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No.2101-No.2200 2005/4/82005/6/13
Since 2001.10.08
・オーバーフローで消えてしまった発言を収納しました。
・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
・他への引用は、著作権などの配慮から、発言者へ連絡をお願いします。
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2200. さわらびYさんのコンピュータが壊れた とし  2005/06/13 (月) 22:53
今晩(6/13)さわらびYさんから、電話でさわらびYさんのコンピュータがインターネットに接続できなくなってしまったと連絡がありました。復旧には、時間がかかりそうだと言う事です。急用の方は電話で連絡をくださいとの事でした。



2199. 明治大学古代学研究所2005年度 さわらびT  2005/06/12 (日) 23:31
ご案内をいただきましたのでお知らせいたします。

文部科学省学術フロンティア推進事業
明治大学古代学研究所 2005年度公開研究会

6月25日(土) 13:00〜17:00
明治大学駿河台校舎研究棟2階 第9会議室
石川日出志「弥生時代日本海域における南北関係」
高橋克壽(奈文研)「大和とその周辺の終末期古墳」

7月2日(土)13:20〜17:30 リバティータワー9階 1094教室
「源氏物語−重層する歴史の諸相」
     
司会・コメンテイター  久富木原玲(共立女子短期大学教授)
仁平道明(東北大学教授) 「源氏物語の世界と歴史的時間」
浅尾広良(大谷女子大学教授) 「源氏物語と嵯峨朝准拠の方法」
袴田光康(明治大学非常勤講師) 「源氏物語と延喜天暦准拠説」
小山利彦(専修大学教授) 「源氏物語と祭礼」
湯浅幸代(明治大学大学院RA) 「源氏物語の算賀」
日向一雅(明治大学教授) 「源氏物語蛍巻の騎射と打毬」

7月23日(土)12:30〜 研究棟2階 第9会議室
「文字瓦研究の現状」

清水みき(向日市教委)「都城の文字と墨書土器」
大橋泰夫(栃木県埋文)「下野国の文字瓦」
高野芳弘(東北歴史博物館)「多賀城・多賀城廃寺の文字瓦」
川口武彦(水戸市教育委員会)「台渡廃寺の文字瓦」
古代学研究所「五斗蒔遺跡の文字瓦 中間報告」文字瓦研究と墨書土器
     
明治大学古代学研究所http://www.isc.meiji.ac.jp/~yoshimu/kodaigakukenkyujo.html



2198. 山尾先生の講演からの刺激(続き) さわらびT  2005/06/09 (木) 20:35
西河原森ノ内遺跡(野洲郡中主町西河原)出土木簡は第3段階から第4段階への推移を考える上で貴重な事例であるようなので、せっかくですから引き合いに出しましょう。(衣知評という記載によって七世紀後半のものとみられますが、手紙のような筆致で楽しいです。馬がなくて取りにいけないのでかわりに行ってくれ、という内容です。)

□□之我□□稲者□□得故我者反来之故是汝卜部
自舟人率而可行也 其稲在処者衣知評平留五十戸旦波博士家

(椋〔直伝ふ〕。我が〔持ち往かむ〕稲は〔馬〕得ぬが故に、我は反り来ぬ。故、是に汝卜部、自ら舟人率て行くべし。その稲の在処(ありか)は衣知評平留五十戸の旦波博士の家ぞ。)

以上、沖森卓也『日本語の誕生』から引用しました。「□□(馬不)得故」は「馬(を)得ぬが故に」、「自舟人率而」は「自ら舟人(を)率て」の表記と見られますが、漢文の語序としては「不得馬故」「自率舟人而」となるべきだそうです。



2197. 山尾先生の講演からの刺激 さわらびT  2005/06/09 (木) 20:33
山尾先生の講演に刺激を受けながら7世紀という時代を見なおしてみようとしています。

645年「乙未の変」をめぐる豪族の興亡は熾烈を極めていたらしいことは想像ができます。遠山先生の講演でもその時代を取り上げていただきました。山背皇子=上宮王家滅亡事件も象徴的ですが、逆転クーデターとも言える蘇我本宗家の滅亡に至る争いが、大王家にしても学ぶべきことがあったのだろうと考えられます。

ところで山尾先生は、孝徳紀に記される詔が、『日本書紀』編さん過程で据えられたものとの推断を示されました。その根拠の一つとして、国語学の判断も示されました。

「国語学の方の表記法の発達史の研究を、私は、他の方がなさったものを読むだけなんですが、その研究から考えても、現存する資料から考えても孝徳天皇の巻の一部分に残っているような和化漢文というものは、日本においては七世紀の前半にはさかのぼらない、と考えられます。日本の場合、漢文の方は早いけれど、和化漢文というのは次第に和文に近づいていくわけで、それより遅れて発達します。」

というわけで、国語学の本に眼を通しました。稲岡耕二氏は和文の表記史を4段階にまとめておられます。今では、漢字かな混じり文を何気なく使いこなしている私たちですが、日本人が和化漢文を使うにいたる道のりは、険しいものだったように見受けられます。(稲岡耕二『人麻呂の表現世界』参照)

第一段階 純粋の漢文が渡来人によって書かれるのみの時期
第二段階 総体的に漢文風を維持しながら、固有名詞の一部を日本語の発音に従って仮名で記入した時期。
第三段階 漢文の格を崩し、日本語の語順のままにこれを写しとろうとする表記の現われる時期。
第四段階 助詞・助動詞が緻密に書き加えられるようになり。「宣命大書体」に相当する新しい表記の様式の生み出された時期。



2196. 千葉県北西部地区文化財発表会のお知らせ さわらびY(ゆみ)  2005/06/09 (木) 19:38
次のようなのお知らせをT花さまからいただきました。
八千代市の栗谷遺跡の弥生土器も展示されるそうです。
情報をありがとうございます。

