バックナンバー
No.2301-No.2400 2005/8/202005/10/12
Since 2001.10.08
・オーバーフローで消えてしまった発言を収納しました。
・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
・他への引用は、著作権などの配慮から、発言者へ連絡をお願いします。
No.1-No.100 No.101〜200 No.201-300 No.301〜400 No.401-500 No.501-600 No.601-700
No.701-800 No.801-900 No.901-1000 No.1001-1100 No.1101-1200 No.1201-1300 No.1301-1400
No.1401-1500 No.1501-1600 No.1601-1700 No.1701-1800 No.1801-No.1900 No.1901-2000
No.2001-2100 No.2101-2200 No.2201-2300 No.2301-2400 No.2400-2500 No.2500-LAST

TOPへ  現在の掲示板へ

2400. Web馬場小室山のBBS記録 さわらびY(ゆみ)  2005/10/12 (水) 00:33
本掲示板は、700件以上は消えてなくなるので、時々ダウンロードし、「BBS過去ログ」にUpするようにしていますが、今晩はメンテナンス中、ちょうど1年前の馬場小室山の記録を読み返すことになりました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/BBS.9.28.html
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/BBS.10.26.html

「さわらび通信」と馬場小室山の関わりは、ほんとになんにも知らなかった9月28日No.1649からスタートしています。
10月16日のNo.1701は、現地の私が携帯で、書き込みを頼んだ緊急連絡でした。(私の携帯はWebに対応していない)
T花さん、あるけ〜さんほかいろいろな方とのリアルな交信が記録に残っていて、遺跡は残らなかったけれど、鈴木正博さんと出会い、1年後の市民フォーラムの実現に至った経過がわかります。

「すすむ」氏から顰蹙をかった「遺跡を訪ねてみよう 馬場小室山お出かけGUIDE」ページは、その後すぐ、「馬場小室山への現地視察GUIDE」に変更しましたが、1年後の現在その状況も変化しているし、フォーラムで興味を持たれた方で遺跡を訪ねて見たいと思った方もおれれると思い、一年ぶりにリニューアルしました。

過去は懐かしがるものではないと思いますが、馬場小室山遺跡に結ばれた出会いの原点をおもいだしてくれた掲示板バックナンバーでした。



2399. 岩槻郷土資料館と真福寺貝塚へ さわらびY(ゆみ)  2005/10/09 (日) 23:40
フォーラムが終わって、まだ余韻の残る昨今ですが、馬場小室山遺跡研究会では10月22日、岩槻に行きます。 
第17回ワークショップということで、さいたま市岩槻郷土資料館で、23日まで開かれている企画展示「さいたま市最新出土品展」で馬場小室山遺跡から昨年出土した遺物などを見学し、午後から車で移動し、真福寺貝塚を踏査します。
http://www.city.saitama.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020046&WIT_oid=saitama::Contents::32732
集合場所は、岩槻郷土資料館入口に午前11時です。
早くお着きになったら、自由に見学していてください。
  
参加ご希望の方は、資料の用意と、配車の手配のため、「さわらび通信」管理人まで必ず事前にご連絡ください。
また資料代と車の方へのお礼など若干の実費はご負担ください。
あとは、秋晴れを期待しましょう。



2397. 早速のアクセス有り難うございます ドン・パンチョ [URL]  2005/10/09 (日) 12:45
さわらびゆみ様

早速HPにアクセスいただき有り難うございました。

橿考研では「巨大埴輪とイワレの王墓」と題する秋の特別展を昨日から開いています。今月の15日(土)には臨地見学会が、翌16日(日)には研究講座が予定されており、それに参加してから川口に戻る予定でいます。おそらく10月18日か19日になるでしょう。

第17回ワークショップで岩槻の真福寺貝塚へ行かれると聞いて、早速インターネットでしらべたら、大した遺跡ですね。縄文時代晩期の標準遺跡に指定され、そこから出土した耳飾や勾玉が東京国立博物館の平成館1階に常設展示してあるなんて知りませんでした。

