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No.2001-No.2100 2005/2/222005/4/8
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・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
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2100. Re: 立川氏館跡普済寺 さわらびY(ゆみ)  2005/04/08 (金) 01:07
ゆりこ樣
いらっしゃいませ
>折角歴史に戻った気分にいたのに地震が頻発。またまた前兆雲の観察に振り回されています。韓国にまでいらしたのですね。

メールしようと思っていたのですが、3月20日9時ごろ韓国南部の海印寺の本堂の写真をとっていたところ屋根の上の東の空に斜めに長く延びて輝く雲を見ました。
同行の何人かに、地震雲じゃないかしらと冗談みたいなことを話しました。
その3時間後池山洞古墳群でバスの運転手さんから福岡で地震があり、釜山も被害を受けたと聞いて、びっくりしました。
空の写真はハレーションを起こして撮れていなかったのが残念です。
韓国は地震慣れしていないので、釜山の震度4はその日の大ニュースでした。

韓国旅行のアルバムの前に、先ほど早稲田大学で発掘調査をしている「戸ノ内貝塚」をアップしました。
コンセプトはやはり景観と遺跡の関係ですが、少し車で走ると、印旛沼周辺はまだこんな景色が広がっています。

> 以前、立川氏の館跡といわれていた普済寺が10年前放火にあって全焼。私はその再建に先立って行われた発掘調査に従事させていただいておりました。

ブログをさっそく拝見、「歴史1【立川の経石】」は感動しました。
法華経、金剛経、観音経、陀羅尼などの書かれた2500個の数種の経石。ひとつひとつ経文に戻す作業はたいへんだったでしょう。
やはり歴史あるお寺は、深みがありますね。
すばらしいページをありがとうございました。

歴博まではお出でになれないようですが、またいつか鎌倉でお会いしましょう。



2099. 本物? pochipon  2005/04/07 (木) 18:56
この遮光器土偶は本物でしょうか?

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n14540994



2098. 立川氏館跡普済寺 ゆりこ  2005/04/07 (木) 16:52
こんにちは。ご無沙汰致しまして。自分勝手に気ままな時にだけ顔を出して心苦しく思っています。さわらびT様にも心から恐縮しています。折角歴史に戻った気分にいたのに地震が頻発。またまた前兆雲の観察に振り回されています。でも、時々こちらを拝見させていただいてはいました・・・。韓国にまでいらしたのですね。
四月中旬の歴博シンポジウムの案内を頂いており、是非にと意気込んで楽しみにしていたのですが、多忙であきらめました。ゆみ様にお目にかかれるかと思ってたのに、残念です。
以前、立川氏の館跡といわれていた普済寺が10年前放火にあって全焼。私はその再建に先立って行われた発掘調査に従事させていただいておりました。伽藍は完成して昨年落慶供養が行われています。昨日普済寺を訪ね、新しい境内を拝観させていただきました。立川氏の歴史を偲ぶよすがは、多少残る土塁くらいしかありませんが、中世鎌倉期に時頼や時宗が建長寺や円覚寺を建てたときがこうだったのではと思わせる、文化的に華やか、禅宗寺院らしい荘厳さの溢れる寺院です。ブログにアップしましたので、よかったら覗いてください。(カテゴリーに歴史の項目を作ったものの、まだ普済寺関係の2件だけです。あとは地震雲ばかり・・・)

http://ginrei.air-nifty.com/ginrei/



2097. Re: こんにちは さわらびY(ゆみ)  2005/04/06 (水) 23:07
> 先日、新川〜西印旛沼まで歩いてきました。

健脚に脱帽! 見学会などではひたすらあるけー!ですが、ちょっとした調査や撮影は、ポイントまで車で直行なんて、不精な昨今です。
そういえば、昨年4月3日の新川は桜満開だったのですね。
八千代市郷土歴史研究会内輪のHPですが、自転車でお花見したページが残っていました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudosikenn/kyoudosikenntuusinn03.htm
花見川から、新川へのサイクリングロードがちゃんとつながるといいのですが・・

> さわらび通信さんでも御馴染みの「正覚寺」にも寄りました。
> 「歴史が得意よ!」とは言えない私ですが
> 「鳥好き」なことから「オシドリ伝説」が気になり
> 「それじゃあ、阿蘇沼ってどこだろう?」という具合に
> 私の中の歴史ワールドが少し広がった気がします。

私もまったく同じでした。
でも、その無限の広がりがこわい!最近の私です。

> 八千代市立郷土博物館にあった「なりたミち」の道標、
> バイパス工事が終わったら、元の場所に戻されるそうですが
> 国道296号沿いの「追分」ってどの辺りなんでしょう?

場所は緑のポイントのここです
http://map.yahoo.co.jp/print?mode=1&key=c8ee6db0b4f486cc2147938&pass=191caccca0717ba3

成田街道には、成田山を指すと同時に、そこから枝分かれした寺社仏閣への道を示す道標が多いのですが、「なりたミち」の道標も左に「米もとみち」と書かれていてその通り進むと、有名な萱田の飯綱神社の近くを通って米本から木下へ行くことができます。
赤いポイントの「おたきさん道」道標は、船橋市の滝不動へ行く道しるべなんですよ。
成田詣では物見遊山の旅で、ついでに近隣の寺社仏閣のオプショナルツアーもあり、だったようですね。
もうすこし東京寄りでは、「血流地蔵道」道標がありますが、その復元のドラマは「さわらび通信」通信創業時のなつかしい次のHPでどうぞ。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/page2.htm

成田街道については、お友達のHPが参考になります。
http://homepage2.nifty.com/kagokaki/index.html





2095. Re: 「加耶諸国を歩く」ツアーのレポートをアップ さわらびY(ゆみ)  2005/04/06 (水) 20:50
ドン・パンチョさま

「加耶諸国を歩く」ツアーのレポートを早速にアップ、すばらしい内容ですね。
 何か所かは私たちが3月18-22日の加耶の旅で行った所とも重なり、拝見させていただき、あっ、そういうことだったんだと納得できた次第です。

去年の8月から縄文のとりこになり、10月からは馬場小室山に出会い、このところずっぽりと深みにはまってしまって、有史時代に頭を切り替えるには、少々カンフル剤が必要なよう、ドン・パンチョさんの「加耶諸国を歩く」のHPに刺激されてぼちぼちアルバム整理を始めようと思いはじめたところです。

それにしても、突如浮上した竹島問題、とても残念ですね。冬ソナのあとは「チャングムの誓い」にはまっている私ですが、日韓友好に水を差す事態に憂いを感じています。
私たち日本人に一生懸命説明してくださった各地の博物館・資料館の学芸員皆様の温かい心をお伝えできるHPにしなくちゃと、今はそれだけを思っています。



2094. こんにちは mimi_daikon [URL]  2005/04/06 (水) 17:54
先日、新川〜西印旛沼まで歩いてきました。
さわらび通信さんでも御馴染みの「正覚寺」にも寄りました。
「歴史が得意よ!」とは言えない私ですが
「鳥好き」なことから「オシドリ伝説」が気になり
「それじゃあ、阿蘇沼ってどこだろう?」という具合に
私の中の歴史ワールドが少し広がった気がします。

帰りは臼井駅まで出たのですが、その途中には
「太田図書」や「雷電」に関した碑や、いくつかの神社が
住宅街の一角に何気なくありました。
歴史のある街って素敵ですよね。
いつかゆっくり訪ねてみたい場所になりました。

八千代市立郷土博物館にあった「なりたミち」の道標、
バイパス工事が終わったら、元の場所に戻されるそうですが
国道296号沿いの「追分」ってどの辺りなんでしょう?
今は使われていない地名なのでしょうか。
ご存知の方がいらしたら、教えて下さい。
よろしくお願いします。



2093. 「加耶諸国を歩く」ツアーのレポートをアップ ドン・パンチョ [URL]  2005/04/06 (水) 13:27
さわらびT/Yさま

先月の25日から6日間の日程で朝鮮半島南部の史跡を巡ってきた「加耶諸国を歩く」ツアーのレポートを、一足お先に小生のHPにアップしました。何度も韓国を訪れておられるお二人には既知の内容ばかりですが、一応お知らせしておきます。暇な折にでもアクセスいただき、感想などお聞かせ頂ければ幸甚です。



2092. Re: 本日、文化財保護課にごあいさつ さわらびY(ゆみ)  2005/04/04 (月) 23:39
遺跡大好きネコさま

文化財保護課へのご挨拶、ご苦労様でした。
クリーンアップ大作戦と昨日アップした史跡指定のHPが説明資料としてお持ちになったとのこと。突貫工事?でのアップでしたがお役に立って、作成した甲斐がありました。
新任ということですから、これから関心と深めてくださることを期待しましょう。

野外の行事の多かった昨日は、お天気でよかったですね。
(わが家は、父の七回忌で久しぶりに母と出かける日でしたので、晴れを願っていました)
あるけ〜さんの千葉市の遺跡を歩く会の見学会も稔り多かった事と思います。馬場小室山遺跡と北総の遺跡群との地理的な比較など、今後の理解のための材料をたっぷり仕入れられたことでしょう。

2/24はいよいよ霞ヶ浦の遺跡群を拝見できそう。
関東って広いですね。縄文人がどんな風に行き交いしたか、先日のワークショップの座学での知識を現地に立ってみてみたいと思います。



2091. Re: 本日、文化財保護課にごあいさつ さわらびT  2005/04/04 (月) 23:19
お疲れ様でした。いわゆるお役所仕事にならず、住民に向き合って仕事していただけたらありがたいですね。

雨の行事になる確率が高いという噂のあるけーさんも、昨日は好天に恵まれたようでよかったです。

さて、講演会の話題です。ご関心を持っていただき感謝。

残された史料が物語るのは権勢を極めた蘇我本宗家が入鹿の死によって命脈を絶たれた事実です。しかし、それがエピソードの一つに過ぎないか、歴史の転換点かは、大いに論議していいと思っています。

さらに、国内情勢だけを検討しても、史実の意味するものは見えてこないと思います。また、この事件が周到に準備され成功したことと描かれていますし、リアリティもあります。『日本書紀』の編纂過程においても、重要なターニングポイントとして認識されていたことも事実だと思います。

皇極こそが黒幕であったとする遠山先生の最新の説ですが、夫・舒明の百済大宮造営の意思を踏みにじって、飛鳥の都づくりに邁進する女帝の姿・・・・果たして主役は誰だったのでしょう。

「原鎌足伝」があったのか、が今回の講演の大きなテーマですが、『天皇と日本の起源』を拝見しますと、遠山先生は仲麻呂が書かせた『家伝』は『日本書紀』の記述をもとに創作が加えられたとする立場を取っておられるようです。



2090. 本日、文化財保護課にごあいさつ 遺跡大好きネコ  2005/04/04 (月) 15:21
こんにちは。さいたま市在住小室山研究会メンバーで、4月1日付で着任された文化財保護課長と同補佐にごあいさつを差し上げました。直接の担当者も同席され先方も3人で応対してくださいましたが、“なんと言ったらよいか”の反応でした。

担当者の異動がわかった時に書いたと思うのですが、全く関係のない部署から異動されたお2人ですがもう少し関心を示しても良いのでは?というのが率直な感想です。

今後一層、みなさんと一緒に小室山保護のための活動と学習をする必要性を感じました。

Tさん、昨日は雨の心配はどこへやら、暑いほどの陽気に恵まれて楽しい花見でした。でも、花が1つも開いていない木も多々ありまして見ごろはこれからです。

9日の講演会本当に楽しみにしています。自分の説はなかなか立てられないと思いますが、みなさんの研究結果とご推察をお聞きして興味を深めていきたいと思っていますのでよろしくご指導ください。



2089. 「史跡 馬場小室山遺跡」のプレート & 土偶展見学 さわらびY(ゆみ)  2005/04/03 (日) 23:20
馬場小室山遺跡の市有地が3月29日に市の史跡に指定されたことに続き、「史跡」内に市文化財としての説明プレートが設置されました。
『さいたま市指定文化財「史跡 馬場小室山遺跡」のプレートが設置される』というページがさっそく飯塚さんのHPに載りました。
http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/050401%83v%83%8C%81%5B%83g.html