第4回千葉県北西部地区文化財発表会
会場:浦安市郷土博物館
日程:
1.発表会 7月18日(月・祝) 10:00〜15:30

2.タイトル「温故知食−たべものと人々−」

3.発表 
@10:00〜10:30 旧石器時代のキッチン 
         柏市教育委員会 高城大輔
         松戸市教育委員会 千葉寛

A10:30〜11:00 縄文人、塩作りに奔走す
         八千代市教育委員会 常松成人

B11:15〜11:45 中世の食事情 
         流山市教育委員会 北澤滋

C13:00〜13:30 鯖、都へ 
         我孫子市教育委員会 辻史郎

D13:30〜14:00 ごちそうまつり
         野田市教育委員会 星野保則

E14:15〜14:45 干潟を喰らふ 
         浦安市郷土博物館 尾上 一明

F14:50〜15:10 戦国時代の城−松ヶ崎城跡− 
         柏市教育委員会 井上 文男

G15:10〜15:30 縄文時代の舗装道路−三輪野山貝塚− 
         流山市教育委員会 小川 勝和

4.展示会 7月7日(木)〜18日(月・祝)

5.イベント 7月10日(日) 
 10:00〜14:00 縄文クッキー作り、貝アクセサリー作りなど

6.問合せ 浦安市郷土博物館 047−305−4300    

八千代市の栗谷遺跡の弥生土器も展示されるそうです。



2195. シルクロードの会 さわらびT  2005/06/09 (木) 19:03
すでに、お知らせ欄には掲載しているのですが、シルクロードの会で、6月から古墳時代をテーマに8月を除く毎月(12月まで)の例会行事があるそうです。

第1回は下記の通りです。
日時 6月29日(水)午後6時〜8時
場所 渋谷区立商工会館5F 第一会議室(JR渋谷駅・宮益坂出口から5分)
講師 土生田 純之 先生(専修大学文学部教授)
テーマ 「古墳文化研究の現状」

騎馬民族説についての、書き込みでご紹介した『日本全国古墳学入門』の編者の土生田純之先生ですね。松戸市立博物館の松尾先生もご登場されるようです。大変、楽しみな企画です。



2194. 印旛沼縄文シリーズに「井野長割遺跡」をUPしました。 さわらびY(ゆみ)  2005/06/08 (水) 21:36
「縄文遺跡のある風景in印旛沼周辺の遺跡群」に「12.井野長割遺跡」をUPしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/joumon.htm

去年の夏から、井野長割遺跡の盛土遺構の「可視的な」画像を何とか写したいと思って、数回以上通いましたが、古墳よりもっとなだらかなマウンドの姿とカメラに捉えることができませんでした。

幸い今年の3月になって、国指定遺跡になることが決まって、佐倉市が、戦後の植林の杉や下草を刈ってくださいました。
また、日が斜めにさす時間帯の光を生かすようにして、きれいなマウンドの写真が撮れました。

遺跡を保存することが決まって、都市計画も変更されましたが、遺跡の周りの風景は、区画整理で今どんどん変わりつつあります。

遺跡から、ユーカリが丘の高層マンションを望む景観もしばらくするとずいぶん変わって行くことでしょう。

2003年8月8次調査のの現地説明会は韓国旅行中で見学できませんでしたが、あるけ〜さんの詳細なレポートがこの遺跡についてのより強い興味を持たせてくれました。
http://chiba.fc2web.com/inonagawari/inonagawari-1.html
もしかしたら、昨年夏からの私の縄文フィーバーはこのHPに誘発されたためのようにも思えます。あるけ〜さん、ありがとうございました。




2193. Re: 学ぶ所はありますよね(^^) さわらびT  2005/06/06 (月) 23:04
こたつ城主様 

HPでの自己紹介をも拝見させていただきました。1962−1947=15、私より15歳お若い方ですね。私どもは八千代市に在住、松戸の博物館にはたまに行きます。

縄文時代の馬の存在が、否定的になったという前提で、桃崎祐輔氏の集成が画期的な意義があることをお伝えしました。おそらく、朝鮮半島における政治的な興亡の過程で、日本列島に騎馬の文化がやってまいります。征服王朝が成立したかどうかというとらえかたではなく、騎馬文化をもたらした人々が確実に入ってきたことを認識することが大事なのでしょう。加耶との交流ですが、その中心勢力が、南から北に移ります。3月に韓国に行ってきたのですが、直接のルーツの可能性が大きいと思います。

『日本全国古墳学入門』(土生田純之編、学生社、2003)に松尾昌彦氏が書いておられるのを参照しますと、高句麗壁画古墳には重甲騎兵が描かれるのと対比してみれば、日本では馬冑や馬甲が必要とされなかったのではないかとする説があるようです。

昨年はじめて馬場小室山遺跡を見た日に、埼玉県立博物館によって酒巻14号古墳の馬形埴輪に出会ったことを思い出しました。蛇行状鉄器が表現されていますが、確かに馬冑や馬甲はないのです。セットだったのか、選択的な受け容れ方だったのか興味深いところです。



2192. 学ぶ所はありますよね(^^) こたつ城主 [URL]  2005/06/06 (月) 05:21
お返事ありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いしますm(__)m。

「継承すべきところはある」に私も素人ながら一票です(^^ゞ。
馬具や馬型の装飾品は千葉県からも出ていて、やはり5〜6世紀ぐらいのようで(^^ゞ、ある一時期から大量に騎馬民族が来たとおぼしき形跡が伺われる、という説とだいたい見合ってると思います。

現在これらは「五胡十六国時代の中国に多くの騎馬民族が入り込み、その影響が朝鮮半島を伝って日本にもたらされた」と思ってまして、経由ルート上が染まったと見ると一概に「騎馬民族」とは決め付けられないまでも、大陸で次々出来た王朝も、その政権の安定を見るにつけ、農耕民は農耕に必要でも、新規に入り込んだ騎馬民族は兵士として用いるしか無く、どちらかと言えば騎馬民族系の人の方が、より新天地を求めて移動した可能性が強いようにも思えるのです。

それがある一定の王朝を築いたか、「一気に来た」のか「一気に受け入れ広まった」かの問題もあってそこは何とも言えませんが、馬と馬に関わる文化についても、「セットで一気に訪れた」の見方がこんにちでは強い感じもします。
また私なんか、馬や牧場で「どこまでも広い草原」を、騎馬民族で「乾いた大地」を単純に連想しがちでしたが、放牧には馬を囲い込んで逃がさないために、何らか行き止まりの出来る地形を利用したようで、川の多い我が国でも湿地や浅瀬は農耕に適さず、日本で馬の歴史を考える時は連想イメージだけじゃダメね〜、と気付きますし(^^ゞ。