当日は是非参加したいと思っています。集合場所と時間を指定していただければ、小生は車で参ります。ホンダのFitsですから、運転手を含めて4〜5名しか乗れませんが、移動にご利用ください。



2396. ありがとう、今度は岩槻に行きます さわらびY(ゆみ)  2005/10/08 (土) 23:29
ドン・パンチョさま
フォーラムの写真速報をご覧いただきありがとうございます。
おかげさまで、2日間の市民フォーラムは予想を上回る参加者で、実行委員会事務局の総力を挙げての対応に加え、阿部芳郎先生率いる明大学生ボランティアにも支援をいただき、大盛況のうちに充実した成果を上げることができました。

秋に吉備路を満喫されていらしたとのこと、HPでもコスモスがきれいですね。
私は平成8年1月、倉敷へ出張した際、仕事の翌日、自転車の一人旅をしてきました。オフシーズンの平日でしたので定期観光バスがなく、朝、総社駅でレンタル自転車を借り、一ノ宮駅まで迷いながら約20キロ、資料館・作山造山古墳・国分尼寺跡。吉備津彦神社などめぐってきたことを、思い出します。
「鬼ヶ島に向かう途中にキビ団子を与えて犬、猿、雉を家来としたことになっているが、なぜ、犬、猿、雉だったのか?」とういうなぞの回答は面白いですね。なるほどとおもいました。

ところで、10月22日岩槻に行きます。 
馬場小室山遺跡研究会の第17回ワークショップということで、岩槻の資料館で昨年の発掘で出土した馬場小室山遺跡の出土遺物を見学してから、ドン・パンチョさんのお近くの真福寺貝塚に行きます。
車で移動しなければならないので、今は車を出してくださるお近くの方を募っています。
プロの考古学研究者は、福島での日本考古学協会のほうにお出かけですので、私たちだけで、しっかり「自習」してくる予定です。
埼玉にお帰りになっていらしたらどうぞ、お声をかけてください。ぜひご案内をお願いしたいので・・。
ではまた。



2394. 馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラムの成功おめでとうございます ドン・パンチョ [URL]  2005/10/08 (土) 19:21
「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」写真速報、拝見しました。写真からも多数の皆さんが参加され、盛況のうちに2日間の日程を消化した様子が手にとるように分かります。市民フォーラムの成功、おめでとうございます。小生も参加を予定していながら、橿考研の友史会が主催する「吉備路一泊研修旅行」と重なってしまい、残念ながら今回は参加を辞退いたしました。

一泊研修旅行はバス旅行でしたが、以前から訪れて見たかった造山古墳や作山古墳などを、現地の先生の案内で見学できて有意義でした。行く先々の探訪地は現在コスマスが咲き乱れ、まるでコスモス街道を散策するような旅でした。あちこちの景色を写真に取り込んでHPに掲載しておきました。興味がおありでしたら、下記アドレスからアクセスしてみてください。

http://sde.jp/travel/kibiji/index-kibiji.htm

ドン・パンチョ



2389. Re: プレフォーラムの主旨説明 さわらびY(ゆみ)  2005/10/04 (火) 23:41
主旨説明の最後

> 2009年9月
> フォーラム副実行委員長
> コーディネーター
> 阿部芳郎

→2005年9月のミスです。すみません。



2387. 埼玉新聞に掲載されました 麻婆豆腐  2005/10/04 (火) 20:51
フォーラムの様子が今朝の埼玉新聞に大きく掲載されていました

ご覧ください

http://www.saitama-np.co.jp/news10/04/15l.htm



2385. プレフォーラムの主旨説明 さわらびY(ゆみ)  2005/10/04 (火) 12:58
今回のフォーラムで全面的に学術的な諸活動の先頭にたたれ、指導くださった阿部芳郎副委員長(明治大学教授)のお言葉として、プレフォーラム予稿集『「環状盛土遺構」研究の到達点』より、「主旨説明」再録します。

