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No.1-100 
2001/10/08〜2002/02/17
Since 2001.10.08
・オーバーフローで消えてしまった発言を収納しました。
・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
・他への引用は、著作権などの配慮から、発言者へ連絡をお願いします。
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99. 研究?再考U Nori  2002/02/17 (日) 02:58
<再考Tより>
そのような、「研究」の「大衆」化(ブーム)・社会化(現象)のなかであまりにも安易な言葉として“オリジナリテイー”や、“独創性”が使われていやしないか、自戒を込めて不安です。そして、アマチュアリズムとアカデミズムの社会性、構造性について今日的視点から慎重に問い直す必要を強く感じてもいます。

門外漢(アマチュア)は、「専門家に対して、その専門の視角からは容易に気づかれぬような有益な問題を提起することが、あるいはできるかもしれないが、さて彼自身がその仕事を手がけるとなると、不完全きわまるものになるに決っている」、「どんなに溢れるばかりの情熱があろうと、またそれがまじり気のない深いものであったにしても、それだけから成果はなかなかひねり出せない」(マックス・ウェーバー『職業としての学問』出口勇蔵訳、『近現代日本の新視点』中村政則編 吉川弘文館 2000年12月刊第1刷 所収)、
「学問の世界ではそれぞれの分野に固有の方法があり、研究史の蓄積があり、また技術的修練を必要とする。いくらりっぱな意図をもって研究をつづけても技術的修練もなく、方法が間違っていれば碌な結果はでてこない。」(「私の歴史学」、中村政則編『近現代日本の新視点』p351、吉川弘文館 2000年12月)

前提として#94は、当然の事なのですが、研究者でも専門家でもなく歴史に、とりわけ古代史に関心を寄せる一素人の思いの一端であり又、「石器」発掘捏造事件以来そのことが直接の一契機ともなって多くのことを考え、悩み、学ぶことの意味を自らに問い直しつづけている最中に目にした、或る掲示板に書き込まれた「研究」についての感想です。
どなたか、現代素人考を書いてくれないかな。




98. 研究?再考T Nori  2002/02/17 (日) 02:54
先日(2/14#94)とりあげた或る掲示板の「研究」書き込みの意図が那辺に在るのかは未だに不明です。
さわらびTさんのコメントを得て、今一度、論点を整理してみます。
@「研究」の主体が不明です。学者・先生や専門・研究家と一般歴史ファン(愛好者?)を混同しているのではないか。
Aあくまで素人の一古代史ファンなのだから、「研究」の主体にはなりえない。「…実は単なる耳学問、…受け売り発言」も可。
Bいずれにしても、専門家の解説文献(論文)、四次、五次的史・資料等々の一般文献にすら十分にあたりきっていない。
Cしたがって最低必要な対象文献や「事実」さえ押さえきれず、「発想が阻害」されるほどには「読み過ぎ」てはいないこと。   D「巨人」松本清張でさえアカデミズムの壁は破れなかったと言えるのでは。森本六爾、鳥居龍蔵への感心をも含めて。
研究の「基本はオリジナリテイー」、などとそうそう簡単に言えるのでしょうか。
カルチャー・スクールばやりと言われているなかで、市民・総「研究」者とも言われる現象がみられます。小生も“かのように”評される市民の一人なのかもしれないのですが…。
「でもアマチュアなりの独創も大事かな?」(2/15#95、さわらびTさん)って言われると、あまりにも手垢にまみれた耳障りの良い常套句だけに、「アマチュアなり」と「独創も大事」については前提無しに、ついつい頷いてしまう訳にはいかないでしょう。確かに“何でもあり”の昨今、歴史ファンの趣味的な知的要求のほか古代史の謎解きトンデモ(系)説やその作業過程等々を楽しむことは各々のロマンや思いもあって、もちろん大いに結構なことです。<再考Uへ>




97. Re: からすとうさぎ さわらびY(ゆみ)  2002/02/16 (土) 10:38
 UPしたての「オビシャ」をご覧いただき、さっそく「印旛村」発のおたよりをありがとうございました。(とても励みになります)
 江戸崎や沼南町にある「カラスとウサギの的」が佐倉にもあるのですね。
 オビシャについて興味を持ったのは、尊敬する友人の萩原法子さんから「熊野の太陽信仰と三本足のカラス」というご著書をいただいた3年前のことです。
 萩原さんはオビシャの的が、カラス=太陽、ウサギ=月を表し、古く古代中国の射日神話に起源することを、主張しておられます。
 (この説は、昨夏の国立歴博の企画展にもとりあげられ、「歴博」106号にその概要が載りました。)
 地域の民俗行事が他の広いエリアにも散在していること、その間に何か重要なキーワードが隠れていそう。
 HPのネットでそんな小さな発見を見つけられたらいいなと思います。

 今年1年がかりで村上の正覚院(おしどり寺)の背景を探ってみたいと思っています。
 Seijiさんの「THE印旛村」にも、おしどり寺についてとても良い資料紹介のページがあるので、そのうちリンクをお願いしたいと思っています。
 今後ともよろしくお願いします。




96. からすとうさぎ seijikun [URL]  2002/02/16 (土) 00:34
オビシャのこと、ありがとうございました。
先日、佐倉の飯野観音のとなりの麻賀多神社に、オビシャの的が
ありました。うさぎの絵の的と、カラスの絵の的でした。
弓は梅の若い枝でした。
当番の方にお聞きしたところ、鮒の腹合わせをするそうですが
大きな鮒を手に入れるのがむづかしくなって苦労だそうです。




95. 「研究」について さわらびT  2002/02/15 (金) 07:21
Noriさんの感性はするどいものですから、いつもドキッとさせられます。
リンクをたどっていくと、たどりつくページですよね。「研究」と題するあの書きこみは唐突でしたので、どういう脈絡で出たものなのかちょっと考えましたが、Noriさんみたいに丁寧な分析はできませんでした。
オリジナリティーは大事ですがこれだけ研究の蓄積がある現在は、ややもするととっぴな意見になりかねません。松本清張氏のような「巨人」がかって古代史ファンに大いなる影響を与えました。しかし“卑弥呼は王殺しあった”とする発想だって『金枝編』あっての独創ですからね。
考古学の知見もさらに厚みをましていますから、とにかく学ばねばなりません。Noriさんのお考えに賛同します。でもアマチュアなりの独創も大事かな?
『聖徳太子の実像と幻像』(大和書房)を読んでいます。山尾先生が、大山説に直接先行するのは田村圓澄氏の考察であろう、と書いておられます。田村圓澄氏の論考も掲載されています。大山説とは違うと思うのですが、よく読むと山尾先生は「聖徳太子」全体像を検討するという点での先行文献だ、と書いておられるのです。山尾先生の文章は、読みにくいのが特徴なので、もう少し読みこんでみるしかありません。読みすぎといわれるほど、読んでみたいものです。
爆笑問題の本でも、田村圓澄氏の著作が参考文献にあげられていました。




94. 研究? Nori  2002/02/14 (木) 04:50
何処かのHPの掲示板をみていたら「研究」についてのカキコミがありました。
曰く「基本はオリジナリテイー」、「定説や権威を疑うこと」、「文献は一応読むべき」、「読み過ぎ」、「発想が阻害」、又曰く「つい一言」。
「研究」への一般論的批判とは思えない書きぶりです。小生には隠された或る特定の「研究」者に対する批判のように読めるのですが…。
そこで、3点。
@研究は確実に対象の学説史ないし学史をおさえていなければなりません。「文献は一応読むべき」などと“一応”程度に済ませておくべきではなく、研究の研究たるべきレベルを測る基本要件の一つでしょう。
A従って、関連文献を「読み過ぎ」て問題になることは無いはずです。かえって、十分に読み込まれていないことの方がむしろ問題でしょう。
量的にも、内容的にも「読み過ぎ」た人はいないでしょう。
B「つい一言」以上の論点を“一言”でカキコまれた方はどのような「研究」対象のプロパーの方だろうかと、“つい想像”もしてみました。また、問題にする「研究」及び研究「者」の対象的基準を推し量る材料も無いので、カキコまれた文面から受ける印象だけでの一般論にとどめておかなければなりません…が…。




93. ご期待を裏切らないように立読みします Nori  2002/02/14 (木) 04:47
さわらびTさん、お久しぶりでした。
通話料も考えずついつい長電話になってしまい、申し訳なかったです。小生の方は留守電だったから通話時間はまったくの無視でよかったもののそれにひきかえ、さわらびTさんからの小生への電話は通話料の請求書が怖くなるぐらいの長電話になってしまいました。本当に罪つくりの電話になってしまいましたね。ごめんなさい。
とは言うものの、電話は限りなく人間的なツールにより近いものと言ってよく、やはりいいですね。メールも良いがお声を直接聞けたことで、何かそれだけでホットな気持になることができました。まあー、小さな贅沢とでも言いますか、小生のわがままな気分からの電話だったのですけど…ね。電話の今日的効用を確認することにもなった訳でして…。つぎには、動画をみながらのTV電話(ケータイ電話とか)?で、…と…、えェーめんどうだからいっそのことお会いしましょうョ…と、なるのでしょうか。
それこそ際限の無い、しかし今日的でさえある小さな贅沢をたまには求めてしまう…、直接的な関係(それをうっとうしく感じることもあるでしょうが)、そんな人間的なお付合い方をお願いするほかありません。

現代における列島メディア文化の隠されて見えないものを見据え、より確かな歴史的なものを掬い上げようとするさわらびTさんの感性に誘われて、『爆笑問題の日本史原論 偉人編』(メディアワークス、2001年)を立ち読みしてみようと思います。
さわらびTさんを“ウーン”と唸らした太田光氏のコメント、「不思議なのは、皆、時代の中心でありながら、同時に、その時代の異端者でもあったということだ。歴史というのは異端者たちが中心となって創られるものだと感じた。」は確かにオモシロい視点。ある意味においては、一面の真実を衝いているとも言えるでしょう。
読後の感想をカキコできればと、思います。





92. 爆笑問題の「日本史」 さわらびT  2002/02/11 (月) 22:30
Noriさん
久しぶりでしたね。電話ででもたまには声をきかないとね。昨日は留守してしまい失礼しましたが、今日は話ができてよかったです。
息子が読んでいる『爆笑問題の日本史原論 偉人編』(メディアワークス、2001年)をのぞきみしたのですが、お笑いタレントの本だと思って見向きもしなかったことをちょっとばかり反省しています。
さわらび通信の『聖徳太子はいなかった』を私はこんな書き出しにしました。
「友人がよく言っていた。人々が競馬新聞に熱中するように読んでもらえるような、歴史を書きたいものだ、と。」
歴史を教えてくれた友人の言葉で、なぜか印象に残っていました。
その友人の言葉を思い起こさせてくれました。そんな読み物です。人気お笑いコンビのふざけた会話がメインなのですが、後半にきちんとした解説がついています。
Noriさんがお買いになることはないでしょうが、本屋で立ち読みでもしてみてください。聖徳太子編で大山先生の説を紹介しているので、私の気に入ったというだけかもしれませんがね。
「大山氏は『日本書紀』の編纂にあたって聖徳太子が日本の「聖王」として作り上げられたのだと、その政治史的な背景や創作意図をくわしく推理している。・・・単なる聖人の事績について読むよりもはるかに面白く豊かな歴史が見えてくる。」
大山ファンとしては納得。この解説を書いているのはフリーライターの田中聡という方です。
あとがきを、爆笑問題の太田光氏が書いています。
取り上げた人物について「不思議なのは、皆、時代の中心でありながら、同時に、その時代の異端者でもあったということだ。歴史というのは異端者たちが中心となって創られるものだと感じた。」
ブラウン感からはうかがえなかったコメントに、ウーン。