やがて日本の狭い範囲で樹立された中央政権は農耕主流でしょうが、牧は皇室ご用達を中心に形成され、平将門の時代には牧経営を発端に叛乱が起こり、東国政権の礎とも言える武士集団が形成される程に成長し、やがては幕府を持ち国を支配していった過程を考えると、尚更興味深く思えます。

大学の先生が「馬の民族も海の民族も、星で自分のいる位置を確認して旅を続ける」と教えてくれました。長い間この山の無い千葉県で星を仰ぐたび、また千葉県から出た千葉氏が星を自らの家紋に用いた事もあって、いつとは無しに、武士の成り立ちについて考える時、いつもふとこの言葉を思い出す私でした(^^ゞ。

ああ、また長々と(^_^;)。。戦国時代については実は私もちっとも詳しくないんです(汗)。
それでも宜しければ、いつでもお気軽においで下さいませ(^^)。
では失礼致しました。m(__)m



2191. 同感です 遺跡大好きネコ  2005/06/04 (土) 20:49
さわらびTさん。メッセージをありがとうございます。ご紹介のコメント、本当にそう思います。

さわらびさんご夫妻を始め小室山に集まるみなさんとお会いできたのも古代人の引き合わせと信じています。ですから、現代人のこの出会いを大切にして今度は私たちが未来へと橋渡しをしたいと思います。

それが私たちの使命であり、引き合わせてくれた古代人(私たちの大祖先)への恩返しではないでしょうか?などと今日はだいそれた書き込みでした。



2190. 古い文化と新しい文化 さわらびT  2005/06/03 (金) 22:48
遺跡大好きネコ様

ご無沙汰しています。
昨年「久留倍遺跡」のシンポジウム参加→「馬場小室山遺跡」との出会いが、古代史を勉強についてもあらためて考えさせていただく機会だったように思い返しています。

昨年、大坂の難波宮跡を見てきました。この遺跡の保存にあたっては、多くの人々が知恵を出し合ったのだと思います。
『クラと古代王権』(ミネルヴァ書房、1991)に収載されたコメントの文章が気に入りましたので、紹介します。
「われわれは、新しい文化は古い文化を更新したものと考えがちだ。歴史的遺物など陳列ケースの中にあれば充分だと思っている。しかし、新しい文化とは古い文化を壊した瓦礫の上に建てられたビルではなく、古い文化から湧き出した栄養分を吸って育つ花であり実なのだ。」
日常生活の中で、遺跡と共存できるかどうか、問いかけられているのではないか、そんな思いでいます。



2189. Re: 拝見させて頂きました☆ミ さわらびT  2005/06/03 (金) 22:23
こたつ城主様

はじめまして。おこしいただきありがとうございます。
戦国時代はあまり勉強していないので教えて下さい。
大学の同期に藤本正行氏がおられますが、甲冑のこととか本当にてびっくりです。

ところで騎馬民族征服王朝説ですが、30年ほど前に縁あって古代史の勉強を始めた頃には、江上先生の講演を聴く機会が多かったです。前の歴博館長だった佐原先生によるかなり激しく批判もありますが、冷静に見つめなおすと、どうなるのだろうと考えながら書いたものでした。桃崎先との出会いもあって、継承すべきところはあるのだということもあらためて教わりました。

小熊英二『単一民族神話の起源〈日本人〉の自画像の系譜』では、どちらかといえば、江上説がナショナリズムと結びやすい側面を指摘していますが、学ぶところはあると思っています。

これからもどうぞよろしくお願いいたします



2188. 教えてくださってありがとうございます 遺跡大好きネコ  2005/06/03 (金) 21:28
さわらびY(ゆみ)さん、とらさん、こんにちは。早速返事をいただき感謝です。6月25日を楽しみにしています。さいたま以外のところで馬場小室山のことを聞くのも新鮮でよいかもしれませんね。

とらさん、歴史館のことまでご親切に教えてくださってありがとうございます。茨城には知り合いが結構いるので、どんな遺跡があるのかも早速見てしまいました。

そうそう、ゆみさん日本平にいらしたのですね。私の従兄妹があのふもとに住んでいたことがありよく訪ねていたのでなつかしいです。いつもながらに素敵な写真ですね!



2187. 拝見させて頂きました☆ミ こたつ城主 [URL]  2005/06/03 (金) 17:39
はじめまして。
こたつ城主@「戦国放題こたつ城」と申します。m(__)m

「騎馬民族征服王朝説は検討に値するか」を読ませて頂きました〜☆ミ

私は古代史にはとんと疎く(^_^;)、しかし戦国時代をやってるものですから、武士の台頭に絡んで騎馬文化の話が時折出るのと、千葉の北部に住んでまして、そこには縄文遺跡もありますし、また馬に絡んだ史跡もあり、それは、ま、江戸期の「野馬追い土手」みたいのまで含まれるわけですが(笑)、それがいつ頃から継続されたのか、といった話に絡む事もあり、いずれにせよ、この「騎馬民族征服王朝説」がちょくちょく話題としてあがります。

どうやら「江上説」というらしい、という事が判り、又その概要ぐらいは検索で見付けたサイトなど読んで大雑把に掴んでいたのですが、内容が賛否それぞれに偏って書かれてたり(と言うか、否定論ばかりな気がしました(^^;))、或いは賛否に偏らなくても、「激しい議論がある」と冷静すぎて、具体的に何が良くて何が悪いのか今いちピンと来ない説明だったりで(笑)、「しょせん私には入れない世界なのね〜(^^ゞ」と自ずから結論づけてました。

が、こちらの記事を読ませて頂いて、「あ〜なるほどっ!」と納得の行く所がたくさん見付かり、とても嬉しく思いましたっ♪

支配層として述べる所が誤りである、といった所までは、これまでも何となく「そ、そこがダメなのね(^^;)」と思ってましたが、もう少し突っ込んだ所(例えば、中国人がカレーライスをどうこう、みたいな:爆)まで書いて下さってるので、「そりゃ揉めるわなぁ(笑)」と実感をともなって理解できました(^^)。