主旨説明

近年縄文時代研究において話題を集めている「環状盛土遺構」については、これまでに巨大祭祀スタジアム説や集落説など、視点と方法を違える諸説が提出されており、議論は決着をみていない。また、同様の遺跡の発見は関東地方を中心に、増加の一途をたどっている。
そのような中、さいたま市馬場小室山遺跡が2004年に発掘され、上記の議論にきわめて有益で重要な数々の事実が明らかにされた。また、2005年には地元住民や学術ボランティアに熱意あふれる保存運動によって、残存部分がさいたま市の史跡に指定され、現在は活用の方策が模索されている段階である。
「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム実行委員会」では、まずこうした経緯をふまえて、フォーラムの初日に、現在学界で議論されている「盛土遺構」の性格について、とくにこれまでの諸説の検討や、それに基づく成果と課題について議論して今後の研究を展望し、その成果を2日目にわかり易く一般市民の方々へ解説し、馬場小室山遺跡の今後の活用に役立てようと考えている。
とくに初日においては、これまでの諸説の検討を通じて、今後の後晩期遺跡研究を展望することを最終目標に置いた。そのために、パネラーとして参加いただく方は、「環状盛土遺構」とそれにかかわるテーマで具体的な資料分析とその方法を明示し、学術論文を執筆された方々にお願いした。そうすることによって、道筋の明確な議論を深めたいと考えたからである。
また、研究発表では、自説の研究方法とその根拠を述べてもらい、それを踏まえた討論では、「盛土遺構」の課題や、今後に展開されてゆくであろう研究の多様な視点を確認し、共有化したいと考えている。
縄文の大発見として登場した「環状盛土遺構」とは、いったい何であろうか。あるいはどのように調査研究すべきであろうか。「前期旧石器捏造事件」の反省の上に立つ今日の日本考古学において、さまざまな調査と研究の実際を踏まえた、質の高い議論を期待したい。

2009年9月 
フォーラム副実行委員長
コーディネーター
阿部芳郎





2381. 実行委員長のご挨拶(1) さわらびT  2005/10/03 (月) 22:53
馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラムが行われました。司会のMさんの、「ただいまから馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラムを開会いたします。」と声を聞いた瞬間、ぞくぞくしてきました。

初日も満員でしたが、2日の延べ参加人員はさらに多く、用意した資料集が足りなくなるほどの盛況でした。それだけ熱い時間をもてたことに感動しています。まずは、実行委員長の挨拶をご紹介しましょう。

「私は考古学とは縁もありませんでしたが、数名の方が自宅に来られ、近くに大変重要な遺跡があると諭されまして、いわば拉致されて(笑)、遺跡の中にひっぱりこまれました。その遺跡の近くには学校もありまして、子供たちの成長、人間の変化とこれは深いかかわりがあると感想を漏らすうちに、実行委員長になれとうながされ、同意してしまって今ここにいるわけであります。
昨日、広島から帰ってきたばかりでありまして、私は88歳に間もなく到達しようとする年齢ですが、実行委員長をお引き受けした以上、どうしても今朝は出てこなければならないということなのであります。
1万3千年、4千年も前の縄文期の研究ということですが、私はそれを聞いただけで感動いたします。シュリーマンがホメロスの詩の舞台を発掘するために、スキとクワとで発掘する「古代への情熱」という有名な話はみなさんご承知でしょうし、私も知ってはおりましたが、この忙しくて、マネー社会であるとき、そのような問題に取り組まれるという方がおられ、しかも今日はこんなにたくさんの方がいらっしゃる。日本もまんざらではないな、と思うのであります。」(続く)



2360. 市民フォーラムまもなく開幕です さわらびT  2005/09/27 (火) 20:42
25日のワークショップのあと、事務局長ならびに有志で実行委員長の大田先生のご自宅を、ご訪問してきました。前日まで広島にお出かけというお忙しいスケジュールですが、2日(日)のフォーラムの開会には、ご挨拶してくださるとのことでした。淡々と語られるお話に引き込まれます。