「さわらび通信」でも「18 市の史跡になった馬場小室山遺跡」にT.Hさまからお寄せいただいた画像を載せさせていただきました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/03.27/kannbann.htm

ところで、出土品のプレートには耳飾と土偶の写真が載っています。
キャプションには「縄文時代の土製の人形(ひとがた)です。いろいろな顔や形があります」と書いてありますが、この「いろいろな」ということの中身の系譜を調べてみませんか。

ちょうど4月24日(日)に「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」で特別展「山野を駆ける土偶」展の見学と記念講演会に行きます。
http://www.city.tsuchiura.ibaraki.jp/section/kyouiku/6009/index.htm
会場への行き方は
JR土浦駅発(西口2番バス乗り場)のバス10:40(発)〜10:50(着)
つくばセンター発のバス 11:20(発)〜11:33(着)があります。
また終了後、馬場小室山遺跡研究会の勉強会も予定しているとのことです。

また車の手配の関係で人数限定ですが、午前中、陸平貝塚とひづめさんからおすすめの美浦村文化財センターを見学しようという案も検討中です。
ご希望の方(特に車の出せる方)は、私までご連絡ください。



2088. 朝鮮半島との交流 さわらびT  2005/04/03 (日) 23:01
朝鮮半島との交流の歴史を考えて見ますと避けて通れない史実もあるわけです。

周知のように秀吉による侵略(壬辰倭乱)であり、1910年の「併合」です。「朝鮮通信使と関宿藩」のシンポジウムの紹介で書いたことですが、徳川政権の外交は秀吉の残した傷跡を修復することから始めざるを得なかったわけです。

『セヌリ』という雑誌(4月号)に鄭宗碩氏の「朝鮮通信使と関宿藩−新発見の朝鮮通信使『書契』−」のコラムが掲載されています。

http://www.saenulee.co.jp/

今回の旅では、友鹿洞が旅程に入っていました。沙也可の投降事情がどれほど事実を伝えているか定かではありませんが、裏切り行動であるにもかかわらず、名分なき戦いに抗して相手国のために戦うという人々がいたとしたら、誇れると思うものです。(インタビューに対してこんな風に答えた記憶があります。)

朝鮮通信使の来日には、対馬藩の実利的な側面もあったかもしれません。一方、通交する藩のみならず、関宿藩のような藩にとって、負担も多い重要な行事だったわけですが、戦いをするよりはずっといい。

今、歴博で、企画展「東アジア中世海道−海商・港・沈没船」開催されていますが、自由な交易があってはじめて交流も豊かになりますね。

http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index91/index.html



2087. 乙巳の変とその前後 さわらびT  2005/04/03 (日) 22:09
遺跡大好きネコ様

お忙しいとは存知ますが、ご来場お待ちしております。お花見はどうでしたか。実はこの季節、花粉が直撃して私にはありがたくない季節ですが・・・

たぬき様、ドン・パンチョ様

ご発言いただきありがとうございます。遠山先生のコメントにありますように、これまで『日本書紀』と『家伝』上(鎌足伝)の入鹿暗殺に関する記述は、「原鎌足伝」または「入鹿誅滅物語」と言うべき共通の史料をもとに書かれたと考える説が有力でした。(横田健一「大職冠伝と藤原鎌足」『白鳳天平の世界』所収)

今回のご講演では、『家伝』上を読みながら、「原鎌足伝」があったのかどうかの検討をされるようです。『家伝』上には、僧旻の仏堂において、入鹿とともに学んでいたという独自の記載もあって興味深い読み物だと思います。

『大化改新』(中公新書)で有名になった孝徳主導説ですが、最近の著作では、むしろ皇極の役割を重視しておられるようで、飛鳥開発や民衆の再編成という目的実現通り組むためにも身内の孝徳に委ねる必要もあったと遠山先生は説かれます。(『天皇と日本の起源』講談社現代新書)

大化四年(六四八)二月、阿倍大臣(内麻呂)は四衆を四天王寺に請い、仏像四躯を迎えて、塔内の坐さしめ、鼓をつみかさねて霊鷲山の像を造った、といいます。信仰厚き人物として描かれています。内麻呂は有間皇子の外祖父に当たりますから、孝徳とのつながりは明確ですが、翌年三月に薨じてしまいます。そして倉山田石川麻呂の悲劇が続きます。

誰が主役の座を射止めるのか・・・結果はよく知られるところですが、政治連合の組み合わせがかなり変転しているように思えます。



2086. 乙巳(いっし)の変の首謀者は軽皇子か? ドン・パンチョ  2005/04/03 (日) 14:19
小生は遠山教授の軽皇子が乙巳の変の首謀者であるとする説には、いささか疑問を抱いています。先生の著作はまだ読んでいませんので、細かい論点は承知していませんが、教授の説は昨年12月8日にNHKが放映した「その時歴史は動いた ミステリ・大化の改新」でも紹介されていました。

たまたまその放送を見て感じたのですが、教授は上宮一族や蘇我本宗家を滅亡に追いやったのは、姉の皇極女帝の差し金であった、あるいは姉の意図を忖度して軽皇子が裏で工作したと仰りたいようです。皇極女帝の意図とは、飛鳥の地に朝鮮三国や唐にも誇れるような壮大な都を築こうとしていたと言われます。しかし、次期天皇位を山背大兄王が継げば、都は斑鳩に移ってしまう。それを阻止するには、山背皇子を亡き者にする他はない。

一方、乙巳の変に関しても、その原因は板蓋宮造営に関して蘇我一族が余り協力的ではなく、人民を自由に使役できないで姉が苛立っているのを見て、軽皇子は律令制を導入して公地公民制を導入すれば、天下の民を天皇の一存で使役できると入れ知恵し、入鹿暗殺を黙認させたと言われます。

だけども、軽皇子が唐から帰国した僧旻や南淵請安から唐の律令制度を学んだとする資料はありません。新しい制度を学ぶのに熱心だったのは、中大兄皇子や中臣鎌足といった次の世代を背負って立つ若者だったと思われます。また、皇極天皇が弟の軽皇子に譲位すると、即位したばかりの孝徳天皇ははやばやと都を浪速に移します。姉が恒久の都を飛鳥に作ることを悲願として邪魔者を除いたとするのであれば、この点も遠山教授の説には矛盾があるような気がします。

テレビの放映だけでは、遠山教授の軽皇子首謀説を理解したとはいえませんが、以上のような印象を持ったことは、小生のHPの12/8日の橿原日記にも書いておきました。4月9日の遠山先生の講義が小生のこうした疑問にどう答えてくださるのか、今から楽しみにしています。



2085. 乙巳の変 たぬき  2005/04/03 (日) 09:32
遠山先生は、乙巳の変の首謀者の一人は「軽皇子」であるとうことです。
ここで確認したいのは軽皇子が蘇我氏側の人物かであったかどうかと言うことです。後に軽皇子が難波で即位したときに、左大臣に阿倍内麻呂、右大臣に蘇我倉山田石川麻呂がなり、阿部内麻呂はもともと蘇我氏の繋がりが深い人物と思われます。
また中大兄皇子と軽皇子は仲が悪く、勝手に遷都をしんげんしたり、古人大兄皇子や蘇我倉山田石川麻呂を排除したのでないかと思われます。



2084. 講演会 遺蹟大好きネコ  2005/04/03 (日) 00:51
さわらびTさん、お誘いありがとうございました。また返事が遅くなりました。今日の会議次第では講演会に行かれないかもしれないと思い、日程が決まるまで待っていました。興味津々です。参加させていただく予定にしています。どうぞよろしくお願いします。

小室山フォーラムはおかげさまで会場が決まりました。次は人でしょうか?講師はなんとなく決まってきそうですし、参加者がたくさん集まるように広報ですね。

天気はゆみさんが晴天にしてくださるでしょうし。Tさんにも何かとお世話になると思います。どうぞよろしくお願いします。

正確にいうと、もう今日になりますが代々木公園で花見を兼ねたレクリエーションです。私は職業柄ゲーム係を頼まれています。天気はどうかな?



2083. 4月10日八千代市郷土歴史研究会研究発表会 さわらびY(ゆみ)  2005/04/02 (土) 14:58
八千代市郷土歴史研究会からのおしらせ

八千代市郷土歴史研究会では、4月10日(日)
会員研究発表会を 八千代市立郷土博物館にて 
午後1時10分より行います。

(案内図 http://www.city.yachiyo.chiba.jp/sisetu/rekisi/rekisi.html#annnaizu)

昨秋の郷土史展でのテーマをより深めた内容で、会員の研究成果を発表いたしますので、お誘い合わせの上、ぜひご来場ください。

プログラム: 
   1.「寺子屋の研究」
   2.「算額、その後」 
   3.「間宮士信の事績について」



2082. Re: 春ですね さわらびT  2005/04/01 (金) 23:36
遺跡大好きネコ様

会場確保できたので、一安心ですね。
イベントはまずは会場押さえからです。実は、これからは宣伝です。

来週、講演会(入鹿暗殺事件の「真実」―「原鎌足伝」の存否を手掛かりにー)を開催するのですが、先生のご都合と会場の手配が出来て初めてスタートでした。どなたでも参加できます。良かったら、お出向きください。遠山先生のお話、私も楽しみにしています。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase/05.04.09touyama.pdf

「大化改新」をテーマにしたイベントは5月にもあります。成城大学での開催は、当日、コメンテータのお一人でもあります篠川先生のご尽力のおかげです。裏話は、あまりしないことにしてますが、皆様にお世話になっています。こちらのイベントは往復はがきでの申し込みです。主催者にお問い合わせ下さい。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/uzunokai/05.5.7uzunokai.pdf

司馬遼太郎さんですが、嫌いというわけでないのですが・・・、以前はよく読みました。『妖怪』という小説が面白かったという記憶があります。『日本の中の朝鮮文化』という雑誌があって、そこによく登場されておられたのも印象に残っています。

『坂の上の雲』が、描いた秋山真之が、「敵鑑見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動之を撃滅せんとす本日天気晴朗なれど波高し」を打電した場所が鎮海ですが、古代加耶国の卓淳の港かもしれないとのことで、眺めてまいりましたが、それはまだ謎です。あっ、無理やり加耶の旅にこじつけてしまいましたね。



2081. 春ですね 遺跡大好きネコ  2005/04/01 (金) 21:13
さわらびY(ゆみ)さん、素敵な写真『三室の春』見ました。本当に素敵です。我故郷ながら(故郷だから?)うっとりします。そして、この美しさがいつまでも残るようにしていかなきゃと改めて思いました。もちろん、私が住んでいるとことだけではなくて、日本中もっと大きく地球全体を美しく保っていきたいです。(ちょっと春過ぎるかな)

さわらびTさんは余りお好きではないとのことでしたが、司馬遼太郎さんが『この国のかたち3』に書かれた三室(御室)ですから一段と寄せる思いが募ります。

10月2日(日)、「小室山史跡指定記念フォーラム」会場としてさいたま市の中核施設プラザイースト多目的ルームを予約しました。会場が確保できたので、かなり安心ですね。内容は、みんなでなんやかんやと言いながら作っていくと思うので、濃い内容になること間違いないと思います。

とりあえずご報告まで。



2080. Re: ありがとう。&「三室の春」もアップ さわらびY(ゆみ)  2005/04/01 (金) 00:20
遺蹟大好きネコさま

ご指摘ありがとうございました。
今回は推敲不足のまま、急いでアップし、ひやひやモノでしたから、助かりました。
写真は添付メールでお送りしました。

今回のルポのおまけに、張り詰めてきた心をちょっとなごやかに、と思って「ふぉとすけっち・史跡歳時記」に「三室の春」もアップしてみました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/saijiki/05.03.27mimuro.htm

馬場小室山遺跡にたくさん咲いていたハナダイコンについて「ショカツサイという名称は、諸葛孔明が戦の先々で、しばしの在陣にても地を選んで、生育の早いこの植物をまかせたので、この名がある」というのは伝説のようですが、きれいな花ですね。
その忍耐強い繁殖力と美しさに、史跡としての馬場小室山の花になってほしいと思いました。

> 明日は、小室山史跡指定記念フォーラム会場予約に行ってきます!
成功を祈ります。がんばってね。



2079. ありがとうございます。 遺蹟大好きネコ  2005/03/31 (木) 22:58
さわらびY(ゆみ)さん、小室山クリーンアップ大作戦&第2遺跡の確認、セミナーの写真とルポありがとうございます。

HPトップの写真にはいつも感動していますが、今回のも美しくもあり寂しくもあり複雑な思いで見ました。

私がほしい写真と気がついた点(僭越ですが)を後程メールでお知らせします。

ドン・パンチョさん、先日はお会いできなくて残念でしたが、加耶への旅に行ってらしのですね。私もまた早く韓国に行きたいです。ご報告を楽しませていただきます。

明日は、小室山史跡指定記念フォーラム会場予約に行ってきます!



