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No.1001-No.1100 2003/7/262003/09/11
Since 2001.10.08
・オーバーフローで消えてしまった発言を収納しました。
・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
・他への引用は、著作権などの配慮から、発言者へ連絡をお願いします。
No.1-No.100 No.101〜200 No.201-300 No.301〜400 No.401-500 No.501-600 No.601-700
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1100. さわらびさんへ 青木  2003/11/23 (日) 18:20
さわらびさん、会員の皆さん、お疲れさまでした。
本日は良いものを拝見させていただきました。
当方子供をなだめながらの見学だったので、
思うようにじっくりと拝見できなかったのが残念でしたが、
祭礼の記録を残す云々にからめてみると、
集落の現在過去未来というものも考えさせられてしまいました。
等と生意気なことを書いてしまいましたが、
会員の方々にもよろしくお伝えください。
ありがとうございました。




1099. 『郷土史展』拝見しました あるけ〜@千葉市の遺跡を歩く会 [URL]  2003/11/22 (土) 23:34
さわらびさん、研究会会員のみなさん、本日は会場でのご説明、ありがとうございました。

千葉市の長作方面との強い関係がうかがわれ
千葉市民としても興味深いものでした。
どの研究発表も長い間、地元を歩いた蓄積のうえでの研究で、力作ぞろいですね。
ほかの地域の郷土史研究の模範になるでしょう。千葉市民!もがんばってほしいものだと思いました。

見学にきた市民のみなさんの熱気もすごい。
会場が狭く感じられるほどでした。

ところではなわ?の「千葉県の歌」ですが、Flashのほうは↓の人が作者かも?




1098. 郷土史展へ皆さまありがとう、23日もよろしく。 さわらびY(ゆみ)  2003/11/22 (土) 23:23
郷土史展へお越しの皆さま、ありがとう!!

ネットで初めてお会いした方、おなじみの皆様、高津新田研究でお世話になった旧家の方々、高津比盗_社祭礼でご一緒いただいた皆様、東京成徳大学の学生さん、お出でいただき、ありがとう。また十分御相手できずごめんなさい。
今日の会場風景をUPしました。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudositen/kyoudositen15.htm
皆様に熱心に見ていただき、励みになります。
23日もよろしくお願いします。

赤飯様
遠路はるばるありがとうございます。
勝田台文化プラザ近くのヨークマート駐車場は、ヨークマートでのお買い物で1時間、さらに、カメラのきむらでの買い物で1時間停められます。
ついでに、近隣の臼井城、歴博、八千代市郷土博物館(イベント中)をお回りになったらいかがでしょう。

お天気に恵まれて有意義に北総の旅を満喫してください。





1097. ご無沙汰しています 赤飯 [URL]  2003/11/22 (土) 22:09
ご案内メールを戴いて一月ほど。
こういうイベントの情報は少ないので、とても楽しみです。
問題は道に迷わずに行けるか・・・・・
都会が苦手なんです(笑)




1096. ( ^ー^)「ちばのうた」 さわらびY(ゆみ)  2003/11/21 (金) 18:25
たまには、遊び心のかる〜い話題!

ネットで偶然見つけた「ちばのうた」。
(まじめに千葉の民俗関係を検索していたのに)
どんな歌かと思ったら、メチャクチャわらっちゃった!
素朴な絵文字が動くのもなかなかの作(誰の作品?)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7220/tiba.swf

郷土史展へはるばる県外からお出での方、まあ、こんなところですが、どうぞいらしてください。




1095. 「郷土史展」へのお誘い さわらびY(ゆみ)  2003/11/20 (木) 19:48
八千代市郷土歴史研究会の15年度八千代市民文化祭参加行事「郷土史展」が目前に迫ってきました。

テーマは「高津新田研究U ムラとイエとくらし」。
私は、主に高津新田の民俗調査と、高津比盗_社の七年祭を担当させていただきます。
詳しくは、今日配られた「地域新聞」の紹介記事をお読みください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudositen/tiikisinbun.jpg

地図などのご案内は次のページにあります。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudositen/kyoudositen15.htm

今回の高津比盗_社の祭礼は、「さわらび通信」でもご覧いただけますが、郷土史展では、時平神社の祭礼準備と当日の写真も、事務局長ほか調査を担当した男性会員の力作でたっぷりご覧いただけます。

ネット上のハンドルネームしか存じ上げない皆様方と、こういう機会に直接お会いできることを楽しみにしていますので、22日と23日、ぜひ会場へお越しください。




1094. 『新撰姓氏録を読む』(第2期)のご案内 さわらびT  2003/11/19 (水) 23:01
昨日で、『新撰姓氏録を読む』6回分の講義が終了しました。毎回、先生の熱意が伝わる講義を受けております。

前回のおさらいも、お話していただいていますので、先日の『日本書紀と渡来人』よりは、少しだけわかりやすいです。(^-^)
相変わらず固有名詞はなじみのない名前が多いのですが、逆に言えば新鮮ですね。

坂上系図所引『新撰姓氏録』逸文の検討を通じ、さらに『日本書紀』も検討しながら、東漢氏・西漢氏の氏族組織のあり方に言及され、そして渡来系氏族である漢氏の出身が安羅(安耶)に他ならないことを分析・指摘されました。

第2期のスタートは、田辺史がテーマになります。山科の田辺史大隈の家で養育されたのが藤原不比等だったことを考えますと、なぜ不比等は田辺史に預けられたのか、気になるところです。壬申の乱の難を避けたという説に対して、朝廷内の文筆記録の任務にあたる氏族、「フミヒト」に預けられたのは、一種の英才教育の意図を感じると加藤先生は指摘とされました。(「シルクロードの会」の昨年3月の講演『初期の藤原氏と渡来人』)

そういえば昨年11月「シルクロードの会」での講演『史姓の成立とフミヒト制』もまた極めて刺激的なお話だったことも思い出されます。「六・七世紀の大和政権のもとで、文筆・記録の任務に当たる渡来系の職務分掌組織にフミヒト(フヒト)があった。フミヒトに任ぜられた諸氏は、東文氏・西文氏を長として、大王の宮やミヤケ・港津などの国家的施設に所属し、外交・内政の諸分野で主導的な役割を果たした。」(コメントから)

次回のテーマの種明かしみたいになりました。12月からの新会員を募集しています。『新撰姓氏録』の概論をお話いただいた、第1回、第2回の講義録を文章化してありますので、新規受講の方にはお渡しいたします。堅苦しさのない楽しい集まりです。先生のご都合さえよければ、講演終了後も軽く一杯ということになります。




1093. Re: 三山七年祭を終えて さわらびY(ゆみ)  2003/11/19 (水) 22:59
いも様
七年祭について貴重なご感想ありがとうございました。
確かに今はネット上での記録や写真のUPが絶頂! いながらにして、参加できなかった地区の様子や知られざる場面の報告がキャッチでき、ネット社会の成果を見ることができます。

> ところで各方面で紹介されていますが、この祭りの流れは小祭(湯立祭)に始まり→禊→神揃場→二宮神社昇殿→磯出式→火之口(神ノ台)儀式→各地花流しと終わります。

そうですね、二宮と千葉市の3社では、深夜の安産祈願の磯出式がクライマックス。
高津は、磯出式にむかう神社の神輿を、あの三山のケヤキ通りの交差点で見送って帰りました。

>それは二宮神社の神輿と子安神社の神輿が磯出式に向かう時、直接幕張には行かず途中武石町に寄って行くのです、小さな農村を二つの大行列が渡御して行く様子は壮観で、しかも観衆は地元民のみです。その後にくっ付いて三代王神社の神輿は磯出式に出向くのですが、なにか夫婦が武石で密会して産婆さんを引連れて行く感じです。

こういう感想、貴重ですね。それぞれのムラと風土の中に息づく伝統と信仰の重みと感じます。しかも未明の深夜、さぞ幻想的なことだったでしょう。

 
三山の七年祭の歴史的な考察について、「1066. 三山七年祭の謎」でも簡単に触れましたが、馬加城主千葉康胤の覇権の伸張の中で、安産祈願祭を契機とした康胤の軍事パレードとして広範囲の寄り合い祭りが企画された可能性は否定できないと思います。
さらに、三山・久々田・高津・萱田など藤原政権の基盤となった荘園を中心とした既成勢力の地域的な連帯をも組織化しようとしたのかもしれません。
史料不足で安易に結論付けできないのですが、「注連下(しめした)」23ヶ村の中世に遡る実態を知りたいと思っています。
さらに、これらの千葉氏の遺臣が帰農しその力を温存して近世を迎える中で、時の幕府領主にとって、祭りの奢多な側面の規制と、中世的な軍事的脅威からの規制として6年毎の式年祭として、成立していったのでないかと考えます。
今春、訪れた東・西金砂大祭礼の考察と比較しながら、七年祭の謎を解く楽しみを感じています。
皆さまも積極的にご意見をお寄せください。




1092. 三山七年祭を終えて いも  2003/11/19 (水) 01:16
さわらびゆみ様

三山七年祭も終わり、ようやく祭りの余韻が醒めて来た頃ですが、さすがデジカメ情報時代、ネット上では各HPで写真が掲載され、今が絶頂といった感じです。改めてこんなに有名な祭りだったんだと思い知らされました。

ところで各方面で紹介されていますが、この祭りの流れは小祭(湯立祭)に始まり→禊→神揃場→二宮神社昇殿→磯出式→火之口(神ノ台)儀式→各地花流しと終わります。

どなたもこの事には触れて無いのですが、私の地元武石町ではもうひとつ重要な事が行われます、それは二宮神社の神輿と子安神社の神輿が磯出式に向かう時、直接幕張には行かず途中武石町に寄って行くのです、小さな農村を二つの大行列が渡御して行く様子は壮観で、しかも観衆は地元民のみです。その後にくっ付いて三代王神社の神輿は磯出式に出向くのですが、なにか夫婦が武石で密会して産婆さんを引連れて行く感じです。磯出式が終わり二宮と子安の神輿が別れて行く際も、三代王神社の神輿は後ろにくっ付いて行きます。

馬加城のすぐ隣にあり、三代王神社の産婆役という重要性を今回の祭りを通じて感じた次第ですが、武石町を何度も訪れている歴史研究家のゆみ様は如何考察されるでしょうか。
今回取材された高津でも隠れた名場面が多々あろうかと存じます。インターネット版七年祭の「しんがり」を勤められるゆみ様のレポート心待ちにしております。




1091. Re: 三山の七年祭り タウンテレビ習志野 さわらびY(ゆみ)  2003/11/17 (月) 22:29
じゅうそう様
サーチエンジンからようこそ。
タウンテレビ習志野には加入していないので、放送は拝見できませんでしたが、ご紹介のサイトで菊田神社の神之台渡御と禊の写真を興味深く拝見しました。
ありがとうございました。

七年祭は、県と4市の教育委員会が前回は総力を挙げて取材し、それぞれ報告集を出しているようで、また八千代市ではビデオも市の予算でケーブルTVに依頼して作っていまして、私も拝見しました。
でも、私たちにとっては、やはりインターネットが一番ですね。
今は、「古典的名作」となったかつての千葉大生・田久保崇士さんのHPは、今見てもすごいです。
http://www.jca.apc.org/~ttakubo/7maturi/7maturi.html
HPで拝見すると、前々回(12年前)花笠を被って藤崎の金棒をなさったようですが、旧家の当事者でありつつ、客観的にこの民俗行事を紹介されています。

6年前といえば、まだまだインターネットもダイヤルアップで、HP制作ソフトもよいのは高く、HTMが語学のように使えないとなかなか出来なかったころだったでしょう。
田久保さんが今回の七年祭をどのように迎えられたかは存じませんが、6年前のこの作品は学術的にも価値ある名作として、ダウンロードに値すると思います。

七年祭参加の各神社にはそれぞれムラの構成と風土による個性があります。
県が4市教委と編集した公式記録写真集は、どこも神揃場の神輿揉みと昇殿のアングルが画一的な写真ばかりで面白くないと当事者自らおっしゃっていました。

素人であっても、それぞれの「見方」で見た七年祭がUPされるが大事だと思います。
これから、皆さんが取材したそれぞれのHPが咲きそろうことを楽しみに、私も高津比唐フ神輿の三山渡御と花流しの記録編集に努力したいと思っています。





1090. 三山の七年祭り タウンテレビ習志野 じゅうそう  2003/11/17 (月) 02:36
 こんにちは。サーチエンジンで七年祭の記事を見つけて以来、
楽しく拝見しております。