いきなり来て、長々とスイマセンでした。
御礼を書こうと入って来て、似たようなお名前のお二人が応対しておられるのでプロフィールを拝見したのですが、ご夫婦でなさっておられるんですねっ♪
ステキですねっ。私もよく主人と2人で史跡を巡っております(^^ゞ。

では失礼致します。ありがとうございました(^^)。



2186. Re: お久しぶりです とら [URL]  2005/06/02 (木) 21:33
遺跡大好きネコさん,こんにちは。
> 6月18日は参加できませんが、25日の総会と調査研究発表会には行きたいのですが会員でなくても参加できるのでしょうか?
 さわらびYさんのおっしゃる通り,何方でも参加できます。無料でも聴けたかと思いますが,当日の発表要旨を購入する場合500円程度だったかと記憶しています。
 場所など,茨城県立歴史館のHP貼っておきます。

http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/




2185. Re: お久しぶりです⇒フォーラムへ向けて始動?! さわらびY(ゆみ)  2005/06/02 (木) 18:51
> 私、昨日さいたま市の文化財保護審議会を傍聴してきました。

ご苦労様でした。拍手!

今回のように目的がある場合でも、またそうでなくても、身近な自治体の教育委員会の文化財保護審議会を傍聴することは、地域史や文化財と学ぶもの市民にとって、立派な先生方の知識やご意見が拝聴でき、講演会やシンポジウム以上にとても勉強になりそうですね。

> 年に2回しか開催しないなんて驚きです。

それでも事務方はご苦労なことなのでしょう。

> ある委員が、小室山について質問をされました。教育委員会は、「今後は保護に努める」「新しい動きがあればうれしい」と答えていました。
>私たちからの提言も重要だと改めて思いました。

地元さいたま市緑区の皆様方の真剣な願いと行動が、やっと稔りつつありますね。

飯塚さんのHPも今日、更新され、さいたま市選挙時のアンケートなど5月4日からの緑区の方々の積極的な行動が伝わってきます。http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/index.html

特に、10月2日のフォーラムへに向けて、教育研究での重鎮でおられる大田尭先生にお会いになって、ご協力をお願いしたことなど、メールでは断片的にお聴きしていましたが、いよいよ時が熟してスタートに立ちつつある息吹を感じています。

> 6月18日は参加できませんが、25日の総会と調査研究発表会には行きたいのですが会員でなくても参加できるのでしょうか?

総会は、たぶん会員だけでしょうが、調査研究発表会は広く聞いてもらう目的だと思いますから、大丈夫だと思います。(⇒常陸古文化探求室管理人さん、そうよね。)
皆さんにお会いできる楽しみが、またひとつ増えました。



2184. お久しぶりです 遺跡大好きネコ  2005/06/02 (木) 18:19
前の職場を辞して少しはのんびり・・・と思いつつ、引き続き忙しく過ごしています。でも、新しい仕事はフリーなので暇なのも困るんですけどね。

私、昨日さいたま市の文化財保護審議会を傍聴してきました。案の定傍聴者は小室山研究会のメンバーだけでした。今年の文化財保護審議案件は4件。その内訳は、建造物・墓(あるいは石造物?)・古文書・伝統芸能各1件ずつでした。この他補助金についての説明もあり、要チェックです。

案件に対する意見や質問もなかなか面白かったのですが、何と次回の審議会は年度末に開催だそうです。(馬場小室山が史跡に認定された頃ですねきっと)年に2回しか開催しないなんて驚きです。私がこれまで関わったことがある審議会は6回でも少ないと思っていたのに、たった2回なんて。つまり、昨日の案件説明の後はグループに分かれて調査(これもきっと現地には1回しか行かないのでは?)して最後に決定するだけということですね。

小室山もこうやって認定されたのかと思うと、行く末が不安になりました。

でも、審議会の最後にある委員が、「傍聴の方が居られるからではありませんが・・・」と言って小室山について質問をされました。教育委員会は、「今後は保護に努める」「新しい動きがあればうれしい」と答えていました。やはり傍聴は効果あり。担当課職員もみなさんおいででしたし、行ってよかったと思っています。

傍聴者2人と委員は上の言葉をしっかり聞いていましたので、ぜひ実行していただきましょう。また、私たちからの提言も重要だと改めて思いました。

6月18日は参加できませんが、25日の総会と調査研究発表会には行きたいのですが会員でなくても参加できるのでしょうか?



2183. 山崎ひょうたん塚古墳 さわらびT  2005/06/01 (水) 20:33
T花様
こんばんわ。いつもご案内ありがとうございます。
大塚先生のお話、地元の古墳のこととなると興味がわきますね。

ところで先日お知らせいただいた「山崎ひょうたん塚古墳」に行ってきました。確かにとても見やすくなりましたね。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/BBS/050601.jpg/

京成佐倉の駅から、歩いて10分くらいでしょうか。(いつも車で行くので正確な徒歩タイムは分かりません)
すぐそばに、というか駅から歩けば先に着くのが、再葬墓で有名な岩名天神前遺跡です。途中の八幡神社にも立ち寄って散策コースにいいですね。



2182. おしらせ、ありがとう さわらびY(ゆみ)  2005/06/01 (水) 20:24
常陸古文化探求室管理人さま
T花さま

興味深い催しのお知らせ、ありがとうございました。
スケジュールを忘れてしまわないよう、さっそくTOPページに載せました。
(印旛郡市文化財センターの遺跡発表会は、センターのページに掲載されたら、リンクします。)

お会いできることも楽しみのひとつです。



2181. 白井市文化財講演会 T花  2005/05/31 (火) 22:30
また、講演会情報です。どうやら歴博フォーラムと日程がバッティングしているようですが、古墳時代に興味のある方はどうぞお越しください(明治大学博物館友の会の方もぜひどうぞ)。