91. 私は「おとなしいユーザー」でいます さわらびY(ゆみ)  2002/02/08 (金) 23:45
 あした、とうとう我が家にもデスクトップ、WindowsXP搭載のFMVがきます。
 ADSL用のモデムも届いたし、今日は出張ついでに、無線LANセットとHubも買ってきたし、あとは専属システムエンジニア氏(またまた「コンピューター言語にはまちゃった」とか)の到来をお待ちしています。

 毎日職場で分析機器のコンピューターを使い、夜は家のPCでHPを作っていても、コンピューター言語でなにかをしているなんて、感じたことはないですね。
 先日、「おしどり寺」のページをノートPCのWord2000でHPを作り、デスクトップのFrontpage Expressで加工してUPしたところ、レイアウトも画像の挿入もめちゃくちゃで真夜中の格闘になってしまいました。
 ソースとかを見て、HTLMの決り文句が理解できれば、ソフトの違いもうまく手直しができたのでしょうが、悲しいかな、全くわからず、6日の昼は見苦しいページお見せしちゃいました。
 結局Frontpage Expressで一から作り直すはめになってしまいましたが、言葉がわからないと外国の一人旅ができないように、ちょっと寂しいですね。
 といっても、私は「おとなしいユーザー」でいますので、ちょっとした通訳は今後ともよろしくお願いします。
 お近くでお暇な方は、あしたの我が家のホームLAN構築の様子、ぜひ見にきて下さい。




90. 逃げ切れなかった。 増田俊幸  2002/02/08 (金) 10:45
コンピュータを趣味に持つと、やりたい事がいくらでも発生します。
私の場合、プログラミング言語に関心を持っているので、出来ればそっち方面に力を入れたいと思ってやってきました。
自作のプログラミング言語を開発するのが夢です。
だから、通信関係はユーザーに徹しようと思っていました。社内ランの話も極力避けてきました。
ところが自宅をADSLに切り替えたので、そうも言っていられなくなってしまいました。
ADSLに複数のパソコンを接続するにはどうしてもLANを組まないと接続できません。
と言う事で、デスクトップには有線で、ノートには無線でLANを構築する事になりました。
結局、LANの本を読んでADSLモデムからスイッチングハブを通してPCと無線ランアクセスポイントをつなぐといったきわめてシンプルなLANを構築しました。
こうなると好奇心の虫がうずき始めて、ついにTCP/IPの勉強を始めてしまいました。これは、かなり奥が深そうでしばらく浮き上がってこれそうにありません。そのうち通信関係のプログラムを組みたくなるのでしょう。
私は、何処に行ってしまうのでしょうか。この前まで、データベールにはまっていて、WEB上でデータベースを構築するはずだったのに。
広く浅くと言う最悪のパターンにはまりそうです(笑)。

では、また。






88. 加藤先生ご快諾いただきました さわらびT  2002/02/07 (木) 07:30
スンニり様
こちらこそ、ありがとうございます。
加藤先生には、さっそくお電話差し上げました。20日でしたら可能ということで、ご快諾いただきました。渡来人ををテーマにしたものは『東アジアの古代文化』掲載予定稿のほかにもあります、とのことでした。ご連絡していただけますか。
さわらびYが中世史ネタをあらたに載せました。そちらもよろしく。




87. シルクロードの会に スンニリ [URL]  2002/02/06 (水) 23:27
大勢のうずの会の仲間が参加してくださって本当に嬉しかったです。
心のこもった仲間意識が確実に認識されたものでした。衷心より感謝
申しあげます。これで私もうずの会にはお客様的でなくごく普通の会
員として胸を張って出席できます。来月の加藤先生の講演の実現を期
して早速に動きたく存じますのでよろしくお願い致します。




86. 佐原先生のお話のつづき) さわらびT  2002/02/03 (日) 20:15
先週の佐原先生のお話はたいへん楽しかったので付け加えておきます。次のようなお話もされました。
『2001年宇宙の旅』の冒頭シーンは、猿人が棍棒を発見そして戦争が始まります。このシーンは当時の学問的根拠に基づいていたのだとおっしゃいます。
アフリカのアウストラロピテクス(猿人)の骨がマカパンスガット洞窟で頭蓋骨のくぼんだ骨の発見された時(舌をかみそうな名前ですね)、人はもともと闘争本能を持っていたと解釈されたそうです。殺し合い、しかも食べた!
こうした考えを前提に『ウエストサイドストーリー』もできたたということです。
ところが、今日では頭蓋骨の陥没は落石(本では「土圧」と書いてあります)よるものと判明し、食人説も否定されたのだそうです。
ヒトがたたかうのは本能ではない。佐原先生らしいお話しでした。
このお話は『考古学千夜一夜』(小学館)に載っていました。




85. 反論を期待するものです スンニリ [URL]  2002/01/28 (月) 11:21
佐原先生の反論、是非お書きになること期待いたしたいもの。
病身が気がかりですがご養生を念じています。森浩一先生も
具合が悪いとか今年は気になることが多いですね。




83. 佐原真先生のご講演を拝聴しました さわらびT  2002/01/27 (日) 22:03
久しぶりに佐原先生の講演を拝聴してきました。(私一人です。Yは残念ながら仕事でした。)
最初に、昨年は@5月大病されたことA歴博の館長をお辞めになったこと、をお話になられました。お病気のことを直接うかがったのははじめてです。昨年、歴博での講演を聞き逃しましたので、機会があれば、是非聴きたいと思っておりました。
年代決定には@層位学A形式学B一括遺物、を検討すべきことを丁寧にご説明下さいました。モンテリウス『考古学研究法』に言及され、モンテリウスの考えではAとBが30回出たら同じ時代のものと考えてよい、と述べていることは大事ですとおっしゃられました。
余談かもしれませんが、森浩一先生がご入院中だとおっしゃっておられました。『古代史発掘総まくり』が出ていないのは、関係あるかも、と示唆されました。
東アジアの古代文化ニュース343で奥野正男先生が佐原先生の批判を述べておられますが、同ニュースに反論を掲載する予定とも話されました。このニュースは同会のHPで読ませていただいていますが、奥野先生の年頭のあいさつは佐原先生には厳しいというか、いい過ぎという気がしていました。佐原先生の反論掲載を期待しています。
さわらびYが最近メル友になりましたので、持参した『大昔の美に想う』(新潮社、1999年)にサインをお願いしたら「元始、女は実に太陽であった そして、今太陽だ」と書いてくださいました。




82. 中国の暦で関心が深まったこと さわらびT  2002/01/26 (土) 19:57
スンニリ様
ごぶさたしています。シルクロードの会、できるだけ参加するようにします。平日の夜はちょとつらいですが。

小西様
暦シリーズいつもありがとうございます。暦シリーズは完結とのおはなしでいたがまだ続けていただけるとのことで一安心。
おかげさまで、私も中国の暦に興味津々です。中国には長い歴史がありますから、簡単には理解できそうもないです。それにしても天文をよく研究されたものだと思います。今日の常識とそれほど食い違わない地球の公転周期を把握して、暦に表現できたのですから感心します。
ところで、戦国時代には観象授時暦からの転換が行なわれたということですね。
「戦国時代に置閏法は更に進み76年を周期とするカリポス法が採用され1年を365と4分の1日とする四分暦がこの時代に完成しています。」
この説明をいただいたので、かって、平勢隆郎『中国古代の予言書』(講談社現代新書)という本を読んでチンプンカンプンだったのが少しわかるようになりました。
(中央公論社『世界の歴史』2.中華文明の誕生の前半も平勢隆郎氏が執筆されていますので参考まで。)以下は平勢説から。
戦国時代の暦が問題になります。冬至を含む月を基準に、この月(子月)を正月とする周正、丑月を正月とする殷正、寅月を正月とする夏正という「三正説」があるそうです。平勢氏によれば、このうち周正、殷正は理念上の産物だそうです。夏→殷→周の王朝交替ののち、周にかわって再び夏に復する、という思想があったようです。また、戦国の王たちは踰年称元法(年を越して改元)を採用していたこと、夏正暦を採用したのは、魏・斉・韓・趙・燕・中山で、楚と秦は独自の暦を持ったこと、などを書いておられます。
しかし同じ夏正暦でも76年周期のスタートの置き場所(@BC352年末冬至を朔とするABC366年立春を朔とするBBC352年末冬至を晦にする)で3種、置閏法(冬至月を11月に固定するか、冬至月の翌々月を正月に固定するか)で2種の計6種があって、結局、それぞれの国で違う暦法が採用されていたことになります。
この文章を書いていたら、暦はグローバル化のバロメータだ、と脇から(さわらびY)声がかかりました。覇を競った戦国の王たちは、暦をめぐっても競いあった、ということでしょうか。




81. シルクロードの会のお知らせ掲載 スンニリ [URL]  2002/01/26 (土) 09:18
お知らせの欄に「シルクロードの会」の広告を掲載頂きありがとう
ございます。皆さん是非ご参加ください。




80. HPに動画が載せれる時代がやってきた 増田俊幸  2002/01/24 (木) 21:32
私が最初にパソコン通信を始めたとき通信速度は300bpsでした。1秒間に15文字(全角)程度しか送れませんでした。センターに接続してメールを受けると画面にゆっくり文字が流れていきました。極端な話、受信中にメールを直接読むことができました。
もう20年も前の話です。
その時は、静止画像を送ることさえ想像も出来ませんでした。
それが、今ではADSLを利用すれば理論上は8Mbspのスピードを利用できます。実際には、8Mbpsを確保するのはほとんど不可能で、私の環境では3.5Mbpsになっていますが、それでも約12,000倍の速くなったことになります。
これくらい速くなれば動画も送れるのではないかと思い、2年前に買ったSONY製パスポートサイズのデジタルビデオカメラで動画を撮って、それをWindowsXPに標準でついてくるWindowsムービーメーカーを使ってwmv形式のデータに変換して、HPに張ってみました。ノートパソコンとデジタルビデオカメラはi-LINKで繋ぎました。

データのサイズは、320×240のサイズで1分の画像を変換すると約2MBのデータになります。
ADSLのスピードがあれば10秒弱でダウンロードすることが出来ます。そんな、ストレスにはならないと思います。やっと、動画を自由に掲載できる時代になってきたようです。

こうなってくると、CPUの性能がある程度重要になってきます。
これまで、友人などにどの位の性能のCPUが必要なのかと聞かれたとき、動画を扱うような事をしないのならそんな高性能なCPUは必要ないと言ってきました。
しかし、高速回線が手に入るようになってくると、本人は動画の処理はしなくても動画を貼り付けたHPなどは気軽に見るようになります。
すると、ある程度のメモリとCPU性能がないと高画質の動画データを高速に落とせても、パソコンの性能が無いためにコマ落ちしたぎこちない動きの動画を見せられることになります。
私の場合、ノートパソコンはP3-650MHz+198MBなのですが、若干コマ落ちが気になります。デスクトップは、P4-1.8GHz+512MBなので、綺麗な動画を見ることができます。
またパソコンを購入する時は、高性能CPUが気になる時代になってきたようです。




79. ブロードバンド時代到来? さわらびY(ゆみ)  2002/01/23 (水) 23:06
ADSLとX=Pに移行したメル友(Web友?)のMさんから、昨日
> 私のHPにデジタルビデオで撮影したデータを掲載してみました。
>http://homepage1.nifty.com/tmpage/ (註) 暇があったら見てみてください。
>ダイヤルアップ接続の方、レポートお願いできないでしょうか。
というメールをいただきました。
さっそくW-MeのノートPCにつないでみましたが、この日は画像はでず、本日のメールのご助言に従ってWindouwsMediaPlayerのアップグレードを行ってから、アクセスしたら、なんと20日Mさんとご一緒した高津のオビシャの映像をみることができました。
勢いよく矢がとぶシーンで「ビデオでなくちゃ撮れないわ」という私の声も聞こえます。
我が家はダイヤルアップ接続なので、小さくややぎこちない画像でしたが、ADSLやケーブル接続の方々には、ブロードバンド時代到来の幕明けの記念すべき日でしょう。
初めてW3.1のパソコンをメル友のSさんに譲ってもらって、はや7年、インターネット接続し、初めてのHP(「れきはく」のHP)を見たあの感動は忘れません。
「郷土史研通信」の原稿をメールでやりとりしたのが、1997年。すぐにW95からW98へ、そしてまだ何年もたっていないのに今はXP。
我が家の1998年購入のデスクトップPCでは、HP製作や「郷土史研通信」の編集がつらくなり、そろそろ買い替えのときがきたようです。
目まぐるしく移る時代、HPビデオ作品をごく普通にUPしあう日ももうすぐなような気がします。
(註)「さわらび通信」のLINKの「現地が一番」です。




