八千代市郷土歴史研究会


Web速報版 No.3

2004年4月〜2004年9月の報告ページです
o.9 09年4月〜10年3月の報告  No.8 08年4月〜09年3月の報告 No.7 07年4月〜08年3月の報告
No.6 06年12月〜07年3月の報告 No.5 05年4月〜06年11月の報告 No.4 04年10月〜05年3月の報告
No.3 04年4月〜2004年9月の報告 No.2 03年11月〜04年3月の報告 No.1 03年1月〜03年10月の報告

報 告
 9月19日(日) 午後1時〜   例会  於:八千代市立郷土博物館  20名参加
 

・ 展示の内容、テーマ名、担当者を話し合い、決めました。
  展示内容は 郷土史展「旧高津村のすがたと人々」のページに載せましたのでご覧ください。
・ 機関誌記事内容の調整
・ 10月17日のバス見学会の見学場所の確認と参加者の確定
・ 例会後、市民サポートセンターで、市民サポートセンター祭りの展示内容を打ち合わせました。
 9月12日(日) 午後1時〜 拡大役員会  於:八千代市立郷土博物館 16名参加

・ 「史談八千代」29号の原稿がほぼそろい、掲載原稿の確認と編集調整の打合せ、目次作成を行いました。
・ 郷土史展へ向けて作業日程を検討しました。(最新のスケジュールは上記のお知らせ欄を参照してください)
・ 主催者からよびかけのあった11月3日のやちよ市民サポートセンター祭りに参加することにしました。
・ 例会終了後、事務局5名で、郷土史展案内チラシの印刷作業を市民サポートセンターで行いました。
 9月6日(月) 間宮家関係調査

会員4人で再度観音寺のご住職をお訪ねし、お話を伺ってきました。
明治の初期に10数年間観音寺が無住だった時期があったことや、間宮家13代音次郎が書き留めた「間宮家先祖書」の資料を見せていただくなど新たな収穫がありました。
 8月18日(水) 屋号民俗調査研究会 AM10時から高津団地内幼稚園にて

屋号民俗調査グループは、4名の班員と石造物調査班1名が参加し、これまでの各自の調査結果を持ち寄り、研究会を行いました。

1.「明治初期の高津村の屋号復元想定地図」の作成=明治15年の地図の屋敷標示に、聞き取り調査による通称屋号を加筆
2.「高津の屋号調査表」の作成=「昭和15年度高津比盗_社神輿渡御順路」の記載の氏子名簿を基本に、修正と加筆を行った
 項目=ニワ・No.(氏子名簿)・シコナ(通称屋号)・名乗り名・姓・墓地・大祭世話人経験・備考

1.は、ほぼ完成し、「史談八千代」29号に掲載予定
2.は、古文書研究と石造物調査班の解読結果とクロスさせるための中間報告資料として、後日会員に配布予定。また16年度郷土史展での展示を検討中。
8月15日(日)例会 PM1時 市郷土博物館にて 調査研究情報交換

 18名が参加し、11月発行の「史談八千代」29号掲載予定の高津調査の報告が資料として配布、執筆者から説明し、情報交換を行いました。
 また、「郷土史研通信」47号が発行、配布されました。

報告と情報交換
 1. 高津邑鈴木半兵衛奉納の算額とその周辺 
 2. 地名から見た高津村
 3. ムラ境を祀る民俗 & 明治15年の村の屋号復元地図
 4. 高津村の変遷
 5. 石造物 @全体(所在別) A観音寺女人石塔 B大東亜戦争戦没者慰霊塔
 6. 正福寺関係(「大門」関連)
 7. 三山祭まとめ
 8. 津川と芦太川
 9. 間宮氏(説明なし)
 10. 高津比盗_社のおこもりの唱えと境内末社(説明なし)

問題点
 @ 村の基本図  A 説明資(史)料として扱う図

その他
 @ 文化祭用ポスターの案提示 A 文化祭用の高津地区航空写真の試作品提示
 B 江戸期の古文書と石造物寄進者名の屋号名寄せリストは文化祭で発表、「史談八千代」は30号へ