日時 6月18日(土) 13時30分から15時20分
会場 白井市文化センター2階中ホール
   (北総鉄道白井駅下車徒歩10分)
   千葉県白井市復1148−8
演題 印旛沼・手賀沼周辺の古墳文化
講師 大塚 初重 先生(明治大学名誉教授)
問合せ 白井市教育委員会文化課(047−492−1123)
もちろん入場無料です。



2180. 茨城県考古学協会総会・第27回遺跡調査研究発表会 常陸古文化探求室管理人  2005/05/31 (火) 18:36
日時:6月25日(土) 10〜17時
会場:茨城県立歴史館講堂

10時〜10時50分
○ 総会
11時〜17時
○研究発表
窪田恵一 茨城県ひたちなか市差渋遺跡の旧石器時代資料
鈴木正博 環状盛土遺構の窪地について
齋藤瑞穂 常陸浮島の考古学的検討
関 博允 律令体制下の常陸国における官衙および寺院での鉄器獲得方法について(1)
田原康司 笠間系陶器の時期設定T
○ 遺跡発表
川口武彦 台渡里廃寺跡の調査
宇留野主税 真壁城跡の調査

馬場小室山遺跡研究会メンバーの発表もあります。




2179. Re: 印旛郡市文化財センター遺跡発表会 さわらびY(ゆみ)  2005/05/26 (木) 00:23
印旛郡市文化財センターの遺跡発表会の速報、ありがとうございました。
私のスケジュール表は早い者勝ちですから、さっそくマーキングしました。
杉山晋作先生の古墳のお話も楽しみです。

山崎ひょうたん塚古墳、そういえば、夏の暑い盛りに、Tや友人と行きましたね。
畑の中を入って、木立と夏草の茂った墳丘でした。
手入れをされて見やすくなったのはいいことです。

井野長割遺跡も、戦後植えられた杉が間伐されて、落葉樹の茂るいい景観になりました。
盛土のなだらかなマウンドが日差しの加減で、きれいに見える時をねらって撮影に通い、やっとアルバムが仕上がりそうですので、楽しみにしていてください。

山崎ひょうたん塚古墳に隣接した岩名天神前遺跡の弥生土器(再葬の骨壷?)は有名ですが、縄文遺跡でもあるようですね。

連休が過ぎて、なかなか休みがとれないのですが、遺跡は逃げていかないでしょうから、そのうち訪ねてみましょう。



2177. 追加情報 T花  2005/05/25 (水) 21:34
2176の印旛郡市文化財センター遺跡発表会の情報に追加です。
講演会 瘤R晋作 氏 「印旛周辺の古墳群について」
発表 佐倉市吉見稲荷山遺跡(第8次)(縄文時代)
   富里市松ノ木台遺跡(縄文・古墳・平安時代)
   成田市大竹林畑遺跡(古墳〜奈良・平安時代)
誌上発表 本佐倉城跡(中世、3月に雪で遺跡の現地説明会が中止になった調査地点です)



2176. 印旛郡市文化財センター遺跡発表会 T花  2005/05/24 (火) 22:15
みなさん、こんばんは。

速報です。今年の印旛郡市文化財センターの遺跡発表会は、7月23日(土)だそうです。基調講演は歴博の瘤R晋作先生とのことですので、演題は聞いていませんが、きっと古墳、しかも埴輪関係でしょうか。

それから、古墳といえば、佐倉市の指定史跡である山崎ひょうたん塚古墳の立木が間伐され、非常に墳丘が見やすくなったとの情報をIさんからいただきました。本日、夕方寄ってみましたが、以前とは大違いです。印旛沼周辺では古手の古墳と言われながら、調査がなされていないため、詳細な時期はわかりませんが、前方部が低く、後円部が高い墳丘がうよく確認できます。興味のある方はどうぞ。



2175. 髻華の会・記念講演会(山尾先生) さわらびT  2005/05/18 (水) 20:25
山尾先生の講演は、ライフワークである「大化改新」虚構論の考え方をお話になられたものでした。東京での講演を何度か拝聴した機会がありましたし、直接質問させていただいたこともあります。私が感銘を受け、先生のお考えに関心を持ちつづけているのは、学問を通じて社会に向き合うに対する強靭な批判精神です。
お話しになられたことを少しづつではありますが、お伝えしていきたいと思います。まずは心構えからです。

@律令国家体制の始まりとされる「大化改新」とは、どこまでも『日本書紀』に書かれている史料上の事実であって、歴史的事実か、というのは「孝徳天皇の詔を逐一、全面的に検討し吟味しなければならない」
A「大化改新」とは、中大兄皇子と中臣鎌足(藤原鎌足)が力をあわせて蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼして公地公民国家体制を作った事件との認識は、「ほとんどの国民的規模で、インプリンティングされた思考回路」といえる。
B その考え方は、学術の世界でも根強いものがある。その理由の一つは『日本書紀』の見方にかかわっている。『日本書紀』というものを第三者的な立場からする実在する歴史の記録に基づいていると考えているからである。
C『日本書紀』というものは歴史書であって、編纂の意図がある。どんな目的や意図を持って、そしてどんな立場から、どんな材料を使って編纂された書物であるのかということを、明らかにする必要があるわけであります。これは、簡単には出来ないけれども、「あらかじめ不信を持って臨むという自覚は必要である。」

この強烈な、問題提起にいつも刺激をいただいています。史料から歴史的事実の復元をするのが歴史家の仕事でありましょうが、いかなる思考のプロセスをたどったら目標に到達できるのでしょう。そのことを考えさせてくださいます。



2174. ブログ「さわらびNOTEBOOK」を試みています さわらびY(ゆみ)  2005/05/15 (日) 09:24
「メル友もすといふBlogといふ物を、わたしもして心みむとてするなり」ということで、ブログ「さわらびNOTEBOOK」を始めちゃいました。

つれづれなるままに「さわらび通信」BBSにも、あることないこと書いてきたのですが、画像がつけられないのがさみしく、また気軽に書き込めるノート(歳相応の備忘録?)として、とりあえずチャレンジしてみました。皆様からもコメントやトラックバックで対話できればと思っています。
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/