78. 納税制度の始まり さわらびT  2002/01/20 (日) 19:44
近頃、某大手スーパーの再建計画が話題です。プロ野球ファンの私には球団経営も気がかりですが、有利子負債の膨大さには驚くばかりです。公的資金を注入したとして返済不可能な数字です。
それと元国税局長の脱税事件は私たち納税者の納税意識を損ないます。それでも源泉徴収制度や消費税でいやがおうでも納税させられている毎日です。
からのはこさんのHPにも訪問して書きこませていただきましたが、我が国に登場した納税制度を一瞥します。
689年飛鳥浄御原令、690年庚寅年籍、律令社会に移行しつつある時代です。税や兵役の義務が国家から要請されるわけです。律令制度のもとでは、口分田の支給がありその収穫から約3%ほどのイネを納めることになった。これが税の始まりでしょうが、用語としての「税」は出挙されるイネのことだったそうです。(渡辺晃宏『平城京と木簡の世紀』(講談社))渡辺氏によれば、「租」の起源は神への初穂儀礼が首長への貢納に転化されたものが、さらに律令の初穂貢納になったそうです。こうして国は財源を確保する第一歩を踏み出したとのことです。
税を徴収することが可能になれば、あとは使いかたが問題になりますね。人々は時代の移り変わりをどんな思いで見つめ暮らしたのでしょうか。




77. プロジェクトXの吉野ヶ里遺跡について さわらびY(ゆみ)  2002/01/17 (木) 22:55
15日に放映されたNTKTVのプロジェクトXの吉野ヶ里遺跡発掘保存の七田父子物語は感動的でしたね。
ついでに佐原真先生のお元気なお姿(「若き」?お姿も)よかった!
遺跡保存決定のあとのことでしょうか。
歴博の講堂の黒板に、佐原真先生が「オバQ」の形の遺跡概念図を描いて、熱っぽく吉野ケ里遺跡の意義を説かれていた時のことを思い出しました。
以上のことを佐原先生にメールしましたら、「吉野ヶ里のころはわれながらわかかったと目を見張りました」とレスがいただけました。  

今晩(もうすぐ)12時15分から、NHKで再放送があります。
見逃した方は、どうぞご覧になってください。




76. アクセス&リンクに感謝 さわらびY(ゆみ)  2002/01/13 (日) 15:28
 開設してもうすぐ半年、掲示板とアクセスカウンターをつけて4ヶ月。この度、情報リンク欄をつくり「歴史ネットワーク」と相互リンクして、「口コミ」の友人から、未知の歴史ファンにもご披露する段階に入りました。
 (「歴史ネットワーク」の孫一さん、ありがとう。そしてよろしくおねがいします。)
 リンクに関しては、フリーサイトも含め、E・メールアドレスのあるHPは極力メールでご了解をいただいてUPしていますが、もし手違いで届かず、不都合のある場合はご連絡下さい。
 夫婦の会話(?)と、友人との歴史サロンをめざした目的は、皆様のご協力でかなえられそうです。
 アクセス数もこのところうなぎ上りで、1000番はいつかと、楽しみにされた方もおられたかもしれませんが、この切り番をゲットしたのは、昨朝の夫のさわらびTでした。
 スンニリさんのご期待にもお答えして、鮮度のよいフレッシュなページを作っていきたいと心掛けますのでよろしくお願いいたします。
      以上 管理人より




75. 新年会で聞けた話 さわらびT  2002/01/13 (日) 11:33
新年会にご参加の皆さん。おつかれさまでした。おふたかたを囲んで、楽しく盛りあがったのでよい年明けだったと思っております。
たぶんこちらからもちかけた話題の最中だったのだと思います。突然、大山誠一先生から「あとがきを読んだ?」と問われて、何のことだろうと思ったのですが、『日本古代の外交と地方行政』(吉川弘文館)のあとがきのことでした。うろ覚え程度にしか読んではいなかったのですが、『シルクロードの会』でのご講演を、と勝手に考えていたため、持参していたのが幸いしました。この本に収載された論考に、いわゆる「任那日本府」の存在が虚構であることを提示した画期的論文があることを、以前この掲示板でも紹介しておりました。昨日は、ご本人から「あとがき」をなぞりながら、この論文が成立する過程を伺うことができました。1976年、井上光貞先生の紹介状を携え、金元龍・金延鶴先生を訪れたこと。また金海で発掘中の中山清隆氏とも親交を深められた経緯を述べておられます。中山清隆氏は来月「シルクロードの会」でお話になられる江坂輝弥先生のお弟子さんです。これも機縁です。
「加耶に成立した一種の政治機関は、朝鮮半島南部諸国の対立構想と大和王権や西日本勢力との複雑な関係の中で成立したもので、これを日本の植民地支配と考える余地はまったくない」ことはこの論考で提示されたのです。
さまざまなお話しをうかがうことができた新年会でした。




74. 本日の新年会 スンニリ [URL]  2002/01/12 (土) 21:20
今日の新年会、楽しく有益でした。大山、加藤両先生にお目に掛かれて
しかもシルクロードの会での講演を快諾して頂いたことは大変な収穫でした。ありがとうございました。またこちらのHP模様替えをされ「お知らせ」欄にシルクロードの会の行事案内を載せていただき誠にありがとうございました。貝塚の写真もいいですね。アクセスしたくなる編集の態度に敬意を・・・。




73. リンク 孫市  2002/01/12 (土) 08:04
はじめまして「歴史ネットワ-ク」の管理人鈴木と申します。どうぞ宜しくお願い致します。

本日リンク登録が完了致しましたのでご報告申し上げます。どうぞご確認くださいませ。

なお、よろしければ相互リンクをお願いしたいのですが。よろしくお願い致します。




72. 続・中国の暦 小西政太郎  2002/01/10 (木) 22:36
中国の伝統的思想の一つに、正確な天体観測に基づく正しい暦を民に与える(観象授時)ことが皇帝の任務であり特権であるという考えがあり民はその暦に従うことで忠誠を明らかにしました。それは従属諸国にも求められたため中国の暦は周辺諸民族に大きな影響を及ぼしました。やがて王朝交代のたびに権威の象徴として新しい暦法を制定することが慣例になり、2000年間に46回もの改暦が行われました。改暦と共に暦法は進歩しましたが、中には名前を変えただけで旧式のものに退歩したのもありました。
中国の暦は天文暦の要素と一般生活の為の常用暦とが一緒になったものでしたから日食や月食などの天文現象が暦の予報と外れたりすると天命が改まった(革命)として王朝交代の原因にもなり得ました。歴代王朝は専任の天文官を置いて真剣に取り組み正確な暦を頒布する努力を重ねたのです。その結果、中国の太陰太陽暦は世界最高水準にまで発達しました。
古代日本の暦法は中国の影響を受けて徐々に発展しました。その時代は倭の五王の頃か遣隋使の頃か、私には判りませんので歴史に詳しい皆さんに検討をお任せします。ご指摘のあった、推古朝に観測された日食の記録ですが、日食は朔(新月)以外には絶対起きない天文現象です。当時は暦法の理解や解釈がまだ未熟だったと思います。前回の資料に書いた「カリポス法」「四分暦」について・・・BC4世紀ギリシャのカリポスが発見した暦法で、27759日を940朔望月とし閏月の置きかたはメトン周期と同じ。中国では、これに相当する暦法が「四分暦」。1年の長さを365.25日とした計算方法。365.25×76=27759=940朔望月。




71. シルクロードの会の講演案内 スンニリ [URL]  2002/01/10 (木) 18:41
〈シルクロードの会〉

シルクロードの会では、本年は古代の済州島(耽羅国)を尋ねる旅を計画しています。
久しぶりの海外への遺跡めぐりですが、実施の前に耽羅についての知識をある程度は身に付けておきたいと思います。先般は文献の面から森公章先生のお話を頂戴しましたが今回は考古学の面から下記のように学習することになりました。江坂先生から戴きました年賀状の添え書きに「最近の済州島の考古学の研究で中国からの一番古い土器文化など石器の原材とともに済州島へ先ず最初に入ったように思われびっくりしております」とありました。そこで早速に先生にお願いしてお話を伺うことになった次第です。最新の済州島の考古情報をお聴きすることが出来ることでしょう。

テーマ 「古代日本から見た耽羅国」
講師 江坂輝弥先生(慶応義塾大学名誉教授)
日時 2月6日(水)午後6時
場所 渋谷区立商工会館5階第1会議室
JR渋谷駅宮益坂出口から5分
会費(資料代を含む) 1000円

問合先・電話03-3464-3326 高淳日まで 
e-mail kosunil@msa.biglobe.ne.jp
URL http://www2k.biglobe.ne.jp/~kosunil/
       




70. 朔旦冬至を2度経験した桓武天皇 さわらびT  2002/01/07 (月) 23:21
小西さんいつもありがとうございます。今度の中国の暦のお話はけっこうむずかしいです。ゆっくり読ませていただきます。
私のほうは、最近桓武天皇に凝っていまして、ちょっと時期はずれになりますが暦がらみのエピソードを見つけてしまいました。
冬至を含む月は11月と決められていたようです。冬至が1日(朔)にあたるときを朔旦冬至といったそうですが、桓武天皇の延暦3年(784)11月がまさ朔旦冬至だったのです。わが国で始めて祝われたそうです。しかもこの年の干支は甲子、中国では革命が起こるとされているということですから意味ありげですね。まさにこの年、11月に長岡京遷都が行われたのです。縁起を担いだということになりますね。
しかし政治の世界は怖いです。翌年には長岡京造営の立役者である種継暗殺という不幸が生じてしまうのですから。
メトン周期を中国でもつかっているのですね。この方法だと、19年で月の満ち欠けと季節がほぼ一致するのでしたね。19年目の延暦22年(803)に朔旦冬至がめぐってきました。桓武天皇は2度、朔旦冬至を経験したわけです。この19年間の激動もまたまた興味をそそります。




69. おめでとうございます 小西政太郎  2002/01/06 (日) 15:57
さわらび通信お仲間の皆さん今年もよろしくお願いします。
今回は太陰太陽暦が最も高度に発達した『中国の暦』の資料を調べたのでご報告します。字数の関係で2回に分けました。
中国最初の王朝・殷の時代既に毎月30日の12ケ月で冬至の次の月を年始とする一年で、日の順番を六十干支で数え、時々閏月を挿入して季節との調和を計っていたことが判ってます。BC0年前後に発刊された「律歴志]がBC3000年頃からの中国の天文学の歴史を伝えています。非凡な天体諸現象は皇帝の官選宮廷天文学者たちによって丁寧に観測され、年代記を通じて今日まで伝承されており、これらの年代記は研究者にとって非常に価値のある宝庫だと言われてます。なぜならば、それで新星や彗星などの出現を調べることができるからです。また、日食や月食も予測し観測されていました。次の周代には、独自に19年7閏のメトン周期を見つけ、戦国時代に置閏法は更に進み76年を周期とするカリポス法が採用され1年を365と4分の1日とする四分暦がこの時代に完成しています。漢代になり年始の基準が従来の冬至から春分に移り、以後それが固定しています。・・・次回につづく・・

