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No.301-No.400 2002/10/132002/12/23
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・オーバーフローで消えてしまった発言を収納しました。
・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
・他への引用は、著作権などの配慮から、発言者へ連絡をお願いします。
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400. ご清聴ありがとうございました 桃崎祐輔  2002/12/23 (月) 16:40
みなさま
 21日には寒い雨で足元の悪い中、私の拙い講演におはこびいただきありがとうございます。レジメ作成・コピーではさわらびご夫妻やみきこさまをはじめたくさんのかたがたにご迷惑をおかけしましたが、私はこれまで比較にならぬほどもっとおそろしい修羅場を多くくぐりぬけてきたので、今回など全然平和といいますか、慌てる皆さんを横目に、自分はおちついてくつろがせてもらっておりました。重ねて皆様にお詫び申し上げます。

 先程レジメを読み返してみましたが、当日申し上げた書き落としだけでなく、出力出来ていない文字がたくさんあったり、つじつまのあわない文になっていたりと、いろいろ反省しきりですが、この講演を通じて自分自身もいろいろ成長出来た部分があり、皆さんにお話することで散乱していた自分の考えをまとめることもできました。いつかこの講演の内容をきちんとした論文の形に整えることができるよう、これから不備を補っていきたいと思います。
 それでは今後ともよろしくお願いします。





397. 先生ありがとうございました みきこ  2002/12/23 (月) 11:19
桃崎先生21日はありがとうございました。いつもの様に分厚いレジュメ!外は冷たい雨、内は妙に緊張した空気が流れていましたね。埼玉稲荷山古墳の講演会は多いけれど、史上初だと思います。礫槨の被葬者が身につけていた馬具の一つ一つから東アジアの中での位置付けを探るという講演会は!参加された皆さんのご感想も「難しかったけれど面白い!奥が深い」でしたね。今までの馬具の論争を年代論を検討しながらf字形鏡板付轡、三鈴杏葉、壺鐙等馬具一式はセットで500年前後に埋葬されたものとのお話も納得でした。倭人特有のオリジナルな工芸・技術体制が倭王権の内部で確立され、その身分標章としての馬具が各地に配布されたー五胡十六国的武官制の流れをくむ倭王親衛隊の姿が稲荷山古墳の被葬者から見えてくるー  うーんやっぱりそうだったのか!?
ということで大変勉強になりました。お聴きしている時はわかったような気になったけどむずかしいです。本当にありがとうございました。




396. Re: 土偶のことなど さわらびY(ゆみ)  2002/12/23 (月) 10:38
しゃこさま、「さわらび通信」へようこそ。

「しゃこちゃんのお部屋」http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/index.html
では、現在メジャーな土偶を一通りみせていただき、ありがとうございました。
やはり画像データは、一目瞭然!「にせもの博物館」というのも、いま、何が話題の考古遺物かのバロメーターかわかりやすくていいですね。


>中ッ原の仮面の女神は女だと思うなぁ

なるほど、プロの川崎さんの観察眼、「しゃこちゃんのお部屋」の「今月の一枚」http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/photo.html
の大写しのお姿から納得です。
「公共機関」のHPや図録ではそこまで、わからないですものね。
「しゃこちゃん」と尖石縄文考古館HPの「中ッ原の仮面の女神」を眺めてから、No.387を書き、それから信州発考古学最前線http://www.volonte93.com/を見たら、川崎さんの「縄文の巫女」がUPしていたのは、偶然とはいえびっくり。

川崎さん、しゃこさんのおかげで、地域差や性別など、土偶を博物館で観るときの視点がまたひとつ増えました。




395. 桃崎先生講演会の舞台裏:直前に「変遷図」ができた! さわらびY(ゆみ)  2002/12/23 (月) 00:40
昨日は、寒い夜、桃崎先生のとってもホットな講演会で盛り上がりましたね。
先生も皆様もお疲れ様でした。

わたしが感動したのは、図表を駆使した緻密な考証の展開とそこから導かれる大胆な桃崎説の講演内容(これについては、Tが書くでしょう)も然りながら、たまたまおつきあいした準備過程です。
実は、前回のシルクロードの会でもTが講演依頼の交渉をしていたので、様子はうすうすわかっていたのですが、桃崎先生は、当日でないとレジュメの版下ができてこないのです。
しかも壮大な仮説を綿密な図表で表現するため、最後まで寝ずに粘ってがんばっちゃうので、まあ、昼ごろ版下を受け取れば、何とか20ページぐらいなら、開場時間に間に合うかとTは見込んだのですが、もしかして人手が必要になるかもしれないと、会員外の私とみきこさんが待機していました。
2時半ごろ、先生とドッキング。さて版下はというと、まだ未完成なところがあって、Tの事務所に同行して仕上げるとのこと。皆でコピーや製本をしながら、先生の図表作成を見まもっていました。(でもTは本当にあせっていたみたい。)
分刻みの残り時間の中、今回のレジュメのクライマックス、51枚もの切抜きを糊で貼った「鈴杏葉の変遷案」がなんとか完成しました。もっと手をお入れになりたかったらしく「(桃崎案作成途上)」と書き入れられていましたが、なんたって白石説を覆す「変遷案」の誕生です。こうしたどたばたの環境の中できあがった22ページのレジュメに、みきこさんと私はすっかり感動していましたが、タイムキーパー役のTは、会場に向かう電車の時刻との勝負だったようです。なんとか、講演開始時間20分前に会場到着し、「今回は十分楽勝」と先生の言。いつも新ネタに燃焼しつくす桃崎先生、みきこさんも私も「次」を期待しています。