2078. Re: 加耶諸国古墳群探訪から戻りました さわらびT  2005/03/31 (木) 22:58
パンチョ様

お帰りなさい。『韓国の古代遺跡』百済・加耶編(中央公論社)の編著者のお二人が同行されたとは贅沢なご旅行ですね。
こちらも書かなければと思っておりますがスローペースですので、パンチョさんのレポートがきっと先になると思います。

旅行中、話題になったのですが、加耶の一国である「卓淳」はどこか、初日に城山貝塚を見学した昌原ですが、田中俊明先生は卓淳に比定地されていますね。卓淳国は、百済と倭の通交に関与したことでも有名ですが、これまでは、大邱の古名が「達句伐」ということから大邱に比定されていたようです。(早乙女先生の『朝鮮半島の考古学』にも達句火(卓淳)、所在地 大邱と記されています。)

『欽明紀』五年三月条を取り上げましょう。わずらわしいですが、田中説の根拠となる部分の一つです。

「新羅、春にとく淳を取る。仍りて我が久礼山の戍(まもり)を擯(お)ひ出して、遂に有(たも)つ。安羅に近き処をば、安羅耕種(なりはい)す。久礼山に近き処をば、斯羅(しらき)耕種す。各自ら耕して、相侵し奪はず。而るを移那斯・麻都、他の界を過ぎ耕して、六月に逃げ去りぬ。印支弥が後に来たれる。許勢臣が時にして、百済本記に云はく、我が印支弥を留めし後に、至し既酒臣が時にといふ。皆未だ詳ならず。新羅、復た他の境を侵し逼むること無し。安羅、新羅の為に逼められて耕種することを得ずと言さず。」

安羅は「三国遺事」にいう「阿羅加耶」、現在地は2日目に訪問した咸安になるのですが、「任那日本府」との関連で話題になる地です。ところで上の文章からこの安羅ととく淳が近隣であることが想定されます。海に近いことも神功紀の記事から推定されています。鎮海海岸を卓淳の港と想定して探訪したものです。

話はまたわき道にそれます。息子に薦められて『8月の果て』(柳美里)という小説(800ページあります)を読み出したのですが、密陽郡主の阿娘というひとり娘の悲劇の話が妙に気になりました。こういう切ない物語は、胸にしみるんです。古代史のたびでは訪問しなかったところですが、近くまで行ったのですが、機会があればあらためて密陽にも行ってみたいと思っています。



2077. 3/27馬場小室山のルポをアップしました。 さわらびY(ゆみ)  2005/03/31 (木) 01:01
遅くなりましたが、3月27日のルポ「17 馬場小室山クリーンアップ & 廃土中の遺物救出大作戦」をUPしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/03.27/05.03.27.htm

参加された皆様、ミスやご意見などありましたらどうぞご指摘ください。
また記念写真、スナップなど、ご要望の画像がありましたら、添付メールでお送りいたしますので、どうぞご連絡ください。

参加できなかった皆様、ご覧にいただき、次回の研究会ワークショップにご参加されるときの参考にしていただければ、幸いです。


ドン・パンチョさま
お帰りなさい。
稔り多い旅だったようですね。ルポのUPを楽しみにしています。

とら様
4月24日は楽しみにしています。
待ち合わせ場所など、メールで打ち合わせましょう。
どうぞよろしくお願いいたします。

ひづめ樣
陸平貝塚と美浦村文化財センター、スケジュール的に可能であれば行きたいのですが、美浦村城主(or 門番?)樣からは、距離・所要時間など、いかがなものでしょうか。



2075. 加耶諸国古墳群探訪から戻りました ドン・パンチョ  2005/03/30 (水) 23:07
さわらびさん、今晩は。
本日の午後、日韓古代文化研究会が企画・主催した旅行「加耶を歩く」から戻りました。3月27日の馬場小室山遺跡クリーンアップ作戦&研究会第4回ワークショップに参加できなくて、残念でした。帰国して「さわらび通信」にアクセスし、馬場小室山遺跡がさいたま市の史跡に指定されたことを知りました、嬉しい限りです。

旅行「加耶を歩く」は、さわらびさんの後追い旅行のようなものでしたが、東潮徳島大学教授と田中俊明滋賀大学教授が講師として同行され、非常に有意義な学習旅行でした。いずれ小生のHPでレポートする予定ですが、なんと言ってもハイライトは、釜山市河西区智士洞(チサドン)古墳群を関係者の特別の好意で見学できたことです。この古墳群は現在、化学産業企業団地造成に伴う事前調査が行われており、近くには住居跡や鉄の鋳造跡も発見されており、特に金海加耶で鉄の製造施設が発見されたことは、今後大きな反響を呼ぶものと思われます。

発掘途中の現場を直接見学し、蓋石がまだ取り除かれていない石槨墓や、まだ掘り出されていない甕棺墓など直接見て触れることができたのは、大きな喜びでした。やはり、博物館などで復元された模型を見学するのとは違うものがあります。しかし、現場の様子を皆さんにお伝えできないのが残念です。まだ発掘途中の遺跡であり、正式な報告書が公表されていない段階では、現場の様子をリークすることは厳に慎むべきマナーのようです。



2074. Re: 史跡指定なる さわらびY(ゆみ)  2005/03/30 (水) 20:48
> 馬場小室山遺蹟が3月29日付でさいたま市の史跡に指定されましたね。

年度末の残業で今帰宅したところ、メールチェックして、飯塚さんからの朗報に接したところ。
でもこれまでの遺跡と自然と市民の心に与えた痛みは、あまりにも大きかったですね。

皆様も
http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/index.html
をクリックして、「小室山のテーマ」を聞いてから
http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/050329%8Es%82%CC%8Ew%92%E8%82%C9.html
へどうぞ。

> みなさんとご一緒に、また今後は市とも一緒に小室山を守っていければと思います。

この史跡指定の成果と市当局の新しい年度の取り組みに期待しましょう。



2073. 史跡指定なる 遺蹟大好きネコ  2005/03/30 (水) 19:30
馬場小室山遺蹟が3月29日付でさいたま市の史跡に指定されましたね。今日、地元でずっと遺蹟保存運動を進めてきた方の所に電話があった旨メールをいただきました。

あるけーさんが早速通知をアップしています。うれしいのはもちろんですが、これからだなあと思うこともたくさんあります。みなさんとご一緒に、また今後は市とも一緒に小室山を守っていければと思います。

来月末から行くことになっていた韓国行きは中止になってしまいました。日韓友情年なのに残念です。秋に予定している行事も開催が危ぶまれています。



2072. Re^2: 上高津、残念! ひづめ  2005/03/29 (火) 22:45
さわらびY(ゆみ)さん、こんにちは。

> ひづめさんのHPにあった日本人だけの手で初めて発掘調査したという陸平遺跡、27日ワークショップでもとりあげられていたので、ついでに見て行きたいと思っています。

 陸平貝塚、良いところですよ。東大などに保管されている本貝塚出土品や調査資料、モースとの書簡などは国宝級と言ってもよいと思います。入り口の手前に昨年春オープンした美浦村文化財センター(http://www.vill.miho.ibaraki.jp/cgi-bin/news/news.cgi?act=disp&num=1)があります。事前に連絡しておけば学芸員さんのどなたかにご案内いただけるのではないでしょうか。
  開館時間  午前9時〜午後5時
  休館日   月曜日(祝日と重なった場合はその日と翌日)、国民の祝日、年末年始(12月18日〜1月14日) その他臨時に開館、休館する場合があります。
  問い合わせ 美浦村教育委員会生涯学習課文化財係
  電話    029−886−0291

ひづめ@美浦村お散歩団



2071. Re: 次回の馬場小室山遺跡研究会ワークショップは5月4日(休) とら [URL]  2005/03/29 (火) 20:27
4月24日は特に予定は入っておりません。講演会ももともと行く予定でおりました。車も出せます。



2070. Re: 上高津、残念! さわらびY(ゆみ)  2005/03/29 (火) 19:15
ひづめさま
>わたしの地元へいらっしゃるのですか。残念です、

まさにひづめさんの地元でしたね。職場旅行と重なり残念ですね。
ひづめさんのHPにあった日本人だけの手で初めて発掘調査したという陸平遺跡、27日ワークショップでもとりあげられていたので、ついでに見て行きたいと思っています。

上高津のすぐ傍の宍塚の般若寺や古墳はよく行きましたが、茨城県の縄文遺跡は初めて、でも北総と同じ香取の海の水系ですので、興味がわいてきます。

またの機会にお会いしましょう。



2069. 上高津、残念! ひづめ  2005/03/28 (月) 21:59
こんばんは。

>ついでに4月24日(日)に「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」で特別展「山野を駆ける土偶」展の見学と記念講演会に有志で行こうということになりました。

 わたしの地元へいらっしゃるのですか。残念です、その日は職場の旅行が入ってまして参加できません。

ひづめ@美浦村お散歩団



2068. 次回の馬場小室山遺跡研究会ワークショップは5月4日(休) さわらびY(ゆみ)  2005/03/28 (月) 21:35
次回の馬場小室山遺跡研究会ワークショップは5月4日(休)を予定しています。

森の植物が多彩な時期なので、植物観察をしたいというご希望がありますが、どなたかご指導いただける方はいらっしゃいませんか。自然観察に詳しい方を是非、自薦他薦でお教えください。
座っての勉強会は「柄鏡形敷石住居址」をテーマに実施予定とのこと。
また史跡指定決定後は、ご近所で興味のある方にもお誘いし、これまで採集しました土器洗いと注記ほか、小室山遺跡で保護した資料を使って実測や拓本の「考古学実習」講習会をも行いますとのことです。
   
ついでに4月24日(日)に「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」で特別展「山野を駆ける土偶」展の見学と記念講演会に有志で行こうということになりました。
http://www.city.tsuchiura.ibaraki.jp/section/kyouiku/6009/index.htm

少々不便なところですので、土浦東口集合で、車に分乗の手配をしようと思います。
いつも馬場小室山研究会でご活躍の茨城県の研究者グループにご案内を期待しています。
こちらも楽しみですね。
ひづめさん、とらさんも、ご都合はいかがですか。



2067. 馬場小室山クリーンアップ大作戦&「第二遺跡」視察&ワークショップの報告 さわらびY(ゆみ)  2005/03/28 (月) 21:26
昨日(3/27)は好天気の中、馬場小室山遺跡の市有地の部分の清掃を、ご近所のご家族連れや遠くから駆けつけた小室山研究会のメンバー、20数名で行いました。
ビン1袋、カン1袋、PETボトル1袋、危険物1袋、燃えるゴミ、燃えないゴミ多数、その他は自転車4台等の粗大ゴミをまとめて、本日、大崎清掃工場に連絡して回収してもらったそうです。
参加の皆様、お疲れ様でした。

初めての方も多かったので、鈴木正博氏に遺跡の概観を現地説明いただきましたが、周りの様相は一変していました。
住宅販売の現地説明会(お客の姿は見えなかったけど)を派手にやっていて、遺跡の重要性を訴える飯塚さんの看板が撤去されたのも、市有地の森の大木も無残に断ち切られたのも、このための業者への市の「心遣い」かと、みんなで納得?(憤慨!)しました。

午後からは、未調査のまま遺跡の遺物包含層が搬出され、見沼田んぼの「盛土」となった「馬場小室山第二遺跡」の現地を視察しました。
植木用の畑にされるようで、周辺から拾える土器や石器だけを集めましたが、ものすごい量。黒曜石の石器や注口土器の逸品の土器片など貴重な遺物もあり、文化財保護の観点から、市教育委員会の行政指導が必須な事態と痛感しました。