最初のお題は「上谷遺跡出土のかわいい猪」です。
では、また
今日は、千葉歴史学会です。会場でお会いしたらよろしくね。




2173. 「東部遺跡群出土資料展示会」の情報 さわらびY(ゆみ)  2005/05/13 (金) 19:59
すでにご存知かと思いますが、5/14〜5/15に「東部遺跡群出土資料展示会」が、八千代市遺跡調査会・東部事務所で行われるそうです。

八千代カルチャータウンの昭和63年から平成10年度まで調査の出土品に手で触れられる貴重な機会だそうです。

5/14 12:00〜16:30 
5/15 10:00〜15:00

場所:勝田台よりバスで神野入口下車(八千代城の手前)
http://map.yahoo.co.jp/print?mode=1&key=2b1ad24f397b9a2d3886550&pass=cd709a2c78e4d686



2172. Re^3: 印旛沼周辺縄文遺跡 一本松の土器 さわらびY(ゆみ)  2005/05/12 (木) 22:00
とらさん
昨日今日は、常陸からのやませが、薄着になったあとなのでちょっと寒かったですね。
T花さんのご紹介の「ふさの国文化財ナビゲーション」、そちらの方でも頑張って実現してください。(博物館作るより、お金はかからない)

吉高一本松遺跡の最後のページ
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/yositaka/ipponmatu6.htm
の左下の「3単位の波状口縁を持つ加曽利B2式土器」ですが、原田論文を読んでも素人にはさっぱりわからなかったのですが、『利根川』26号の「大谷場と小仙塚 −加曽利B式土器の再報告−」を読んで、やっと理解できました。

学史的な流れと、丁寧な資料の記述、わかりやすい実測図で、この形の土器の概観がつかめました。
気に入った土器とその土器の系列がわかると、はまりますね。
また、馬場小室山でお会いしましょう。



2171. Re^2: 印旛沼周辺縄文遺跡に「11.西根遺跡」を追加 とら  2005/05/10 (火) 21:53
>「ふさの国文化財ナビゲーション」
細かい違いに目をつぶるとして・・・これはいいですね〜。「周知」の一つの策として方向性はよろしいんじゃないでしょうか。さすがです。>千葉県



2170. Re^2: 印旛沼周辺縄文遺跡に「11.西根遺跡」を追加 さわらびY(ゆみ)  2005/05/09 (月) 23:09
> 早速、西根遺跡についてUPされましたね。西根遺跡で縄文人がどのような活動をしていたのかが非常に興味のあるところです。

T花さんから場所の情報と文献紹介をいただき、まずは行ってみたいと思いました。
おかげさまで田植え時の季節感ある写真が撮れましたが、北総は谷津田の姿が景観としていいですね。

吉高一本松遺跡では開田工事の際、露出してきた土器を中学生と拾い集めた郷土史家の五代吉彦氏、西根では谷津田の川で子供が拾った土器から遺跡と感じて行動した小牧美知枝さんの発見談に心打たれました。

> 近接する船尾町田遺跡や船尾白幡遺跡では、縄文時代後期の遺構はほとんどないようです。土器塚を残した人々の住まいはどこでしょう?

水神の祭りのために、佐山や神野あたりからも丸木舟で馳せ参じ、土器に入れたお供えをしたか、あるいは土器供養?をしたのかと、あらぬ想像をめぐらしてみています。
低湿地調査として注目の遺跡ですから、これからいろいろな知見が発表されることでしょう。

「ふさの国文化財ナビゲーション」みました。これははまってしまいそう。
「千葉県埋蔵文化財分布地図」をおいてある図書館が近くになく、千葉県文化財センターの頒布図書を調べていたところでした。
身近な場所がどんな遺跡なのか、市民がもっと関心をもてるよう、インターネットを使う普及開発としてもってこいですね。
いつも重要な情報をありがとうございました。



2169. Re: 印旛沼周辺縄文遺跡に「11.西根遺跡」を追加 T花  2005/05/09 (月) 19:59
 さわらびY 様 こんばんは。

早速、西根遺跡についてUPされましたね。西根遺跡で縄文人がどのような活動をしていたのかが非常に興味のあるところです。
近接する船尾町田遺跡や船尾白幡遺跡では、縄文時代後期の遺構はほとんどないようです。土器塚を残した人々の住まいはどこでしょう?

ところで、大事なことを忘れていました。今年の4月から、千葉県教育委員貝のホームページ「ちばの教育」に「千葉県の文化財」という項目があるのですが、そこに「ふさの国文化財ナビゲーション」という千葉県内の埋蔵文化財包蔵地と国・県指定文化財の地図情報が検索できるシステムが閲覧可能となりました(あまり宣伝がなされていないようですので、お知らせします。残念ながら市町村指定文化財の情報はありません)。 http://www.pref.chiba.jp/kyouiku/

ちなみに吉高一本松遺跡も載ってますよ(何故か文献情報はありませんでしたが)。ただ、私の知っているS市を見ましたら間違っているところがありましたので、内容は修正の必要な箇所がいくつかあるようです。注意しましょう。



2168. 印旛沼周辺縄文遺跡に「11.西根遺跡」を追加 さわらびY(ゆみ)  2005/05/08 (日) 22:57
「縄文遺跡のある風景 in印旛沼周辺の遺跡群」に 
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/joumon.htm
「11.西根遺跡(印西市)」を追加しました。

馬場小室山と縄文遺跡と印旛沼のとりこになっていた連休でした。明日から頭を切り替えて仕事ですね。
皆様もお忙しそう。頑張ってください。 



2167. 髻華の会・記念講演会 さわらびT  2005/05/08 (日) 18:44
髻華の会・記念講演会(5月7日)「大化改新」と律令国家、無事終了しました。少しばかりお手伝いさせていただきましたが、講師の先生方はもちろんですが、会場をご紹介、ご準備いただいた篠川先生、総合司会の増尾先生、そして院生の方々にも感謝です。スタッフの一人として、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

