑なす公津原にのこる古墳は人びとの生きた証/さわらびYの歴史・民俗・考古探索ノート船塚古墳について 八代台古墳群 /古代と現代をさまよう"さわらび”Tブログ
☆参考HP
成田市の古墳(成田ニュータウン・公津ヶ原古墳群)/房総の古墳を歩く
「台方下平II遺跡」・遺跡発表要旨/印旛郡市文化財センター
台方下平T遺跡・広報誌「フィールドブック」vol.17 平成16年2月15日号 / 印旛郡市文化財センター
古墳群に隣接する大集落-台方下平 I・II 遺跡-/千葉県立中央博物館
公津原古墳群/ わが町成田市の文化財
☆参考文献
『東国の古墳文化』 大塚初重著
『千葉県の歴史 資料編 考古2 弥生・古墳時代』 (財)千葉県史料研究財団・編集発刊