2013.7.3
By さわらびY(ゆみ)
61 「古代の山田湾文化を知る!−貞観三陸地震と山田湾−」
第2回山田史談会・山田湾まるごとスクール交流研究集会
T 2013年6月 ワークショップ「古代の山田湾文化を知る」開催へ
2011年3月11日の東日本大震災で大きな津波被害と受けた三陸の山田町とは、同年10月に文化財レスキューボランティアとして参加した齋藤瑞穂さん(新潟大学災害・復興科学研究所 特任助教 )を中心に、馬場小室山遺跡の学ぶ市民フォーラムのメンバーが集い、昨年2月に第1回の交流会、夏に「山田湾まるごとスクール」の活動を行いました。
⇒58. 大震災後の三陸被災地に学ぶ 2012.8.23〜25 「ワンダートラベラー 山田湾まるごとスクール」-1 ⇒-2
今年(2013)も8月に「山田湾まるごとスクール」を開催する予定ですが、それに先立ち、地元山田町の「山田史談会」さんと「山田湾まるごとスクール」、そして山田町教育委員会で、交流研究集会 ワークショップ「古代の山田湾文化を知る」をもつことになりました。
スケジュール
2013年6月21日(金)13:51盛岡発の快速リアスで宮古駅へ=レンタカーに分乗=
16:50山田町生涯学習課へご挨拶=大浦小学校裏の畠中遺跡発掘現場見学=
ホテルビジネスインやまだ=山田駅そばの仮設店舗「三五十」で夕食
6月22日(土) 第2回スクール見学候補地等巡検 =13:00 交流会会場着=
14:30〜ワークショップ=17:15〜「三五十」で山田史談会・教委と情報交換会
6月23日(日)ホテル=9:00宮古駅で解散
⇒山田町役場に貼ってあったポスター
U 6月21日 夕方 岩手県山田町役場を訪問
午後5時ごろ、山田町役場を訪問、翌日の交流研究会に向けて教育委員会の担当課の生涯学習課長さん、山田史談会事務局の方々と情報交換し、和気あいあいに、交流会の趣旨やプログラムのなど打ち合わせました。
⇒ワークショップのお知らせ「古代の山田湾文化を学んでみませんか」を載せた「広報やまだ」6月15日号
V 大浦の畠中遺跡へ
終わって外へ出ると夏至の東北はまだ明るく、船越半島の先の大浦へ。
ここで発掘調査中の畠中遺跡の様子を見に行きました。
現場は、高台にある大浦小学校に隣接する場所で、縄文土器の破片とたくさんの石器が見られ、また焼土を伴う溝状の遺構や鉄滓が目立ちました。
なお後で、この遺跡については、次のようなことがわかりました。
・縄文後期〜晩期と、古代(奈良・平安)の遺跡
・縄文後期のヒスイ製ペンダントや赤彩された土器や土偶が出土
・縄文晩期の「亀ヶ岡式」土器が出土
・炭窯や鉄滓、フイゴの羽口など古代鉄生産の遺構・遺物を発見
⇒参考:「広報やまだ」7月1日号
発掘調査中の畠中遺跡
畠中遺跡からは山田湾が望めますこの日は、宿泊するホテルでチェックインして、被災した陸中山田駅近くの居酒屋にて夕食を兼ねた懇親会で明日に備えました。
なお、ホテルは県道沿いの高台に最近できた町内唯一のビジネスホテルで、復興事業のため利用する泊り客が多く、ウィークデーはいつも満室なのでそうです。
W 山田町の遺跡を巡る
翌6月22日午前中は、山田町の先史〜古代遺跡、港や集落の津波の被災状況や民俗を訪ね、車と徒歩であちこちを廻りました。
房の沢古墳群のある丘の下で、解説板を見る
沢田T・U遺跡を探索(山田道路で改変されていた)
沢田の「山神塔」の前で
沢田の裏山の江戸時代の墓地
高台の畑の中に残る古墓群。 ここからは⇒
⇒山田湾と船越半島の霞露ヶ岳と山田湾がよく見えた
被災した北浜町の大杉神社(アンバサマ)
今年もここから神輿が出る
高台移転のため発掘調査の終わったところから
切土造成工事が行われている(織笠地区)
船越半島霞露ヶ岳のふもとの漉磯の一軒家
風雪に耐えて守り伝えられた漉磯の母屋船越半島山間部の漉磯の集落は、小さな谷津田を営む数戸の家があったが、いまは草分けの本家のこの一軒家のみ。他の家は海辺の集落に降り、現在はこの地に通いシイタケを栽培しています。