 さて、習志野市を中心に営業しているケーブルテレビ局、
「タウンテレビ習志野」
  http://www.town-tv.co.jp/
の、コミュニティチャンネルで、毎日、七年祭の模様が放送されています。

時間:9:00〜9:40/12:00〜12:40/17:00〜17:40/22:00〜22:40
毎週月曜午後5時の放送から、新しい内容の番組に変わります。
 
 シリーズ 三山の七年祭り(1)
 〜歴史と伝統が息づく七年祭り

 今回から3回シリーズで紹介する七年まつり、第1回は七年まつりの 由来と大祭前日に行われた菊田神社の神之台(かみのだい)
渡御と禊(みそぎ)の模様を 中心にお届けします。
 ・・・とのことです。

 加入していない方は、
http://www.town-tv.co.jp/comichan/news/2003/11_10/11_10photo.html#miyama
 で、写真を見ることも出来るようです。
 あるいは、市立図書館にビデオがある、という話も聞いた事があるような…。




1089. 加藤先生の講演会 さわらびT  2003/11/16 (日) 18:41
昨日の講演会(『日本書紀と渡来人』)には、31名(主催者含む)の参加で無事終了いたしました。講師の加藤先生並びにご参加の皆さん、ありがとうございます。
受付をしていただいたSさん、ご苦労様でした。
単独講演会は初めての試みで、どうなることかと思っておりましたが、私が考えておりました以上の方々にご参加いただき、加藤先生にお持ちいただいた追加のプリントがぎりぎりの枚数でした。

ですが、正直なところ加藤先生のお話は難しかったですね。伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)その人自身が撰者であるとする指摘など、興味深いお話ではありましたが、なじみの薄い固有名詞が頻発しましたし、あの分量を2時間でということでしたので、猛スピードでお話しになられたものですから、ついていくのが大変でした。じっくりプリントをお読みいただければと存じます。

時間帯も配慮して、これからの企画を検討させていただきます。

なお、この論考が収録されています『聖徳太子の真実』(平凡社)ですが、編著者の大山誠一先生にうかがったところ、今月25日に書店に並ぶとのことです。




1087. きょうの講演会 まさみ  2003/11/15 (土) 13:09
ご無沙汰しております。
きょうは加藤先生の講演会『日本書紀と渡来人』がありますよね。
どんなお話になるのかとても楽しみにしております。
ではよろしくお願いいたします。




1086. 「任那日本府」をめぐる問題(続き) さわらびT  2003/11/14 (金) 23:39
昨日の書き込みですが、使用できない文字を使った上、余計なコピペしてまい、ただでさえ読みにくい内容に輪をかけてしまいまったこと反省しています。といいながら書き継ぎます.

欽明紀五年二月条を再掲いたします。
「別謂河内直。百済本記云。河内直。伊那斯。麻都。而語訛未詳其正也。自昔迄今。唯聞汝悪。汝先祖等。倶懐[女+女+干]偽誘説。百済本記云。汝先那干陀甲背。加猟直岐甲背。亦云。那奇陀甲背。鷹奇岐彌。語訛未詳。」

【加藤先生の講義録から】
百済本記をみていくと、河内直と伊那斯(えなし)と麻都(まつ)という人物が出てくる。ただ彼らに関しては何かなまっていて詳しいことはよくわからないと言ってるわけですね。昔から今に至るまでお前たちの先祖たちはいずれもよこしまな心をもって、いろんなたくらみをした。那干陀甲背が河内直、伊那斯、麻都の祖先に当たる。そして、さらにその祖先として加猟直岐甲背(かろうじきこうはい)の名前が出てきます。そして「亦云(またいわく)」、とは別名、那干陀甲背(なかんだこうはい)のことを那奇他甲背(なかたこうはい)と呼んでいる。それから加猟直岐甲背を別に鷹奇岐彌(ようがぎみ)と呼んでいるけれど細かいことはなまっていてよくわからない。

この欽明五年二月条は、河内直、及びその仲間であった阿賢伊那斯(あけえなし)、佐魯麻都(さろまつ)、彼らがいわゆる「任那日本府」の中で実権を握ってしまって、百済に対して敵対的な行為をとることが多いので、百済の聖明王が、欽明天皇に対して「任那日本府」の中から彼らを排除してくれと要請している文章の一部である。

金官国が滅亡、さらに前後して喙己呑だとか卓淳といった国が滅亡。加耶諸国を形成していた国々も困るしここに利権をもうけていた大和政権の側もたまらず、安羅に日本の出先機関を設けて、ある程度軍隊を駐屯させた上で、生き残った加耶諸国の国々の旱岐(かんき)たちと会議を開き、そして加耶諸国の保全を図っていこうとする。そのために日本側がもうけた出先機関が、これがいわゆる「任那日本府」であったと考えられる。

となると、「任那日本府」については山尾先生や鈴木先生の理解とは、やや違うようなニュアンスですが、これもまた解釈としては重要な意味があると思われます。

くどくなりますが、明日はその加藤先生の講演会があります。




1084. 「任那日本府」をめぐる問題 さわらびT  2003/11/14 (金) 00:16
『東アジアの古代文化』117号には、かなり注目の論考が掲載されています。

特集1 倭の五王から継体期の諸問題      
特集2 弥生時代をどうみるか

興味深い論考満載ですが、特集1のなかですが、山尾幸久先生の論考『「任那日本府」の二、三の問題』はやっぱり気になりますね。
山尾先生によれば、「倭国の王が命じて朝鮮半島に遣わし安羅にしばらく駐在した官人。それが「任那日本府」である。」とのこと。

先日、といっても半年ほど前になりますが講演された鈴木英夫先は、「任那日本府」=「在安羅諸倭臣」だとご指摘されていますし、山尾先生も同じお考えのように思われます。鈴木先生は、講演で、「ミドルマン」という概念を用いて「諸倭臣」を説明されました。(掲示板781参照)

偶然ですが、『新撰姓氏録を読む』の勉強会、5回目(11月4日)では加藤先生がこの問題を取り上げておられました。テーマは西漢氏(かわちのあやうじ)でした。

欽明紀五年二月条をご覧ください。
「別謂河内直。百済本記云。河内直。伊那斯。麻都。而語訛未詳其正也。自昔迄今。唯聞汝悪。汝先祖等。倶懐姧偽誘説。百済本記云。汝先那干陀甲背(なかんだこうはい)。加猟直岐甲背(かろうじきこうはい)。亦云。那哥陀甲背(なかたこうはい)。鷹奇岐彌(ようがぎみ)。語訛未詳。倶懐姧偽誘説。』

実は、掲示板251にチラッと書いたのですが、東漢氏をテーマにした加藤先生の講演を聞いたあとの感想「東漢氏の氏族組織の性格はよく理解できました。もっとも最後の東漢氏の故国を安羅とするお考えを示されたさい、ナカンダコウハイとかヨウガキミあるいはアケエナシ、サロマツの名が登場する頃には頭がくらくらしましたが・・・(^-^)」

今回は2回目でしたので、くらくらはしませんでしたが、いまだになじめない名前ですね。ですが、これらの人々が「任那日本府」と大いに関係してくるわけです。(続く)




1083. 講演会及びシンポジウムのお知らせ さわらびT  2003/11/12 (水) 23:32
三山七年祭で掲示板が盛り上がってましたので、少々自粛?しておりました。
宣伝ですが、今週末には加藤謙吉先生の講演会『日本書紀と渡来人』があります。参加はご自由ですので、ご関心のある方のご参加歓迎いたします。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/siminbenkyoukai.htm

以前、鈴木靖民先生から12月にシンポジウムがありますよ、と教えていただいていたのですが、内容が発表されています。

『東アジア異文化間交流史研究会・第2回国際研究会議』
全体テーマ
 「古代東アジアの異文化間交流と文化形成」

日時・会場 
 12月13日(土)10時〜18時  國學院大學120周年記念館1103教室
   14日(日)10時〜18時  國學院大學隣接 院友会館3階

◇第1日(12月13日) 
  「韓国古代の前方後円墳と日本の古墳文化」 
      
報告
   朴 天秀   韓国の前方後円墳からみた古代韓日交渉
   李 鎔賢   韓国古代の全羅道と百済・加耶・倭
   柳沢一男   韓国の前方後円墳と北・中部九州
   土生田純之  前方後円墳をめぐる韓と倭
   鈴木英夫    韓国の前方後円墳と倭の史的動向

◇第2日(12月14日)
  「古代東アジアと日本の宗教・信仰の交流」 

報 告
   椙山 林継  古墳時代の海上交通と信仰
   高 慶秀   韓国扶安竹幕洞祭祀遺跡の文化複合−海辺と航海の祭祀−
   岡田精司   外来の護法神−日本古代を中心に−
   増尾伸一郎  中国撰述経典と道教の流伝−日本と朝鮮を中心として−
   三橋 正   日本的信仰構造の成立と陰陽道

http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/news/article.php?storyid=55

それぞれ興味深いテーマです。鈴木英夫先生や、増尾伸一郎先生の講演が楽しみです。




1082. お疲れ様でした 高橋敬三 [URL]  2003/11/11 (火) 10:20
ゆみさん
お疲れ様でした。
労作を拝見しました。準備段階からの計画的な取材で立派なドキュメントが出来ましたね。
貴方の解説でいろいろなことがよく分かりました。
参考にさせてもらいます。
どうも有り難うございました。
掲示板への書き込み、またページの紹介も頂き恐縮です。
これもまた、有難う。




1081. 桃崎先生の「宍塚般若寺・・」講演会と釈迦像・佐野子五輪塔など さわらびY(ゆみ)  2003/11/11 (火) 00:07
 七年祭の話題と離れますが、土浦市の「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」で開かれている「般若寺遺跡と常陸の中世寺院遺跡」の企画展に関連した桃崎祐輔先生の「宍塚般若寺の歴史と西大寺律宗の東国布教」と題する講演会に昨日行ってきました。

 この宍塚般若寺は忍性の東国布教の拠点三村山とも近く、その足跡をたどる上でもキーポイントになる寺院で、本来「T忍性がたどった中世の風景」の「筑波路の風景」の続編として書くべきところ、勉強不足(というより歩き不足?)で後回しになっていたところでした。

 今回の先生のお話は、地元の方々にもわかりやすく、また多くの学生さんや研究者の聴講にも応えるとてもすばらしい内容でした。

 また、講演会の前後に、般若寺の釈迦像と佐野子の五輪塔をカメラに納めることが出来ました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/saijiki/11hannyaji.html

 お天気が悪くて野外の写りは今ひとつですが、念願の被写体でしたので、史跡歳時記にUPしました。

 忍性シリーズは、松戸編がまだ途中になっていますが、郷土史展が終ったら、松戸に関する調査を再検討してなんとか目鼻をつけ、いずれ般若寺もとりあげたいと思っています。
 どうかご指導のほどよろしくお願いいたします。




1080. いらっしゃいませ さわらびY(ゆみ)  2003/11/10 (月) 19:59
萱田町の青木様、いらっしゃいませ。

時平神社大祭執行にご尽力ご苦労様でした。
萱田町では3年前、飯綱権現の道しるべと古道調査で青木姓の旧家のご一族にお世話になりました。
今回の大祭では、八千代市郷土歴史研究会の男性会員は、時平の祭礼を調査、私たち女性はお姫様の高津を担当しました。
というわけで、時平神社については勢揃い式直前の画像をUPしただけで、時平の2日間の記録は、郷土史展で会員から拝見することになるでしょう。

> 神揃場の画像拝見いたしました。
> そう、この子です。かわいいですね。
> 私たちは隣に神輿を置いていたのでよくみえました。

そう、とてもかわいくておひねりがたくさん飛びましたね。

七年祭の三山での記録写真では、「本命」の高橋様のHPが9社オールスター版を本日UPされました。
http://takawasi.hp.infoseek.co.jp/ninomiya.html
さすが、プロ級の方のアルバムはすごい!