「いま、教育の決定的な問題は遊び場の問題です。遊びをしっかりやってませんと学力は身につきません。試験のため、ただ覚えているだけ、経験を伴わないと物事はきちんと身につきません。
学力がどれくらい落ちるか、というのが問題でして、皆さん失礼だけど、専門領域は詳しくなっても学力は小学4年生ぐらいに戻ってますよ。経験の伴わない学習は歩留まりが悪いのです。そこが問題なのです。
この縄文の遺跡は、教育からの関心をもってもらわなくてはなりません。できれば広場を獲得したいですね。子どもが出入りできる自然も大事です。歴史と景観、両方の問題、大事な運動だと思います。」

実行委員長の開会のご挨拶も聞き逃せませんよ。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。



2355. 『さいたま市 最新出土品展2005』 開催中 さわらびT  2005/09/24 (土) 22:19
さいたま市 最新出土品展2005が開かれています。
(主催 さいたま市教育委員会・さいたま市遺跡調査会 後援大宮DOMショッピングセンター 問合せ 文化財保護課048-829-1724) 

お目当てはもちろん馬場小室山遺跡です。説明には、次のように書かれていました。
「今回の発掘調査では縄文時代中期から晩期にわたる住居跡やたくさんの土器、石器、土偶などが見つかりました。これまでの発掘調査の結果から遺跡の中央部分にある窪地の周りに住居跡などが作られたようです。遺跡の中央から北側を中心にさいたま市の史跡になっており、また以前の発掘調査で見つかった人面画付土器、土偶装飾土器は埼玉県の指定文化財です。」


[発掘調査時期] 平成16年6月〜9月 
[調査の成果]
縄文時代中期の住居跡9軒
縄文時代後期の住居跡7軒
縄文時代晩期の住居跡6軒
縄文時代後〜晩期の土坑30基

深鉢などの土器、石器、土偶、耳飾や話題の「の」字状垂飾品などが展示されています。発掘成果の発表が待ち遠しいです。

現在、展示中なのは「さいたま市立博物館」(25日まで 9:00から14:30)ですが、引き続き9月29日〜10月4日大宮西口DOMショッピングセンター(10:00〜21:00)、10月6日〜23日(但し11日と17日は休館)さいたま市岩槻郷土資料館(9:00〜16:30)で開催されます。みなさん、お見逃しなく。(休館日にご注意ください)



2347. 手賀沼周辺の古墳めぐり さわらびT  2005/09/18 (日) 21:53
先月、有志で手賀沼周辺の古墳めぐりをしました。小森瓢箪塚古墳を見たいと考えての企画でしたが、当日の模様を遅ればせながら書きました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/teganuma.kohunn/teganuma.htm
当日は、皆様に大変お世話になりました。また機会を作ってこのような催しをしたいと思います。



2338. 市民フォーラムに向けて さわらびT  2005/09/15 (木) 23:19
9月10日(土)のワークショップには出席できなかったのですが、「見沼文化」について地域史としての特長を明らかにしようとする見通しの発表があったとのことです。
T大の院生の方々は縄文草創期から弥生終末にかけての人々の生活のあとを追求しています。
海進・海退といった自然条件と見沼の独自な地形的な制約のなかで、人々は性格圏を移動したようです。

鈴木先生は、遺跡を評価するのはもはや考古学者ではなく市民が評価する時代であり、考古学者がどのようにかかわれるのかが問われているのだ、と主張されます。
「見沼」は川が動いていないのです。そこに独自の生活が生まれます。『アースダイバー』(中沢新一)の見沼版といった表現もありました。面白そうですね。
前期古墳が荒川にあって見沼にはないのは何故か。もし人々がきたとして、それはどのようなひとびとなのか、そういった分析もなされるみたいです。
阿部先生は、後晩期の地域社会を問いかけておられます。馬場小室山はその基礎データを提供します。打ち合わせ会で阿部先生は、個別事例の報告にとどまらない発表を期待すると述べておられました。楽しみなフォーラムになると思っています。