394. 堪能しました さわらびT  2002/12/23 (月) 00:21
桃崎先生の講演はかなりややこしい話が多く、聞き手にとってはわかりにくい部分も多かったと思われます。とくに実年代論はかなり面倒な手続きを必要とするようで、かなり混乱状態です。
私はシルクロードの会の講演のあとで質問させていただいたにおり、丁寧にご返事いただきある程度は理解していたつもりですが、それでもむづかしいお話でした。

文章レジュメにも載っていますが、私なりに整理する為に書いてみます。『稲荷山古墳の鉄剣を見直す』(学生社、2002)にはを白石太一郎氏、坂本和俊氏の講演録・討論が掲載されていますので便利です。(頁は同書のものです)

礫槨の作られた年代ですが、@白石太一郎氏は、三鈴杏葉の副葬が他の古墳ではMT15かTK10以降の須恵器に伴なうことからMT15期とする(p118)Aこれに対し坂本和俊氏は榛名山二ツ岳の2度の噴火に伴なう火山灰(FA)、軽石(FP)の堆積を編年に使って説明します。FAの降下時期をMT15の初頭とする。群馬県粕川村白藤P−6号墳(FA堆積)出土の馬形埴輪に三鈴杏葉が表現されていること、粕川村近土4号墳(FA下)にやや新しい三鈴杏葉が出土している。したがって三鈴杏葉の出現は、MT15以前のTK47にを遡る。したがって三鈴杏葉の副葬をもってMT15とする白石説は成り立たない。(p194〜195)

桃崎先生は、まず坂本説がまったく正しいとされました。(レジュメ3頁をご参照ください。)
これが一つの論点です。次に韓国の研究者の年代論批判がありますが、後日。

いつも緊張感あふれる講演で、私は面白く聞かせていただきましたが、確かに準備はハラハラ、ドキドキでした。「これどころでない修羅場はいくらでもありました」とおっしゃられたのですが、次回はこれ以上楽しませていただかなくてけっこうです。(^-^)
ともあれ2時間の講演が滞りなく行なわれ、堪能させていただきました。




392. 土偶のことなど しゃこ [URL]  2002/12/22 (日) 10:01
HP拝見しました。面白いところを旅していらっしゃるようで
非常にうらやましく思いました。敦煌いいですね。
私はガキの時分に見たNHKの「シルクロード」や、井上靖の本を
読んだりして、いつのまにか行ってみたい場所筆頭になってます。
聖徳太子は詳しいことは知らないのですが、直感的に実在説に
一票を投じたい気持ちです。(梅原猛&親鸞ファンです)
さて土偶の性別についてのですが、私もみなさんご指摘の通り男もあると思います。
中ッ原の仮面の女神は女だと思うなぁ
土偶の取り扱い方法(ヘンな言い回しですが)については
当然地域差はあると思います。日本以外にも土偶を連想させる
風習があるようですよ。
なんだかまとまりのない書き込みになってしまいましたが
今後ともよろしくお願いいたします




389. アクセスカウント10000に感謝! さわらびY(ゆみ)  2002/12/21 (土) 10:38
夜中にアクセスカウント10000を越しました。桃崎先生そしていつもごらん下さっている皆様、ありがとうございます。
これは、ひたすらこの掲示板への、皆様からのわかりやすく、楽しく、内容の充実した書き込みと最新の情報に依拠しています。今後ともよろしくお願いします。

「中ッ原の仮面の女神」に見とれていたら、ちょうど同じ時間?に川崎さんの「vol.16◆縄文の巫女」がUPしました。
当HPのリンク欄に「VOLONTE(信州発考古学最前線)」を載せましたので、ごらんになってください。
ただ「尖石縄文考古館」は、No.387のこのながーいURLでないと、リンクしません。
これ以上「好奇心!」をオーバーランさせないよう用心しても、やはり土偶にも「はまりそう」。

そろそろ、徹夜?の桃崎先生がスタンバイされるお時間です。
今晩はよろしくお願いいたします。






388. 1万件おめでとうございます。 桃崎祐輔  2002/12/21 (土) 01:55
さわらびご夫妻さま

何気なく覗きに来たら10000のキリ番を踏んでしまいました。
 現在明日の講演レジメの追い込み中です。親知らず抜歯のおかげで顎の痛みは止まりましたが、レジメのほうがその分遅れております。
 睡眠含めてあと10時間、ぎりぎりまで粘ってみます。
 それでは明日はよろしくおねがいします。