事務連絡:「史談八千代」用の完成原稿は、8月末日までに会長宅か博物館に郵送かFAXしてください
 7月19日(月) 高津の現地調査をしました  

 臨時に呼びかけた現地調査でしたが、9名の会員が観音寺駐車場に集合し、午前8時半〜11時40分、石造物調査班に協力して、宮前の庚申塔11基と二十三夜塔1基の記録を行いました。
 また、「疱瘡神」石碑、中村と西の境の「北向道祖神」、中村の「妙正大明神」碑の調査や、消防署横の庚申塔についても調査、また大六天社の由来についての旧家の聞き取りなどを行いました。


観音寺ご住職とお掃除小僧さんに
「おはようございます」

さっそくご住職に質問
「あの家のお墓はどこでしょう」

宮前の庚申塔群
11基の記録は人海戦術

宮の前の二十三夜塔
こちらも寄進者の屋号解読が一仕事

享和4年(1804)の建立です


地番は大和田新田ですが
消防署脇の2基は高津の庚申塔

左は延宝2年(1674)銘


貞享2年(1685)銘の庚申塔
(宮の前の畑の中)
 7月18日(日) 例会 PM1時 市郷土博物館にて 

 16名が参加し、これまで個人やグループで取り組んできた高津に関するもりだくさんの調査報告が資料として配布、披露され、疑問点などを整理したり、活発な情報交換をしました。

内容(6と8は調査資料の配布のみ)
 1.高秀霊神と間宮氏-添付資料:間宮家系図・谷中長明寺の間宮家宝篋印塔銘文
 2.ムラ境の民俗−高津のツジキリ・道祖神・咳神さまを追って
 3.高津の石造物−供養塔・社寺宝賽物・記念碑
 4.廃寺正福寺に関連する石碑や霊園内の墓碑
 5.高津西霊園墓地の旧家の墓碑と屋号
 6.高津村の屋号リスト(江戸時代の文書に記された屋号の一覧表)
 7.高津邑鈴木半兵衛の算額
 8.観音寺境内の戦没者墓碑一覧(個人と合同の慰霊碑の銘文)

 なお、未調査の宮前の庚申塔11基と二十三夜塔1基、消防署下の庚申塔、中村と西の境の「北向道祖神」の調査や、大六天社の由来についての聞き取りなどを行う必要があり、19日午前中に有志で現地調査をすることになりました。

 8月はさらに今回見送った3テーマの報告も追加されますので、さらに充実した総合調査研究が期待できます。

 では、暑さの中、体に気をつけて実りある調査を続けて行きましょう。

 6月23日(水)午後 房総地域文化研究プロジェクト特別講義で講演

 東京成徳大学で行われた房総地域文化研究プロジェクト第5回特別講義「地域を学ぶことのおもしろさ」=市民研究者の調査・研究・表現=に、酒井さんと蕨が、学生と一般市民を前にそれぞれ講義をしました。

 酒井さんは八千代の自然観察のグループ活動についてビデオを流しながら、蕨はプロジェクターで映写しながら郷土歴史研究会の活動と、「さわらび通信」のHP紹介をしました。

 最後に村田先生もご挨拶され、これまでの歴史研究会の歩みと成果、フィールドワークの意義、楽しさなどを大いに強調されて研究会のPRは学生にまで浸透したことは思います。(写真 kagokakiさん)

房総地域文化研究プロジェクト 第4回特別講義 講演要旨

「地域を学ぶことの面白さ」 蕨 講演要旨(画像入り) 

 6月12日(土)〜13日(日) 信濃の歴史探訪旅行(小布施・松代方面) 
18名の参加で楽しく終了しました。ご参加の皆様ありがとう!

6/12 勝田台6:50出発 =森将軍塚古墳・長野県立歴史館=川中島古戦場=
善光寺=小布施町・岩松院=湯田中温泉泊



6/13 =小布施・北斎館・日本あかり博物館・高井鴻山記念館=豪商の館田中本家
 =松代城跡=真田邸・真田宝物館=勝田台着20:30



6月5日(土)午前中、会員相互に連絡をとりあって、高津調査のグループワークをしました。

石造物調査グループは、8時半から5名で、観音寺と高津ひめ神社境内の石造物の記録しました。

民俗調査グループは、飯縄神社に算額*を奉納した記録がある「高津村半兵衛」を調査しているS会員と一緒に、4名で、高津の旧家半兵衛家で聞き取りや位牌、過去帳の調査をしました。
その後、半兵衛家の墓石調査のため、観音寺墓地へ赴き、石造物調査班と合流。
昼食をともにしながら、情報交換をしました。