3時半ごろからは、研究会の第4回ワークショップ。盛土遺構がどうしてできるのか、住居の構造や機能、墓のあり方など丁寧なお話と討論が6時ごろまで続き、初めて参加された方のすっかり、なぞの縄文遺構のとりこになってしまわれたようでした。

ルポはこれから作るので、とりあえず、ご報告まで。
速報の画像が「馬場小室山遺跡・緊急特設ページ」にアップしていますのでご覧ください。
http://chiba.fc2web.com/bbo/



2066. 『藪ログ』のURLが変わりました ひづめ  2005/03/28 (月) 17:43
さわらびY(ゆみ)さん、こんにちは。

 そろそろ暖かくなり始め藪漕ぎシーズンも残り少なくなってきました。

 いつもご愛読頂いております『藪ログ』ですが、本日リニューアルしました。これに伴いURLが変わりましたのでリンク先の変更をお願いいたします。新しいURLは以下です。今後ともよろしくお願いします。

     http://yablog.blog6.fc2.com/

ひづめ@美浦村お散歩団



2065. 3/27馬場小室山遺跡研究会第4回ワークショップのレジュメ さわらびY(ゆみ)  2005/03/26 (土) 15:25
馬場小室山遺跡研究会より伝言をお伝えします。

明日(3/27)のレジュメが、「馬場小室山遺跡・緊急特設ページ」にアップされましたので、明日ご参加される方は、プリントアウトしてお持ちください。
またご都合で不参加の方は、参考にしてください。
http://chiba.fc2web.com/hozon/bbo_050326ws.html

お天気は好天気のようですが、スギ花粉症の方にはマスク必須のようですね。
では10時半に東浦和駅でお待ちします。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/05.01.03osirase.htm

遅れてご参加の方は、上記のページから地図をプリントし、会場まで直接お出でください。
(午後4時ごろからでも、夜の部もありそうなので、昼間所用の方もどうぞお出かけください)



2064. Re: 相互リンク(予定含む)のページ紹介 とら  2005/03/26 (土) 01:41
お返事遅くなりました。リンクありがとうございました。

ちょくちょく行く私のお気に入りサイト紹介します。ご参考まで。
湯築城跡を守る県民の会HP
http://www.shikoku.ne.jp/yuduki/mamorukai/menu.html




2063. 小室山のあの看板がない! さわらびY(ゆみ)  2005/03/26 (土) 00:18
No.2062は鈴木正博氏からの情報ですが、これも鈴木氏のメールから引用しお知らせします。

「3/27は少々寂しい光景になります。
飯塚様の看板が文化財保護課の要請を受けて、管財課が撤去してしまったのです。
あの看板があっての馬場小室山遺跡でした。http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/images/h17b/0315-10.jpg
「縄文の森を守ろう」が初代看板です。それが今はありません。
いきさつにつきましては飯塚様のHPをご覧下さい。・・・」

ばんばおむろ山の「これまでの出来事」も読んでみてください。
http://www2.gol.com/users/iizuka.kuniaki/%82%B1%82%EA%82%DC%82%C5.html

血の通った行政のあるべき姿とはなんなのか、悲しくなりますね。



2062. 「馬場小室山第2遺跡」は「埋蔵文化財包蔵地」?! さわらびY(ゆみ)  2005/03/25 (金) 23:55
馬場小室山遺跡の包含層が、ダンプカーにより見沼たんぼの廃土置き場に移動させられ「馬場小室山第2遺跡」ができたということのニュースとその反響をNo.2053-2055に載せましたが、次のサイトでも話題になっています。
http://hpcgi2.nifty.com/HAYAKASA/godhand.cgi#n0254

文化財保護法の文言のみによれば、『「馬場小室山第2遺跡」は「埋蔵文化財包蔵地」・・・保護の対象とすべきと思える。』とのこと。
ご興味のある方はアクセスしてみてください。




2061. はじめまして! mimi_daikon [URL]  2005/03/24 (木) 15:24
こんにちは、mimi_daikonと申します。
この度、お仲間に加えていただけることになり
大変嬉しく思っています。

自宅近くを流れる花見川沿いの散歩によく出掛けます。
自分が好きな花見川や千葉のことを、たくさんの方に
知っていただきたくて、サイトを作っています。

さわらび通信さんにお邪魔するようになったのは
「花島観音」の縁日に行きたくて検索したのがきっかけです。
それ以来、「自宅近くの自分が知っている場所」の歴史を
勉強できるのが楽しくて、よく拝見しています。

こちらのみなさんのサイトはどちらもアカデミックで
私のサイトはちょっとお口に合わないかも知れませんが、
箸休め的に気楽にお越しいただければと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。





2060. はじめまして 六十空蜻蛉、たっちゃん [URL]  2005/03/24 (木) 05:22
この度「たっちゃん野の花」をリンクさせていただいた者です。北総地方の自然、とくに野の花を撮っています。写真はまだ修行中ですが、綺麗プラス心温まる作品を心掛けています。
古代史にも関心がありますので、これを契機に勉強したいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。



2059. 相互リンク(予定含む)のページ紹介 さわらびY(ゆみ)  2005/03/24 (木) 00:20
数ヶ月ぶりにLINKページを更新し、相互リンクをお申し出でくださった3つのホームページをリンクに追加いたしました。
 
『常陸古文化探求室』=馬場小室山遺跡保存にも強い味方の「考古学徒」とらさんのページ。茨城県の城跡や縄文遺跡&「たらし」という食文化の話題が載っています。 
      
『たっちゃん野の花めぐり』=お近くの佐倉市に在住 季節感のある風景写真は珠玉の作品。井野の庚申塔でのお問い合わせがご縁になり、お友達になりました。

『散歩三昧』=花見川沿いの自然観察&歴史散歩のページ。天然素材を使った作品もしゃれています。こちらの花島観音のページをご覧になってお出でになりました。

以上、Webマスターの皆様、ご覧の皆様、よろしくお願いいたします。




2058. Re: お帰りなさい! さわらびY(ゆみ)  2005/03/23 (水) 00:00
遺跡大好きネコ様

> さわらびTさん、さわらびY(ゆみ)さんお帰りなさい。伽耶への旅いかがでしたか?私は今、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 韓のくに紀行』を読んでいます。読むだけも旅している気分です。

ありがとう。今夕、釜山から無事帰国しました。
TOPのお知らせ欄にも載せている「欽明紀に関わる伽耶諸国史跡巡見-韓国南部の史跡をめぐる旅」というちょっと韓国古代史の中でもかなりおタッキーな難解なテーマの、しかも最先端の考古学の旅。現地のガイドさんもびっくりするほどあまりにたくさんの遺跡や考古遺物を見学し過ぎて、これまた食べ過ぎの韓国料理同様に、いたらぬ私の頭とお腹(?)ではまだ消化できず、これからの復習がたいへんそうです。

古代史跡以外では、司馬遼太郎さんの『街道をゆく』で有名になったという日本人・沙也可(秀吉の侵略戦役の際、信念から投降して朝鮮の人々に尽くしたという武将)ゆかりの友鹿洞を訪ねた際、韓国のTVに取材されてしまいました。

いずれHPにした際(いつになるかしら?)にでも、そんなこぼれ話も含め、ご報告したいと思っています。

> さて、小室山を愛するみなさま。本日さいたま市在住のリーダー的存在のお2人に同行して小室山クリーンアップ大作戦関係の届出と管財課への申し入れをしてきました。

留守中、さいたま市の皆様のご尽力でいろいろな動きがあったようですね。ご苦労様でした。

韓国はインターネットが日本より普及していて、地方のホテルでも見ることができ、Webメールでそのご活躍の動向を拝見していました。
日本語変換ができなくて発信はできなかったのですが、多量の迷惑メール退治は何とかできました。それにしてもすごい量の迷惑メール、それもうちのメールアドレスで送られてくるのには、うんざりです。そろそろもう素朴なパソコン通信用ソフトから機能の充実したメーラーに変えないといけないようですね。

> 10月開催予定の「小室山の日フォーラム」もみなさんとご一緒にワイワイ言いながら進めていければ楽しいものが出来るだろうなという予感がしています。

楽しく、勇敢に、まじめに取りくんできたみんなの力を結集すれば、小室山だけでなく同じことが各地で起こっている、また起きようとしているこの現状を何とかできる、そして学術的にも縄文考古学の最前線の成果を提供できると期待しています。



2057. 帰国しました さわらびT  2005/03/22 (火) 23:41
今日帰国しました。2年前にも訪問した加耶諸国ですが、そもそも加耶の範囲がどこかということになるとなかなか難しいですね。鈴木英夫先生の講演で、お話いただきましたが、『三国遺事』という書物のなかで引用された『駕洛国記』が、体系的な史料であって、最大限の地域を東は洛東江、西が智異山、北が伽耶山、南が南海とされています。

ところで今回の旅では、慶山(押督国)、昌寧(比自火)といった、その領域を超えた地域にも足を踏み入れています。なかなか、行く機会のない地域でしたので、得がたい体験でした。


『大加耶聯盟の興亡と「任那」』(田中俊明著・吉川弘文館)を主な手掛かりに、レポートさせていただく予定ですが、少し時間を下さい。

「韓のくに紀行」関連では、沙也可ゆかりの鹿洞書院も訪問しましたが、おりしもの竹島帰属問題が、韓日の友好関係に水を差しているようで、たまたまでしょうが、TV局の取材に出会わすことになりました。



2056. お帰りなさい! 遺跡大好きネコ  2005/03/22 (火) 22:11
さわらびTさん、さわらびY(ゆみ)さんお帰りなさい。伽耶への旅いかがでしたか?私は今、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 韓のくに紀行』を読んでいます。読むだけも旅している気分です。

さて、小室山を愛するみなさま。本日さいたま市在住のリーダー的存在のお2人に同行して小室山クリーンアップ大作戦関係の届出と管財課への申し入れをしてきました。

用地管理課(でしたっけ?)の方は親身になって対応してくださいましたが、管財課は、我市ながら恥かしいほどの対応でした。4月の異動で、課長と主幹が変わりますが、畑違いの人が配属になります。一段と力を入れて要請しないといけませんね。(議会各会派にも資料を置いてきました)

最後に市政記者クラブに寄り地元新聞の記者に遺跡についての現状説明とクリーンアップ大作戦の宣伝をしました。もしかしたら当日も取材があるかもしれません。ちょうど知り合いの記者(三室在住です!)が居て良かったです。

10月開催予定の「小室山の日フォーラム」もみなさんとご一緒にワイワイ言いながら進めていければ楽しいものが出来るだろうなという予感がしています。

以上、簡単なご報告まで。



2055. メールありがとう、18-22日不在になります さわらびY(ゆみ)  2005/03/17 (木) 23:34
3月27日(日)馬場小室山遺跡クリーンアップ大作戦へのご参加のメール、また所用で参加できないけれど、応援していますとのあたたかいメールを寄せていただきありがとうございます。

当初4月に入ってからという研究会ワークショップも、史跡予定の市有地の伐採、重機による現状の蹂躙や、遺跡からの残土処理場の現状などの非常事態に3月27日に行うことになった次第だそうです。

http://www2.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?yamamura+428
の掲示板でも「やがて全国のあちらこちらで第2、第3の馬場小室山遺跡が出てくるのではないか、と危惧しています」というご意見が載っていました。

この遺跡とその始末の究明が、埋蔵文化財行政の明日を決めると言ってもよいと思います。
そういう意味で、行政の埋文のお仕事をなさっておられる若い皆様が馳せ参じ、また真剣に向き合って考えてくださることを心強く感じます。

ところで私事ですが、明日18日から22日まで、「欽明紀に関わる伽耶諸国史跡巡見-韓国南部の史跡をめぐる旅」に出ていて不在となりますので、メールは23日以降にお送りくださいますようお願いいたします。
(というのは、スパンメールや迷惑メールが多量に来ていてプロバイダーの受信箱がオーバーフローする懸念がありますので)