次回は中国の伝統的思想の一つ『観象授時』について報告します。




68. 桓武天皇陵の謎 さわらびT  2002/01/02 (水) 20:44
今年もよろしくお願いします。今日は雪がちらつく寒い日でしたね。その雪の中を息子とキャッチボールしました。元気です。
昨年末の京都旅行での写真集(さわらびY作成)をUPしました。個性的な写真集になりました。旅のご参考にしてもらえるかな?
ところで今回は桓武天皇陵には行きませんでした。しかし調べてみますと、興味深い事実がわかりました。伏見の柏原陵が現在治定されているのですが、長らく不明とされており明治年間に現在地に定められたとのことです。南北朝の動乱は、平安京をつくりあげた王の墓をも不明にさせたわけです。
宮内庁が管理する天皇陵の治定に誤りがある可能性は古墳に限らないということを山田邦和氏の論考から教わりました。(別冊歴史読本78『歴史検証天皇陵』p134〜139参照)
ちなみにこの別冊歴史読本は、宮内庁書陵部が所蔵している幕末の天皇陵修復図(荒蕪と成功)を紹介しています。天皇陵に関心のある方にはお買い得本になると思います。




67. 謹賀新年 スンニリ [URL]  2002/01/01 (火) 11:10
明けましておめでとうございます。東京の元旦は陽光がみなぎり
新春にふさわしい天候となりました。この日差しのように今年が
明るい年でありますように、そして皆様のご健勝とご多幸を心か
らお祈り申し上げます。
        2002年元旦




66. 高野新笠の墓 スンニリ [URL]  2001/12/31 (月) 18:25
嵯峨野だとばかり思いこんでいました。何しろ大分むかしの参詣
でしたので勘違いでした。ゴメンナサイ。
ホームページ、おニュウにしましたね。写真なかなかいいですね。
「日の出の勢い」ということばがありますが、来年はそんな感じ
でなくてもいいから少しでも良い方向に牛歩で・・・と言ったら
何処かからか馬耳東風の風が吹いてきた。・・・これじゃ洒落に
もナラン。折角の馬の年だから全てがウマく往って欲しいものよ。




65. 来年もよろしく さわらびT  2001/12/31 (月) 14:54
29〜30日、2人で京都まで出かけてきました。暮れのあわただしい中ですが、ここ数年恒例にしてきました。
お正月準備の人々の姿を拝見しながら、ちょっとばかりやましさを感じつつ寺社・仏閣を訪ねています。今年はトピックスに書きましたように、天皇発言に刺激され、桓武天皇ご生母の墓を訪ねました。
2日目は嵯峨野・太秦を自転車で走りました広隆寺では、弥勒菩薩に再会できました。また、新たな感動を与えてくれました。
さまざまなことがあった1年でした。つらいことも悲しいこともあった。でも人生楽しくやりましょう。みんなのつながりを大事に、明日を元気に駆けていきたいです。




64. 小西さんのお話 スンニリ [URL]  2001/12/30 (日) 16:15
大変に興味があります。続いてこれからも書き足してくだされば
ありがたいです。




63. 村上懇親会では スンニリ [URL]  2001/12/30 (日) 16:12
折角のチャンスでしたのにnoriさんとは親しく出来ず残念でした。
当日の司会・藤盛氏からは遠く九州から見えられる方の要望もあっ
て必ず懇親会を行う旨、予定はしていましたが、小生、年齢が往っ
ているというだけで私が乾杯などやらされましたものの、勝手な振
る舞いなどして恐縮です。自由に動き回れるような場所でなかった
ために会話を交わせなかったのはまさに残念でした。次の機会を・・・。




62. 続・ベツレヘムの星 小西政太郎  2001/12/29 (土) 00:45
1)イエスキリスト生誕日の謎
聖書には、イエス誕生の日付や季節に関する記述はありません。もともとイエスの生まれた日が不明なのです。12月25日を最初にクリスマスとしたのは354年であると言われてます。ローマ教会の歴史家が「主イエスキリストは12月25日金曜日、新月の第15日に生まれた」と記しています。当時、ローマの習慣として12月17日からの1週間、農業神の祭りが行われていたり、勢力のあったミトラ教では12月25日に冬至祭を行って太陽の力の再生を祝うなど、古来からあったこれらの祭りの日をクリスマスとして採り入れたのではないかと言う説があります。歴史上ではイエスの生誕をBC4年頃としています。 2)ベツレヘムの星の謎 前古代の天文学第1の中心地にバビロニアが挙げられます。バビロニアの天文学の発祥はBC3000年にまでさかのぼり最盛期はBC500年頃でした。バビロニアの都市バビロンから見たベツレヘムの方角は西南西、即ち太陽や惑星・彗星の沈む方位にあたります。資料によるとBC7年には木星と土星が八ヶ月の間並んで見え12月になると火星がその並びに近づいてきてベツレヘムの方向の地平線に一列に沈んでいきました。その後BC1年には金星と木星の接近が起こり、同じ年にエンケ彗星が現れて同じようにベツレヘムの方向に沈んでいきました。これを見て天文観測の進んでいたバビロンの博士達でも「何か素晴らしい事が起こる前触れ」と考えても無理もありません。東方の博士達を導いたと言うベツレヘムの星はどの星を指すのでしょうか。キリスト教国の天文学者達にとっては今もなお関心のある研究テーマになっているそうです。




60. 日蝕は朔におきる? さわらびT  2001/12/25 (火) 07:34
小西様
ご指摘いただきありがとうございます。次のお話も楽しみです。
私のほうは、日本の暦の話です。『日本書紀』推古10年(602)10月百済僧観勒来けり。仍りて暦の本及び天文地理の書、あはせて遁甲方術の書を貢る。とあります。小西さんの資料から見ても、儀法暦はまだないので、元嘉暦になります。書紀は後世の成立ですし、干支は編集段階で修正されているでしょうから誤解を招く表現かもしれませんが、平朔・定朔の理解のためこう仮定しておきます。
推古36年(628)3月丁未の朔戊申に、日、蝕え尽き足ることあり。つまり1日ではなく3月2日に日蝕があった、と書かれています。元嘉暦が定朔法であるなら、朔の日と日蝕は一致していなければなりません。あえて一致させていないのですから、平朔法が使われていることになります。
中国は面白い国ですね。最初はアバウトで平均日数で1月を決めたその後、朔を月齢0を含む日にする暦を考えるという厳密さも考え出した、というわけですよね。太陽と月の運動が一定でないことも見ぬいて、暦に反映させる。面倒なことがきらいな私にはできません。
儀法暦が我が国に入ったのいつのことだったのでしょうか。そして天寿国繍帳はいつ作られたのでしょうか。小西さんへ質問させていただくきっかけとなった、金沢論文では干支計算の面からは天寿国繍帳の銘が持統朝以降成立の可能性が高い、と述べておられます。








59. ベツレヘムの星 小西政太郎  2001/12/24 (月) 23:47
さわらびTさんの『月齢』と『暦』に関する資料の中で一カ所脱落があったので補足します。太陰暦の項で、陰暦とも言う。の次、朔望月を単位としており、になります。二日酔いのわりには上出来ですね。手伝って頂いたお礼にクリスマスに関する話題を一つ。
『新約聖書』にしるされたイエス誕生の物語には、不思議な星が登場します。このとき明るい星があらわれ、その星に導かれて東方の博士たちがイエスのもとに来訪したと言うのです。「ベツレヘムの星」と呼ばれるこの星は、本当に存在したのだろうか、存在したとすれば、いったいどんな星なのか?クリスマスの夜におきた不思議な現象を天文学の立場で検証した多くの資料から整理して次回報告します。明るい惑星?彗星?それとも大流星???つづく




58. 高野新笠と桓武天皇をめぐって さわらびT  2001/12/24 (月) 15:23
スンニリ様
ご丁寧にありがとうございます。最初に会場にお見えになられたとのこと、お待たせして申しわけありません。
ところでスンニリさんもHPでお書きになられてますが、昨日の天皇陛下のお言葉の中で、天皇家の出自として高野新笠を登場させておられるたことは画期的ですね。いろいろな思いがありますが、とりあえず書きます。
称徳女帝が亡くなった後に、後継天皇として天智系の白壁王(光仁天皇)が登場します。この方が桓武天皇(山部親王)の父にあたられます。興味があるのは光仁天皇の父、施基(志貴)親王です。「石(いは)ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(8-1418)という万葉歌の作者です。このHP「さわらび通信」は制作者の本名に由来していますので、親近感がわきます。
「山部の母は、高野新笠、百済系帰化人和乙継(ヤマトノオトツグ)の女である。聖武天皇の娘井上内親王を母とする他戸親王に比して、血統上見劣りするのはどうしようもない。しかし、このコンプレックスをプラスに変えた。母と同じ百済系の氏族の代表格である百済王一族を取り立てたり、・・・・・従来の伝統に囚われない人材登用の道を開くことによって、自らの政権基盤を一歩一歩固めて行こうとした。」(坂上康俊『律令国家の転換と「日本」』P18)
天皇家があらたな出発をされた時期でもあったのでしょう。




57. 昨日はありがとうございました スンニリ [URL]  2001/12/24 (月) 09:07
多くのステキな人々と歓談をともに出来たこと大変うれしく感謝申し上げます。特に何年振りかに栗原さんとお会いできたことは本年の最高のプレゼントでした。ありがとうございます。仲間に入れていただいて今後のお付き合いが楽しみです.何卒よろしくお願い致します。
                          高淳日 拝
追伸 小西さんの暦法の話しレポートにしてくださったこと大変参考になりました。書き込み大変でしたね。ご苦労様でした。




56. 小西さん資料ありがとうございます さわらびT  2001/12/24 (月) 08:31
昨日、忘年会の席で小西政太郎氏から『月齢』・『暦』に関する資料
を頂戴しましたので、掲示板にUPさせていただきました。私の質問に丁寧にお答えいただきありがとうございます。プリントでいただきましたので、帰宅後ワープロ打ちしました。2次会でさんざん飲んで騒いだあとでしたので、変換ミス等ありましたら、ご指摘下さい。でも小西さん、次回からはFDでいただけますかネ(^o^)
それと、文字制限がありますのでご注意ください。(1000字)




55. 『月齢』・『暦』に関する資料 さわらびT  2001/12/24 (月) 08:11
『月齢』・『暦』に関する資料
★ 朔 月齢0の新月を指します。太陽、月、地球が直線上に並んだとき。黄緯が一致したときは日食になります。旧暦では朔を含む日を月の第1日としてます。
★ 望 月齢15の満月を指します。太陽、地球、月が直線上に並んだとき。黄緯が一致したときは月食になります。
★ 朔望月 朔(新月)から次の朔までの時間の平均。太陽を基準にした月の公転周期。1朔望月=29.530589日。
★ 暦法 1日を単位として長い時間を年・月・日によって数える体系。暦法の根本は1太陽日・1朔望月・1回帰年の端数関係をいかに調整するかにあり、太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦に大別されます。
★ 太陽暦 地球の公転運動を基準にして決めた暦。回帰年が基本単位。1回帰年=1太陽年=365.242190
★ 太陰暦 月(太陰)の満ち欠けを基準にして決めた暦。陰暦とも言う。朔望月をしており、現行の純太陰暦は「イスラム」暦のみ。
★ 太陰太陽暦 月の満ち欠けに合わせて1ヶ月間の日付を決め、他方、閏月をおいて太陽の動き、つまり季節に合わせた暦。閏月の置き方に、8年3回、19年7回(メトン周期)、76年28回(カリポス法)等がある。中国暦、日本の旧暦もこれに属する。
※ メトン周期 19回帰年(6939.602日)と235朔望月(6939.688日)がほぼ等しいため、これを周期として月の満ち欠けと季節の関係が同一に戻る。BC433年にギリシャのメトンが発見。 〈19×12+7=235〉
★ 定朔法 月齢0の新月が朔日(ついたち)となるように「ひとつき」を定める暦法
★ 平朔法 ひと月の平均日数が一朔望月に等しくなるように、大の月と小の月とをほぼ交互に配置する暦法。
★ 元嘉暦 宋の時代・元嘉20年(443年)に作った暦。
★ 儀鳳暦 唐の高宗の麟徳2年(665年)に作った暦のわが国での称呼。いずれも日本に伝来してますが、時期は諸説あり?です。
※ 中国から日本に伝来した暦は、明治の改暦までの間に九種類の暦が使われました。そして、紀元前から「六十干支」でも日の順番を数えていた等、世界最高水準の太陰太陽暦を誇る『中国の暦』を次回の投稿までに調べる予定。(小西政太郎氏より)




