2004.1.4 By.ゆみ
2012.5.12一部改訂
長作(千葉市)の史跡と風景 T
萱田の「けみ川道」を示す道標 |
「けみ川道」を行くと・・
八千代市の萱田には古くから飯綱権現があり、中世からそこをめざす「萱田道」が八方に伸びていました。
そのうちのひとつは検見川から来る道で、逆に萱田からは「けみ川道」でもありました。
「けみ川道」と彫られた道しるべに従い、この道をたどっていくと、この道は、今の八千代中央駅を通り、成田街道(296号線)を越して、高津から高津新田、そして長作を通り花見川沿いに武石から検見川に至ります。
今も旧道と平行する県道八千代幕張線は、成田街道から武石インターへ抜ける交通量に多い重要な道ですが、その途中、ちょっと新道から外れて古道を行くと、今も古刹や長屋門のある民家など長作の昔ながらのたたずまいを見ることができます。
かつて八千代からのこの古道を訪ねて長作を歩いたのは、いつのころだったでしょうか。
最近は、八千代市郷土歴史研究会の高津新田研究の調査過程で、この新田ムラが主に長作の人々によって開かれたムラであることを知り、そのルーツをたどるため、足しげく通うことになりました。
幕張の新都心からもそう遠くない花見川沿いのこのムラには、中世からの伝承、民俗行事も残っていて、下総の懐かしく美しい風景を味わうことができます。
史跡を訪ねながら、この長作の里を歩いてみましょう。
諏訪神社の風景
花見川のサイクリングロードから、水田の向こうに小高い台地の上に立つ鳥居が見えます。 長作の諏訪神社です。 土砂崩れ改修工事のため、東南の斜面が削られてしまいました。 が、境内には寛永5年建立、天保7年再建と伝えられるの社殿と社叢林が残っています。 |
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諏訪神社の鳥居から 東側の花見川と畑町の台地を望む |
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南側、幕張・武石方面の展望 |
西側、長胤寺の本堂を望む |
諏訪神社の創建のなぞ
長作の諏訪神社の創建の時代はわかりません。
諏訪神社では毎年1月11日(以前は2月11日)
オビシャが行なわれます
伝承では「延暦年中、坂上田村麻呂東夷出征の際、信濃惣社上下諏訪に陳し、連に東平あらんことを祈願し、稍鎮定の帰途に至り、上下惣社当所に遷置す。之を本村の鎮座とす。」とのこと。
諏訪神社は、全国に1万余社あるといわれその多くは、鎌倉時代に勧請されています。
諏訪神は、山の神・風の神として生活の源を司る神であり、また古くから山の狩猟神として信仰されました。
そしてその狩猟に使う弓や矢からの連想で、軍神として信仰されるようになり、坂上田村麻呂の東征の守護などの伝承が付与されて、頼朝や北条氏など多くの武将からも篤く崇敬されたといいます。
特に鎌倉時代、諏訪大社の御射山(霧ヶ峰高原八島湿原)を舞台にした祭礼には、鎌倉幕府の下知によって信濃国内に領地をもつ御家人すべてが回り番で費用を負担し、全国から御家人が参集しました。
長作は、武石長胤(新左衛門)が領して拓かれた村で、長胤は千葉常胤の三男・胤盛の曾孫として鎌倉幕府に仕えています。
また、武石氏も一時長野県小県郡武石村に領地があったと推定される痕跡があります。
幕府は建暦2年(1212)以来、殺生禁断のため全国の守護・地頭に鷹狩りを禁止しましたが、諏訪大明神の御贄狩(みにえがり)だけは例外としました。
このため諸国の御家人らは諏訪社を勧請して、その御贄狩と称して鷹狩りを続けたともいわれます。(井原今朝男『県史 長野県の歴史』)
このような背景から、その創建はおそらく長胤の活躍する鎌倉時代ではないかというのが私の想像です。
天保7年(1836)再建の本殿
竹田重三郎(推定)の彫刻が施されている
社殿の彫刻
本殿は華麗な彫刻が施されていて見飽きません。
Webサイト『江戸彫工』管理人さんのご教示によれば、本殿胴回りの彫物は全て、江戸後期から明治にかけて活躍した竹田重三郎(結城小森村)と推定され、また飯縄神社(八千代市萱田)の鐘楼も構図と作風から、同じ竹田重三郎と推定されるそうです
天保7年(1836)に改築された本殿の向拝竜は、銘から嶋村多宮定直の作です。嶋村多宮定直は香取郡澤村の住で、安食の駒形神社彫刻と同じとのことです。
拝殿は、嘉永年間(1848-1853)に建立で、嶋村本流江戸彫工の祖、八代源蔵嶋村俊表(文久3年1873没)の四十才頃の作。山倉大神(山田町)の山倉大神拝殿・本殿玉垣と同じ作者だそうです。
本殿背面の彫刻「菊慈童」 (「普門品」の言葉を菊の葉に書くと谷水は霊薬の川となった) |
本殿右側の彫刻「西王母」 (不老長寿の桃を持っている) |
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左脇障子「大舜」 (象が畑仕事を助ける) |
右脇障子「唐婦人」 (姑に乳を与える) |
本殿左側の彫刻「寿老人」 (桃を持ち、鹿を従えている) |
本殿彫刻については→ 『似てる・似ていない?身近な神社の「二十四孝」彫物比べ』のページへ
参考HP: 「江戸彫工」 (「社殿彫刻」の項では、彫工の系譜などの記事でお世話になりました)