先日は武蔵・相模の古墳を歩くというテーマのバス旅行に参加しました。古墳時代を見ていくと、大和王権とのかかわりを考えることにもなり、ヤマト中心史観に傾斜しがちですが、地域独自の文化・生活のあとをも見ていかないとという思いにもかられています。武蔵国造の乱なども、あらためて問い直すべきなのでしょう。
「小泉自民党」になだれをうってしまった感のあるある世相にあらためて複雑な心境のこのごろです。



2329. 柳田国男「魂の行くへ」を読みながら さわらびT  2005/09/05 (月) 22:27
元企業技術者y様

コメントありがとうございます。同じような感じを抱いています。首長層の墓制そのものに、ことさら関心があるというわけではありません。仏教にしても、日本人の精神形成にいかほどの寄与をしたのか、と問いかけるべきなのでしょう。ただ古墳にしても寺院にしてもその築造・建立に動員されるのは、多くの民衆でしょうから、無縁ではないことも事実だと思います。

再葬・洗骨の事例が、我国では古くからあったと聞きます。絶え間なく繰り返される生と死に人はどのように向き合ってきたのでしょうね。

ちょっと的外れになるかもしれませんが、柳田国男の著作から引きます。最近読み始めています。馬場小室山遺跡研究会で「ご先祖様」をキーワードにしましょうと提案したのですが、一蹴されました。

「盆のお精霊を、山の嶺へ迎へに行くという風習が、大野郡下荒井の部落にあるという簡単な記事は、私たちにとつてはかなり貴重なものである。越前では今でもまだ先祖の魂が、山の高い処に留まって居て、盆にはそこから子孫の家を訪れて来るといふ信仰が、そちこちの山村に保存せられて居るのではあるまいか。何とかして誘導尋問の形でなしに、諸家の故老に言ふところを聴き集め、それを総合して見たいものと思ふ。(「魂の行くへ」)

柳田国男の問題意識が、魂の行くところにあったことは、この文章の末尾によくあらわれています。「日本人」の観念のひとつの象徴ともいえるのではないでしょうか。

「出来るものならば、いつまでも此国に居たい。さうして一つの文化のもう少し美しく開展し、一つの学問のもう少し世の中に寄与するやうになることを、どこかさゝやかな丘の上からでも、見守って居たいものだと思ふ。」



2328. Re:終末期古墳と古代寺院 元企業技術者y  2005/09/05 (月) 18:49
Tさんの09月04日付け「終末期古墳と古代寺院」、拝読しました。
>代わって大型方墳が登場するが、同時に寺院の建立も盛んになっていく。新しい葬送思想である仏教が浸透したことから寺院の建立に流れは変わっていった…。

 民衆の民俗的、または宗教的習慣が変化するのに、どの程度の期間が必要か?強力な指導力で宗教色一掃を目指した旧ソ連が現在の形態に再生した時、私が驚いたことの一つは、伝統的な宗教を信じている人がかなり残存しており、体制変更に伴もない宗教的習慣がそれらの人々の中で復活したことです。
 情報伝達手段の発達した、つまり政府の方針が伝達しやすい時代に、約80年間、強力な共産主義の下で統治しても民衆の宗教的習慣を放棄させるのは至難の業だったように思われます。
 古墳から寺院へ、の変化は支配階層では進んでも、民衆レベルでは仏教以前の伝統的習慣がかなり後まで根強く残っていた形跡はないのでしょうか?高僧の地方行脚の伝承は、逆に見れば、仏教が民衆レベルになかなか根付かなかったためともためとも受け取れます。根付けば行脚する必要はありませんから…。
 古墳を残せるほどの上層階級の行動で、いろいろ判断するのは限界があるような気がします。上層階級の行動と民衆が伝統的習慣を切り替えた時の時間的なズレは、統治権力の強さ、または浸透度に逆比例する様に推定されます。畿内はズレが少なく、東北地方では
ズレが長かったというようなことはないのでしょうか?  
以上、考古学にも歴史にも素人の空想・独り言です。