54. 済州島のこと スンニリ [URL]  2001/12/22 (土) 10:01
済州島のことについては来年、済州島の古代遺跡を尋ねる旅を「シルクロードの会」で計画しておりますが、これと連動して済州島のことについては少しばかりレポートをわたしのHP上で載せたいと思っています。当然、あの忌まわしい4・3事件にも触れることになるでしょう。
 暦の話しは大変参考になりました。冬至の日にかぼちゃを食べる習慣はどの地域まででしょう。私の母はあずき粥やかぼちゃの葉などの入ったクッ(スープ)なども作ってくれました。
 明日の忘年会、小生も楽しみにしています。




53. 冬至とクリスマス ゆみ(さわらびY)  2001/12/21 (金) 20:28
 明日は冬至、旧暦では冬至が霜月にくるよう計算して一年の暦を決めたらしいですね。
 旧暦の宮中行事だった「新嘗祭」は実は、冬至祭りなんですって。「勤労感謝の日」の11月23日は収穫祭のイメージがあるけど、たまたま明治6年改暦の年の「新嘗祭」が旧暦11月23日だったからと聞きました。
 太陽のよみがえりを祝うのは、北半球に住む民族共通のことなのでしょう。
 クリスマス(=キリストのミサ)が12月25日なのも、3世紀古代ローマの「勝利の太陽神」誕生の祝い日だったとか。
 キリストの誕生が「闇に光を見た」と人の心に感じられる日が、いつしか選ばれたのでしょう。ただ、聖書の「羊飼いが野宿していた」という記述には、いくらパレスチナでも寒すぎてちょっとかわいそうな気がします。
 冬至の約十日後が新年、(この日付に何かこだわりがあるのかと思っていましたが、)誤差の生じたユリウス暦をグレゴリオ暦に直す時、教会暦でもっとも重要な復活祭算定の元となる春分の日を3月21日に決め、その結果たまたま1月1日が冬至後十日目になったということです。
 ちなみにキリストの受難は歴史的事実で、ユダヤ暦の過越祭中の金曜日ですから、復活祭は「春分の日の次の満月の次の日曜日」と、今もユダヤの太陰暦の慣習を受けて決められています。
 今年のクリスマスイブは、天皇誕生日の振替え休日、心あたたまる夜になりますように。 ☆彡




50. 感謝 Nori  2001/12/21 (金) 08:13
さわらびTさん、スンニリさん、有り難うございます。
元気を頂いた気がします。




49. 済州島はどんなところですか さわらびT  2001/12/20 (木) 22:24
スンニリさん
思いやりのあるお言葉で、感動しました。
スンニリさんのHPでご体験の一端を拝見しました。
たまたま私の勤務する音楽マネージメントの業界は来年1月に済州島でアジア・オセアニアの国際会議を開くそうです。リゾートといった意識で行なわれるのかもしれません。第2次大戦終結後の済州島では、島民を巻き込んだ大事件があった、と聞きます。
夏に北京に行った時も、華やいだ人々の表情はすがすがしかったのですが、数年前には天安門事件があった地です。
人々の生きた日々は、思いと感じています。




48. 今は生き残ること スンニリ [URL]  2001/12/20 (木) 10:15
今はただ生き残ることだけを考えているときです。私も70歳を越えた頃
からよくぞここまで生きて来れたものと感慨ひとしおでした。
 転勤大変でしょうけれどがんばってください。確かに今の世相、オカシイデスヨ。ですからここは一番、サバイバルにだけ目を向ける時機でしょうね。戦中戦後、生きぬいてきた私は母の家族のためにひたむきに
尽くしてくれた姿が思い出されます。夜中、目を覚ましてみると何時も
母は、はだか電球の下で内職の針仕事をしていました。父の労働と母の内職に支えられ6人の私達兄弟は成人しました。近所の人たちも同じような境遇で、だから助け合う風潮がありました。今の日本はあの時代
よりも人情味から言うと悪くなったような気がします。今は経済を念
頭に発展・進歩の論理で全て物事を処理しようとしています。世界の恵まれない多くの人々からは先進国の横暴にたいして為すすべもなく、ためにチョット意識ある人は過激に走る状況ではないでしょうか。「歴史の流れ」という言葉が私達の若いとき流行しましたが、流れる歴史のなかで民衆はただ翻弄されるだけですが、流れに身を任せるしか生きるすべのないのが昔も今も庶民の生きる知恵でしょう。がんばりましょう。やがて流れは行くつくところに必ず行くもの・・・。




47. 転勤ですか さわらびT  2001/12/20 (木) 07:16
Noriさん
転勤ですか。私は、転勤があるような会社に勤めたことがありませんが、父親の北海道転勤で家族がバラバラになった経験があります。会社は非情なものですよね。母方の祖父母の家に下宿したおかげで、私自身は寂しくはなかったけれど、息子二人と離れて北海道で暮らした母は学校が休みになって帰ってくるのが待ち遠しかったようです。
ところで先日、上京された時に聖徳太子展に行かれましたよね。相変わらず混んでいましたか。
私は中宮寺の菩薩の前で思わず手を合わせていました。美しい表情をしていますね。みどころは多かったですが、野中寺弥勒像にも関心を持ちました。『聖徳太子と日本人』で、大山先生は東野治之奈良大学教授の指摘されたこととして、この弥勒の台座銘が偽作の可能性があるとことを述べておられたので、妙な関心で見つめてしまいました。




46. 今日のおしゃべり Nori  2001/12/19 (水) 23:53
転勤でーす。この歳になって子会社に行きまーす。福岡になる予定でーす。構造「改革」(小泉政権)に乗って、踊らされた(企業社会の)支配者階層は自らの生き残る(サバイバル)手立てしか考えていません(まさに、「資本の論理」そのものです)。その犠牲を小生がなぜ引き受けなければならないの…。これって、許されていいわけないよね。小生の家族をその生贄にさせる訳には参りません。リストラ列島に生きてる我等、被支配階級の現実(生活)なのだけれど…。それが、階級闘争の現実なのかもしれないと自らを納得させて、この近き将来をしぶとく生き長らえるつもりでいます。子供たちに残せる21世紀の展望を切り拓くため、親たちの歴史的責務を必死に考える今日この頃です。




45. 韓国での暦 スンニリ [URL]  2001/12/17 (月) 09:29
私の子供の頃は母は殆ど旧暦を使っていました。日常の他人との会話の
なかでも今日は陰暦で何月何日と言っていたのを覚えています。済州島で暮らしていた時の日常がここ日本でも行われていたのです。年間の行事は陰暦を元に進めていました。特に先祖の命日(韓国では5代前までの先祖の祭祀を営みます)は陰暦の日を以って祭事を行っていました。
しかし最近は死者の命日を陽暦で記憶するようになったので私の身内親族では陽暦を元にしています。それでもお正月やお盆の休みは都会ソウルの人たちでさえ旧暦の日を中心に帰省ラッシュとなるほどです。つまり陽暦と陰暦、暦の2本立てですね。私もこのページで暦に関心を持つようになりました。ありがとうサンです。




44. すばらしいお便りや論説をありがとう ゆみ(さわらびY)  2001/12/16 (日) 23:55
皆様へ
この掲示板を設置して、まだ2ヶ月ちょっとですが、
毎回、すばらしいお便りや論説をありがとうございます。
大学の教養課程?に勝るとも劣らない幅広く、かつ深い内容に感服し、
日々勉強させていただいています。
よき友にめぐまれてスタート出来たこと本当に感謝しています。

相変わらず、今週末もウィルスがはびこっています。
それぞれのお考えや情報も、皆さんにご披露してもよい内容でしたら、
どうか、メールでなく掲示板をご利用下さい。
また難しい論説でなくとも、軽いお便りも大歓迎です。




43. 日本の暦で困っています さわらびT  2001/12/16 (日) 20:23
小西様
世界の暦シリーズ、ありがとうございます。不勉強なせいででなかなか頭に入りません。月の満ち欠けと太陽の運行から暦は作られているわけですね。それをどう調整するかですよね。イスラムの純粋太陰暦はすごかった。季節の違いは無視されるわけですからネ。
今、大山誠一先生が『聖徳太子と日本人』の36ページでご紹介された金沢英之氏の論文が『国語と国文学』11月号に掲載されましたので読んでみました。元嘉暦と儀鳳暦との違いを焦点に天寿国繍帳銘の成立年代を検討されていますが、「平朔法」やら「定朔法」が出てきます。基礎がわかっていない上、具体的な計算式まで見ないとこの論文の計算結果が理解できず困っています。
ちなみにその論文は、金沢英之「天寿国繍帳銘の成立年代について−儀鳳暦による計算結果から−」です。




42. 世界の暦その弐『ユダヤ暦』 小西政太郎  2001/12/15 (土) 15:54
アフガンでの争いが収束に向かっている時、今度はパレスチナ問題が再熱してきました。そこで今回はイスラムの世界と長年不毛の争いをしているイスラエルの暦『ユダヤ暦』を調べてみました。
皆さんご存じのように、西暦70年ローマ帝国によって国家を滅ぼされて以来、長く国を持たない流浪の民としての生活を強いられたユダヤ民族にとって、ユダヤ教は世界各地に散った同胞を団結させる唯一の絆で、その信仰生活を守る為には「ユダヤ暦」は必要不可欠のものです。滅亡以前の古い時代については、早くから実測による新月の発見を重要視した太陰太陽暦が使われていたと言われており、現在では何度かの改良を経て1250年に今私達の使っている暦の9月16日にあたる「テイシユリの月」を年始と定めて以来そのまま使われています。置閏法は19年間に7回で3・6・8・11・14・17・19年目の第6の月の次に「アダル月2」として30日が挿入されます。置閏法とは太陰太陽暦の基礎をなす周期でBC433年にギリシヤのメトンが発見、メトンの周期と云います。 神による天地創造から導かれたこの暦の紀元(ユダヤ紀元)は、BC3761年に置かれており現在のイスラエル共和国の公式暦として金曜日の安息日など厳格に守られています。
西暦2000年1月1日はユダヤ紀元5760年4月23日です。前回のイスラムの暦で、宗教上のラマダンの開始と終了の決定と天文学の月齢0との関係は判りません。尚、12月15日5時47分は月齢0の新月です。





41. Noriさん、これからもよろしく さわらびT  2001/12/15 (土) 15:36
Nori様
私は軽薄なものですから、熟慮を重ねられたお言葉の重みに多少うろたえつつ、御返事差し上げます。考えていることにそんなに違いはないと思っております。生かされている、と感じていれば少しは気が楽になるかもしれないと思いつつ、有効に時間を使おうと過ごしております。共通の関心があれば会話も弾みます。
羅針盤のない航海をしているとたとえられる世相ですが、歴史をたどることでこの国の人々の営みが常に苦難にたち向かってきたことがわかるような気がして周辺をさまよっています。あまり無理せず少しづつ勉強していくつもりです。これからもよろしく。





40. 「経哲草稿」はこの列島に根ずくのか Nori  2001/12/15 (土) 03:49
今日は“しつこくバイヤスした思考”から逃れたくて書き込みました。