1079. さわらびさんへ 青木  2003/11/10 (月) 08:16
神揃場の画像拝見いたしました。
そう、この子です。かわいいですね。
私たちは隣に神輿を置いていたのでよくみえました。
あるいはさわらびさんともすれ違っていたかも知れませんね。
個人的には稚児行列(に付き添っている着飾ったお母さん)や、
女性の金棒を見たいのですが入場時間の都合で無理です。
 また男性会員の方には花流しの交通警備を手伝っていただいたとの事、準備期間中はあわただしくて何の協力もできませんでしたが
「どうもありがとうございました」とお伝えください。
今後の画像upも楽しみにしています。




1078.  あるけ〜@千葉市の遺跡を歩く会 [URL]  2003/11/10 (月) 00:06
すいません。下の1077の投稿は、さわらびYさんの1076の書き込みを見ないで投稿してしましました。クロスしてしまったようです。お好みの写真をじっくり鑑賞したうえでいずれまた投稿します。




1077. 速報版第2弾・第3弾も拝見しました あるけ〜@千葉市の遺跡を歩く会 [URL]  2003/11/09 (日) 23:52
さわらびさん、こんばんわ
フォトアルバム、第2弾、第3弾もすばらしいですね♪
何よりも、お祭に参加さしている人たちの様子が生き生きしていて、
こちらもうれしくなります。
踊っている神揃場の小さい坊やには、なるほどおひねりあげたくなります

>磯出式
いやとにかく式場のまわりは人がきがすごく、
写真の撮影・見物はきわめて困難でした。

子供にカメラを持たせて、肩車して撮らせたり、
「神木だからバチがあたるかもなぁ」
といいながら、木に登って何とか見物しようとする人も現れました。
気の利いた人は脚立を持参したりしてましたが、
それでも前の方にいないと見物は難しかったでしょう。
おやすみになっている地元の方の環境への配慮もふくめ
検討すべき課題があるようです。

男性会員は時平神社担当だそうで、
郷土史展での時平神社関係の記録も楽しみですね。




1076. Re: ドキュメント&速報版拝見しました さわらびY(ゆみ)  2003/11/09 (日) 23:24
あるけ〜さん、ありがとう。
お言葉に応えて、2日目の花流し編もUPしてみました。

写真はむずかしいですね。
華やかな神輿は絵になりますが、参加する人々の思いをなかなか「この1枚」にセレクトできず、十分精選できないままのとりあえずのUPです。
個人的には、二宮昇殿の後姿(赤い着物は囃子連のおかめのおじさんです)と山車の車を支える人の画像が気に入っています。

> これが速報版とすると、最終版はたいへんなことになりそうですね。

いえいえ、単純に容量の問題で、まずは大きなサイズの画像をなんとかしなくちゃ。
そのほか、載せていない裏方の記録や解説抜きでは意味不明の画像を編集するだけです。
とりあえず、郷土史展が終ってからの作業になるでしょう。

画像のファイル名は、月日時刻にしました。
祭典の記録を担当される方は参考にしてください。




1075. ドキュメント&速報版拝見しました あるけ〜@千葉市の遺跡を歩く会 [URL]  2003/11/08 (土) 23:19
さわらびさん、こんばんわ
速報版アルバムも見ましたよー
ドキュメントもそうですが速報版もすごい。傑作ぞろい。
神輿が完全に宙を飛んでいるところもよくぞ撮りましたねー
これが速報版とすると、最終版はたいへんなことになりそうですね。

ほかの地域の人もうらやましがるでしょう。
とりあえず、たまげたというご報告まで(^^)




1074. Re: 御疲れ様です。 さわらびY(ゆみ)  2003/11/07 (金) 19:02
> 三山の7年祭御疲れ様です!

ありがとうございます。
昨夜、ちょうど祭り前日の二宮の様子をUPしたところでした。
今は、自衛隊の演習場に分断されていますが、三山は大和田ー幕張ー古和釜を結ぶ広いエリアの中心地だったのですね。

ナナマガリの古い道沿いの旧家の家並み、その一軒一軒のお宅が昔から近郷近在の神輿の接待するヤドとして、今に続いているのもすごいことです。

> 祭りが終ってなんだかとても寂しい気分ですが、次回また必ず見ます!!ただ7年は長すぎる〜・・・

そうですね。同感です。でも茨城県の東・西金砂神社の磯出大祭礼は、72年に1回!

次回の七年祭は、桟敷席を確保し、コップ片手にゆったり贅沢に見たいですね。(無理かしら?・・・)




1073. 御疲れ様です。 二宮  2003/11/06 (木) 19:23
遅くなりましたが、三山の7年祭御疲れ様です!私は、二宮神社から近い所に住んでいて、2日に近づくにつれて神揃場公園など準備がされていく過程を見ていてとても心がウキウキしていました!!2、3日の大祭には、約12万人の人が来たみたいですね!祭りを見るのは今回で3回目ですが、ホントに素晴らしかったです!!祭りが終ってなんだかとても寂しい気分ですが、次回また必ず見ます!!ただ7年は長すぎる〜・・・




1072. Re: こんばんは。 さわらびY(ゆみ)  2003/11/06 (木) 00:42
七年祭関連でしょうか、あっという間に数十件以上アクセスいただき、30000台を越してしまいました。
お顔もお名前も存じ上げない初めての皆さま、ご来訪ありがとう。
今後ともよろしくお願いいたします。

七年祭のプロローグが完成しないうちに、3日間、朝から夜遅くまで祭りにくっついて跳ね回っていたので、まだ画像整理もリアルタイムのUPもできず、せっかくお出でいただいたのに申し訳ありません。
ただいま、アルバム編集中ですので、もう少しお待ちください。

オレガノさま
> 身近にこのような祭事の姿を見る事が出来た事を幸運に思うところ・・

寝入りばなを起こされたのはお気の毒でしたが、でも、七年ぶりの行列が前を通るおうちなんて、見方をかえるとうらやましい限りですね。

今年は、茨城の金砂大祭礼、上野の五條天神社大祭、佐原の八坂神社祇園夜祭と、祭礼の民俗行事に触れることが多かったのですが、主催者の方々のトラブル対策やマナーの気遣いは相当なもので、特に高津は神輿ギャルも縁のない助っ人もご法度らしくお行儀がよかったでしたね。

私も跳ねてばかりでなく、少しは文献も読まなくちゃと、『幕張・子守神社「神主日記」』という白井千万子氏のまとめた資料集を読み始めました。
文化14年(1817)から弘化3年(1846)の30年間の史料です。
当然七年祭の記述も5回と多く、現代の祭りとの共通点と相違点が見えてきて面白いです。
その中で、文政12年9月16日に以下のような記事が書かれていました。
「畑村大和田村と喧嘩有之互尓御神輿被破彼是騒動致し よって同夜磯出御祭式延引尓相成申候・・・」
まあ、畑と大和田の神輿が喧嘩しちゃったとは、昔はけっこう荒っぽかったようですね。

リンク友だちのあるけ〜さんのHPも七年祭で盛り上がっています。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1467/index.html
わが家のHPでちょっとがっかりした方は、お先にそちらへお寄りになってみてはいかがでしょうか。




1071. こんばんは。 オレガノ  2003/11/04 (火) 19:56
管理人様、二度目の投稿です。
眠れない愚痴を勢いで書き連ねてしまった事を反省しております。
個人的には、歴史、民俗、習俗を学ぶことは非常に好きで
身近にこのような祭事の姿を見る事が出来た事を幸運に思うところ
なのですが、日々の仕事の忙しさに、気持ちの余裕を失っていたのかも
知れません。
そうですね、いわばモラルのようなものでしょうか。
翌朝、道路の傍らに空き缶が残されていたのを見て残念に思う一方
これは祭でなくても普段から起こっている事なんですよね。
時代の変化とモラルの変化。難しい問題です。

いきなりの反論めいた投稿、大変失礼致しました。
盛りだくさんのサイト、これからもちょくちょく覗かせて頂きたいと
思います。





1070. 七年祭が終って さわらびY(ゆみ)  2003/11/03 (月) 23:37
オレガノさま ACTさま
初めまして。ご意見ご感想ありがとうございました。

朝から高津の端から端まで神輿を追いながら花流しを実感させていただき、9時の神輿から本殿への御魂遷しの儀を見届けて、帰宅しました。
次は7年後ということで皆さん名残り惜しく、神社に戻ってからもすごいエネルギーで神輿をもみ続け、なかなか納まらなかったですね。
そして興奮と喧騒から一転して、暗闇の沈黙の中の御魂遷しの神事は感動的でした。

地域の歴史と民俗を知りたくて今年5月、ムラから見ればヨソモノの身で一人高津を訪ね、七年祭の準備過程を追いながら、多くのことを学ばせていただきました。
祭りは、見られるものと見るものとによって成り立つと思いますが、勢揃い式から神輿が戻るまでの3日間、全てを一緒に歩いて見て、古くからのこのムラの構造や慣わしなど初めて知るよい機会になりました。

でも、時代の変化の中で、祭りを持続することは今はもうとてもたいへんなことでもあるのですね。
幕張では徹夜の祭りとのこと。
たしかに「現代のライフスタイルに沿った方法」というのも考慮されなければならないでしょう。
昔からの渡御の道も、今や国道や住宅街と化してしまい、辺田道や浜辺の道ではなくなっているのですから。

のどかな高津の渡御の道も、何ヶ所か県道を横切ったり、バスが横を走っていたりして、そのたびに、交通整理のスタッフはご苦労されていました。(私もご苦労をかけてしまったようで、ごめんなさい)

環境の変化の中で祭りの伝統が変わり行くのは、仕方のないこと。
ただ、その変化が歴史とともにあることの認識のためにも、今の祭りの記録だけでも残して行きたいと思っています。




1069. 非情の雨ですね ACT [URL]  2003/11/03 (月) 18:00
 はじめまして。歴史に縁のない者で恐縮です。
つい先程まで神輿のそばにおりましたが、あいにくの雨になってしまいましたね。
 管理人さんとは同じ町内?かもしれません。祭礼のお世話を頂き感謝いたします。TOPに昨日の画像が貼り付けられていたので驚きました!
 実は私のHPのTOPICSに『七年祭』を紹介しようと、検索したところ、「高津」の文字が目に止まり、七年祭関連の記事を拝見いたしました。大変分かりやすい説明に感銘いたしました。参考にさせていただきたいと思っております。
 前回の1973年には私も高津の神輿を担いでおりましたが、高齢?のため後進に任せることにしましたAHH 祭囃子を聞いているとじっとしていられないのは日本人の証し?でしょうか!?

 近年、地域の高齢化と共に神輿の担ぎ手も少なくなったようで、私の弟・甥も神輿の世話人として苦労したようです。しかし、高津も宅地化で転入者の方も増えましたが、皆さん良く地域の行事を理解され、残り少ない土地の風土に溶け込んでいるようです。新旧在住の方が混じって神輿を担ぐ風景は、見ていてもほほえましく、祭礼が地域のコミュニケーションの場になっているのは先祖が私達に与えた「平和」の手段なのかもしれません。
 神輿を見られる側から見る側になってみて、本当に多くの方に支えられていると実感いたしました。祭りを盛り上げる人・又それをフォローする人。まるで小さな社会です。まつりごと(政)とはここから出たのでしょうか?AHH 
 
 七年に一回のお祭り!
 さーて 仕上げは高津比盗_社で揉みましょう! 半纏着て行こうかな!?




1068. 水を差すようで恐縮ですが・・・ オレガノ  2003/11/03 (月) 00:52
幕張地区に越してきて数年が経ち、初めての三山七年祭を迎えました。
御神輿に集う人々の姿に、古き良き時代の祭りの息吹を感じ
胸踊る心地さえ致しました。
が、深夜の神輿行列の在り方に些か閉口しております。
祭の次第を知らなかったとはいえ、家の前で大声で騒がれる方の
多いことに驚き、タバコの煙が家の中にまで流れ込んで来た事には
怒りすら覚えています。(実際、寝入り端を起こされていますし)
大切な伝統は残していただきたいと思う一方で、
現代のライフスタイルに沿った方法はないものかと。
せめて深夜の時間帯には、民家への配慮があればと思いました。
管理人様の熱意のこもったレポートに水を差すように
眠れなくなってしまった愚痴を書きこんでしまい申し訳ございません。
ただ、このような意見も存在することを知って頂きたく思いました。




1067. 三山七年祭が始まりました さわらびY(ゆみ)  2003/11/02 (日) 23:41
三山七年祭が始まりました。
クライマックスの二宮神社昇殿は晴天のうち終了。
明日は、ムラを回る祭り、花流しです。
昨日から3日間、早朝から夜遅くまで、高津の祭礼のお供をさせていただいています。
画像整理も、HPの作成も後回しになりますが、高津の皆さんのご好意に感謝し、表紙だけリアルタイムで更新しました。
明日も、頑張ります。






1066. 三山七年祭の謎 さわらびY(ゆみ)  2003/11/01 (土) 00:26
民俗行事、特に祭礼は、伝統と言ってしまえばそれ以上詮索の余地がないのですが、その不思議さの本質、そして類型の分布と系譜は、とても興味をひく内容に満ちています。

さて明日の各神社の勢揃い式からスタートする三山七年祭ですが、この祭りも次のような特徴を持っています。

1.磯出式という浜降り神事を伴うこと
2.「三山荘」と称せられた地域の鎮守にそのエリアの神社が神揃えする寄り合い祭りであり、かつては「注連下(しめした)」23ヶ村がかかわっていたこと
3. 七年毎の式年祭であること

これらの特徴点は、北総から茨城・福島太平洋沿岸に広がる地域の祭りと共通点を持っていると思えます。

1.は古代からの神秘的な神事を、2.は中世の軍事的な連帯を、3.は近世からの合理主義を感じます。
それらの民俗学的な考察は、研究家の論を待つとして、私には素朴な疑問がたくさんあります。
山車と屋台はどう違うのだろう?
神聖な役割の金棒のルーツとは? またその女装の意味とは?