2319. 市民フォーラムの連絡、有り難うございました ドン・パンチョ [URL]  2005/09/03 (土) 14:32

さわらびゆみ様

小生のHPにアクセスいただき、その上にご丁寧に「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」のご案内までいただき、恐縮しております。

「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」については、先日いただいた同報メールで承知いたしております。それにしても、馬場小室山遺跡の保護に立ち上がった皆さんの努力で遺跡の保護だけではなく、市民フォーラムまで開催するようになるとは、すごい発展ですね。これもひとえに、ゆみ様をはじめ関係者の皆さんの努力のたまものと思っています。

小生も遺跡に近くに住んでいる関係上、なにかお手伝いをと思いながら、川口と橿原の二重生活でなかなかタイミングが合わず、研究会やワークショップに参加できず残念に思っていました。今回は、8月に友人を亡くしその告別式に参加するため川口に戻ってきましたので、8月27日の馬場小室山遺跡研究会・ワークショップには久しぶりに参加できると思ったのですが、私用とぶつかってしまいやむを得ず欠席しました。

橿原にいれば、羽曳野市で発見された「庭鳥塚古墳」の現説におそらく駆けつけたと思いますが、9月6日にかかりつけの病院での定期問診を予約している関係上、橿原にも戻れず悔しい思いをしています。橿原には、9月7日の夕方、シルクロードの会主催の講演会「東日本からみた古墳文化」に参加した後、深夜高速バスで戻る予定でいます。他の現説があれば、また橿原日記でレポートしますので、是非アクセスしてください。

ご案内いただいた「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」には是非参加したいと思っています。鈴木正博氏の名調子の講義も久しぶりに聴いてみたいし、楽しみにしております。わざわざご丁寧なご案内をいただき、有り難うございました。パンチョ



2311. Re: どうもありがとうございました さわらびY(ゆみ)  2005/08/29 (月) 20:32
ブログとともに本HPにもご訪問ありがとうございます。
『日本史をみつめた「聖母」たち』は、見てくださる方が少ないだけに、読んでいただけてうれしく思います。

長崎の浦上天主堂は、その身を犠牲にして日本の近代と現代の扉を開けた象徴的なところだと思います。
「信教の自由という近代文明国にとってごくありふれた自然法的人権が、良心に正直な農民達の無抵抗の抵抗によってはじめて日本で実現しえたという史実」と書きましたが、明治維新の際の宗教弾圧は時代に逆行するひどいものだったということをなかなか教科書は教えませんよね。
浦上の皆様がおっしゃる「人類史上最も悲惨な世界大戦に終止符を打つために、人間の罪の代償として天に捧げられた町」という認識は、原爆を落とした張本人を免罪する言い方だとおっしゃる方もおられるようですが、当時は、壊滅状態の町に加えて心無い差別も多かったと聞いています。その中で「天に捧げられた町」と、自らを非核と世界平和の原点として奮い立たせたその志には崇高なものを感じます。

「タシナリ」神父様のことは、わからなくてごめんなさい。

> それでは、また機会がありましたら、キリシタン関係の遺跡についても教えて戴きたいと思います。

こちらこそよろしくお願いします。



2309. どうもありがとうございました jyakuzuregawa [URL]  2005/08/28 (日) 12:42
「潜伏キリシタンとの再会」と「被爆マリア」「親指のマリア」について読ませていただきました。私はカトリック信者です。今年の8月に教会で浦上天主堂を訪れる前に事前の学習会を開きました。「潜伏キリシタン」の頁を読んで参考にさせて戴きました。
「信徒発見」について、とてもわかりやすく書かれていて、勉強になりました。
 ところで、サレジオ修道会のある施設に「タシナリ」神父様がいらっしゃいます。この方はジュゼッペ・キアラのお墓を調布の神学院に作った神父様でしょうか。お年は90を越えていらっしゃるのですが。同名なので気になりました。
それでは、また機会がありましたら、キリシタン関係の遺跡についても教えて戴きたいと思います。
どうもありがとうございました。(パスワードの使い方がわからずに、書き込みが遅れてしまいました。ごめんなさい。)