「外来の宗教が日本に受容されうるのか」(?)…。確かに、この列島における21世紀の大きな課題の一つであると思います。
「たまたまミッションスクールで学んだ」り、「長崎のようなどこにでも教会のある土地に育った方」の“心情”は果たして、かかるテーマを意識し、共有できるのだろうか。「三十年前、宗教と対決し『経哲草稿』などを議論」していた、若き日のさわらびYさんの“心情”は齢を重ねられた今にして、「子供を産」み、「父の死を看取った」ことで、その課題を自覚されたと云うのでしょうか。“日本史をみつめた「聖母」たち”の主語は“「聖母」を見つめた”列島の住まい人であることには間違いは無いが、「慈母」なるものをもとめる普遍性などに気付くはずも無ありますまい。「民衆の群れの中」にいる「私」には「普遍的」なる“生”を感ずることさえできないからです。今日、『裸で狼の群れのなかに』いる者をさえ、“共に守る”ことの「宗教」を「西洋思想」とともに終ぞ“止揚”できない住まい人の一人である「私」なのだから…。「民族」意識と「仲間」意識の関係さえ理解できていないのだから、その課題はもっとも重いものと云わなければならないでしょう。
「聖母」マリアに平安を感じているのではなく、幼・少の頃をただ懐かしく感じることで優しくなれそうな自分を確認しているだけかもしれません。




39. “国破山河在” Nori  2001/12/15 (土) 02:04
2001年も暮れなんとす。暮れなずむ半生記をふり返るに、気付いてみれば白髪に驚倒しつつもまるまる生かされた来し方を思っています。
“国破山河在 … 白頭掻更短 渾欲不勝簪”
“生”を得たものとして自らの“命”を生き長らえることこそ“生”の価値と堅く意味付けてきたつもりです。
21世紀に漕ぎ出したこの一年、残り半生の積み荷は初手から重過ぎました。しかし、一馬力(人力)手漕ぎの丸木舟(ボート)の進み行く方向を背に、見えない先への不安のまま取敢えず漕ぎ出したのですから、自ら悔やむこともありませんが…。自らの来し方に正対し(ボートではなく和舟だったら斜に構えた半身の姿勢)、“北辰”を時代の羅針盤にして未知の寄港地への期待に胸膨らませる楽天性は何処にその根拠があるのだろう。
抗う力は六分程度にバランスさせつつ、湊・港での楽しい想い出をつくりたいと考えているだけです。
行く道の定まらずとも年は明く(Nori)、です。
なにはともあれ、2002年もよろしくお願いします。

さわらびTさん、ご自宅のご住所を明日にでもメールしてください




37. Re: ウイルス対策について ゆみ(さわらびY)  2001/12/12 (水) 21:23
> メールについてくるファイルは安全を確認してから利用しましょう。
> マイクロソフト系のデータファイルも、安易にダブルクリックしてはいけません。
>
> 礼儀として、極力添付ファイル付きメールの送信は止めましょう。
> とにかく、送られてきたものは慎重に取り使うしかないようです。

よくわかりました。
増田さん、ご教授ありがとう。

Badtransウィルスが本当に身近ではやっていますね。
システム課から緊急回覧が回った職場でも「駆除のためきのう徹夜しちゃった」なんてあいさつがわりにかわす昨今、致命的な症状でないだけに、蔓延力はすごいです。

「千葉の石仏掲示板」ももっぱらこの話題!http://game.gaiax.com/www/game/d/u/douhyouoyazi/bbs.html
われらが親友?の「道標おやじ」さんの闘病記は、もしかかったらとても参考になります。患者さんはご一読を。




36. ウイルス対策について 増田俊幸  2001/12/12 (水) 17:27
こんにちは。

ウイルスって、いろいろな種類のウイルスがあるので簡単に見つけるのは難しいですね。
でも、ウイルスには特徴のあるものもあるので、ウイルス情報を見かけたらみんなに教えてあげると言うのがいいかも。

以前はやったニムダは、物凄い方法で感染して行きました。
1.IISセキュリティホールを利用した侵入
  マイクロソフトのWebサーバのセキュリティホールを利用してサーバーに侵入しました。
  そして、そのサーバーからまたランダムにIPを指定して、セキュリティーホールのあるサーバーをさがして侵入をはかりました。
2.IEのセキュリティーホールを利用した侵入
  Webサーバーに侵入したウイルスは、ホームページに不正なJavaスプリクトを埋め込んで、セキュリティーホールのあるIEで閲覧するとウイルスはホームページを見た人のマシンに侵入します。
3.ファイルによる侵入
  ウイルスは、感染したマシンの全てのドライブの全てのフォルダに自分のコピーを作成します。
  このウイルスは、エクスプローラでプレビューをしただけで動きだします。(IEのセキュリティーホールを利用しています)
4.メールによる侵入
  ウイルスは、アウトルックの情報を読み込みそのアドレスに自分のコピーを添付したメールを発信します。自分のSMTP(メールを発信する機能)を使うので送信記録は残りません。

と、こんな怖いウイルスもいます。

ですので、私達が出来る対策としては、
1.ワクチンの管理をしっかりする。
2.そして、セキュリティホールは速やかにふさぐ。
でしょうか。

ワクチンは、それぞれメーカーがインターネット上で最新のワクチン定義ファイルを公開しているので、出来るだけチェックして新しいファイルを使うようにしましょう。最近は、週一くらいで更新されているようです。
セキュリティホールは、マイクロソフトのホームページを覗くとセキュリティパッチが公開されているので、こちらも出来るだけチェックして穴をふさいでおきましょう。

メールについてくるファイルは安全を確認してから利用しましょう。
マイクロソフト系のデータファイルも、安易にダブルクリックしてはいけません。

礼儀として、極力添付ファイル付きメールの送信は止めましょう。
とにかく、送られてきたものは慎重に取り使うしかないようです。

では、また。






34. 初めての訪問です スンニリ [URL]  2001/12/11 (火) 08:54
さわらびTさん、メール拝見、早速やってまいりました。今日はただの
訪問ということで中身については後でまたじっくり拝見させて頂きます。
ウイルス大流行しているみたいですね。ノートパソコンのほうはワクチンがはじめから組み込めれていたみたいで安全、デスクトップは今回新たに最新のワクチンをアップしました。こう言う情報は仲間で早くに伝達し合うようにしましよう。今日はこれまで・・・。




33. ウィルスにご注意 ゆみ(さわらびY)  2001/12/10 (月) 22:55
連日、ウィルスメールがきました。
一昨日のは「Re:    」に怪しげな拡張子のついた添付ファイルがついていました。
今日は「Re:文字化けした変な?題名」でしたので、
相手に確認し、開けずに、即、削除しました。

わが家は、NIFTYマネージャーですので、実害はなく、
事無きをえていますが、やっかいですね。

ウィルスメールの簡単な見分け方と対策を、
どなたか初心者むけに手ほどきしてくださいませんか。

急に寒くなってきました、
本物のインフルエンザウィルスにもご注意のうえ、
師走の多忙期を乗りきりましょう。




32. 「聖母」への感想ありがとう ゆみ(さわらびY)  2001/12/04 (火) 23:45
 “日本史をみつめた「聖母」たち”へのご感想を ありがとうございます。
 シリーズのV〜Xは、一昨年と去年、長崎で受けたさまざまな感動のごく一部でも早くかたちにしたいと思いつつ、時間がかかり、やっと完結できました。
 メールや職場で、意外な方が見てくださっていることを知り、それを励ましになんとかたどりついたしだいです。

 「外来の宗教が日本に受容されうるのか」ということに、遠藤周作氏や五野井隆史先生は格闘されていらっしゃいましたが、父祖からの信仰の影響を否応なく受けた者のひとりとして、普段着のような「私の宗教」を見直してみたかったのだと思います。
 それはたまたまミッションスクールで学んだり、長崎のようなどこにでも教会のある土地に育った方の心情と共通するテーマだったかもしれません。

 三十年前、宗教と対決し「経哲草稿」などを議論していたころを思うと、その後、子供を産んだり、父の死を看取ったり、また郷土史や民俗宗教にふれたりと、私も歳月を重ねこの歳になって、やっと書けたテーマだったと思いました。
 特に秩父観音霊場をはじめ、地域の石仏や子安講などを訪ねていくうち、「こころに寄りそう存在」を意識し始めたからでしょうか。
 “日本史をみつめた「聖母」たち”というテーマも、主語は“「聖母」を見つめた日本史のひとびと”だったかもしれません。
 「聖母」というより、「慈母」あるいは「無垢な女神」を普遍的に必要とする民衆の群れの中に私もいる、そんな感じがします。

 また、おりをみて、続編か、エピローグを書きたいと思っています。
 ありがとうございました。




31. はじめまして。 Nori  2001/12/04 (火) 00:36
さわらびYさん、さわらびTさんこんばんわ。さわらびYさん初めまして、Noriといいます。これまで何度か訪問してはいますが、なにせ勇気がなくて【さわらび板】への書き込みは初めてです。よろしくお願いします。
さわらびTさんにはいつも大変お世話になっています。また、今週末の上京では夜遅くまでお付き合い頂く事になるやもしれません。ご迷惑をお掛けすることになりますがご容赦ください。
今日はご挨拶だけと思っていましたが、どうしても気になる“日本史をみつめた「聖母」たち”について一言。
懐かしい幼・少年の頃を想い出しながら、そして複雑な思いで何度も読み返しています。読み返すうちに、不思議にも妙な落ち着きを感じています。上手く説明はできないのですが、この歳になるまで無かったような心の平安と云えば大袈裟ですが、何だか優しい気持になれそうなそんな気持です。感謝しています。
ありがとうございます。




30. 任那日本府と広開土王碑 さわらびT  2001/12/01 (土) 21:56
朝日新聞12/1朝刊「私の視点」に掲載されたソウル在住の評論家・池東旭氏の意見から引用します。韓国・日本両国による共同歴史研究に懐疑的な意見を述べられています。
「韓国史学者の論争のタネである任那府の実在について韓国人学者はその存在を否定する。大半の日本人学者はその存在を肯定している。高句麗の好太王(広開土王)碑の「渡海破」の語句の解釈も両国学者は異なる。日本人学者はこれが倭の半島支配を裏付けるものと主張する。韓国人学者は碑を発掘した日本陸軍参謀本部が碑文を改竄したと反論する。」
誤解を招く文章だと思いました。ちょうど広開土王碑に関するページを書いていますので、一言。書かれている論争は30年前のものです。碑文研究は原石拓本の発見とそれに基づく再検討という段階になっていることを書いておきました。
「歴史的事象の解釈は多元的でいい」という考えには同感ですが、史実は一つですから共通理解に至るプロセスは必要でしょう。日韓の学者で歴史解釈が異なるというだけでなく、同じ国の研究者であっても意見は異なることもあると思います。
任那日本府については大山誠一『所謂「任那日本府」の成立について』(『日本古代の外交と地方行政』、吉川弘文館、1999年に所収)に詳しいのでご一読ください。加耶の統一をめぐる国際関係の過程で生まれたものであることが歴史的理解だと教えられます。




29. XPに乗り換えた 増田俊幸  2001/11/28 (水) 09:25
最近、私のバイオノートをMEからXPに乗り換えました。
OSの乗り換えは、失敗すると環境全部作りなおしになるので、ちょっとゆうつな作業です。
まずは、データを全てCD−Rに焼いて、いざと言うときはデータだけは復元できるようにしました。
次に、SONYのHPに行って、マイクロソフトでは用意してくれないマシン固有のデータを取ってきました。
BIOS1本、ドライバが4本、アプリケーションが8本。
これを取ってこないと、バイオ君特有の環境がXPに移行できません。
で、XPを上書きする前に、BIOSをバージョンアップして、XPには移行できないアプリケーションを削除して、上書きする環境を整えて、これまでに1時間。
次に、XPのCD−ROMをノートにさして、上書きが始まって、終わるまで1.5時間。
XPに無事移行できてから、バイオ君特有の環境の構築に1時間。
その後、通信環境の再構築に0.5時間
全部で、4時間の作業になりました。
大変でしたが、無事XPに移行できたので、まずは一安心。
でも、こんな作業、パソコンに不慣れな人に出来るのだろうかと、ふと思ってしまいました。
BIOSの書き換えに失敗したら、起動すら出来なくなって大変なことになると思うのですが。
まあ、いきなりXPをかぶせても、もしかしたらXP機になってしまうのかもしれませんが。でも、バイオ君はバイオ君じゃなくなくなってしまうんでしょうね。
みなさんは、XPに移行しましたか。