このBBSは、このままオープンしていますので、皆様でご意見の交換や情報発信にどうぞご利用ください。帰国してから楽しみに拝見します。
では、よろしくお願いします。



2054. 「馬場小室山第2遺跡」の現状その2 さわらびY(ゆみ)  2005/03/17 (木) 00:59
鈴木正博氏が3月13日に現地で撮影された「馬場小室山第2遺跡」の鮮明な土器片の画像が、緊急特設ページ「【発覚】馬場小室山遺跡の埋蔵文化財が見沼田んぼに・・・」にUPされました。
http://chiba.fc2web.com/bbo_photo/photo_050313minuma.html

すごいですね、博物館や資料館の展示ケースに入っているような縄文の土器片が廃土置き場に「捨てられている」!
この事態について、だれが責任をとるのでしょう。

ほかでもあることなのか、ご存知のことがあれば、皆様どうかお教えください。



2053. Re: 「馬場小室山第2遺跡」の現状をお知らせします さわらびY(ゆみ)  2005/03/16 (水) 00:09
ドン・パンチョさま
さっそく、現地へ急行していただき『橿原日記 平成17年3月15日見沼たんぼで見つけた「馬場小室山第2遺跡」』
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/index.htm
をUPいただき、ありがとうございました。

2004年10月11日の馬場小室山遺跡の「残存埋蔵文化財」取り扱い緊急事態対応の件(要望書)
http://chiba.fc2web.com/hozon/banbaomuro_yobo02.html#idou
で懸念されたことが現実となり、また市の史跡とするといっていた市有地にも、無残としか言いようのない破壊行為を平気でするとは・・

写真で拝見し、さいたま市の前代未聞の仕業にただ唖然とするばかりです。
多くの方にこのHPを見ていただき、関係するHPの掲示板やチャット、メールで、善意ある市民の声を伝えていきましょう。



2051. 「馬場小室山第2遺跡」の現状をお知らせします ドン・パンチョ [URL]  2005/03/15 (火) 19:29
わらびゆみ様

昨晩メールでご依頼がありました馬場小室山第2遺跡(?)の現状を知りたく、早速でかけてきました。その後の馬場小室山第1遺跡(?)の現状も見ておきたく、ついでに立ち寄りました。両遺跡の今をデジカメに収録しましたので、簡単なコメントとともに小生の「橿原日記」にアップしておきました。なにぶんにも即席で作りましたので、内容の無い点はあらかじめご承知おきください。



2050. 安羅人戌兵 さわらびT  2005/03/14 (月) 22:42
相変わらず書くタイミングが悪いのですが、鈴木英夫先生の講演会のご案内をいただいたので、気になっていたことを調べてみました。
18日からは加耶の旅にも出るので、自分なりに関心を深めたいと思っています。

高句麗の広開土王碑文に以下の記述がある。(釈文に問題がある箇所なのですが、掲示板への書き込みということで、多少のミスもあるかと思いますがご容赦下さい。)

「十年庚子、教して歩騎五万を遣わし、往きて新羅を救う。男居城より新羅城に至る。倭そのなかに満つ。官軍まさに至りて、倭賊退く。倭のうしろより急追し、任那加羅の従抜城に至る。城すなわち帰服す。安羅人戌兵、新羅城・塩城を抜く。倭寇大いに潰え、城内の十九悉く倭・安羅人戌兵に随うを拒む。新羅□もとこれ□□□民□□□誓いに違い(中略)残倭潰え逃げ、□城の安羅戌兵を抜く。」

通常の解釈は、400年(永楽十年庚子)高句麗が新羅救援軍を送り、倭兵が満ちている新羅城を退け、任那加羅の従伐城まで追撃した。安羅兵は新羅城を襲ったが、抵抗もあった。・・・しかし最後は倭を敗北させた。

しかし、その解釈ではすっきりしない文面だと思います。安羅兵がなぜか、いったん勢力を盛り返したことになります。

碑文に剥落が見られる箇所であり、とりわけ「安羅人戌兵」が問題の箇所です。鈴木英夫先生は、「羅人」を「新羅人」とする解釈の余地があるとされています。「新羅人」の「戌兵」を「安(お)く」と解釈されています。(『古代の倭国と朝鮮諸国』)

ともあれ、倭・任那加羅(金海)・安羅といった国々が参戦していることはたしかなようです。5世紀初頭の政治的関係は百済が高句麗との対立構造にあって倭は加耶の国々とともに新羅を支援する高句麗と戦ったということのようです。

前回の加耶の旅の事前学習会の記録をご参照下さい。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kankounotabi/jizenngakusyuukai.pdf

気づいたのですが、この講演録では404年との記述になっていますが、400年が正しいです。(文責は私です。ご了承下さい。)



2049. 見沼田んぼに「馬場小室山第2遺跡」発見? さわらびY(ゆみ)  2005/03/14 (月) 00:02
さいたまの鈴木正博氏からの情報です。

馬場小室山遺跡から多量に排出した遺物包含層の土が、見沼田んぼに捨てられているという飯塚さんの情報で、埋蔵文化財の移動問題を鈴木氏が調査してきたところ、「馬場小室山第2遺跡」となっていて、土器も無数に散乱しているということです。

「その結果は想定以上の破壊状況でした。つまり、調査未了の証明をしているような状況で、」「明らかに埋蔵文化財の管理を全くしていない行政の責任の問題」と頂いたメールで指摘されています。

3月27日のクリーンアップ大作戦は、こっちの視察や土器片の保護も課題となるので、当日のプログラムは大幅変更がありそう。「土器は無数に拾えますので、ゴミ以外を収納するポリ袋の準備も必要」と鈴木氏からの助言がありました。

とりあえず一応、お知らせまで。



2048. 3/27馬場小室山遺跡研究会&クリーンアップ大作戦 さわらびY(ゆみ)  2005/03/12 (土) 12:33
3月27日(日) 
馬場小室山遺跡クリーンアップ大作戦 &
 馬場小室山遺跡研究会第4回ワークショップ 開催のお知らせ

さいたま市の貴重な馬場小室山縄文遺跡の民有地部分は、住宅地となってその現状は失われましたが、市有地であった中央窪地とその北側の盛土遺構、小室神社境内地の部分については、地元の皆様の働きかけにより、さいたま市は市の史跡に指定すると市議会で約束しました。
この予定地を、史跡としてふさわしい市民の憩いの里山となるよう、みんなの手できれいにするイベントを行います。
ゴミなどを拾いながら、地形を観察して遺跡の特徴も把握できるかとも思いますので、ふるってご参加ください。

なお、午後からは、馬場小室山遺跡研究会 第4回ワークショップを、近くの「東大能研三室教室」の会場をお借りして行います。
第1〜3回の研究会では、時間が少なくて早足で進めてしまった内容を、今回は最新の情報を交えながら、少し時間をかけ、質疑と併せて徹底的に解説いただきますので、初めての方も歓迎です。

詳しくは、下記のページをご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/05.01.03osirase.htm

なお、参加のご連絡は、18〜22日は不在になりますので、17日までにメールいただければ幸いです。



2047. Re: 馬子邸宅跡!! さわらびT  2005/03/10 (木) 23:32
飛鳥浄御原宮の正殿跡の発表と相たずさえるような、島庄遺跡の報告でしたね。蘇我本宗家を滅ぼし、王権を整備したのでしょうか?謎はむしろ深まったと考えたいです。板蓋宮と同じ場所に宮を造ったのはなぜなのでしょう。

話は横道にそれますが、報道で気になったのは大化改新=入鹿殺害、と認識しているように思えました。入鹿殺害事件は、最近は「乙巳の変」と表現しています。いわゆる「大化改新」と区別して考えようとしているのに・・です。

4月9日に遠山先生に講演をお願いしていますが、まだ根強いものがあると感じました。ネコさんのご質問への返答になってはいませんが、今の感想を述べさせていただきました。



2046. 馬子邸宅跡!! 遺跡大好きネコ  2005/03/10 (木) 21:19
みなさん、お久しぶりです。早出残業続きでしかも突発事項が多く、さすがの私もBBS散策(?)もままならぬ状態が続いています。でも、今日は書き込みさせていただきたい新聞記事にまた出会ってしまったのでした。

私も昨年訪ねた明日香村の石舞台古墳の隣から、蘇我馬子の邸宅跡の一部で、朝廷が接収し皇族たちの離宮「島宮」として栄えたとみられる建物(掘っ立て柱)とのことです。

さわらびTさんのお得意分野ですよね。これで、また何かわかることがあるでしょうか?

Y(ゆみ)さんは、送別会続きですか?年度末ですので、みなさまお忙しいことと思います。風邪もようやく下火になってきたようですが、花粉症の方にはつらい季節ですね。



2045. Re: なんだあれは!? さわらびY(ゆみ)  2005/03/09 (水) 00:03
たかしさま
本佐倉城のルポを見てくださってありがとう。

> 本佐倉城を眺めていたところ、東山馬場の北にユンボが5台ほどいるではありませんか。
> 何の工事だったんでしょうか?

きっと東光寺ビョウの発掘調査だったのでは?
ユンボをみると、最近はナーバスになってしまいますよね。

たかしさんのHP、房総の城郭から
>本佐倉城の重要な構成要素である「セッテエ山」入口。昼でも暗いこの道の先には今まで見たこともないような昆虫や小動物がうにょうにょと・・・夢に出てきそうで今でもゾッとします(死)
ところで“セッテエ”って、いったいどーゆー意味なんでしょうね!?

以前、八千代市郷土歴史研究会で行った藪漕ぎ覚悟のセッテエ山は、さすが女の身一つでは、ためらわれて今回はパス。夏は虫やマムシがこわそう〜。

セッテエ山の意味は、「接待」だろうというのが会の先輩のご意見でした。
主郭とは堀で区分され、なおかつ、守りは固い独立した曲輪ですね。
同盟した武士団の親族などをいわば人質同様に「接待」した場所か、お目付け役の北条氏の家臣を丁重に「接待」した場所なのではと思います。

来年も現説があるそうなので、その時はお会いしましょう。



2044. なんだあれは!? たかし  2005/03/08 (火) 11:57
こんにちわです。本佐倉城の記事拝見しました、説明会が中止なのが残念でしたね。
さて前日4日に所用で成田に行ってましたが、京成線に乗って大佐倉すぎてから条件反射的にぼーっと本佐倉城を眺めていたところ、東山馬場の北にユンボが5台ほどいるではありませんか。仰天して「やめんかいぃぃ!」と念じつつ通過しましたがあれって何の工事だったんでしょうか?国指定史跡だけに憎むべき宅地造成ではないと信じてはいますが。
それではまた。



2043. 馬場小室山遺跡研究会第4回ワークショップの予告 さわらびY(ゆみ)  2005/03/08 (火) 01:01
馬場小室山遺跡研究会第4回ワークショップは3月27日(日)午後からを予定し、現在会場など調整中とのこと。
詳しい内容はまたお知らせしますが、とりあえず日程のお知らせまで。



2042. Re: 行ってみるものですね-「フォトアルバム 早春の本佐倉城跡」をUP さわらびY(ゆみ)  2005/03/07 (月) 00:56
ひづめ様
ご紹介ありがとうございます。
城好きの皆さんがいろいろ力作の本佐倉城のルポや鳥瞰図などアップしていらっしゃるので、気がひけますが、私なりのフォトスケッチを載せてみました。

大佐倉に10年前ぐらい前から何回は行きましたが、その頃の関心は、将門伝説や惣五郎伝承の『地蔵堂通夜物語』の舞台にもありましたので、今回、城の構造をしげしげと見られたのは、皆様方のHPのおかげです。
(あるけ〜さん、余湖さん、勝手にリンク貼りましたがよろしく)

> 地元の方々が大切に守って来られた様子の分かる、良いお城だなと感じています。ゆみさんの書かれているように、藪だった雰囲気を残した整備にしてもらえたらありがたいと思っています。

そうですね。帰り際、近所の農家のご夫婦が鎌を片手に登ってきて、「せっかく機会だから、どんな城か、地元でもわからないことを教えてもらいに来たのに」と話してくださいました。
こういう方々に史跡として守られてきたのですね。
里山として五百年間あった姿もまた残してほしい気がします。