山尾先生の報告では、「乙巳の変」(645年)について国際関係と国内的には「血縁世襲王権」の成立過程における王権継承をめぐる王族の内紛と位置づけられました。
加藤先生は、遠山説への疑問から軽皇子の勢力基盤その名の由来を再検討し、乙巳の変というクーデターが個々に政治的立場の異なる諸勢力が、当面の蘇我打倒という共通目的のために結集したものと述べられました。予定時間をはるかにオーバーしてましたが、素晴らしいご講演でした。
倉本先生の系図を駆使され、王位継承プランの流れをご説明されました。これっきりだとおっしゃいましたが、それではもったいない内容でした。
篠川先生は「大化改新」によって国造制が廃止されたとする『書紀』の記載の疑問点をお話しになりました。時間をかけて、じっくりうかがいたです。
中身の濃くて大変実りのある講演会でした。簡単にまとめるわけにはまいりませんので、順次、問題意識をお伝えしていこうと思っております。
髻華の会はしばらく活動を休むことになるようですが、いずれまたこのよう企画に出会えることを期待しています。



2111. Re: シリーズ「印旛沼周辺の遺跡群」について・2 とら  2005/04/11 (月) 02:09
こんばんは。ご無沙汰しております。
>最近の畑は、耕運機が深く撹乱していますし、ムロ穴や塵溜め用の穴も、耕作地は文化財保護法外とのこと。
一番の問題は以前盛んだったごぼうの耕作でしょうか。関東ローム層上がすっかりしましまになってしまいました。規模の大きな農業基盤整備事業,農地造成なんかだと事前照会の対象にもなるんでしょうが,一々の耕作までは対象外かもしれませんね。
ムロ穴や塵溜め用の穴よりも地下の遺跡に影響を及ぼす開発行為(個人住宅建設等々)を対象として,厳密にやる自治体では遺跡の範囲内も範囲外も埋蔵文化財の取扱いを行っていて,無届で遺跡が破壊されるのを防ぐシステムとなってきています。高崎市の参考例(↓)。そんな中での馬場小室山。本当に残念に思います。
http://www.city.takasaki.gunma.jp/sosiki/ky-bunkazai/tetuduki/tetuduki.htm



2110. シリーズ「印旛沼周辺の遺跡群」について・3 さわらびY(ゆみ)  2005/04/11 (月) 00:14
実はこのシリーズは、あるけ〜さんのHP「千葉市の巨大環状貝塚マップ」http://chiba.zzkt.com/chibakzgunmap.html
などからも刺激をうけているのですが、わが家の近くの印旛沼水系の縄文遺跡を、考古学の素人の目から、景観をどう表現し考察できるか、そして全体像がどのように見えてくるか探っています。
あるけ〜さんの千葉市側からと、私の印旛沼側からと、広い視野で遺跡を見ると、何か違いが見えてくるのでしょうか。
どう遺跡群の中身が違うのかがわかるといいのですが・・

「縄文遺跡のある風景 in印旛沼周辺の遺跡群」も目次を兼ねたマップのページで残るのは石神台貝塚と井野長割遺跡になりました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/joumonMAP.htm
納得できる写真がなかなか撮れなくて足踏みしていますのが、このシリーズについてどうか、ご意見ご助言をよろしくお願いします。

ちなみにいただいた貴重なプロのご意見を紹介します。
>  因みに考古学の試料観察の仕方は、医療と同じです。
>  断片的な情報から全体を見極めるアプローチが重要です。
>  博物館に飾ってある形の分かる土器を鑑賞するのは考古学ではありません。
>  整理している多くの土器片が一番の情報源ですので、ここを見逃してしまうと、断片からあるべき姿を頭の中に描くことが出来なくなります。
>  プロが見るのはここの情報なのです。

うーん、なるほど。



2109. シリーズ「印旛沼周辺の遺跡群」について・2 さわらびY(ゆみ)  2005/04/11 (月) 00:02
また若い考古学徒の方から次のような感想をいただきました。

>貝塚のあり方と周辺地形との関係もわかりやすかったです。
>遺物もたくさん拾うことができましたが,僕がいつも思うのはたくさん表面採集できるところは,それだけ人の手が加わっているところだと思っています。
>確か戸ノ内貝塚で表採したところは黄色い土が不自然に広がっていたと思います。
>小室山のように一気に破壊されると目立ちますが,耕作などによって小さな遺跡破壊は日々行われています。僕らが生きていくためには必要なことですが,そのような状況を遺跡ごとに把握して,大規模な破壊を防ぐためにも継続的に遺跡を見守っていきたいものです。

最近の畑は、耕運機が深く撹乱していますし、ムロ穴や塵溜め用の穴も、耕作地は文化財保護法外とのこと。盛土遺構も大方壊されていて、発掘調査でなければもうわからないのが実態です。(だからこそ馬場小室山は貴重だった!)
そういう意味で、戸ノ内貝塚での、縦二つのマウンドも興味深いですね。

早稲田の調査地点がもし壊された盛土であるなら、環状とはいえないまでも、半環状の可能性がありそうです。
意識的な選地か地形の制約という問題では、私には、西側のゆるい斜面とその下の低地が生活上どういう役割りであったかが興味深く感じられます。

曲輪ノ内貝塚と戸ノ内の発掘調査結果について、『縄文社会を探る』の本となったような明治大と早稲田大のジョイントシンポジウムがあるといいなと期待しています。



2108. シリーズ「印旛沼周辺の遺跡群」について・1 さわらびY(ゆみ)  2005/04/10 (日) 23:59
「縄文遺跡のある風景 in印旛沼周辺の遺跡群」
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/joumon.htm
を更新し、「戸ノ内貝塚」のフォトアルバムを追加した件につき、お知らせしましたところ、見学にご一緒していただいたプロの先生から次のようなお便りをいただきました。

> 思い出しました。印旛沼南側の遺跡に比べて平坦部が少ない馬の背状の台地でした。
> 意識的な選地か、地形の制約によるものであるのか、周辺を見ないと分かりませんが、どなたか、真面目に研究される方が出てくると良いですね。
> このように印旛沼を強く意識した立地の遺跡を形成するのは 原因なのか、結果なのか、知りたくなりますね。