でも、本当は、こう言う作業が大好きだったりします(笑)
では、また。





28. 年末調整の季節になりました さわらびT  2001/11/27 (火) 23:15
からのはこ樣。さっそくのご訪問ありがとうございます。私も時折そちらに訪問させていただきます。
古代に思いをはせるのも、風情ですよね。
仕事柄、年末になると源泉徴収制度が企業(というか、事務をしている私のことです)の負担を強いるものでないかと、ついグチっぽくなってしまいます。「我が国においては、利子所得については明治32年から、給与所得については昭和15年から採用されているなど長い歴史を有しており、外国においても多くの国で採用されています。」と『源泉徴収のあらまし』には説明されています。
国には便利な制度なのでしょうが、事務をまかされる立場にとっては代行ですから、なんとなく矛盾は感じます。このガイドブックも読みでがあります。それだけ源泉徴収すべき報酬の種類いが多いということです。何度かお話したことかもしれませんが、納税意識が稀薄になりますよね。私などは毎年、証明書だけ預かって各人の保険料控除申告書の計算までしていますから、人がよすぎるかもしれません。納税意識の向上を考えるのとは、逆のことしています。
せっかくですから、次にご訪問の際、からのはこさんのHPをご紹介いただけませんか。





27. 塩尻に遺跡がありました からのはこ  2001/11/27 (火) 13:21
「からのはこ」掲示版への書き込みありがとうございました。
先週末、大学(中央)のクラス仲間11名で塩尻の温泉に浸かってきました。
酒をやらない私は、酔っぱらい相手に悪戦苦闘しましたが、パッチワークのように色とりどりに染まった山々と新鮮な空気に、とりあえず日頃の憂さを解消してきました。(酔っぱらいはもっと憂さを解消していました。)
現地で解散し、私は一人連絡船に乗り・・いや間違い(まだ宴会の名残が・・)、一人で散策としゃれ込み、塩尻の駅から2qほどのところにある「平間遺跡」なるところを訪ねました。
山間にある小さな遺跡で、な〜んにもない、だ〜れもいないところでしたが、縄文の昔、ここに人が生活していたんだぁ〜・・と思いに耽り、住居後地に手を触れて、なにか良いもの落ちてないかと探りましたが、なにもありませんでした(^-^)ゞ。




26. W-XP奮闘記への感想 ゆみ(さわらびY)  2001/11/21 (水) 09:06
増田さんほか、メル友の方からも、XPインストールにチャレンジしたとのおたよりいただきました。 
周辺ソフトが動かなくって、またもどしたという悪戦苦闘もおききしました。
でもさすがパソコンのパイオニアの方々、XPをためそうというチャレンジ精神はすごい!

パソコンのグレードアップは、家の増改築や引越しに似ていますね。
(この夏に家の修理をしたけどたいへんでした)
わたしみたいな万年初心者は、数年たって完全に時代遅れになったら
まるごと引越しするほうが、向いているかもしれません。
その間は、最新のノートパソコンを別荘代りにしていますが、
わたしの買ったばかりのW-meの入ったLavieのノートは、
超初心者の息子の机の上で閉じたままひなたぼっこしています。

三人家族で、各部屋にW95,W98,W-meの3台
(捨てそこなったMS−DOSのダイナブックもあった)、
がたむろして、主人はFDをもってうろうろしています。
やはり、サーバーを置いてネットを組むべきでしょうが、
どんどんOSが進化するし、メンテが苦手なので投資をためらっています。

図書館のリクエストも江戸川区などHPでできるようになり、自治体のIT講習も盛んです。
きっとこのHPを、パソコンをはじめてさわるお友達も見てくださっていらっしゃると思います。
初心者としての感想、疑問がありましたら、どうぞおたよりください。
(わからないことは、増田さんがきっと教えてくださいます)
「あ、またフリーズしちゃった」の頻発の毎日、
ではみなさんも、がんばってね。

流星群は見そこないました。こんどはいつでしたっけ。




25. 東京は曇っちゃいました。 増田俊幸  2001/11/19 (月) 02:48
しし座流星群を見たいと思って夜空を見上げていますが、かなり曇っています。かろうじてシリウスとオリオン座の三ツ星は見えますが、8割方は雲に覆われています。
かろうじて見える星空を見ていても、10分ほどで10個くらいの流星を見たので、雲がなければかなりの流星が流れているのだと思われます。
残念だな。
皆さんは、見えてますか。




24. 郷土史講座「房総の一里塚と御成街道」 ゆみ(さわらびY)  2001/11/18 (日) 08:18
耳よりの情報です

「房総の一里塚と御成街道」の郷土史講座
講師・本保弘文氏
12月8日(土)1時半〜3時半
千葉市花見川図書館2階

先着申込50名 tel 043-250-2851(花見川図書館)へ
17日午後まだ10名空きがありましたが、いかがですか。




23. 128MBではメモリが足りない 増田俊幸  2001/11/17 (土) 22:12
これから、プログラミングの世界で重要になりそうなのが、JAVAとXMLです。
で、私は、JAVAの処理系としては、BorlandのJBuilderを使っています。今日、毎年恒例の年末のバージョンアップの連絡のダイレクトメールが届きました。私は、Professionalという製品を使っているのでバージョンアップ代は、21000円でした。
今回でバージョンが6になりました。これでいくら投資したのかは、恐ろしくて計算できません。
毎年恒例の事なので、バージョンアップの投資には驚かないのですが、びっくりしたのは、動作環境の変更です。
なんと、最低必要メモリが128MBと書いてあったのです。そして、その横には256MB以上推奨と書いてあったのです。
こういう記述があったときは、256MBないと快適には使えないよ。という意味です。新しいデスクトップを512MBにしていて良かった。
これからは、最低512MBくらいは必要なようです。
では、また。




22. ラマダン月が始まったのは15日か16日? 小西 政太郎  2001/11/17 (土) 21:44
イスラム暦の宗教行事と太陰暦の新月(朔)について。
天文定数の1朔望月は29.53058平均太陽日、
太陰暦の基本単位です。日本標準時の11月15日15時40分が
「朔」即ち新月です。21時の月齢が0.2、翌日21時の月齢は1.2です。月は太陽にくらべ1日に手のひら二つ分程度東へ動くので、月の出入りがその分遅くなります、従って中近東では天体観測の結果、新月の判断が16日になったと思います。
カレンダーに旧暦の書き込みがあれば調べてみて下さい。
11月15日(木)仏滅・七五三・旧10月1日 と、記載。
前回の書き込み忘れを追加します。
イスラム暦と私たちの使っている暦との1年間11日のズレは累積して33年間で約1年になり回教徒の33才は私たちの32才です。 以上




21. Re: はじめて投稿します 仲間に入れて下さい さわらびT  2001/11/17 (土) 07:30
小西様。ご投稿ありがとうございます。大変興味深く読ませていただきました。この大陰暦だと毎年11日ずつ季節が早まりますね。ラマダンが冬になったり夏になったりするわけがわかりました。ところで新年を3月25日として大の月→小の月→大の月…と数えて行ったら、第9番目の月の始まりが11月16日になりました。どこか計算違っていますでしょうか?
昨日ニュースステーションで見たのですが、月が見えないとラマダンに入らないそうですね。ラマダンというのは、月の名前と同時に断食の始まりも意味するということでしょうか。アフガンではラマダンに入ったということですが国によってラマダンの始まりが違う、というのも不思議ですね。
また教えて下さい。




20. Re: WindowxXPがやってくる さわらびT  2001/11/17 (土) 07:28
増田様。いつも新鮮な情報をありがとうございます。昨日の朝日新聞朝刊にウィンドウズXP発売を「ブーム再来は期待薄」「業界、囲い込み警戒」といった見出しで紹介していました。週刊金曜日11月16日号の金曜アンテナ欄で中村正三郎氏が「買ってはいけない」と書いておられました。マイクロソフト社が個人情報を集中すること、プライバシーが同社に筒抜けになることを危険視されています。マイクロソフト社ばかりが得をするような印象をうけますが、ご指摘のように出費がかさむやり方もちょっとクヤシイですね




19. はじめて投稿します 仲間に入れて下さい 小西 政太郎  2001/11/15 (木) 22:00
きょうは11月15日イスラムの世界では「ラマダン」に入るといわれてます。そこでイスラムの暦について調べてみました。
マホメット暦・回教暦などの別名でも呼ばれているこの暦は、マホメットがメッカからメジナへ脱出した年とされる西暦622年を
ヘジラ紀元として世界で現在でも唯一残った純粋な太陰暦です。
太陰暦は年間を通して季節変化の少ない中近東地域の国々で生まれたイスラム暦だけです。この暦は奇数月が30日の大の月、偶数月が29日の小の月で、大体3年に一度やってくる閏年は閏日の1日を年末に加え354日の平年が19回と355日の閏年が11回の
30年を一巡周期とする暦です。また、立地条件が砂漠地帯なので
日中の炎暑をさけ人々の活動が夜間に活発になる為1日は日没から始まります。今日15日は新月なのでイスラムの9月(ラマダン)に入ります。西暦2000年1月1日はイスラム暦1420年9月
24日です。今年のイスラム暦の新年は3月25日、従って今月の15日はラマダン月に入る訳です。1年の毎月の名称は次の通り
ムハッラム・サーファール・ラビア1・ラビア2・ジョマダ1
ジョマダ2・ラジャブ・シャーバン・ラマダン・シャウワル
ドゥルカーダ・ドゥルヘジア 以上12ケ月です。





18. WindowxXPがやってくる 増田俊幸  2001/11/14 (水) 09:01
ついに11/16がやってきますね(笑)。
と言っても、秋葉原ではメモリやHDDと抱き合わせで先月半ばから売っていたので買おうと思えば買えたのですが。
今回からOSもインターネットを使って認証をしないと動かないので、1本買ってデスクトップとノートにセットアップすると言うずるはできなくなりました。
と言う事で、2台持っている私はHome Editionを2本購入しなくてはいけません。
4万円近い出費になります。
ページメーカーもVer7にアップしたし。ハードはどんどん安くなるのにソフトはどんどん高くなりますね。
ソフトは、一度買ったら買いつづけなくては投資が無駄になるので、毎年買いつづけなくてはいけません。
私は、趣味でやっているのである程度の出費は覚悟しているのですが、道具として使っている方はつらいですよね。
では、また。




17. 三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か さわらびT  2001/11/11 (日) 19:47
国立歴史民俗博物館が近いので、時折出かけています。11月10日には「鏡に写った邪馬台国」と題する講演会がありました。講師は若手の上野祥史氏でした。古代史ファンならどなたでも気になる三角縁神獣鏡がテーマでした。

講演要旨は、http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/kooenkai/index.html
に掲載されています。

パソコンを駆使されて大変わかりやすく、弥生時代から古墳時代へと出土する鏡の変遷をたどってくださいました。中国で製作された鏡には決まった約束事があり思想があるに、倭の鏡はデザインを模しただけという違いがあるとおっしゃられたように思います。群馬県蟹沢古墳出土の三角縁神獣鏡を中国出土の画文帯同向式神獣鏡と重ね合わせて、画像表現が重なることをスクリーンに写していただきました。三角縁神獣鏡のモデルとなった鏡がわかるわけです。三角縁神獣鏡の製作は中国であることを主張されましたが、神像表現が安定していない、ともおっしゃられました。鏡の製作姿勢が思想表現から、別のものに変わったということでしょうか。示唆的です。あとでこっそり質問したのですが、中国で出土しないのは、特鋳説で説明できるそうです。