調査はずっと続きそうなので、次の現説を期待しましょう。




2041.  『東アジアの都市史と環境史』 さわらびT  2005/03/06 (日) 22:26
中央大学(後楽園キャンパス)で5、6日の両日開催された国際シンポジウム「東アジアの都市史と環境史−新しい世界へ−」に行ってまいりました。

『長安の都市計画』(講談社、2001)を著された妹尾達彦教授のご努力によるものです。すべてをご紹介できませんので、今日の報告で私が関心をもったことの一部をお知らせします。先週の古代学研究所のシンポジウムでも話題に出ていたのですが、井上和人氏(奈良文化財研究所)の報告です。

@平城京の羅城門の柱間は従来は5間とされていたが7間であること、A羅城はないとされていたが築地塀の遺構が、左京9条大路周辺の発掘調査により確認されたこと。

そして、最新の成果として報告されたのは、渤海の上京龍泉府が、アメリカの宇宙衛星コロナの衛星写真(1964)をもとにした復元から平城京の形制の要素が採用されていることを明らかにしたことです。「東アジアの都市史と環境史」というテーマにふさわしく、国際的な関係のありようを考えさせていただく機会となりました。



2040. 行ってみるものですね ひづめ [URL]  2005/03/06 (日) 20:46
さわらびY(ゆみ)さん、こんばんは。

 本佐倉城址の現場説明会、コンディション不良で中止だったそうで残念でしたね。「梅の咲く曲輪と残雪の本佐倉城址」の様子は『藪ログ』( http://homepage.mac.com/kopyto/iblog/ )でも紹介させていただっきました。私もあのお城へは発掘が始まる前に何回か行ったことがありますが、地元の方々が大切に守って来られた様子の分かる、良いお城だなと感じています。ゆみさんの書かれているように、藪だった雰囲気を残した整備にしてもらえたらありがたいと思っています。

ひづめ@美浦村お散歩団



2039. 梅の咲く曲輪と残雪の本佐倉城址 さわらびY(ゆみ)  2005/03/05 (土) 23:41
本佐倉城址の現場説明会は積雪のため中止ということでしたが、やはりあきらめきれず、ダメもとで出かけてきました。

T郭(城山)には酒々井町の方が、東光寺ビョウの調査現場には、佐倉市と印旛郡市文化財センターの担当者が、中止のお知らせと視察のため来ていて、資料をいただき、若干お話もできました。
台地の上のT郭は見学用の発掘現場の青シートの上も真っ白。虎口の坂は滑り台のよう。
台地の裾の東光寺ビョウの現場はトレンチが水没。せっかく準備してくださっていたのに天候のためとはいえ、中止は残念でしたね。

以前、将門伝承地や石仏、双対道祖神や千葉氏ゆかりの寺社を訪ね歩いた本佐倉城、久々の城歩きでしたが、私の好きな東山馬場から蔵跡へかけての広い谷は、雪の残る畑に梅が咲いて、桃源郷のようにきれいでした。
きっとこの曲輪には、常御殿があったのでしょう。

ところで調査地区はけっこう木が切られています。
発掘の終わったところから公園化整備がされていくのでしょうが、やぶ山?だった自然な景観はかなり変わっていくことでしょう。



2036. Re: 宮内庁書陵部所蔵の古鏡の特別展示 さわらびT  2005/03/04 (金) 22:59
今回の展示は残念ながら見る機会はないと思いますので、パンチョさんのレポートはありがたいです。

副葬品としての鏡は古くから好まれていたようで、論議の的ですが、三角縁神獣鏡のように年号や銘文があるとなると、余計に興味をそそられます。洛陽で三角縁の神獣車馬画像鏡を見たことなど思い起こしています。

京都の泉屋博物館などの蛍光X線分析といった試みもありましたし、橿考研のレーザー三次元計測による画像蓄積も、これからの研究を支える事になるのでしょうね。



2035. 雪が降って・・いろいろ さわらびY(ゆみ)  2005/03/04 (金) 20:06
あるけ〜さんの「千葉市の遺跡を歩く会」HPの更新欄から
「佐倉市井野東土地区画整理組合の事業計画の変更について 縦覧 にリンク」をクリックしたら、国史跡として指定の手続き中の井野長割遺跡を保存するため、道路・公園・宅地などの開発計画が大幅に変更される内容を見ることができました。
(あるけ〜さん、ありがとう)
さすが、文化都市の佐倉市ですね。馬場小室山をめぐるさいたま市との差を感じてしまいます。

佐倉市のもうひとつの国指定史跡「本佐倉城跡」
明日の本佐倉城跡現地説明会があるので、メールで誘い合って行く予定でしたが「積雪の為、中止となりました」 とのことです。残念!
http://www.inba.or.jp/news/newsindex.html
あきらめきれないので、印旛沼周辺の雪景色を撮りに行こうかなとも思っています。

ひづめさんの美浦村の雪はいかがでしたか。
関東は淡雪ですが、遺跡大好きネコの故郷、青森は大雪警報のようですね。
お年寄りの家を自治体職員総出で雪下ろしとか。八甲田遭難の映画で見た厳しい冬。青森はよく行きましたが、真冬は知りません。青森の皆様、頑張ってください。

ドンパンチョの娘さんとのお遍路の旅のHP少しずつ拝見しています。
MDから流れる読経の声をイヤホンで聴きながら唱和したお経、雰囲気も親子のうらやましいほどの親しさもよくわかります。

長くなりましたので、ではまた。



2034. 宮内庁書陵部所蔵の古鏡の特別展示 ドンパンチョ [URL]  2005/03/03 (木) 21:42
さわらびT さま

さわらびT様は、古墳から出土する青銅鏡に興味をお持ちでしょうか?

現在、橿原考古学研究所の附属博物館では3月27日まで大和地方の古墳から出土した鏡の特別陳列をやっています。

陳列されている鏡が、なんと宮内庁書陵部が所蔵・保管している鏡ばかりで、その数が67面。これだけ多くの鏡を貸し出すのは宮内庁としても初めてのことらしいです。

その数の多さもさることながら、それぞれの鏡にレーザー三次元計測で作成した画像も一緒に展示してありました。ほんとうに鮮明にコンピュータ処理されているのは驚きでした。

橿原日記には特別陳列の様子をアップしておきました。
もし近々こちらの方に来られる予定がありましたら、一度立ち寄られることをお勧めします。

ドン・パンチョ



2033. 弘前は・・・ 遺跡大好きネコ  2005/03/03 (木) 21:38
私の母の故郷です。私の祖父母はここに眠っています。ですから、私にとっても第2の故郷のような気がしています。弘前城は、地元の人曰く「なんもないでしょ」ですが、私は大好きです。季節によって趣が全く違いますよね。

岩木山もその美しい稜線が大好きです。三内丸山にはまだ行ったことはありませんが、発掘調査が終わった頃に東京で開かれた展示会には行きました。しゃこちゃんマークのTシャツを持ってますよ!

と言うわけで、ゆみさん、素敵な旅の記録をありがとうございました。

小室山もぜひ少しでも良い形で遺したいですね。同じ埼玉の北川辺町では、砂地の上から大集落跡が見つかりました。古墳時代から奈良・平安期にかけての住居跡が重なるように出てきたみたいですね。何度も大洪水に見舞われても遺ったとのこと。すごいですね。興味は尽きません。

インフルエンザがまた流行っています。みなさん、お気をつけてお過ごしください。



2032. 「北の内海世界」については興味が尽きません ひづめ [URL]  2005/03/03 (木) 20:54
さわらびゆみさん、こんばんは。

 「青森・中世&縄文考古の旅のアルバム」アップのお知らせありがとうございます。仕事で函館出張へ向かう途中何度か立ち寄った浪岡城、懐かしく感じました。案内所のおばさんのネイティブ青森弁が良いのですよ、これからここへ行かれる方はぜひ案内所のおばさんとお話ししてみて下さい。十三湊へも行ってみたいのですがここはまだ行く機会がありません。北海道道南と北東北とは一つの文化圏として今以上に一体感があったのだろうと思います。「旅のアルバム」の続きに期待してます。

ひづめ@美浦村お散歩団



2030. 講演会のお知らせ さわらびT  2005/03/03 (木) 20:39
下記の講演会があります。講師は、一昨年加耶・新羅の旅の事前学習でお世話になった鈴木先生です。今月、あらためて、加耶を訪ねます。復習させていただける機会かな、と期待しています。(以下はいただいたメールの転載です。)

東アジアの古代文化を考える会 講演会
テーマ 「任那日本府」(在安羅諸倭臣)と古代の日朝関係
講師  鈴木英夫先生(國學院大學講師)

日時 4月10日(日) 13時半開演
場所 豊島区生活産業プラザ(池袋駅東口徒歩5分)
会費 会員1300円、一般1500円、学生500円
連絡先 090-9835-1857 稲垣



2029. 「青森・中世&縄文考古の旅のアルバム」をアップしました さわらびY(ゆみ)  2005/03/03 (木) 00:32
しゃこ様、ゆりこ樣、遺跡大好きネコ樣、ドンパンチョ樣
いらっしゃいませ。

馬場小室山の様子も気になるのですが、「青森・中世&縄文考古の旅のアルバム」を年を越してやっと完成、今晩アップしました。
昨秋、歴博友の会の見学旅行で訪ねた中世城郭、港湾遺跡と縄文遺跡のフォトアルバムです。

しゃこ樣、はにわ処さまにお見せしたい青森の土偶もいくつかいれましたので、見てね。

そういえば三内丸山はこのとき3度目でした。施設もどんどん変わっていって、迷子になりそうでした。

十三湖は2回目、こちらの景観の美しさは抜群です! 
でも今は地吹雪で寒いのでしょうね。
市浦村でひとり遺跡の発掘をなさっていられる榊原さん、お元気でいらっしゃるでしょうか。どうかがんばってください。



2028. 『都城とシンボリズム』 さわらびT  2005/03/02 (水) 23:05
書くタイミングを失っていたのですが一言。

26日(土)のシンポジウム『都城とシンボリズム』で吉村先生から、『周礼』を手本としたといいながら、初めから百姓が存在する、日本独自の京戸の存在を考えていきたいと提言がありました。また、京内に寺はあるが神社がないのはなぜか、という指摘もありました。それぞれに興味深い問題です。

景観から言っても、寺院は視覚的には見られるのにたいし、祭祀がおこなわれているに関わらずなぜ京内に神社は作られないのか、というのは不思議な現象といっていいのかもしれません。

神祇祭祀は、新たに創設されたものであってシンボルたりえなかったのでしょうか。会場から発言の館野和己先生は共同体の祭りとして存在したのが神社であることから考えて、それが生まれなかったことをひとつのポイントに挙げておられましたね。



2027. Re: 四国徳島の二十三霊場を巡拝してきました さわらびT  2005/03/02 (水) 22:28
パンチョ様

相変わらずのエネルギッシュな行動力に感服しております。遍路に関心がなかったわけではありませんが、いつからあったものかも知りませんでしたので、参拝記を楽しながら拝見しております。以前、「花へんろ」というドラマをよく見ていたことを思い出しました。渥美清さんのナレーションが、気に入っておりました。

高松塚では、再発掘が行なわれているようですね。保存の難しさを感じさせられます。



2026. 四国徳島の二十三霊場を巡拝してきました ドンパンチョ [URL]  2005/03/02 (水) 09:58
さわらび通信のBBS投稿者諸兄へ

パンチョです。さわらび通信のテーマとは直接関係がありませんが、
先月の初め8日間の予定で四国徳島の二十三霊場を娘と共に巡拝してきました。
その巡拝記を小生のHPの歴史探訪ブース国内編にアップしました。
いささか長文になってしまいましたが、もし興味がおありでしたら、一度
お立ち寄りください。

下記のアドレスをクリックすると、アクセスできます。

http://www.bell.jp/pancho/travel/route88-awa/index.htm




2025. 色々と・・・ 遺跡大好きネコ  2005/03/01 (火) 21:39
こんにちは。この間いろいろあって一度にたくさんは書き込めないのですが、とにかく馬場小室山遺跡については地元民としてすぐに何かしたいと思います。

パンチョさん、御所市の現地見学会の報告ありがとうございます。やはり行ってみたかった。高松塚古墳は昨年の1月に訪れましたが、多分カビが見つかったばかりの頃で私も丸裸の寂しい山を観て来ました。