阿部芳郎先生が2004.9.26「井野長割遺跡を考える」のレジュメで、印旛沼南岸と北岸の縄文期晩期の遺跡の地形的な制約による盛土遺構の違いについて簡単に触れられていますが、北岸の戸ノ内貝塚は本当に狭い尾根上にあります。
シリーズも印旛沼周辺8ヶ所の遺跡をルポしましたが、共通していえるのは、展望がよく遠くまで見通しがきくこと。
もしかしたら特に印旛沼の水面を眺める立地は必須なのかもしれないと感じてはじめました。



2106. 「任那日本府(在安羅諸倭臣) 」をテーマに さわらびT  2005/04/10 (日) 22:37
鈴木先生の講演テーマは「任那日本府(在安羅諸倭臣)と古代の日朝関係」でした。研究史を整理されましたが、「任那日本府」の実在を示す磐石の金石資料と思われた広開土王碑文、七支刀が実はそうではなかったことが、分かったのにすぎず実は研究はスタートラインにたったに過ぎないということをお話しになったのでした。

司馬遼太郎『韓のくに紀行』に次の一説があります。

「南朝鮮における倭人社会は、中国の『魏志』によれば狗耶(金海のあたり)を地盤にして活動し、東方の辰韓に鉄をさかんに求めていたというから、農具や兵器の生産力がひくく、そのためもあって、かれらの社会はさほどふるわなかった。馬韓が百済国になったころに辰韓も新羅国になったが、倭人たちはそのあいだにはさまれて大いに難渋したに相違なく、自然のいきおいとして、日本地域に住む同種の倭国にたすけをもとめることが多かったにちがいない。南朝鮮における倭人たちは、やがて「任那」という一種の国家をつくった。一種のというのは王国ではなく、族長どもの連合社会だったという程度であったかという意味である。」

慎重に言葉を選んで書いていますが、「・・・にちがいない」ということが果たしてそうであったか。「同種の倭国」という認識が、果たしてそれでいいのか、と問い直さなければならないでしょう。今日鈴木先生が説明された日本府官人=加耶人説(井上秀雄説)が投影されていたのかも知れません。

先日の旅行で訪問した咸安博物館の所持地が安羅です。1年半前にオープンしたそうで大変立派な概観で、末山里古墳群からの出土品(火炎模様のすかし穴を持つ土器)をデザインした建築物が館外に聳え立っていました。

安羅国は530年ころに新羅に併合されたようですが、この地を活動舞台にした人々がいたのです。それらの人々が「在安羅諸倭臣」=「任那日本府」であると理解をすることからはじまります。

(掲示板1084.「任那日本府」をめぐる問題もご参照下さい)



2105. ありがとうございました。 さわらびT  2005/04/10 (日) 10:43
昨日は多くの方々のご参加いただきました。ありがとうございました。受付等でお手伝いいただいた皆様、お世話になりました。遠山先生にも感謝、2次会までお付き合いしていただきました。
分かりやすいご説明で、入鹿暗殺事件についての歴史的背景が見えてきました。あくまで孝徳が主導であるものの、皇極の意思と結合したところで、蘇我本宗家は倒されなければばならなかったということでしょうか。
今日はこれから、「東アジアの古代文化を考える会」の講演会(鈴木英夫先生)に行きます。



2104. Re: 花見川沿いの桜も見頃です さわらびY(ゆみ)  2005/04/09 (土) 23:04
> 待ちきれずにお花見して来ちゃいました。
> 花島観音には桜がとてもよく似合っていました。

4/8桜づくし(弁天橋〜亥鼻橋)さっそく拝見しました。
きれいですね。桜の季節はなんとなく心せかされます。
見慣れた風景が一変するその短い時を逃すのが、とてももったいないと感じるからでしょう。

昨日は、新小岩公園で職場の新人歓迎の夜桜宴会でした。
満開の桜はきれいだったのですが、中川から吹く夜風が冷たくて、風邪を引いてしまいました。

今日午後は、王子の北とぴあで「歴史に好奇心!市民勉強会」主催の歴史講演会があり、できたら早めに行って、北とぴあ隣の飛鳥山の桜を見たいと思っていたのですが、体調不良で朝寝をしてしまい、江戸時代からの有名な桜の名所を見損なってしまいました。

講演会の遠山美都男先生のお話は、大化改新時の入鹿暗殺の首謀者はだれかというスリリングで実証的なお話で、このところ、古代史の文献や系図から遠ざかっていた私にも面白い内容でした。

懇親会も、若い研究者の方々や古代史のベテランの先輩方も多く、盛り上がっていましたね。
(風邪気味の私は一次会だけで先に失礼しましたが、先生はじめ若い方々は、これからが本番?のようで、 Tもまだ帰宅していません。)

明日は、村上で八千代市郷土歴史研究会の総会。花もお天気もまだ持ちそうですね。

メールでのおしらせでは、馬場小室山近くの見沼田んぼの桜も満開だとか。
皆様の所の桜はいかがですか。どうぞここへ桜情報をお寄せください。



2103. 花見川沿いの桜も見頃です mimi_daikon [URL]  2005/04/08 (金) 18:32
待ちきれずにお花見して来ちゃいました。
平日なのに、所によっては盛り上がっていましたよ。
花島公園脇では歌声も・・・。
花島観音には桜がとてもよく似合っていました。



2102. ありがとうございます mimi_daikon [URL]  2005/04/08 (金) 09:36
「なりたミち」の場所、確認しました。
なるほど、城橋を渡って米本へ・・・ふんふん、ここかぁ。
具体的に場所がわかると、より親近感が湧きますね。
機会があれば、通ってみたいと思います。
早速に教えて下さり、ありがとうございました。

週末はお花見に行かれますか?
お天気も良さそうだし、私は今からそわそわしています。



2101. Re: 本物? さわらびY(ゆみ)  2005/04/08 (金) 01:14
> この遮光器土偶は本物でしょうか?

本物ならすごいですね。
ニセモノか本物かは知りませんが、何でも出るネットオークションを初めて知りました。(現代のことは疎いもので・・)

本当(?)のニセモノなら、リンク友だちのこのページが楽しめます。
http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/replica/replica.html

こちらはプロのぺーじです。
http://homepage2.nifty.com/haniwadokoro/