明日(あ、日付が替わっちゃった)からの取材で少しはその謎が解けるかもしれません。
では、皆さま3日間の大祭を一緒に楽しみましょう。




1065. Re: ラチチュード さわらびY(ゆみ)  2003/10/27 (月) 23:47
入手したばかりのDiMAGE A1でおそるおそる撮った「里の秋・八千代市勝田にて」。
見慣れた場所の夕暮れの風景、出来は自信ありませんが、初めての作品なので記念にUPしてみました。

mwaraさま
ご教授ありがとうございます。
史跡や民俗の記録と挿図のための撮影に徹していましたが、mwaraさまのHPの惹かれて、私も写真の魅力にとりつかれそうです。

>被写体に余計な物は入れないという事と、自分が撮りたいのはこれという事の2点

俳句の世界のようですね。心がけてファインダー(液晶画面?)をのぞいてみます。
これからもご指導のほどよろしく。




1064. ラチチュード mwara [URL]  2003/10/27 (月) 23:20
ゆみ様
写真を拝見し、奥行きを感じました。またコスモスの色合いが原色に近い色が出ているような気がします。専門用語で言うとラチチュードが良いということですね。私の場合単純なことですが被写体に余計な物は入れないという事と、自分が撮りたいのはこれという事の2点です。これから性能の良いデジカメで思う存分シャーターを切ってください。1パーセントの確率で自分の思う写真が撮れれば良いと思います。





1063. Re: 七年祭磯出式のスケジュール さわらびY(ゆみ)  2003/10/26 (日) 21:03
いも様

>当方海外に居るもので故郷の武石町の様子を見るだけで感激(涙)しています。

さすがIT時代ですね。はるか海の向こうから、ご覧いただきありがとうございます。
おびしゃの取材でお世話になったり、中世武石氏の探索で史跡を捜し歩いた武石町の七年祭もできれば追いかけたいのですが、今回は機軸を高津においていますので不十分なルポで申し訳ありません。

幕張の子守神社のスケジュール表ありがとうございます。
子安神社でも磯出式の予定表をいただきましたが、式を深夜3時43分に執行とはすごいですね。
「徹夜の取材はたいへんだった」と県や市の教育委員会の調査の担当者に前回の苦労話をお聞きしました。
深夜の秘儀の祭祀があってこそ、観光化とか地域活性のためとかのお祭りとは違った伝統行事の重さを感じます。

またお便りをください。




1062. 歴博に行きました さわらびT  2003/10/26 (日) 19:56
久しぶりに歴博へ行きました。ご存知の方も多いでしょうが企画展開催中です。

http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index79/index.html

特別企画「歴史を探るサイエンス」
2003年10月21日(火)〜11月30日(日)

残念ながら、人出は少なかったです。今話題の炭素14年代法も丁寧に説明されています。弥生時代の開始年代もテーマになってますので、関心がもっとあってもよさそうにと思いますが・・・
江戸図屏風がデジタル化されてかなり人物の表情の細かい部分までわかるなど、見どころはあります。

個人的な関心でいえば国宝の額田寺伽藍並条里図が復原品と並べられて展示されているのでありがたいです。但し、この展示は11月16日(月)までのようです。

http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/nukata/index.html

「額田部氏は、その本拠地が大和国を流れる諸河川の合流点という交通上の要地に位置したため水運を掌握し、また馬の飼育にも関係したことから、しばしば外国施設の接待役に任命された。また推古天皇(額田部皇女)など王子女の養育を担当したといわれる。」(仁藤敦史『額田部氏の系譜と職掌』国立歴史博物館研究報告第88集、2001年)
この仁藤論文では、天武朝以前に職掌的には異なる2系統の額田部連が存在したこと、天津彦根命系の系統が推古朝には有力、天武13年宿禰に改姓した額田部連は通説では天津彦根命系(岩波『日本書紀』注を参照)といわれるが、『新撰姓氏録』には天津彦根命系の額田部宿禰が見られないことから明日名門命系と推定するなど新たな見解を提示されています。

話が別な方向に行きましたが、『新撰姓氏録を読む』の勉強会をしていますので、関心がそちらに向いてしまいます。おゆるしを。

先日のシルクロードの会(24日)の荒竹清光先生の講演では、東国の桧前氏の足跡をたどるという興味深いお話で刺激を受けました。ご講演の中で、たびたび加藤先生の研究を引き合いに出されたのも印象的でした。




1061. 七年祭磯出式のスケジュール いも  2003/10/26 (日) 10:02
さわらびY様、いつも「ドキュメント七年祭・・」を拝見させて頂いております。当方海外に居るもので故郷の武石町の様子を見るだけで感激(涙)しています。
ところで、「幕張情報局」というホームの掲示板で磯出式の情報を募集したところ、子守神社(千葉市幕張)に掲示されていたスケジュール表の情報を寄せて頂きましたので、今後の取材にご活用頂ければ幸甚です。

「磯出大祭関係概略」
11月3日
01:00 子守神社にて出御祭執行(役員・金棒・舁夫神輿前に整列)
01:30 磯出大祭に出発
02:00 二宮、子安、三代王、子守神社神輿入場
02:23 各神社宮司、祭員式場入場
03:43 式典執行
04:30 式典終了
04:50 二宮、子安、三代王、子守神社神輿退場
06:10 子守神社に到着
06:30 還御祭執行
13:00 町内(幕張1〜5丁目)神輿渡御開始
18:30 子守神社に到着

以上です、さわらびY様の今後のご活躍楽しみにしています。




1060. 高津の祭りと民俗調査 さわらびY(ゆみ)  2003/10/25 (土) 23:27
七年祭まであと1週間
「ドキュメント2003年三山七年祭を迎える人々 in 高津etc」も今日のルポを入れて更新しました。
ダンナ衆の注連縄張りと、旧家のおばあさまがたからの聞き取りがテーマです。

この七年祭のルポ、まだ祭りも始まっていないのに、もう4頁目になりました。
八千代市の旧村の民俗調査も、上高野、高津新田に次いで、高津は3番目。
祭りのほかの伝統行事も多く残っていて、史跡や伝承も豊富。これは、たいへんな旧村を手がけてしまったと思いつつあります。





1059. 女性たちの七年祭 さわらびY(ゆみ)  2003/10/22 (水) 13:05
18日の土曜日、高津へ行って、旧家の大奥様にお話を聞く機会がありました。
中世の高津城館跡を背後にしたキューゼムさんという屋号の立派な旧家です。

畑仕事をしていた80歳過ぎの大奥様にお声をかけると、気軽に邸内に案内してくださり、七年祭の山車の車(地車という輪切りにした松材)を沈めておく池などを見せてくださりました。
昔から、苗代に使う種籾を漬けて冷やしておく神聖な「タナヤ」であった池の水は涸れていました。
中世城館跡の背後の山とその先の台地が開発で緑を失って、絶えることのなかった湧き水がもうほとんど出なくなり、ポンプアップした井戸水を注水しても、夏は水位を保つのは難しいそうです。

この家に生まれ、婿取りをした大奥様は、三山には、7歳の帯解きの祝いの時にお参りに行ったきり、行ったことがないそう。
かつては花流しのとき神輿が邸内に休憩をするので、その接待のごちそう作りや、親戚が泊りがけで見物に来る世話で休むひまもなく、祭りを楽しむ余裕はなかったとのことでした。

神事はすべて男性で準備、執行されますが、陰で支えているのは、女たち。今は、だいぶ省力化されているそうですが、やはり旧家の女性たちはたいへんなようです。





1058. Re: 秋の夕日に!! さわらびY(ゆみ)  2003/10/20 (月) 23:40
mwaraさま

> ふるさと広場のコスモスを撮影しましたのでご覧ください。

すばらしい写真ですね。コスモスがとても幻想的!
http://www2u.biglobe.ne.jp/~W730688M/warasan4.htm

写真は史跡や石造物などの記録用の程度にしか写してこなかったのですが、mwaraさんの作品に触れて、ちょっとだけましな画像を撮ろうと思っているうち、私も最近ハマッテきたみたい。といってもこんなすてきな「今月の一点」を拝見して、永遠に縮まらないレベルの差を感じています。

初めて手にしたおもちゃのようなデジカメで写したのは「ある道標の独り言T」の画像です。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/page2.htm
このページでは、1998年夏の画像を始めに、毎年進化?したデジカメの性能の歴史を感じますね。一年毎ぐらいに買い換えて、今はFinePix2800Z。
そしてまだ手にしていないDiMEGE A1、先に買ったマニュアル本を見ながら、ため息だけついています。

>11月3日には祭りがあるからと親戚の所から声がかかっております。

祭りといえば、昨秋の先崎の村の祭礼はのどかでよかったですね。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/massakimaturi/massakimaturi.htm

2日の三山はすごい混雑でしょうが、3日の高津と時平神社の花流しはgoodだと思います。
もっとも、成田街道(296号)は交通規制するので、マイカーでのお出かけはタブーかもしれませんが。

「フォトスケッチ in 古河」をUPしましたので、ご覧ください。




1057. Re: 三山の七年祭情報を拝見しました さわらびY(ゆみ)  2003/10/20 (月) 19:50
あるけ〜 さま

> 2003年三山七年祭ドキュメント、拝見しました−♪

ご覧いただき、ありがとう。日々、更新してなるべく最新の情報をお伝えしようと思っています。
日程とスケジュールは、18日現在の最新情報を次のページに載せました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/miyamasitinensai/sitinensai2.htm

神輿渡御の場所は、全て中心マークを入れたYahooのマップをリンクしました。
(この方法が、一番著作権に抵触しないようですね。)
コンパクトなモバイルPCとGPSを使えば、追っかけ取材に最適かなとも思いますが・・。(実は私は持っていないのよね〜。)

千葉・仮面ライダーさま(メールに感謝!)もご参考になさってください。

> 八千代市『郷土史展』の情報・・・
> おおいに宣伝しておきます。

貴兄のTOPページのトピックスに掲載いただき、ありがとうございました。

昨日は「戦国時代の本佐倉城を考える」に参加されていたのですね。
私は、年度当初から予定していた古河へのバス見学会(フォトスケッチをUPしました)のため、都合がつかず、Tに、ICレコーダー持参での聴講を頼みました。

あるけ〜さん、http://www3.ezbbs.net/27/chibaiseki/
余湖さんhttp://bbs2.on.kidd.jp/?0200/yogokun
のHPの掲示板でも話題の興味深いお話だったようですね。

あるけ〜さんの次の感想、なるほどと思いました。録音を聞くのが楽しみです。

>とくにゲストの藤木久志先生のお話は、中世の村の自立性、庶民のしたたかさという観点を打ち出し、城郭は庶民の逃げ場であり、武装した村の防衛拠点でありえたという見方を提示するもので、たいへん示唆に富んでいました。




1056. 秋の夕日に!! mwara [URL]  2003/10/20 (月) 00:13
ここのところ土日となると用事ができゆっくりパソコンと向かい合うことができません。用事を済ませた帰り道、ふるさと広場のコスモスを撮影しましたのでご覧ください。ピンクと淡いクリーム色のコスモスが夕日をバックに秋の趣を一層感じさせてくれていました。今月の一点にも掲載しますので大きい画面でお楽しみ下さい。ところでデジカメも最近500万画素が主流となってきましたが、DiMEGE A1はミノルタ・コニカの新製品ですね。マニュアルをよく読んでお使いください。撮影が楽しみになりますね。1枚を期待しています。また三山神社の7年祭の解説ありがとうございます。11月3日には祭りがあるからと親戚の所から声がかかっております。





1055.  『戦国時代の本佐倉城を考える』での藤木先生の講演から さわらびT  2003/10/19 (日) 23:14
『雑兵たちの戦場』や『戦国の村を行く』などで戦国時代の人々の暮らしや生き方を独自の視点で描いておられる藤木久志先生のお話は一度、聞いてみたいと思っておりました。