遺跡の保存は難しいこともありますが、壊すことだけはしてほしくないですね。もう元には戻せなくなるのですから。



2024. 有難うございます。 ゆりこ  2005/03/01 (火) 10:42
さわらびT様、はじめまして。ゆみ様と中世都市研究会でご一緒させていただいたご縁で、専門外なのに図々しくお訪ねさせていただいてしまいました。歴史初心者ですので的外れなところもあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

ドンパンチョ様、橿原日記を拝見させていただきました。東京にいては駆け付けられない貴重な画像に魅入ってしまいました。2年ほど遺跡の現場にいて調査報告会によく行っていましたが、古墳の発掘の、最初は林だったところが木を切り倒され、土を剥がれて、の過程をスライドで見たとき、まさにドンパンチョ様と同じことを思いました。複雑でした。

ゆみ様、情報を有難うございました。本郷氏のご著書と「その時」の実朝、拝見します。リンクされていたページにも行って今確認したら、ゆみ様が私のことを書かれていてびっくり。これはもう見逃すわけにいかないと気をひきしめました。何も情報がない書き込みでごめんなさい。



2023. Re: <緊急!>馬場小室山遺跡(市有地)の二度にわたる破壊の件  しゃこ  2005/02/28 (月) 23:39
拝見しました。なんとも憤懣やるかたない話ですなぁ
金さえあればずばっと解決できる?
ホリエモンにでもお願いしたいくらいですね。



2022. 高松塚古墳の現地説明会 ドンパンチョ [URL]  2005/02/28 (月) 15:42
わらびTさま

昨日は高松塚古墳の発掘調査に関する現地説明会がありました。
野次馬根性で一昨日の御所市の説明会に続いて、出かけてきました。
日本一知名度が高い高松塚古墳を今頃なぜ発掘調査するのかと思ったら、例の石槨内に発生するカビ処理で結局その原因が究明できず、最終的な手段として封土を剥ぐという強行手段に出たようです。
頭髪のように生えていた竹を刈り取られ、しかも頭皮を剥ぐように表土をめくられた惨めで哀れな古墳の姿がそこにありました。
その様子を小生のHPの橿原日記にアップしておきました。
興味がおありならアクセスしてみてください。



2021. <緊急!>馬場小室山遺跡(市有地)の二度にわたる破壊の件  さわらびY(ゆみ)  2005/02/27 (日) 21:29
今晩、送られてきた鈴木正博さんからのメールです。
http://chiba.fc2web.com/hozon/bbo_050227smail.html

「馬場小室山遺跡・緊急特設ページ」にUPされましたので、ぜひお読みください。

残された市有地すら、破壊の危機にさらされているとのこと。
史跡指定を検討すると議会で約束された「縄文の森」の行く末が案じられます。



2020. 「はにわの十字路−古代東国の交流と地域性−」 さわらびT  2005/02/27 (日) 19:19
柏・HOK様

そういえば、二年ほど前になりますか、松戸市立博物館の企画展「はにわの十字路−古代東国の交流と地域性−」に行ったことがありました。松戸の栗山古墳群の埴輪をてがかりに、交流の様々なあり方を示されていました。松尾昌彦氏の研究成果だったと思われます。

この「十字路」という表現が、単純な交流ではないことを意味していたようですし、この企画展では円筒埴輪と人物埴輪それぞれ個性的な表現を知ることが出来ました。

石棺や常総型甕のことはよく分かりません。柏・HON様の疑問には、とてもお答えなど出来ませんので、関心を持ったことだけで記しておきます。はにわ処さんとも話題にさせていただいたことがありますが、生出塚の窯で焼かれた埴輪は山倉1号古墳から出ていますので、この交流は明確になっています。

印旛沼・手賀沼周辺に下総型埴輪と名づけられた埴輪が見受けられることが、関心を呼びます。先日も、印旛村歴史民俗資料館で大木台2号墳出土埴輪を見てきました。

http://www.chibaken-bunkazai-center.or.jp/ooki.htm

「下総型埴輪」を設定されたのは轟俊二郎さんという方だそうです(『我孫子古墳群』)。円筒埴輪では突帯が3本で4段構成になっていることや、簡略化していることが特徴で、ずん胴化という表現をされますが、朝顔型埴輪などは円筒化していきます。人物埴輪で最近有名になったのは寅さん埴輪(柴又八幡神社古墳)ですが、これは顔だけですが眉の表現が独特です。指を表現しないという特徴もあります。

実は、松戸であればこの下総型埴輪であってもおかしくないのに栗山では違う、ということが問題だったわけです。群馬県の埴輪に似ていることと、生出塚の埴輪と似た特徴を持つものもあるとの指摘だったわけです。交流は一様ではない・・・このあたりを考えたいですね。



2019. 極楽寺ヒビキ遺跡 さわらびT  2005/02/27 (日) 19:13
ゆりこ様、はじめまして、どうぞよろしくお願いします。頭が固いものですから、どうか新鮮なお考えをお伝えいただけるのはありがたいです。

パンチョ様、極楽寺ヒビキ遺跡の現地説明会の参加記、拝見しました。現地は活気がありますね。

橿考研の資料は、ネットでも公開されていますので-参照することは出来ますが、パンチョさんの報告のほうがずっと楽しめます。やはり行くべきですね。

昨日は明治大学で、シンポジウム「都城とシンボリズム」があり参加してきましたが、報告者のお一人、橿考研の林部均氏は動員がかかっているのに・・・と少々後ろめたさを感じておられるようでした。(^-^)

ところで、この遺跡が、円大臣滅亡の地と関連があるかどうかですが、葛城氏滅亡に至る経緯を、略記すれば次のようです。雄略の兄である安康は叔父の大草香王を殺しその妻ナカシヒメを皇后にした。その事実を知った皇后と大草香王の子、眉輪王は、就寝中の天皇を殺し、葛城円大臣の家に逃げ込みます。大長谷王子(雄略)は兄の坂合黒彦と眉輪王もろとも殺害します。今回、極楽寺ヒビキ遺跡はこの記述との関連が想定されているように思われます。

ところで、『古事記』によれば円大臣が「五処の屯宅」を献上したとされます。文中に「謂はゆる五村の屯宅は今の葛城の五村の苑人なり」とあるのですが、本居宣長が比定したのは「忍海郡園人郷」、この所在地はどこか。現在の北葛城郡新庄町にあたるらしい。文献でいえるのは、こんなところでしょうか。

葛城襲津彦が新羅から捕虜を連れてきて、それが桑原・佐び・高宮・忍海の四つの邑の漢人の始祖になったという伝承は『書紀』神功摂政五年の記事なんで、史実から離れてるようにも見えますが、『三国史記』に同様の記事があるので信頼できるとされてます。その背景を知ってより強く関心を持っています。



2017. 耳寄りなお知らせU 本郷和人さん出演の「その時・・」 さわらびY(ゆみ)  2005/02/27 (日) 14:01
☆3月2日(水)21:15〜21:58 NHK総合
『その時歴史が動いた』

「実朝暗殺〜歌人将軍は、なぜ殺されたか?〜 」
ゲスト:本郷和人さん(東大史料編纂所助教授・中世政治史)
[番組内容]
その時:建保7(1219)年1月27日
出来事:鎌倉幕府3代将軍源 実朝、鶴岡八幡宮境内で暗殺される
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html

本郷和人氏の『新・中世王権論―武門の覇者の系譜―』(新人物往来社、2004)もおすすめです。
(情報元:時々遊びに行っている「鎌倉時代史掲示板」http://6925.teacup.com/kabura/bbs


ゆりこさん、お見逃しなく!



2016. 耳寄りなお知らせT 歴博正面入口まで直通バス運行 さわらびY(ゆみ)  2005/02/27 (日) 13:59
☆3月1日より歴博正面入口まで直通バスが上がります
京成佐倉駅とJR佐倉駅から1日10往復のバスが運行。
3月1日の始発便に乗り、来館された人には記念品をプレゼントがあるそうです。(残念!火曜日、お仕事の日)
始発便は、JR佐倉は9:18、京成佐倉は9:27で、歴博着は9:32、田町車庫
行きです。
(情報元、歴博友の会の幹事M氏に感謝)



2015. 極楽寺ヒビキ遺跡と二光寺廃寺の現地説明会に参加してきました ドンパンチョ [URL]  2005/02/27 (日) 09:13
昨日の奈良県は朝から冷え込んで、所によっては小雪がちらつく寒い一日でした。
そんな中にあって熱く燃えた場所がありました。金剛山の東にある御所(ごせ)市です。最近新聞を賑わした二カ所の発掘現場で現地説明会がありましたので、朝から出かけてきました。

ご承知のように、極楽寺ヒビキ遺跡は葛城氏の中核施設とされる大型建物跡が発掘された遺跡で、二光寺廃寺は今まで未知の寺院跡で200点を超えるせん仏の破片が出土しました。当日の様子および遺跡の概要を小生のHPの橿原日記にアップしておきました。興味がおありなら、お立ち寄りください。



2014. 極楽寺ヒビキ遺跡のことなど・・・ ゆりこ  2005/02/27 (日) 02:10
こんばんは。早速にお返事いただいて有難うございました。また、草戸千軒町遺跡のURLもご紹介いただいて、こちらも有難うございました。久しぶりに自分でも開いてみて懐かしくなりました。私が訪ねた三ヶ月後に阪神淡路大震災が起き、遺跡はどうなったのだろうと心配したことも思い出しました。

遺跡大好きネコさま、雲に関心を寄せて頂いて有難うございました。今日こちらでは(東京都三鷹市です)、スマトラ地震直前に観測したのと同じ雲が流れてきて、終日空が気になっていました。今日の東南アジアの衛星画像では、スマトラ地域に巨大な雲の塊が写っていて、それが当地まで流れてきたのでしょうか・・・。(歴史のサイトに余分な話を、ゆみさま、ごめんなさい。)

奈良の極楽寺ヒビキ遺跡の発見の件、情報を耳にしたまま新聞を見忘れていました。こちらの掲示板で名称を知り、ネットで検索して今ようやく詳細を知ることができました。有難うございます。奈良の古い王朝政権に関しては、「榧の木祭」で芥川賞を受賞された高城修三氏の『神々と天皇の宮都をたどる―高天原から平安京へ』を拝読して興味をもっていました。氏は最近小説の他に、住んでいられる奈良の地の利を生かされた歴史探訪をよくされていて、邪馬台国大和説のご著書もあり、凄く面白いです。すでにご存知かもしれませんが、そんなことを思い出しました。

香取の海のことは知りませんでした。かなり興味あります。是非早く紹介してください。ブログはほんとうに簡単です。HPにまとめようとして時間のないままお蔵入りにするなら、ブログで日記代わりにさっさと載せたほうがいいかもという気さえしています。まだ始めたばかりですので、これから可能性を探ってみます。



2013. Re^4: <石枕と常総の文化>「石無し県」北総の石への信仰 柏・HOK  2005/02/26 (土) 21:58
 みなさま、こんばんは。 先日は、ありがとうございました。
 話題を引張って、すいません。また、東葛にこだわってばかりで、なんですが・・・  あまりに狭いところばかりを見ていても、「木を見て森を見ず」だと分かってはいますが、お付き合いください。 主には、松戸市立博・企画展「はにわの十字路」図録(2002年)や県史・資料編をながめていて、わいてきた???です。