16. 古代遺跡の宝庫アフガン さわらびT  2001/11/10 (土) 23:23
11月10日の朝日新聞夕刊に樋口隆康京大名誉教授がお書きになっておられます。タリバンによるバーミアン大仏の破壊にも憤りを覚えたが、イスラム原理主義の偶像否定行動との認識だけは出来たとおっしゃる。しかし今アメリカが行っている爆撃は庶民の生命・生活を奪うとともに、壁画の残る石窟を戦闘員が避難所として使っておりそこへの攻撃は人類の貴重な文化遺産を永久に奪う行為であると憂いておられるのです。
テロにはテロでなく、話し合いによる解決のすばらしさを、教える度量をアメリカに期待して文章は終わっています。
タリバンの大仏破壊に対する非難をするのなら、それ以上に文化破壊を続けている現実に、私達は抗議すべきだと教えて下さっているように思いました。





15. 正福寺の火事のこと ゆみ(さわらびY)  2001/11/08 (木) 22:33
増田さん
 さっそく天文の情報をありがとう。
 深夜の夜空ショー見てみたいけど、寒そうですね。

 昨日7日、習志野市藤崎の正福寺が火災になり、川島ご住職が亡くなられたとのこと、新聞で知りました。
 一昨年1月、八千代市郷土歴史研究会の習志野七福神巡りで見学した江戸時代からの由緒あるお寺。大正から昭和にかけ、私立弘文学校が開設され、筆子塚が観音堂の脇にありましたね。
 あの大銀杏が、道路の反対側の観音堂だけは守ったことと思いますが、由緒あるお寺だけの残念です。
 観音堂をご高齢のご住職が開けて秘仏の観音像を拝観させていただいたことを思い出しました。人格者でいらしたというご住職のご冥福をお祈りします。

 それにしても悲惨な火事が続きますね。火の用心を心掛けなくてはと、思います。




14. しし座流星群がやってくる 増田俊幸  2001/11/08 (木) 14:48
2001年11月18日の深夜にしし座流星群がやってきます。
今年は、日本でも大出現が期待できると言うレポートもあります。
お時間のある方は、是非観測してみてください。
アッシャー博士の理論によると、11月19日午前3時に出現すると言うことです。
しし座は、午前1時ころから見やすくなるので、それくらいから観測してみてもいいと思います。
大出現は、無くても1時間に100個くらいの流れ星は見えるかもしれないとの事です。でも、流星群の予測は滅多に当たらないので、余り期待せずに観測してみてください




12. 地球?に好奇心! ゆみ(さわらびY)  2001/10/31 (水) 08:57
 最近、暦(天文&年中行事の由来etc)にはまっています。

 増田さん。 あなたの「現地が一番」のHP、「星に願いを」のコーナーが工事中でお休みなのが、残念。 2000年問題や天文のお話、面白かったです。 新ネタでの再開を期待してまーす。
 (いいな 512MBのメモリ、60GBのパソコンなんて。 さわらび通信発行元として、その何十分の一の、遅くてフリーズ連続の心もとないパソコンをなんとか動かしている現状です。)
 
 畠山さん。 伊能忠敬のお話に感動されたおたよりありがとう。
 伊能忠敬の全国測量は、実は緯度1度の距離を実測し、地球の大きさを確定することが目的だったそうですね。
 村から村へ1尺1寸づつ測りながらも、伊能地図の列島の姿が人工衛星で写したように精巧なのは、地球という「星」の大きさを知るという巨視的な観点を常にもっていたからでしょう。

 地域の道標や城跡などを追っかけながらも、どこかで世界史?につながっていたいと思っています。




11. 大国の責任と家族 さわらびT  2001/10/28 (日) 22:20
ベアテ・シロタ・ゴードンさんの講演を聞きました。ご自身の体験である日本国憲法作成に関わるお話も興味深くきかせていただいたのですが、9月11日のニューヨークの出来事にもふれられました。アメリカがはじめて体験する出来事に、人々は家族の大切さを知ったと話されました。
10月24日の朝日夕刊掲載の加藤周一『夕陽妄語』から。崩れ落ちたビルの最上階で働いていたソムリエの妻が、なくなった夫の信念は問題を解決する手段として話し合いを選ぶと伝えた話。加藤氏は書いておられます。「超大国には、小国にとってよりも、大きな道義的責任、殊に軍事力の行使を自制する責任があるだろう。」
今、人間の尊厳があらためて問われていると感じます。




10. 千葉県の偉人 畠山隆  2001/10/28 (日) 21:46
石井先生の死去、本当に惜しいことです。中世文書の読み解きは先生の入門講座からでした。
いささか旧聞に属しますが、過日東京成徳大学の公開講座「伊能図アメリカで発見」を聴講してきました。伊能忠敬研究会の渡辺一郎代表幹事が、今年3月にアメリカ連邦議会図書館で伊能図最終本の大図206枚を発見した時の興奮をご自身で熱っぽく語り、また伊能陽子氏が、伊能忠敬の遺品を守り続けた代々の祖母や義母達の話をとつとつと話をされてたいへん共感を受けました。
西欧も驚いたという精度の高さを誇る測量図を、この時代56才から2次に亘る17年間、測量距離4万キロ(地球1周ですよ)におよぶ大測量調査の旅とは、俗人の私にはただ驚嘆するしかありません。
ちかく映画も封切られるようですが、こちらの方は大分脚色されているので話半分くらいで見てもらえばとのことでした。




9. 郷土史展にお越しくださりありがとう さわらびY  2001/10/28 (日) 21:21
 今年度の八千代市郷土歴史研究会の郷土史展を無事終了でき、ホッとしています。
 このHPをごらんになって、遠路からお出でいただいた皆様、いっしょにがんばった会員の皆様、ありがとう。そしてご苦労様でした。
 今回の上高野の調査研究報告が100ページにもなる「史談八千代」26号に結晶しました。
 1冊500円、お読みいただければ幸いです。




8. 石井進先生の訃報に接して さわらびY  2001/10/25 (木) 20:11
 石井進先生の突然のご逝去に心からお悔やみ申し上げます。

 私の大好きな国立歴史民俗博物館の元館長石井先生がお亡くなりになられたと今朝のニュースで知り、あまりにも突然のことに信じられませんでした。
 素人歴史ファンの私にとって、石井先生はご著書で接するのみの学界の雲の上の方と思っていましたが、歴博の行事などで友の会会員や一般来館者に親しく中世史を手ほどき下さったり、時には文学のお話を聞かせて下さったり、いつもあたたかく接してくださいました。
 個人的に先生のお声をかけていただいたのは、1996年歴博友の会ニュースに載せる先生の講演要旨と感想を私が書き、その原稿を会長さんにお出しすると、なんと先生が推敲の労をとられ、さらに「よく書けていますよ」とねぎらいのお言葉をいただいた時のことで、大変恐縮し、かつうれしく思いました。
 それ以来、宇佐・国東の旅行や金沢称名寺をご案内いただいたり、館長として私達に楽しい想い出ばかりくださいました。
 館長退官後も、先生が講師をされる遺跡保存運動のシンポジウム(金沢八景の上行寺遺跡や館山の稲村城址保存運動)などには万難を排して聴講し、すっかり「石井進追っかけファン」のひとりになっていました。
 棚田学会の資料もいただき、これからもお元気で活躍される姿に接することもあろうかと思っていましたのに、今朝の突然の訃報。残念でたまりません。
 心からご冥福をお祈り申し上げるとともに、これからは先生のお書きになったご著書をじっくりと読みこんで、歴史家として何をお伝えになりたかったのか考えていきたいと思っています。 合掌。




7. パソコンを買った。 増田俊幸  2001/10/25 (木) 17:20
パソコンを買い換えました。
今使っているパソコンは、3年使いました。
3年前は最新鋭だったのに。P3-400MHz
今じゃ、動かないソフトが出始めて(笑)
今回のスペックは、P4-1.8GHz, 512MBのメモリ、60GBのHDD、DVDに17インチのCRTを付けて20万円でした。
DELLなんで、11月4日あたりに国際宅急便で到着の予定です。
3年使うつもりでいますが、もつかな。




6. 上野の特別展のハシゴしました さわらびY  2001/10/24 (水) 22:09
 9月からずっと働きバチだったので、年休をとって午後から友達と上野の博物館ラリー?をしてきました。
 都美術館の「聖徳太子展」と東博の「美術の中の子供たち」。
(もうひとつの「日本人はるかな旅展」と、3000円の三館セット券を買ってしまったので、11日までにこっちも行きゃなきゃ。)
 「聖徳太子展」は、第一部が飛鳥仏のオンパレード。第二部は民衆信仰の太子のイメージが中世美術で表現されていて興味深い。といっても、発展する太子信仰の変容過程や、善光寺信仰までの関わりを理解するのは、ちょっと難解かな? 65歳以上無料のせいか、こちらは平日でも混んでいる。
 東博の「・・子供たち」は、親しみやすくて、内容もビック!中でもラストの「聖なる子ども」のルームは、国宝・重文の神仏像がすごい、院命作の妙見菩薩像と、興福寺の沙羯羅像は必見です。
 秋はイベント続き、次はどこへ行こうかな。




4. 捏造は20年前からだったそうですね さわらびT  2001/10/19 (金) 23:28
週間朝日10/26号に、旧石器遺跡捏造の藤村新一氏の消息を伝える記事が掲載されています。捏造が20年前からだったというのですから、驚きです。
大リーグにイチロー選手と比較するのもおかしいかもしれませんが、あくまでイチロー選手個人の栄誉であるにもかかわらず“日本人”として共通の誇りみたいに思いこんでいますが、その反対に日本人の“恥”のような印象をもたされている事件でしたね。
確かに考古学を不信にさせる事件でした。怪しいとわかっておられた方もいらっしゃるとのことですが、その声が封殺されたのはなぜか、が問題ですね。サラリーマンが上司に気兼ねして、反対意見が述べられないような閉鎖的環境が、考古学の世界にもあったということでしょうか。

捏造といえば、HPにも書いたように大山教授は<聖徳太子>は捏造されたと主張されているわけです。幸いなことに『東アジアの古代文化』という季刊誌が議論の場として提供されていますので、大山教授のお考えも圧殺されることをまぬがれているのではないでしょうか。感情的な反対論も多いように感じますが、『東アジアの古代文化』108号で直木孝次郎先生が、日本書紀成立以前に「聖徳皇」の表記が存在した可能性を、検討しておられます。大山説の登場を歓迎するとともに、真摯に批判をしておられるように感じました。大山先生からの批判論考は後日、同誌に掲載される予定のようです。楽しみにしています。真理の探求はあせることはないですね。議論の積み重ねで史実が検討されることを望みます。




3. 小田急線高架化「違法」判決 さわらびT  2001/10/08 (月) 15:26
10月3日の夕刊の記事で、小田急線高架化「違法」判決を知りました。
内橋克人氏は「共生の大地」(岩波新書)で、小田急線高架化は市民生活の快適性を求めるためではなく、むしろ巨大な都市再開発事業の一貫であったことを指摘されています。「バブル時代の都市膨張路線の発想が、バブル崩壊後のいまも、微動だにせず、生きつづけていることを物語っている。」
そして新聞記事によれば判決は「すでに違法状態の疑いがあった騒音の解消に配慮していなかった」「十分な検討をしないまま高架式が地下式と比べて圧倒的有利との前提で結論を出した」などと指摘し、認可の前提となる計画決定が違法だったと述べた、とあります。 原告の主張が認められたわけです。
市民の論理が国・都・私企業の一体化した事業に勝った結果はおおきな出来事ではないでしょうか。
皆さんどう御考えでしょうか。