戦場では人さらいが頻繁に行われたとのこと、これを「乱取り」というそうですが、千葉にあるこうした文書から一例。

【史料17】敵領の男女をだましてさらう、天正3.8.29、北条家印判状(妙光寺宛、藻原寺文書、県史16-834頁)
禁制 〈茂原〉妙光寺
「一、みぎ、軍勢・甲乙人等、濫妨・狼藉、かたく停止せしめ候、・・・
追って、敵領の男女、その外、雑物等にいたる迄、加倍(庇い)と号して、寺内へ取り籠め、相い拘えらるるにいたらば、この印判、曲あるべからざるものなり、以上。」

【藤木先生の説明】
これは、北条氏の軍勢が、茂原の「妙光寺」に対して乱暴・狼藉をしないよう保証した文書ですが、妙光寺だけに保証したのではなく、妙光寺を中心とする一帯の村々に、あるいは門前の村々が対象になっていると私は考えます。

面白いのは「追って」以下の、つけたりの部分です。

妙光寺に対しては北条氏の軍隊が乱暴・狼藉、をやってはいけない、と言うことをつまり妙光寺の平和は保障する、しかし「敵領」つまり北条氏のまだ味方になっていない村人に声をかけ、そしてその敵領の男女および、雑物(ぞうもつ)=家財のこと、を庇護してやる、ということで敵領の男女までこの寺内に呼び込んで、取り込めて、あいかかえる、つまり捕まえてしまう、こういうことをやったらこの禁制は無効にする、こういう但し書きをつけている。

これはちょっと信じられない話です。どういう風に読めばわからないのですが、ひとさらいや財産も差し押さえを村人がやっていた。なぜなのか。その背景には、村人が飢饉にあえいでいた。苦しい生活を強いられたしていた人々が、なにかの機会があればひとさらいをして儲ける。」

この史料の解釈は難しいそうですが、軍勢ではなく、村人たちがひとさらいもする、こう解釈されておられます。戦場とはこういうものか・・・・と言う話ですね。




1054. ・シンポジウム 『戦国時代の本佐倉城を考える』 さわらびT  2003/10/19 (日) 23:12
今日は私は、下記のシンポジウムに行って来ました。

本佐倉城跡国指定5周年記念講演・シンポジウム 『戦国時代の本佐倉城を考える』
記念講演 『戦国の村と町と城』 藤木久志(立教大学名誉教授・帝京大学教授 )
基調報告
「戦国時代の千葉氏」 外山信司(千葉県立佐倉高校 千葉城郭研究会)
「発掘された本佐倉城」 木内達彦(酒々井町教育委員会)
「本佐倉城の特色」 柴田籠司((財)千葉県文化財センター 千葉城郭研究会)
「本佐倉城の城下の町と交通」(遠山成一 千葉県立四街道高校 千葉城郭研究会)
討論  パネラー 藤木久志および基調報告者
司会  滝川恒昭(千葉県立船橋高校 千葉城郭研究会)
    井上哲朗(千葉県風土記の丘 千葉城郭研究会)
場所 プリミエール酒々井 文化ホール

先日は私の代わり(?)に、Yが弥生時代のシンポジウムに出かけましたが、今日は関心からいったらYのほうが出向くに違いないイベントなのですが、都合で私が参加。
 
この会場へ行くのは初めてでしたが、自宅から近いものですから気楽に出向きました。京成酒々井駅から徒歩で15分ほど歩きましたが、秋晴れの一日でしたので、さわやかな朝の散歩になりました。




1053. 三山の七年祭情報を拝見しました あるけ〜 [URL]  2003/10/19 (日) 00:31
さわらびさん、こんばんわ
2003年三山七年祭ドキュメント、拝見しました−♪
当方、このところ、七年祭関係の方面に行けなかったのですが、
おかげさまで準備をすすめる地元の方々の雰囲気がよく伝わってきます。
準備は着々と進んでいるようですね。
ちっちゃい神主さん、今からたのもしい限りです(^^)

八千代市『郷土史展』の情報もありがとうございました。
おおいに宣伝しておきます。




1052. 三山の七年祭情報をUPしました さわらびY(ゆみ)  2003/10/18 (土) 19:36
三山の七年祭の準備風景と祭りのスケジュール最新情報を、UPしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/miyamasitinensai/sitinensai.htm

包み紙の中から現れた高津の神輿と、畑の子安神社のかわいい神主Jr.を撮影できました。
ひたすらムラを回って教えていただきながら、学ぶことの多い取材を続けています。




1051. Re^3: 秋になりました さわらびT  2003/10/16 (木) 23:33
開田様

後ほどメールしますが、私もお送りしたいものがありますのでご住所お知らせください。

>  ところで、さきに話題になっていた”弥生年代のはじまり”のその後はどうなりましたか?

詳しいわけではありませんが、わかることだけ書きます。歴博の発表に対して、専門家の間でも受け止め方にかなりの揺れがあるように思います。静観派が多いとも聞きます。

私が理解しうることは、AMS法が精度の高い炭素14の検出法であること、しかし実年代とのずれを補正するために暦年較正曲線を使うのですが、国際基準となっているINTCAL98という、indows98ではないけれど、新バージョンが発表されるかもしれないような(?)操作を必要とするわけで ・・・・なんかこの点を理解しないと、まずいなってところから考えてます。

先日(12日)は、都合がつかず参加できませんでしたが、この明治大学での考古学研究会東京例会のレジュメを見ながら、一言。石川日出志先生はずいぶん積極的に取り組んでおられますが、このレジュメには疑問点をいくつか書いておられました。

曰く「較正値を暦年代と呼ぶのは自他共に疑惑を招くのではないか。」「日本産スギの年輪の測定・較正ができているのは240calBC以後のようで、基本的にはINTCAL98と合致するが90年近いぶれもある」「較正曲線の水平部分で年代が絞れない、その前後の急斜部分では幅のある測定値が狭い較正年代幅収束するのは理解できる。しかし確立だから幅で理解すべきなのに、確率分布は曲線急斜部で高いピークを描くために、このピークを重視した判断をしている。」等々、もっともな指摘だと思います。

考古学的検証は、これからということではないではないでしょうか。

歴博の藤尾先生は「日本考古学は世界に冠たる土器編年が確立しているからこそ、型式ごとの暦年代をAMS年代によって算出することには意味がある。」と書いておられますが、果たしてどうなのでしょう。

『東アジアの古代文化』116号が、この問題の特集を組んでいます。大塚初重先生が、歴博の発表方法に疑念を表明されていることも記します。




1050. Re^2: 秋になりました 開田 誠 [URL]  2003/10/16 (木) 07:40
まだまだアナログ派である私は、WEB上であるより紙の目録に頼っています。『彷書月刊』『むすぶ』という2誌に載せています。また、近く、単独での目録を出したいのですが、その2誌に4ヶ月載せた後にしようと思っています。その雑誌によって、本が売れてしまえば、内容が大きく変わってしまいます。売れれば、うれしいはずなのにそのときはそのときで、かなしい別れです。ご指摘のとおり。
 さわらびTさんへ、その雑誌を送ろうとしたのですが、あれ〜、住所がどこかへいってありませんでした。このメールにもう一度送ってください。次号発行の時に、2号分送りましょう。
 また、1万冊〜も利用可能なWEBを準備中です。まだ、使い勝手がおもわしくありません。正式なスタートした時には、知らせていただきます。
 ところで、さきに話題になっていた”弥生年代のはじまり”のその後はどうなりましたか?




1049. Re: 私の掲示板にもお書き込み願いします。 さわらびT  2003/10/15 (水) 22:26
ご訪問ありがとうございます、

4世紀の史実については、信憑性について慎重な検討が必要と考える立場です。すぐにご返事できる内容ではありませんので、これから、少しずつ勉強させていただきます。




1047. 私の掲示板にもお書き込み願いします。 曲学の徒 [URL]  2003/10/15 (水) 14:34
神功皇后の新羅侵攻は西暦363年4月。
古事記の天皇没年干支は信じられる。
魏志倭人伝より後漢書倭伝の方が正しい情報を伝える。
中国史書の伝える倭国乱は王位継承の身内の戦い。
考古学の弥生末の年代観には70年から80年の誤りがある。
ぜひこれらの説のご批判を私の掲示板にお寄せ下い。




1046. Re: 秋になりました さわらびT  2003/10/14 (火) 23:51
開田さん、こんにちは。楽しいレポートありがとうございます。

自然に親しめる環境はうらやましくもありますが、厳しいこともおありでしょうね。残念ながら、最近は、山歩きもしなくなりました。喧騒の都会にやむなく生きています。

ところで、いよいよWeb古書店を開業されたようですね。あれほど本に愛着をもたれておられる方なのに、手放すことがお出来になるか、ちょっとばかり不思議な思いをしております。事務所が、神保町近くにありますので現在は古本に不便を感じないのですが、それでもネットでの検索も必要ですね。

書泉ネバーランドの目録には確か、『新撰姓氏録』も目録にありましたね。

その『新撰姓氏録』の勉強会、先日は第3回目、個別事例として東漢氏がテーマでした。逸文の中でも分量の豊富な「坂上系図」が示すのは、あくまで当時の坂上氏が自らの来歴を主張したものですが、加藤先生はこの史料から、東漢氏の氏族の起源とその構造を復元されたのでした。文献史学の精髄を味あわせていただいております。

それにしても、最初は大伴氏に、その後、蘇我氏とのパイプを通じて政権と結びついたこの渡来系の集団のあり方もまた、この国の歴史を象徴していると思っております。機会があれば、またご参加ください。




1045. Re: リンク報告 (三山七年祭は11/2です) さわらびY(ゆみ)  2003/10/14 (火) 22:31
千葉・仮面ライダーさま

> 「ドキュメント 2003年三山七年祭を迎える高津の人々」を
> 私の 祭りカレンダーで 紹介させて頂きました

祭りの写真のプロのお目に留めていただき、光栄です。

各地からカメラマンが集まる七年祭での、クライマックスの撮影は、さすがその道のベテランの方々にはかないませんので、今回はその準備過程のルポを通して、古くからのムラの伝統や変容を追ってみたいと思っています。
といっても、いざ本番になれば、カメラ小僧になっているかも。
デジカメもDiMEGE A1がほしくて、とうとう予約してしまいました。

拝見した貴兄のHPの写真の美しさとユニークなアングルは、たいへん勉強になります。特に下記のおびしゃの記録にはとても興味があります。
http://egao.hp.infoseek.co.jp/menu3.htm

ところで、祭りカレンダーの日程、三山の七年祭は、11月2日です。(3日は各神社の地元での「花流し」ですのでお間違いなく)




1044. 秋になりました 開田 誠 [URL]  2003/10/14 (火) 18:40
 ちょと遠出をしました。トムラウシ温泉への往復は厚岸からは577Kmでした。

 ふかまりゆく秋を見たいと思ったのは、先週、京都からのお客さんが来られた折に、わが(?)地を案内しようとしたことに始まります。初日は根室のオンネトーへ通ずる森を案内し、2日目は霧多布の湿原と森を歩こうと予定していたのでした。根室のオンネトーの森はシマフクローやクマゲラがいるので、内緒の森です。しばらくぶりに秋の風情を楽しみたくなって、行ったのでした。少しばかり早かったのでした。秋はまだのようでした。ツタウルシもオガラバナもまたそのほかの木々もまだ秋の装いではありません。
 遠来の友人を案内しながら、しまったな、と思いました。その翌日、雌阿寒に初冠雪の報があって、登りに行くことになりました。でも、まだ、秋は十分ではなかったのです。そこで、よ〜しと、今週はトムラウシへ。

 トムラウシへの途中までは登って雪の峰を仰ぎ見るつもりでしたが、雨に絶たれました。それでも、十勝川ダムの周囲の山々の紅葉には目を見張りました。

 目を見張る紅葉の連続を50Kmも続いて行く山への登り道に見ました!!その表現はこの拙い文で書いても仕方がありません。ただ、私が驚いたことを記してみたいと思います。

 私たちは、帯広から音更を通り士幌へ行く241号線で北上し(30Km近くが直線らしいでしょう)、つづいて東への20数Km余の直線を行く道(今度は全くの直線!)を選択していました。そうして、十勝平野を見つめることにしたのです。収穫の畑が続いていました。

 さて、思わぬ驚きをしました。平地を突っ走ってきたのに、その274号線を離れて、岩松ダムへの道が大きく下っていくのでした。あれっと思いました。平地から下るのですから。どこに下れる分があるのだろう。川底へ行くというだけでは、理解できないほどの下りです。よくわかりません。想像してみました?!水平線を走っていても、地球は丸い。そこで、若干の川底へ行くのが、地球の丸みをなぞり(!)、大きく下へ行くことになったのではないかしら?!