かつて外海と山田湾内を山越えする街道があり、馬も通ったとか。南部藩の殿さまの鷹狩の拠点として、ここに居を構えるよう命じられたと、お聞きしました。
船越半島の小谷鳥港は復旧工事中
避難所となった小谷鳥公民館も被災、トイレの跡が残るのみ
X ワークショップ 「古代の山田湾文化を知る!−貞観三陸地震と山田湾−」
午後2時半からは、いよいよ山田町中央公民館で、ワークショップ 「古代の山田湾文化を知る!−貞観三陸地震と山田湾−」 が始まりました。
プログラム
・開会 14:30〜 挨拶 山田史談会会長 川端 弘行
・概論
14:35〜 奈良・平安時代の考古学概論 齋藤 弘道
・事例報告
14:55〜 埼玉県における古代の地震痕跡 吉川 國男
15:10〜 山田町の古代遺跡と災害痕跡 川向 聖子
・古代山田湾文化の復原
15:25〜 房の沢古墳群と沢田I遺跡からみた生業について
五十嵐聡江
15:50〜 奈良・平安時代の気候変動と山田湾文化
鈴木 正博
・教訓の継承
16:05〜 山田町内の津波記念碑の位置と3.11 川端 弘行
・継承方法の模索
16:20〜 科学博・夏休みサイエンススクエアでの取り組み
井山 紘文
・総括 16:35〜 貞観三陸地震と山田湾,その問題設定の意義
齋藤 瑞穂
・閉会 16:50〜 挨拶 山田史談会新副会長
↑「古代遺跡と災害痕跡」川向 聖子さん、NHKのカメラも取材
開会前、大勢の町民の皆さんが早々ご来場。 八木光則先生もお出でになり、ご著書にサイン。
司会の齋藤友里恵さん 「古代の概論」斉藤弘道さん 「奈良平安の気候と山田湾」鈴木正博さん
「津波記念碑」山田史談会会長の川端弘行さん 「房の沢古墳群・・・」五十嵐聡江さん 閉会挨拶・史談会副会長
今回のワークショップでは、いろいろなことを学びました。
特に印象に残ったのは、地元の山田史談会の研究報告です。
・川向さん「山田町には縄文の集落と古代製鉄跡など517の遺跡があるが、東日本大震災で浸水したのは、縄文時代の新道貝塚だけ。この貝塚も汀線際に貝を捨て、高台に集落を形成していた。」
・川端さん「昭和8年の大津波の記念碑が各集落ごとに計6基あり、表にわかりやすく『低い所に家をたてるな』など津波に関しての警告、裏に被災状況が刻まれている。2011年の津波では、田の浜地区の1基が倒れただけ。他は浸水の及ばない位置にあって、今にその戒を伝えている。」
山田史談会と山田湾まるごとスクールの皆さんのわかりやすく中身の濃い報告から、私が大切なことと思ったのは次の4点です
・科学的データと文献から津波の歴史を研究し、命を守ること
・.被災の記録を残した先人に学び、これからも語り継ぐこと
・地域の文化とそれをはぐくんだ人びとのいとなみを知り、町の再生復興に役立てること
・山田町の郷土史研究グループと地域を越えた交流をつづけていくこと
NHKをはじめ、地元のミニコミ等が取材に来てくださいました。↓
LINK⇒ facebook「いわての観光とまちづくり」 山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)
閉会後、外へ出ると雨。
八幡神社入り口の昭和8年津波記念碑を見る。
JR山田線の陸中山田駅 このそばの仮設の居酒屋で
山田史談会や職員の皆さんと情報交換会をしました。
Y 一夜明けて 快晴の山田湾
6月23日(日) 昨夜の雨も上がり、快晴。朝食前、ホテルから民家のわきを抜け、林の中を藪こぎして小さな浜に出てみました。
美しい山田湾が一望。災害の爪痕は大きいですが、この自然の美しさ偉大さに、地域を愛する人々の心が伝わってきました。
大島(オランダ島)の向こうに重茂半島と十二神山が
造山運動の痕跡が明らかな花崗岩崖面
朝食後、レンタカーで宮古駅へ。
ここで解散し、それぞれ帰宅、または旅を続けることになりました。
8月またここに来ます。