2308. Re^2: 鈴木正博氏講演録に関連して さわらびT  2005/08/24 (水) 21:19
元企業技術者y様

ご投稿いただいたので、思いだしたのですが、明治大学博物館友の会の「日本考古学2002」で、岡安光彦氏が講演されたとき縄文クッキーが話題になりました。そのときの脂肪酸分析の危うさを指摘されたのです。元企業技術者y様の提起に呼応するお話でした。(掲示板712)

朝日新聞に掲載された文章は「考古学情報広場」で読めますね。

http://www.momoso.net/fattyacid.html

石器捏造問題を契機に考古学のありかたが論じられている中での、重要なご指摘でした。

先週土曜日、手賀沼周辺の古墳群を探訪しました。せっかくですから見学記を書かねばと思いながら資料を再読しています。調査されて消滅した遺跡が多いことに気付かされています。

一方、小森瓢箪塚古墳の場合は、蔵王権現と家訓のおかげで保存されていた遺跡もあるわけです。遺跡は地域の歴史そのものですね。

遺跡が残っていれば将来の研究にも希望を托せるともいえますが、消滅してしまった遺跡は報告書のみがたよりですね。『大森貝塚』に学ぶという、鈴木先生のお気持ちがいつも伝わってまいります。

ちなみに、この「日本考古学2002」で阿部先生のお話をうかがったのが、「環状盛土遺構を」知ったきっかけです。これも何かのご縁でしょうか。



2307. Re: 鈴木正博氏講演録に関連して さわらびT  2005/08/23 (火) 23:37
企業技術者y様

はじめまして。お読みいただけて幸いです。
鈴木先生ご自身に校閲いただきましたので、講義録というより書き下ろし論文に近いものです。鈴木先生の論文は難解ですが、講義ではいつも初心者の私たちにもわかりやすく説明してくださってくださいます。
馬場小室山遺跡研究会は、救済した土器の分類・整理までしてますから、聞きかじりの知識でなく参加してるという実感を味わっています。
フォーラムにも是非お越し下さい。



2306. 鈴木正博氏講演録に関連して 元企業技術者y  2005/08/23 (火) 07:54
初めて投稿します。
[鈴木正博氏講演録「モースの『大森貝塚』に学ぶ(7)」 2005.7.24 馬場小室山遺跡研究会第8回ワークショップより]を拝読しました。内容を公開していただいたお陰で読むことができ、感謝しています。
 鈴木さんが原典に遡って記載を確認した姿勢は素晴らしいと感じました。例えば、根拠があやふやな縄文クッキーの脂肪酸分析を原典を確かめずに、そして、その方法の科学的妥当性を確かめずに、記述し、一般に流布する著述が多い世の中で、1800年代のnatureにまで遡って記載を確認した姿勢に敬意を表します。
<易しい文章か、正確な文章か、読み手によって価値は異なる>との指摘はそのとおりと思いますが、捏造発覚後の現在、より求められているのは”正確さ”だと思います。易しさを求めるあまり、正確さを犠牲にしたり、一般受けを求めるあまり、過剰な推測を加えることは避けるべき、と私は思います。求められているのは、正確な内容を正しく易しく表現することでしょう。
<抜本的な見直しが必至ですが、そのためにはモースをはじめとする分析的で科学的な方法を自らが再検証し、どこまでが確実なデータと方法であるのか、共有する必要があります>との鈴木さんの提言にも同感です。
 なお、さわらびTさんの「考古・古代史への問題提起」、続編を期待しています。また、さわらびYさんの熱心な活動とその記録、興味深く拝読しています。