 そういうことを考えながら、トムラウシ温泉の露天風呂につかり、秋の風雨に肌をさらしていました。




1043. リンク報告 m(__)m 千葉・仮面ライダー [URL]  2003/10/14 (火) 10:22
「ドキュメント 2003年三山七年祭を迎える高津の人々」を
私の 祭りカレンダーで 紹介させて頂きました
http://egao.hp.infoseek.co.jp/4yotei.htm




1042. 『AMS年代法と弥生時代年代論』を聴いて さわらびY(ゆみ)  2003/10/13 (月) 00:07
今日は、青空の下「上高津・宍塚周辺の文化財をたずねて」と題する文化財見学会へ行くことにしていたのですが、前夜、雨天予報のため中止の連絡が来て、がっかり。

急遽、明治大学和泉校舎での『AMS年代法と弥生時代年代論』に行くことになりました。
(2003/10/05のNo.1030のTの書き込み参照)

聞きたがっていたTは自治会の会合のため出られず、ICレコーダーを持たされての「代理出席」みたいなものでしたが、歴史の「ものさし」をめぐる白熱したプロの議論は、けっこう面白かったです。

特に、東アジアの短期編年について、中国−朝鮮半島−九州北部の遺物の編年のラインが今まで斜め線であったが、同形式であれば水平に引けるようになったというコメントが、印象に残りました。

10月8日東京成徳大の公開講座で「印旛沼南岸の弥生時代の遺跡」の講演をされた宮澤久史氏が、「教科書で習う年代では」と今までの年代を注釈付きで語られていましたが、炭素14年代で「INTCAL98較正年代では」というようになるのかしら。
もうすぐさらに精度を高めた「INTCAL04」へのヴァージョンアップがはかられるとか。

それにしても、今までの相対的な編年の緻密さと正確さは、ものさしが変わっても揺るぎもしないこと、正確かどうかは分析技術の精度より、試料の的確さが命という点は、たしかなようです。

会場で何人かお友だちにもお会いしましたが、私の不十分な感想に付け加えていただけると幸いです。




1041. Re: 余震が続いています さわらびY(ゆみ)  2003/10/12 (日) 23:03
IT古書店を始められた開田様
フック船長さんの掲示板をいつも拝見しています。
http://8154.teacup.com/neverland/bbs
大地震、そしていまだに続いている余震に、心からお見舞い申し上げます。
本と自然をこよなく愛する開田さんにとって、どちらもすばらしい「商品」であり、またかけがえのない「贈り物」なのでしょう。

”われらの文学”も高橋和巳も雌阿寒岳も私にとって、苦悩多き(?)青春の思い出です。
Tとちがって、蔵書をあまり大事にする習慣のない私は、書き込みをいっぱいした高橋和巳の小説も読み込んだ本はほとんど大学の後輩にあげてしまいました。
いつか、古い装丁のあの本を手にしたいと思う日が来るかもしれません。
どうかそのときはよろしくお願いします。

道東の秋、こちらもいつか訪ねてみたいですね。




1039. 余震が続いています 開田 誠 [URL]  2003/10/11 (土) 19:26
 こんにちは 北海道の開田誠です。地震のニュースはおききおよびでしょうが、いまだに毎日震度3〜4の震動が続いています。
 それなのに、先日火山活動が活発な雌阿寒を登ってきて、明日はトムラウシの麓まで行き紅葉を観て来ようと計画中です。温泉にもつかりましょうと。
 みなさんの連休はいかがですか?!


 




1038. 本HPの画像・文章のご利用について さわらびY(ゆみ)  2003/10/11 (土) 10:12
HP開設以来、数件ほど書籍への挿画掲載のご依頼をいただきました。
うれしい第1号は2002年6月山川出版社発行の「博物館に学ぶちばの歴史」の徳政碑文の風景画像です。

利用依頼については、ひたすら幸せのかぎりですが、個人的でない本とHPへの掲載は、必ずご連絡ください。
なぜなら、野外の風景などはOKですが、許可をいただいて撮影した寺社・教会・博物館内部、未発表の史料・出土遺物、顔がはっきりわかる人物の画像の掲載については、素人の私に判断がつきかねるからです。
お調べしてご返答いたしますので、お問い合わせください。

掲載料をいただいたことはまだありません(笑)が、金砂大田楽の画像をご利用いただいた雑誌のように、掲載誌をお送りいただければ感謝感激です。




1037. Re^2: 画像お借りします さわらびY(ゆみ)  2003/10/11 (土) 10:04
八千代のkuriharaさま
メールありがとうございました。
デスクトップにお使いになりたいなんて、管理人冥利で、すごくうれしい!

「壁紙集」は、職場の自分のパソコンなどに使おうかなと、下手な写真を個人的な趣味で入れてみたのですが、サイズが大きく容量を消費するので契約料もばかにならず、最近は更新をサボっています。
そんな拙いアルバムにお目に留めていただけたなんて、感激です。

>鉄塔のむこうは秩父の山並みでしょう。あの景色は幼少につながるのです。空っ風も、利根川も、この絵の後ろにある赤城も、浅間も、榛名も。戦前、尾島は中島飛行機のあったところ、今は、縁切り寺も知れてきましたね。
>壁紙は幼い頃、前途に安心しきっていた記憶の中のものがいい。それに出くわしたということです。 

そうでしたか。長楽寺・満徳寺の歴史探訪に訪れた際、帰りに写した写真ですが、歴史探訪のルポは少々しんどくて、思い出にこの写真だけUPしました。
貴重なコメントをありがとうございます。

デスクトップの背景には、どなたでもどうぞご遠慮なくお使いください。
(たぶん、著作権なんて関係ないでしょう・・)
八千代のkuriharaさまのように、お気に入ってくださったことをお知らせいただければ、ただただ感謝です。




1035. Re: 画像お借りします さわらびY(ゆみ)  2003/10/10 (金) 19:33
八千代のkuriharaさま

> 尾島町の土手の画像をお借りします。著作権ありかしら。

わかりました。壁紙集のこの画像ですね。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kebegami/00.11.19serata.jpg

八千代のkuriharaさまって、どなたでしたっけ。
(忘れていたらごめんなさい。)
もし初めての方でしたら、(メールでもよろしいですので)申し訳ありませんが、自己紹介と利用目的をお知らせください。




1034. 画像お借りします 八千代のkurihara  2003/10/10 (金) 17:05
尾島町の土手の画像をお借りします。著作権ありかしら。




1033. 「東京成徳大キャンパスの古代人」の講演会に行ってきました さわらびY(ゆみ)  2003/10/09 (木) 00:07
きょうは午後半休をして、八千代市保品にある東京成徳大学の講演会へ行ってきました。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsu-bousou/annai/annai.htm

「東京成徳大キャンパスの古代人」というテーマで、“八千代カルチャータウン”の遺跡調査からわかる考古資料や墨書土器の銘文など丁寧に解説いただきました。
佐山貝塚や弥生の環濠集落の田原窪遺跡、そして縄文早期から奈良平安まで重複していた上谷遺跡など、実際に現地見学した身近な遺跡や出土品についての内容でしたので、懐かしく、また興味深くお聴きしました。

縄文では、落とし穴の遺構が、ちょうど先週に成田の台方下平T遺跡でもたくさん見てきましたので、面白かったですね。
講演会の帰り、隣接した八千代市遺跡調査会の事務所にお寄りして、調査中の上谷遺跡の出土資料を拝見、ついでに「落とし穴」を研究中の学生さんと雑談したり、貴重な平日の午後でした。
そこで、先日UPした台方下平T遺跡のルポのページにも、「落とし穴」の画像を入れて更新してみました。http://homepage1.nifty.com/sawarabi/daikatagebeiseki/daikatagebeiseki.htm
でもどうやって、こんな細く深い穴を器用に掘れたのでしょう。

墨書土器の「村神郷」、「丈部」銘について、増尾伸一郎先生のお話も内容が濃かったのですが、ラストアンカーで時間が足らず、いずれもっとゆっくり時間をかけてお聴きしたいと思いました。
地域の市民に特別授業を公開するという東京成徳大学のこのような試み、すっかり市民に定着しつつありますね。
平日午後なのが、ちょっと勤め人にはつらいですが、いい企画です。




1031. 三山七年祭が近づいてきましたね さわらびY(ゆみ)  2003/10/06 (月) 23:20
千葉では、また三山七年祭が近づいてきましたね。

1997年の前回は初めての経験で、かなりうかれていましたが、今回は地域密着型で八千代市内神社の取材をはじめました。

6年前の写真は、写真屋さんでネガをCDデータに入れてもらいました。
ルポは続くかどうかわかりませんが、とりあえずの速報を次のページに載せました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/miyamasitinensai/sitinensai.htm

八千代市郷土歴史研究会の「史談八千代」22号(1997年10月発行)は、三山七年祭のガイド特集です。
祭りに参加する9神社を回りたい方、三山の神揃場で9神社の神輿を見分けたい方に便利です。
まだ在庫がありますので、ご注文はどうぞ。




1030. 『AMS年代法と弥生時代年代論』 さわらびT  2003/10/05 (日) 00:26
話題になった弥生時代の開始年代について、『歴博』第120号(2003年9月20日発行)が特集しています。

http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no120/index.html

関連して企画展も、まもなく開催予定です。 特別企画「歴史を探るサイエンス」  2003年10月21日(火)〜11月30日(日)

http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index79/index.html

今日の明治大学博物館友の会の記念講演会は、弥生時代の開始年代がテーマでした。当事者の歴博の先生とは違い、より客観的で冷静なご判断を示されていると感じました。

歴博の発表資料でもBC700年からBC100年は( )書きにせざるをえないのは較正年代を使うと、実年代の範囲が広がりすぎるので、特定できない、といったことも講演(斉藤敬先生)で、意味を把握させていただきました。このあたりをわかっていないと、歴博の発表の正確さも、危うさも理解できないですね。

石川日出志先生は、鉄の問題について、弥生前期の鉄器とされる資料には、厳密に前期土器と共伴したと認めうる例はないと述べておられました。これは歴博の春成先生の説明と同じことかな
。(『歴博』第120号参照) 

来週、考古学研究会東京例会第4回例会が、あるとのこと。
詳しい日程は、以下のとおり。興味ある方は、出かけてみてはどうでしょう。考古学者のバトルがくりひろげられるか?

1. 開催日時:2003年10月12日(日)午前10時〜午後4時30分
2. 例会内容:テーマ『AMS年代法と弥生時代年代論』
司会:設楽博己(国立歴史民俗博物館)・樋泉岳二(早稲田大学)
10:00 開会・趣旨説明 石川日出志(明治大学)
10:10 発表1[AMSによる最近の炭素14年代法]坂本 稔(国立歴史民俗博物館)
10:40 発表2[AMS14C年代測定による縄紋土器・集落の暦年較正年代]小林謙一(総合研究大学院大学)
11:10 質疑〈AMS法および考古編年への応用を中心に〉
12:00 昼休み
13:00 発表3[AMS法による弥生時代開始期の実年代]藤尾慎一郎(国立歴史民俗博物館)
13:40 発表4[従来の弥生年代論とAMS法年代]石川日出志(明治大学)
14:10 発表5[弥生時代年代論と朝鮮半島の考古学]大貫静夫(東京大学)
14:40 休憩
15:00 質疑〈弥生年代論を中心に〉
16:30 閉会
3. 会場:明治大学和泉校舎 第1校舎211教室(2階)
(168-8555 杉並区永福1-9-1)京王線明大前駅下車徒歩5分
(日曜のため、各自昼食をご用意下さい)
4. 資料代:実費を徴収します。




1029. f字形鏡板付轡と剣菱形杏葉 さわらびT  2003/10/02 (木) 22:30
柳川さん、書き込みありがとうございます。あの日は盛況で、はにわ処さんもいらしてたそうですが、会場では気がつきませんでした。

埼玉稲荷山古墳出土の馬具についてちょっと補足です。昨日は加耶との関係を強調するような書き込みをしました。玉田古墳群を見学してきましたので、印象が強く残っていました。

桃崎先生が馬具をめぐる加耶との関係についての疑問点を指摘しておられます。髻華の会2002年12月の講演から、メモしたことを載せます。桃崎先生が、ごらんになっておられて、もし引用したご見解に間違があるようならご指摘ください。