*この算額の解き方について、数学に興味のある方はチャレンジしてみてください
 →幕末千夜一夜より算額
2004年5月30日、会員5名で、間宮庄五郎家調査のため その菩提寺である谷中の日照山長明寺を訪ねました

谷中の長明寺の間宮氏墓地調査記録を参照
 5月29日(土)自衛隊習志野駐屯地演習場内の史跡調査

自衛隊に見学申請して、許可をいただき、午前10時から12時半ごろまで、18名の会員が、広報担当隊員の先導と案内で、演習場内の「大六天社」・「馬頭塚」の庚申塔類・野馬土手などの旧高津村研究に関連する史跡を、調査しました。

特に、「馬頭塚」は高さ3mぐらいの円形の塚で、塚の上にある
庚申塔2基馬頭観音はない)と手水鉢は、江戸時代の石造物として優れた意匠のものです。
また、台座には寄進者銘として、旧高津村の主だった家の数十の屋号が刻まれている点でも、史料性の高いことが、1998年の本会の調査で確認されていました。

今回は、前回調査で記録しきれなかった台座銘文の解読や計測などを手分けして実施しました。

庚申塔は華麗な享保と寛政年間の笠付の青面金剛刻像碑、菊の紋のある立派な手水鉢は安政5年江野沢、岩井、鈴木姓の10名が金50匹づつ出して寄進したものです。

またこの馬頭塚の地点は、かつて三山七年祭の神輿の通り道でもあり、2基の庚申塔は三山から高津へのムラの入り口を守る道祖神として民俗学的にも貴重な史跡です。

そのほか、今も高津の旧家の祭祀が行われている大六天社や、「まむし森」の中に残っている旧牧の名残りの野馬除け土手などを踏査しました。



大六天社

享保(左)と寛政年間の
笠付庚申塔


青面金剛刻像
(寛政の庚申塔)

広報担当の隊員と一緒に
「馬頭塚」調査記念写真

「高津の森」の野馬除け土手の
切断面
をみる

「まむし森」の
野馬土手に上る

 5月16日(日) 例会(旧高津村の調査と情報交換)

20名が参加し、午前10時から 高津山観音寺本堂にて例会を行いました。

・観音寺ご住職のご好意で、元和元年大阪夏の陣で戦死した間宮正秀=高秀霊神ほか、間宮旗本家の位牌の記録調査をしました。

高津山観音寺の間宮氏史跡と史料を参照

・そのほか、演習場の史跡調査の参加者名を確定し、名簿を作成しました。(参加者名簿提出〆切に間に合わせるため、例会参加者のみを対象に確定しました。)

「郷土史研通信」46号と会員名簿を配布し、個人報告記事については執筆者の解説がありました。
(お休みした方には、17日発送します。)
 バックナンバーのPDFファイルはこちら

・高津研究の情報交換、分担などを打ち合わせました。

・6月旅行の資料を配布しました。
5月2日(日) 午後1時より
10名の有志が参加し、高津の調査をしました。

主な調査箇所
 観音寺霊園(戦没者供養塔・各家の墓塔・躑躅園寄進碑など)
 高津比盗_社境内の末社祠
 出羽三山碑・大日様(天塔念仏)
 西霊園(墓塔)
 朝鮮人虐殺被災地(こぶしの木)
 疱瘡神碑、馬捨て場跡
 旧家訪問など
 本会16年度総会が 4月11日(日) 八千代市郷土博物館にて、午前10時より12時まで開催されました

参加者数30名(会員数54名)にて
15年度事業報告、決算報告を承認いただき、
16年度事業計画案、予算案を審議、決定いただきました。

 4月3日(土) 有志で 新川のお花見サイクリング

 昨春、本会の30周年記念に植樹した八千代市郷土歴史研究会の千本桜も大きくなりました。
今年はまだ葉だけですが、来春は期待の花も咲くでしょう。





新川を走る

米本城址

正覚院


このページは八千代市郷土歴史研究会行事連絡用の臨時非公式サイトです。
(責任は、「さわらび通信」管理人ゆみにあります)