 常総型甕は、我孫子・松戸などだけでなく、葛飾区/柴又古録天東遺跡 や 埼玉県庄和町(遺跡名などは未確認ですが、庄和町の方から教えていただきました)からも出土していますよね(旧下総国(葛飾郡)の版図を考えると、不思議ではないのでしょうね)。 また、下総型埴輪も、我孫子・流山・市川などだけでなく、葛飾区/柴又八幡神社古墳 や 埼玉県杉戸町/目沼古墳群からも出土していますよね。 (反対に、有段口縁坏などが北西・西から来ていますね。)
 ところが、筑波石の箱式石棺は、我孫子/我孫子古墳群(1例のみでしょうか? また、古墳名までは分かりませんでした)と市川/明戸古墳だけですよね? 明戸古墳や千葉市/人形塚古墳には、水系をたどるだけでは運べない(はず?)のに、手賀沼周辺や東深井古墳群(柏の八幡山古墳群を含めて)などに、ほとんどないのはなぜなのかなと。
 いずれも、印旛沼の周辺(特に南側)ではより出土例が多いものですが、<土>でできているものは、東葛地域(東側が香取海沿岸となりますよね)を越えて西にも広がっているのに、<石>は東葛地域を越えていないし出土例も少ないことが気になっています。
 これらは、ぴたりと同じ時期のものではないのですが、また、T花様が述べられているように、古墳が分布する場所の変化や、規模(大きさや数)の違いも考えなければならないとは思いますが、こと<石(石材)>については、香取海沿岸地域の中でも、その西端部に当たる東葛地域は、趣が異なっているように思えるのです。
 滑石や筑波石は、甕や埴輪よりも「希少品・威信財的?」なので、それなりの勢力や地位がないと手に入れることができなかった、ということを示しているのですかね・・・。

 よろしく、ご教示お願いします。



2012. Re: お久しぶりです! さわらびY(ゆみ)  2005/02/26 (土) 00:38
ゆりこ様

昨秋から大地震のニュースを見たり、今年に入って体感する揺れがあったりして、そのたびに、雲で予兆を観測している貴女のHPのことを思い出していました。
空と地震の関連はよく理解できないでおりますが、空(雲)の景色がどれもすばらしい写真、空の表情の豊かさにびっくりしています。

HP「白拍子の風」のほかに、ブログも始められたのですね。
ブログは、とらさんも始められたようですが、これは掲示板とHPを足して2で割ったような媒体なのでしょうか。けっこう流行りそうですね。
創作意欲もますます盛んのご様子、ぜひまとまったら本にしてください。

百合子さんも「中世の遺跡と史跡」http://homepage3.nifty.com/shirabyoushinokaze/chuusei.htmlで取り上げられた草戸千軒遺跡と明王院に、私も昨秋行ってきました。

11月に行った青森の中世遺跡も興味深く、また画像もいっぱいHDにあるのですが、時間がなくてHPにまとめていません。ブログなら簡単そうですね。

縄文遺跡のほか、「香取の海」の中世交通と寺院についても、松戸〜木下間を追っています。これも、断面的なメモと画像がHDにたまって・・・
香取の海とは離れますが、さいたま市の氷川女体神社の宝物も北条氏につながるものが多く興味深く、そんなこんなで、「好奇心!」に翻弄されている毎日。春になると佐倉の歴博では企画展「東アジア中世海道-海商・港・沈没船-」も始まります。その企画展にあわせた講演会などもあるでしょうから、そのときにでもまたお会いしたいですね。



2010. 思いは駆け巡る・・・ 遺跡大好きネコ  2005/02/25 (金) 15:45
ゆりこさん、はじめまして。私も雲にも興味ありますよ。深夜に真横に帯状に広がる無気味な雲を見たことがあります。雲で季節を感じることもたくさんありますが、昼間は空を見上げる余裕がないことが多くてよくないなあと思っています。

さて、奈良の御所市の遺跡のことやせん石片のこと、本当にこの先の解明が楽しみですね。(ゆみさんURL紹介ありがとうございました)今回見つかった遺跡は2階建て?の櫓や石垣跡などがあって、集会所・祭祀場跡ではないかと見られていると新聞に書いてありました。

仏像もきれいですね。素晴らしい芸術品だと思います。

歴史学・考古学・地質学などを始めとする「学問は謎解きだ」と2月20日のセミナーで教わりました。(直接的に教わったのではなく私はそのように理解しました)その後、このような出土品や遺跡に出会いそのことを実感しています。1人ではなくて、みんなで考え合って謎解きしていくのも楽しいし有効ですよね。きっと。



2009. お久しぶりです! ゆりこ  2005/02/25 (金) 11:02
昨年の鎌倉中世都市研究会以来のご無沙汰になってしまいました。たまたま雲の観測をはじめた矢先、新潟県中越地震、スマトラ島沖地震に遭遇。撮った雲の画像と地震との検証にずっとかかりきっていました。それで歴史はお預け状態。やっと一段落し、結果は「雲に見る新潟県中越地震」「スマトラ島沖地震までの空」としてHPに載せました。お時間があったら覗いてみてください。歴史の方々はフィールドワークをなさるから、雲を見る機会って多いと思うんです。雲による地震の予知はある程度可能だし、早めに察知して警戒をだせば、被害を最小限にくいとめることができますから、もしおかしな雲をみたら教えていただきたいなと思っています。
今日は久しぶりの歴史感覚に戻ってのお喋りをさせていただきたくなってお邪魔しました。ほんとうに変わらずのご活躍ですね。これから顕時を書きたく思っているので、竜角寺のページを覗かせていただきましたが、顕時の転居先は不明・・・。残念でした!
大河ドラマの「義経」に嵌っています。それで歴史感覚にスムーズに戻れたのかも。鎌倉時代掲示板でのゆみさまのコメントも拝見していました。わたしは常盤御前に参ってます。むかしから「○○御前」とか白拍子とかいう女性に弱いんです。いい機会ですので、昔書いた「白拍子の風」という小説をブログではじめてしまいました。こちらもよかったら覗いてみてください。お忙しいでしょうから、ほんとうにお暇なときで結構です・・・。長々とごめんなさい。やっと雲から甦りましたので! 今後ともよろしくお願いいたします。
http://ginrei.air-nifty.com/ginrei/



2008. Re: 奈良県御所市の遺跡 さわらびY(ゆみ)  2005/02/24 (木) 23:51
>今週は夜までの仕事続き・・・

ご苦労様、あるけ〜さんも正博さんも仕事でご活躍のようす、とってもお忙しそう!
私は、明日からは仕事関係の退職者の送別会続きになりそうです。

>今日は新聞報道で金箔が残る『せん(字がない!)仏』片が出たらしいですね。

わたしもさっそくネットで拝見。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050224-00000000-nara-l29.view-000

清涼寺式釈迦如来像に興味があって、そのルーツともいうべき西方系の仏像に惹かれています。すぐに釈迦像の髪の毛と衣を見るくせがついていて、これもああ、なるほどと思いました。
洛陽の唐代「奉先寺」の盧舎那大仏にも面影が似ていますね
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/seian.rakuyou/25rakuyou/25rakuyou.htm

> ぱんちょさんは奈良においででしょうか?

お嬢さんと四国遍路、大和では現説三昧とか、うらやましいー!

> また、少し前には、北海道(どこでしたっけ)の環状列石を遺すためトンネルにして道路が下を通る計画に変更すると発表されていましたね。

まだアサヒ.コムのニュースが残っていました。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news01.asp?kiji=8249

> さわらびY(ゆみ)さん、とらさん2月20日の報告ありがとうございます。

見てくださって、睡眠不足の甲斐があります。
報告では長くなるので書き切れなかったのですが、西本先生が「井野の遺構の端の方ばかり調べていたって、盛土の中央にトレンチを入れて大胆に調査しなければ、ほんとのことはわからない」っておっしゃっていましたよね。
でも8次まで調査しながら、佐倉市も盛土にメスを入れるのをためらっておられるのは、ものすごいことが予想できるからではないかしら。
きっと、慎重にことを進める用心深さで、将来に先送りしたほうが充分な調査が期待できると思うから大事にとってあるのかもしれません。
馬場小室山では、逆に一番すごいと思われる西側の未調査の盛土が、重機により撹乱されるままになっている! この格差はいったいなんだろう。
類似した大土坑のスライドで感激していたのですが、開発を目前にした遺跡保護の両市の姿勢は正反対! 
だんだん気持ちがエスカレートしそうなので、きょうはここまで。



2007. Re: 奈良県御所市の遺跡 さわらびT  2005/02/24 (木) 23:18
ヤマト王権成立期の様相に関心を持つものとしては、極楽寺ヒビキ遺跡の発掘成果は是非知りたいものです。週末は、明治大学でシンポジウムもありますし、現地説明会にはいけません。パンチョさんがレポートしてくださることでしょう。

葛城氏については、二系統論が有名で雄略に滅ぼされたのは玉田宿禰系だ、といわれてますね(塚口義信説。ちなみに加藤先生はこの説の批判をしています。)

南郷遺跡群は、渡来系工人の集落と工房が集中しているとのことですが、南郷大東が導水施設、南郷安田は祭祀施設といわれています。今回の発見は、これらの遺跡の南西の位置かとと思われますが、地理不案内の私にはちょっと・・・

ワクワクしますね。



2006. 奈良県御所市の遺跡 遺跡大好きネコ  2005/02/24 (木) 18:47
みなさん、こんにちは。今週は夜までの仕事続きなので、職場から仕事の合間に書き込みです。昨日はとても暖かかったのですが、今日は寒いですね。

さて、奈良で大きな遺跡が見つかりましたね。また、今日は新聞報道で金箔が残る『せん(字がない!)仏』片が出たらしいですね。「デザインの細部は三重県の夏見廃寺の出土品と一致し同じ工房で制作した可能性が高く、唐招提寺所蔵のせん仏片とも共通する」とのことです。う〜ん、興味津々。

ぱんちょさんは奈良においででしょうか?26日に現地説明会があるとのことでした。時間があったら飛んで行きたいところです。

また、少し前には、北海道(どこでしたっけ)の環状列石を遺すためトンネルにして道路が下を通る計画に変更すると発表されていましたね。

やはり、こういったニュースが目に飛び込んでくるようになりました。

さわらびY(ゆみ)さん、とらさん2月20日の報告ありがとうございます。



2005. 函館の石倉貝塚 さわらびT  2005/02/23 (水) 23:32
函館の石倉貝塚について西本先生が、話をされたのですが、確かに「井野長割」との関係がよく分からないところです。

環状の盛土の内部に、墓地が作られているということのようですが、集落遺構は外側にあるようにおっしゃっておられたようなんですが。貝塚も外側に形成されていたとか・・・・
どなたか、ご存知の方教えてください。



2004. 「井野長割遺跡へ-佐倉市で第3回研究会」をUP さわらびY(ゆみ)  2005/02/23 (水) 20:10
「馬場小室山遺跡研究会」第3回ワークショップのルポをアップしました。
書きたい思いはいっぱいあるのですが、来られなかった方々への報告のつもりで、まずはご辛抱ください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/02.20/inonagawari.htm

とら様の感想のように、西本先生の講演では、石倉貝塚など北日本の遺構など興味深い事例が紹介されましたが、関東の遺構との類似と相違点はいま少し謎でした。

馬場小室山セミナーに参加された方が皆そうかと思ったのは、やはり校庭の花壇付近の第8次調査で発掘された縄文の道沿いの大土坑だったと思います。
前のページ「15 皆が馬場小室山遺跡と出会った三室の一日」の下のスライドと比べてみるとウリふたつでしょう。

井野長割遺跡についてのHPは、あるけ〜さんのHPと、印旛郡市センターのHPが充実していますので、ページの最後にリンクを貼らせていただきました。詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。



2002. Re: おつかれさまでした。 さわらびY(ゆみ)  2005/02/22 (火) 00:58
T花さま、佐倉市教育委員会のIさま
今回の井野長割遺跡見学に際して、たいへんお世話になりました。おかげさまで、充実した見学会を行うことができましたことを感謝いたします。

とら様
さっそくのHPのご披露、ありがとうございました。
さすが、考古学のプロの視点は鋭く、勉強になりました。
遠路からの車でしたので、初めてお会いしたのに、充分お話もできず残念でした。
T花様、とら様とも次回は「終了後のミーティング」でゆっくりお話しましょう。

ありがとうございました。






2001. おつかれさまでした。 T花  2005/02/22 (火) 00:07
 こんばんは。
 20日の研究会にご参加された皆様、大変お疲れさまでした。とはいっても、私は午前中のみの参加となってしまい、残念でした。次回はぜひ夜の会合にもお邪魔させてください。
 また、井野長割遺跡の見学については、佐倉市教育委員会のIさんに大変お世話になりました。書き込みはされていませんが、ここの掲示板も時々ご覧になってらっしゃるようですので、この場をお借りしてお礼申しあげます。