なお、「古代の風」特別号の桃崎先生の講演集、22〜23ページに関連の図があります。ご興味ある方は柳川さんにお問い合わせください。(掲示板1026参照)

「玉田M3号墳の馬具と、埼玉稲荷山のそれが近い時期に作られたのではないかという説に対して、日本の5世紀後半に主流になるf字形鏡板付轡と剣菱形杏葉は加耶製品だという論については、疑問がある。例えば、海南月松里造山古墳のような大きなf字と剣菱は六世紀に下ること。韓国では古い形式のものでf字と剣菱が確実に組み合っている例はない。咸安の道項里22号墳出土のものは、一見すると剣菱形杏葉とよく似ているが、扁円魚尾形という。扁円魚尾形杏葉というのは、実は新羅の王陵級の古墳からでてくる馬具。この馬具はもともと新羅で発明されたものが加耶だとか百済に部分的に取り入れられた。朝鮮半島ではf字と扁円魚尾が伴うことがあっても、f字と剣菱が伴うということは6世紀まで見られない。日本列島でf字と剣菱がセットになっているのは、輸入品を使ったかもしれないけれど、組み合わせ自体は倭人があみだしたものである。
その時期の倭人というのは新羅のことを常に強く意識している。倭人は新羅人には負けてはいけないという強いライバル意識を持っていて新羅人が扁円魚尾形杏葉というのを発明したのなら、自分たちも倭人らしい何かを整えなければならない。甲冑においてはすでに日本風の短甲とか眉庇付冑というオリジナルなものが出来上がっており、馬具もオリジナリティーを出そうと考えた。おそらく当時の国際関係において初期の国家、今日の民族国家につながるような集団ができ始めて民族意識を強く持ち始めていた。自分たち特有の甲冑、馬具、冠、身分制といったものを整備していきたいという、そういう強い自負の現れであろう。」




1028. 金と銀 柳川美紀子  2003/10/02 (木) 20:52
お久しぶりです。もう10月になっていたんですね。
相変わらずの美しい画像で韓国旅行楽しませていただきました。
本当にきれい!
 稲荷山シンポではいらっしゃるのかなと思って探しましたがお会いできず残念でした。私は相変わらずのドジで電車でうとうとで、群馬県まで行ってしまったので・・おまけに会場も間違えて遅くついてしまったっけ。

 早川先生の「金象嵌の分析と新発見事実」は面白かったですね。あれから、銘文とにらめっこ状態で考えています。
 当時の鉄剣の色は今と違うし、スライドを使っての金色の微妙な違いはやはり意味があるような気がしましたね。
 そこで段落が違うと私は考えてしまいました。(文の区切り)
 杉山先生が引用されていた釈文とは違って「此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也」
 ではなくて、「作」が前の段にいって、「作」は初めておこすという意味で、オワケ臣が獲加多支鹵大王の時初めて左治天下の命をうけた・・・
 なんて考えてしまいました。

Tさんが言われるように銀被せ鋲の馬具を思い出しましたね。
金色と、銀色のコントラストが綺麗な馬装だったんでしょうね。
金は砂金など手に入れやすいが、銀は貴重という杉山先生のお話も印象的でした。
 
それから考古文化研究会の皆さんも桃崎先生の講演集にすごく感動したとのことです。
 やはり、これから稲荷山古墳を考えるには馬具や、帯金具、その他の副葬品から迫ってほしいなとシンポを聴いていて強く思いました。
 
 




1027. 『ワカタケル大王とその時代』 さわらびT  2003/10/02 (木) 00:20
先日、さきたま古墳群に出向きましたので、あらためて興味がわきました。利根川氏の講演が物足りなかったと、書きましたが、『ワカタケル大王とその時代』(山川出版社、2003)さきたま資料館の前館長・小川 良祐氏の「埼玉稲荷山古墳の新情報」があるので読んで、面白いと感じたこと。

1999〜2000年にかけて、礫槨出土品の再保存処理が東京国立文化財研究所で行われたそうですが、「錆が剥がされ一新したf字形鏡板、雲珠、辻金具、三鈴付杏葉を観察すると、それらが同一時にベルトに装着された可能性があると思えた。」(p27)とあります。理由は、ベルトに装着するのに用いられたされた銀被覆の笠鋲と、責金具と同一製品らしいこと。

この銀被覆の笠鋲ですが、口絵にもあるのでこの本はわかりやすいと思ったのですが、玉田3号墳出土の剣菱形杏葉に使われているとのこと。加耶と稲荷山の関係を印象付けますね。

桃崎先生からの、書き込みをいただいたので、思い出したのですが、ご講演でこの銀被鋲のことをお話されてましたね。

「穴をあけると錐で穴を開けざるを得ないですが、そうすると丸い穴があくものです。ところがそこに丸い断面の釘を挿すとすっぽ抜けてしまうので、多分釘本体は四角ばった釘を挿してあって叩き潰すことでひっかかる、摩擦でとめるようなですね構造をしているわけです。」

「実は古墳時代には他の部分は金メッキの銅版を使ってるのに鋲の部分だけなぜか銀を被せた鋲を使っているのが良くあるんです。」

なるほどと思って聞きましたが、あまり注目してませんでしたが、これも大事なことかなって思った次第。

この本には、岡安氏の論考もあるし、吉村武彦先生の「ワカタケル王」論(編者のお一人ですが、「ワカタケル大王」という表記には反対、ご自分の論考では「ワカタケル王」とされてます。大王が称号として成立したと証明できないというお考え)もありますので、稲荷山古墳をテーマにした貴重な一冊です。




1026. Re: 般若寺特別展のご案内 さわらびY(ゆみ)  2003/10/02 (木) 00:14
桃崎先生、お知らせありがとうございます。

先月9日「市民の古代研究会・関東」主催のご講演の際、土浦市の宍塚般若寺をテーマにした企画展と先生のご講演があるとお聴きして、心待ちにしていました。

10月12日の見学会は、(たぶん一番若い受付番号で)予約を入れてありますので、早起きしてお伺いする予定、11月9日は主催者のOKがいただければ、TOPページのお知らせ欄に載せたいと思っています。

中世は律宗寺院であった宍塚般若寺については、2回ほど遺跡探訪に赴きましたが、まだご本尊の釈迦像にお目にかかっていません。(五輪塔は、「中世の石塔画像データ」のページに入れてありますが。)
本HPの『「おしどり寺」村上正覚院の来た道』の最初のページ
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/ninnsyou/3tukuba.htm
の最後にちょっとだけ触れただけですが、この寺院の伝承や釈迦像・五輪塔などから推察すると、村上正覚院の中世の実像にせまる手がかりを与えてくれる最も注目すべき寺院だと思っています。

先生の東国の律宗遺跡の研究のお話は、昨秋、奈良西大寺でお聴きして以来、一年ぶりですね。
古墳時代の馬具研究とともに、最先端のご研究にはとても期待しています。

ところで、桃崎祐輔先生の考古学講座『講演集』出版のご案内が次のページに掲載されましたね。http://www7.ocn.ne.jp/~kobunken/momosaki.htm

柳川さんのご尽力で、ご研究の成果が形となって実を結びつつあることを、うれしく思っております。
ではまた。いっそうのご活躍を祈念して。




1025. 般若寺特別展のご案内 桃崎祐輔  2003/10/01 (水) 22:28
 10月4日(土)より、11月23日(日)まで、茨城県土浦市上高津ふるさと歴史の広場 第9回企画展 土浦の遺跡7 「般若寺遺跡と常陸の中世寺院遺跡」展が開催されます。当方も執筆させていただきました図録も、なんとか開催に間に合ったようです。
 なお11月9日(日)午後1時30分より当方の記念講演会「宍塚般若寺の歴史と西大寺律宗の東国布教―忍性・源海・無住の活動とその遺品に注目して」が行われます。
 また10月12日(日)午前9時30分から12時まで文化財見学会「上高津・宍塚周辺の文化財をたずねて」が、
 10月25日(土)・11月15日(土)午後1時30分から2時30分にはミュージアムトーク(展示解説)がおこなわれる予定です。
 なお詳細は上高津貝塚ふるさと歴史の広場(土浦市考古資料館)
 029−826−7111にお問い合わせください。




1023. Re: 加耶・新羅旅日記拝見 さわらびY(ゆみ)  2003/10/01 (水) 00:15
佐久間様 高橋様
加耶・新羅旅日記のご感想をありがとうございました。

韓国で極彩色の鐘楼やお堂を撮影しながら、思い出したのは、地元八千代市の高津にある韓国式の鐘楼の美しい姿でした。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/BBS/takatusyourou.jpg
この鐘楼と鐘は、関東大地震の際、習志野廠舎近辺で虐殺された朝鮮の方々の霊を慰めるために、高津観音寺のご住職や韓国人有志によって奉献されたものです。

秀吉による壬辰倭乱(文禄の役)、近代の日本による侵略や蔑視など、深く考えなければならないことは多いのですが、今回の旅は、加耶・新羅の古代文化に触れ、日本が享受したもののすばらしさにひたすら感動する旅でした。
そのごく一部でもお伝えできればと思います。

高橋様
貴兄のHP
http://village.infoweb.ne.jp/~takakei3/
の毎日更新される川柳と、パワフルな祭りの写真には、いつも惹かれます。
ソウルでの写真も楽しみにしています。




1022. Re: 「国宝稲荷山鉄剣に新たな発見!!」行ってきました まさみ  2003/09/30 (火) 23:22
まさみです。風邪が悪化しなんと熱が出てしまいました。
今は少し良いです。はにわ処さんも風邪なんですね。
流行っているのでしょうか?(お大事に!!)

稲荷山鉄剣の謎は深まるばかりですね。
杉山先生のご意見は貴重ですね。
新たなる発見はセンセーショナルなものとは限りませんね。
「普通の目」を忘れることのない真摯な態度は大切だと思います。
しかしですね、70%と90%ではかなりの違いがありますね。
いったいどういうことなのでしょう?
さらに、99%が3ヶ所とはこれいかに???
そもそも、あの鉄剣の文字事体謎なのに・・・。
どなたか、謎解きをお願いいたします。(^_^)




1021. 加耶・新羅旅日記拝見 高橋敬三 [URL]  2003/09/30 (火) 21:27
大変な労作を拝見しました。
歴史を知らない者にも、日本との深い関係がしのばれます。
日韓併合の時代に日本がアジアの先輩面をしなければならないために
日本国内の地名や神社から韓の字を唐や辛に書き換えたという話を聞いたことがありますが、そのようなことを思い出させる記事でした。
写真も見事です。有難うございました。
ボクも来月初めて韓国へ行きますが、ソウルの観光中心です。
この次は歴史散歩もしてみたいですね。





1020. 加耶・新羅旅日記を見て 佐久間弘文  2003/09/30 (火) 20:42
実に美しい写真と的確な旅日記を拝見しました。
もうこれは韓国語・英語・仏語・日本語などで出版してはいかが!




1019. 加耶・新羅旅日記を見て 佐久間弘文  2003/09/30 (火) 20:42
実に美しい写真と的確な旅日記を拝見しました。
もうこれは韓国語・英語・仏語・日本語などで出版してはいかが!