2305. ありがとうございました さわらびT  2005/08/21 (日) 17:32
暑い一日でした。みなさま、お疲れ様でした。といっても古墳中心の見学は皆さん楽しまれたことでしょう。総合的にご案内いただいた柏・HOKさん、現地解説をしていただいたT花さん、「古墳之址」をご案内いただいたNさん、そしてご参加の皆さんありがとうございました。
昨日は、我孫子市民会館で遺物を拝見できましたし、昼食休憩までに、すでにたっぷり見学させていただきました。手賀の丘公園・「どんぐりの家」で、ゆったりできたのは幸いでした。公園内の片山古墳群、石揚遺跡、オツコシ古墳群は関心をくすぐらせてくれる遺跡群でした。「謎」は今後、調査され解き明かされるといいですね。
石揚遺跡は、「少年自然の家」の建設に先立つ調査によるということでした。当該「方墳」は、いまは建物の下にかくれてしまったのでしょうか。
公園内に遺跡の表示はなかったようでしたが、公園内で楽しく遊ぶ子供たちを横目で見ながらの見学でした。

小森瓢箪塚古墳は、自然そのままにという地主さんのお考えで、よく保存されているようですね。最後の上宿古墳見学終了は4時ごろでしたでしょうか。
あれから八千代組は井野長割遺跡に寄り道してから、納涼懇親会で盛り上がりました。あらためてお疲れ様。



2303. ありがとうございました 柏・HOK  2005/08/20 (土) 23:36
 みなさま、こんばんは。
 本日は、とても暑い中、お疲れさまでした。 また、大変にお世話になりまして、ありがとうございました。

 昨夜までは時間が取れませんでしたので、帰宅してから、改めて石揚遺跡の報告書を見てみました。 いただいた資料にある、遺構配置図上の「6号墳」は古墳時代後期(軟質砂岩の石室)のもので、話題になった方形周溝墓群(5基)は、それより20〜30mほど西側(やや北寄り)でしたね。
 位置的には、よりオツコシに近いのですが、(規模の大小はありますが)周溝が接していたり、周溝とは異なる溝で連結していたり、「密集」「近接」していますので、オツコシの「分散」「点在」している様子とは、だいぶ趣が異なるようですね。 なお、調査前は畑だったようなので、マウンドはなくなっていたと思われます。
 やはり、石揚とオツコシでは、小さくない時間差があるように思えてきましたが、いかがでしょうか。



2302. 戸張一番割遺跡 さわらびT  2005/08/19 (金) 22:26
T花様
ご教示ありがとうございます。こちらこそどうぞよろしくお願いします。

年代の問題は、難しいようですね。弥生の開始年代も議論沸騰中ですし、関心の高い箸墓築造年代も最近では、卑弥呼との関連が強まってきたわけですし、50年ずれただけでもれば歴史的な意味は大分変わってきてしまいますよね。

明日の資料集には入れなかったのですが、戸張一番割遺跡も、なかなか関心深い遺跡ですね。遺跡は宅地化で消滅しているのですかね。
T花さんがお書きになったものを読ませていただいています。上宿古墳とあわせて、追加資料として付け加えます。

環濠集落の外側に、方墳・前方後方墳があったとのこと、残念ながら既に削平されていたようですね。

30号住居址から重圏文鏡(紐座から内区および外区の凹部がベンガラにより赤彩)が出土しています。また、住居址からは外来系土器、特に畿内系のタタキ調整甕が多く出土しているということも、興味深いです。

最後にお書きになられた箇所を引用させていただきます。

「弥生時代の終末とともに解体すると考えられている環濠集落であること、出土土器に占める外来系土器の割合が高いこと、青銅鏡や銅鏃といった青銅製品が多く出土するなど、近隣における同時期の遺跡として異なる点が多い。下総地域では、弥生時代後期には小規模な集落で、縄文を多用した土器を用いる弥生文化が展開するが、古墳時代出現期になると一転して突如大規模な集落跡が検出される例が多い。」

どのような、歴史的事実を示しているのでしょう。いろいろな思いをめぐらさせていただきました。