1018. 台方下平I遺跡現地説明会のルポをUP さわらびY(ゆみ)  2003/09/28 (日) 21:57
成田市台方下平I遺跡現地説明会のルポと公津原古墳群&麻賀多神社の探訪記をUPしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/daikatagebeiseki/daikatagebeiseki.htm

年に何回か、印旛沼の甚平渡しを渡って左折し、岩屋古墳のある房総風土記の丘には行くのですが、左折せずに直進して公津原古墳群をめざしたのは今回初めてでした。

稲荷山古墳鉄剣の謎も面白かったようですね。
はにわ処様
どうかお大事に。




1017. 新発見 はにわ処  2003/09/28 (日) 11:43
さわらびさま
昨日は足を運んでいただき有難うございました
昨日は実は風邪を引いてしまい講演会も聞きにいったのですがやはり頭がボーとしてしまい少し上の空状態で参りました(苦笑)
お店によって頂いたあとも寝ていた次第で、、、
今回の文字の純度の件は鉄剣が発掘されてからひさびさのの為新発見の為今後色々と論議をされそうです

そうですね利根川先生のお話はちと短すぎたかな
折角の機会だから古墳群の歴史をたくさんの人に知ってもらいたかったと思います

そうそう鉄剣の文字の純度は肉眼でも分かるほどというお話でしたが自分も何度も見ていますが分からないですよね そもそも分かったらもっと早く誰か指摘するはずですよね







1016. 「国宝稲荷山鉄剣に新たな発見!!」行ってきました さわらびT  2003/09/28 (日) 00:15
今日の講演会の第一報ははにわ処さんからいただきました。ありがとうございました。盛会でしたね。

午後からの講演でしたから楽でしたが、それでもやはり自宅からは遠かった。しかも講演終了後は知人に会って、ついつい・・・でも午前様にはなりませんでした。

感想はいろいろ。利根川先生の話は、もう少し聞きたかった。(レジュメの半分も話しておられない。)

ハイライトは早川泰弘先生(東京文化財研究所)の「金象嵌の分析と新発見事実」でした。表面・裏面とも象嵌材料が途中で切り替わること、金象嵌と言っても金と銀の合金で、切っ先側のほうには金70%、柄側に金90%の材料が使われていることがわかったわけです。さらに純度99%が3箇所。

特別な意味があったのか、その解明を報告者は求められておられましたが、杉山先生のお答えは「材料がなくなったのではないか」ということで、センセーショナルな話題を提供中の歴博の先生としては地味(?)でした。(^0^)

切り替わる文字のどこかで、足りなくなったことを証明できれば・・・というのが杉山先生のご注文。いずれにしてもポータブル蛍光X線分析装置がなしえた発見。これには感動しました。

それでも謎は謎です。表面と裏面で切り替わる位置が違うのは、単に製作過程の問題なのでしょうか。裏面だけならともかく、表面は文章の途中ですから、文章内容には関係ないと思います。だとすれば、字数・字画に何か意味があるのかも知れないと思ったりしますが・・・・

謎解きは、まさみさんにお願いしようかな。

肉眼でもその違いがわかるとのお話でした。せっかく5時半まで開館してくださったので資料館に現物を見に行きましたが、色の違いはよくわかりませんでした。




1014. 成田市台方下平I遺跡現地説明会に行ってきました さわらびY(ゆみ)  2003/09/27 (土) 22:27
昨朝の地震のニュースには、突然のことでびっくりしましたね。
北海道の皆さま、お見舞い申し上げます。
「書泉ネバーランド」を始められたWeb友のフック船長さんも、散乱する書籍との闘いでお疲れ様です。http://www.tabi-hokkaido.co.jp/neverland/
人命の被害が少なかったのが幸いでしたが、これからすぐ冬になる北海道、どうかお体を大切に、後片付けを頑張ってください。

千葉はすっかり秋らしい良い天気になりました。
今日は成田市台方下平I遺跡現地説明会に行ってきました。
5 〜7 世紀頃の古墳116 基もある公津原古墳群に隣接した舌状台地で、3百もの住居址と中には古代のお寺のような柱穴列も見つかっていて壮観でした。公津原古墳群の葬られた人々もここの古代ベットタウンに暮らしていたのでしょうか。
見学会が終ってから、市街地の中に残る公津原古墳群のいくつかの古墳と、麻賀多神社の中の伝伊都許利命(いつこりのみこと)の古墳を捜し歩いてきました。
そういえば、この公津原古墳群と印波国造の問題は、夏にこの掲示板で大議論になりましたね。(869. 印波国造のルーツはだれ? 2003/07/20)

あるけ〜さん、「加耶新羅の旅日記」をご覧いただき、ありがとうございます。
そのうち、現説と古墳群の風景画像も軽いルポでまとめてみたいと思っています。

Tは、稲荷山古墳鉄剣発見35周年記念講演会を聴きに行田市まで行って、きっとだれかに捕まって、今晩も「ごぜん様」のようです。
秋はいろいろのイベントが重なって、歴史ファンには楽しく忙しい季節ですね。
皆さまも、あちこちの見聞や情報をぜひお知らせください。




1013. Re:「加耶新羅の旅日記」完結しました あるけ〜@千葉市の遺跡を歩く会 [URL]  2003/09/26 (金) 00:56
さわらびさん、こんばんわ
先ほど少し拝見しましたが、じっくり見るべき写真・内容がたっぷり。
明日香村の亀形の石造物と似ているという遺構。なるほどー似てますね。そのほかの石造物の写真もおもしろそうです。
これから、ゆっくり楽しませてもらいます(^^)




1012. 「加耶新羅の旅日記」完結しました さわらびY(ゆみ)  2003/09/23 (火) 22:20
やっとお天気がよくなり、秋らしくなりましたね。
「加耶新羅の旅日記」も完結しました。

後半は、私の趣味?で、画像(それも石仏!)中心のアルバムになりました。
気軽に楽しんでいただければ、幸いです。




1011. 皇龍寺跡と芬皇寺&統一新羅の王陵をUP さわらびY(ゆみ)  2003/09/22 (月) 10:00
せっかくの連休、お天気が悪くて残念ですね。

加耶新羅の旅日記・皇龍寺跡と芬皇寺&統一新羅の王陵をUPしました。
画像整理しながら、お天気に恵まれた暑い夏の日々を思い起こしています。

お風邪など召しませんように。




1010. すてきなHPありがとう さわらびY(ゆみ)  2003/09/21 (日) 23:02
すてきなHPのご紹介ありがとう。

私も明日香の亀形石のすてきなHPをみつけました。http://www.cadcenter.co.jp/webgallery/webgallery_cg57.html

プロの作品は、センスと技術がさすが抜群ですね。




1009. Re: 古代出雲 さわらびT  2003/09/21 (日) 22:20
まさみ様

関和彦先生のお話も面白かったですが、ご紹介のHPすばらしいですね。しばらく写真の世界にひたっていたい気分です。

昨日のお話にあった新史料「風土記社参詣記」は興味深い内容でした。幕末期の出雲の様子が描かれてるとともに、古代出雲を考える上でも大変貴重なものですね。次回も楽しみです。




1008. 古代出雲 まさみ  2003/09/21 (日) 20:00
こんにちは!昨日は「出雲国風土記」の世界と考古学の講義に参加しました。通説とは違う古代出雲、また先生の論証の切れ味の鮮やかさに魅せられました。
先生よりすてきなHPがあるとのことでご紹介いただきました。
たぶんここだとおもいます。
http://www.hisada-gati.co.jp/top.html
先生のご著書の写真を撮られている久田博幸氏のHPです。
ホントに素敵なんですよ。是非ご訪問くださいませ。




1007. 旅日記の石窟庵・仏国寺をUPしました さわらびY(ゆみ)  2003/09/21 (日) 09:11
加耶新羅の旅日記第4日目AM 石窟庵・仏国寺をUPしました。
どちらかというと画像中心です。

参考HPを検索していて、たいへんすぐれたHPを知りました。

abcKATO の HANA 通信
http://bb.laox.net/~abckato/index.html
という作品です。

地域の歴史と韓国と関係を実証的に追っておられ、その内容の深さとオリジナリティ、まじめなページ作りに感心いたしました。
ご了解を得て、UPしたページの下にリンクを貼ってありますが、あらためてそのTOPページをご紹介いたします。




1006. 明日香村の亀形石造物のなぞ さわらびY(ゆみ)  2003/09/20 (土) 20:48
慶州の旅日記の「雁鴨池(アナプチ)」のページを編集しながら、そこで見た二つの石の水槽がつながった導水遺構が、明日香村で出土した亀形・小判形石造物にとても似ていることが気になっていて、明日香村の発掘報告の冊子などを注目して見ていました。
いったいあれはなんだろうと、その謎に迫ってみたくなっていたところ、今日、明日香村教育委員会の相原嘉之先生の「亀形石が語る酒船石遺跡の性格」という講演会が都内であり、さっそく興味津々行ってきました。
24次にわたる詳細な調査報告の全貌と、さらにこの石造物の背後のV字型の丘陵酒船石遺跡全体が斉明朝からの祭祀施設で、しかも大嘗祭・新嘗祭の宮があったのでは、というとてもすごい新説をお聞きし、さまざまに想像力がわいてきました。
亀形の水槽は、サイホンの原理で湧き水を吐出させ、その上澄みを受けて、みそぎに使った廻立殿の設備というわけです。
その内容は、ネットで見つけた次のページをご覧ください。
http://www.nara-shimbun.com/n_arc/arc0418.html

新羅の石造物は、瞻星台や石窟庵、仏国寺などをみても技術的にとても高い水準にあったと思います。
飛鳥には、その最先端技術が直輸入されていたのでしょう。
秋の明日香村をまたまた訪ねたくなりました。




1004. 講演会『日本書紀と渡来人』のお知らせ さわらびT  2003/09/19 (金) 00:04
歴史に好奇心!市民勉強会として、9月から加藤謙吉先生(成城大学講師)の 【古代氏族の実態−『新撰姓氏録』を読む−】を始めています。教えていただいたことの一部です。

『新撰姓氏録』の原本は鎌倉末期から南北朝動乱期に消失してしまったのですが、原本を引用した本から、逸文にたどりつくことができるとのこと。こうした逸文の発掘を通して本来どういう体裁・書式で書かれていたのかということがわかるのだそうです。

復元された原本にはたとえば、@表題に何某「本系」の2字が記されている。A天皇名は必ず国風諡号で書いて、その下に漢風諡号を注記する形をとる。B氏の名の由来が書かれているCその後、どういう形で改姓・賜姓がおこなわれたかということが書かれている。・・・等
こうしたことは現存の抄録本からはわからないことのようです。

ところで、その加藤先生の講演会を企画しました。参加自由です。日本書紀の述作者の実体を探る、といった推理物(?)です。お楽しみに!

講演会『日本書紀と渡来人』
日 時:2003年11月15日(土) 6時半〜8時半
会 場:江東区亀戸文化センター カメリアプラザ6F 第3研修室(JR総武線亀戸駅・東武亀戸線亀戸駅 徒歩2分 電話 03-5626-2121)
参加費: 1,500円
お問い合わせは、さわらび通信にお願いします。




1003. 「慶州古墳公園・月城・雁鴨池」をUP さわらびY(ゆみ)  2003/09/18 (木) 00:31
「韓国旅日記3日目、慶州古墳公園・月城・雁鴨池」をUPしました。
 




1002. 古墳公園にはあらためて感動 さわらびT  2003/09/14 (日) 00:13
韓国の旅から戻って3週間、少しずつ記憶は薄れていますがもうちょっと感想を書いておかなけれは・・・

古墳公園では、当然ながら天馬塚の見学をしました。有名な「天馬」の障泥や金冠、鳥翼形冠飾などが内部に陳列されていましたが、これって本物だったのかな?
隣には、皇南大塚があり、その威容を誇っています。円が2つくっついている双円墳ですが、発掘で南墳が先に作られ北墳が後に造営されたと判明しているようです。北墳の被葬者はどうも女性らしい。となると王妃ということです。
南墳の被葬者については、古墳編年から、実聖王(402〜417)と訥祇王(417〜458)の可能性が想定されていますが、古墳編年と南墳被葬者の推定年齢60歳男性の鑑定などから後者であるとされるようです。(早乙女雅博『朝鮮半島の考古学』、同文社、2000年)

ところが実は北墳が夫人の墓らしいことがはっきりしているのに、出土の冠は北墳の方がどうも立派らしいのです。南墳出土の冠は金銅冠、北墳の内棺からは金冠が出土しています。つまり南墳からは金冠は出土していません。被葬者の想定にも関連するこのような謎の解明をしている、由水常雄説もあるので、ご興味ある方には面白いです。(『ローマ文化王国−新羅』新潮社、2001年)

古墳公園は実に整然と整備されていて気持ちがいいです。




1001. 慶州博物館見学記をUPしました さわらびY(ゆみ)  2003/09/13 (土) 00:41
「加耶・新羅の旅日記」の慶州博物館見学記をUPしました。

 Tが北漢山真興王巡狩碑について、Yが弥勒信仰についての小文を書きました。
 韓国の博物館はいずれも館内撮影禁止でしたので、石塔石仏以外は文章中心の構成なり、読んでいただくのはちょっとごめんどうかもしれませんが、お許しください。

 半跏思惟の弥勒像については、先日お話いただいた、岩崎和子先生のご研究が参考になりました。

 mwaraさま
>写真は夢を見させてくれます。
 そうですね。
 次からは、晴天に恵まれた野外のルポですので、なるべく画像中心のアルバムにしたいと思っています。
 といっても、ガイドブックの写真と一味違う視点の画像はなかなか難しいものですね。

 ところで、掲示板がちょうど1000番でしたね。
 「さわらび通信」のスタートからおつきあいいただいているmwaraさんにお書き込みいただいて、記念になりました。

 皆さま、ありがとう。今後ともよろしくお願いいたします。