387. 信濃のこと・土偶のこと・・・ さわらびY(ゆみ)  2002/12/20 (金) 23:46
「ここはシベリアか・・・」と嘆息されるほどとっても寒い信州の川崎さんと奥様へ

信州は若かりしころ(今も若輩ですが)、毎年夏も冬もよく行きました。
真夏に八ヶ岳から下山して寄った尖石遺跡、スキーの合間に行った戸隠神社は、まだ史跡探訪にのめりこむ前の印象深い思い出の地です。
双体道祖神や民俗にふれる旅がしたくて数年前は、八千代市郷土歴史研究会の仲間と、2回に分けて塩の道を歩きましたし、また最近、夫婦で県立歴史館と市将軍塚古墳のある「科野の里歴史公園」に行きました。
川崎さんとTの土偶をめぐるやりとりを見ていて、信濃の棚畑のビーナスや中ッ原の仮面の女神(川崎さんが言われるように、これが女神?)そしてなぜか佐倉の国立歴博の入り口にある西ノ前の八頭身美人をあらためてしげしげと眺めてみました。
http://www.city.chino.nagano.jp/main.asp?fl=show&id=1000007930&clc=1000000044&cmc=1000000107&cli=1000000752&cmi=1000001709  (なんと長いURLだこと!)
http://www.ne.jp/asahi/asamasa/shako/dogu/dogu04.html
考古学のプロではないので、詳しい論争には加われないのですが、土偶は各地で個性があっておもしろいですね。このところ、Webで土偶見物をしていて、「しゃこちゃんのお部屋」という楽しいサイトを見つけました。(この上のURLです)国立歴博や東大総合研究博物館のデータベースより、素人にはとってもわかりやすいHPです。

石棒→陰陽石→双体道祖神という性を祀る系譜、そして土偶・木偶→人形送り→流し雛→雛人形という形代の系譜、こんな連想ゲームをして見ました。この二つの系譜はどこかでクロスしながら、現代まで残っているように思えます。

とりとめのないことを書きました。明日は夜遅く、東京も雪になるとのこと。もしかしたら年内2度目の雪景色になるかもしれませんね。

いま、カウンターが9994です。10000の切数字はどなたがゲットされるのでしょうか?




386. Re: 2日間は面白かった さわらびT  2002/12/19 (木) 00:11
みきこ様

確かに波乱万丈の二日間でした。
秋葉山古墳群のシンポジウム、甘粕先生が体調をくずされながら、ヤマト中心史観を語られていたのは毅然とされていたと思います。
15日は徐先生にお目にかかるのも目的でしたが、講演会に参加して興味深くもありましたが、おやっと思った点もありました。小林先生の広開土王碑文、辛亥年331年説にもびっくりでしたが、熊谷先生の「天皇」号成立=推古朝の可能性の再検討など、私にはまだ?です。

今週の、土曜日は間違った所に行かないように・・・・




384. 2日間は面白かった みきこ  2002/12/17 (火) 23:14
最近行先を確認しないで、電車に乗れば目的地に行くのだという思い込みが強すぎて失敗が多いのです。というわけで14日は海老名に着いたのは遅かったーおまけにハプニングが多くてせっかくの出土した土器もちゃんと見ることはできず残念でした。秋葉山古墳群の最古の3号墳が在地的な土器を持ちながら朱を用いた祭祀が行われていた意味は何なのか興味深かったです。15日の東アジアのシンポで日経新聞(12月14日・文化欄)「姿見せる倭の国の馬」が紹介されていました。会場でコピーをみせてもらったけど・・「大阪・蔀屋北遺跡の馬は蒙古系の現在の木曾馬のような体形でー百済・伽耶は大和王権の武力強化のために馬と共に馬飼い集団の移住を支援した」と千賀久さんのコメントが載っていました。なんで今特集なんだろう?
 Yさん、風邪はやく治してくださいね。私は元気元気です。




383. Re^2: 土偶のマツリと性 さわらびT  2002/12/17 (火) 23:00
川崎様

藤尾先生の説をお伝えするのに簡略にしすぎました。
土偶の集成を歴博で行った経緯を述べられ、土偶祭祀はきわめて限定的な地域・集団が行っていたと分析、その上で、出現、衰退、消滅の時期の検討をされています。弥生時代になって土偶はなぜ消滅するかと論じていることに興味を持ちました。
土偶の性については、@女性説A性を超越した存在とする小林達雄説があるそうですね。藤尾先生は、水田耕作と石棒・土偶祭祀の共存は可能かと問い、縄文祭祀の終焉の契機は環濠集落の成立にある、との結論づけています。@環濠集落と土偶は共存しないという考古学的事実。A環濠集落の成立が弥生人の農耕民としての意識の芽生えを意味し、それが縄文社会の見方や定理と著しく抵触するのだそうです。「弥生時代における土偶の消滅は、落葉性の森林生産物に依存するという存立基盤そのものが人工的に排除されることによってひきおこされた点が縄文中期末の消滅とは異なっている。」(『縄文論争』p45)

視点は異なるかと思いますが、同じ歴博の設楽博己先生の『農業の始まりと地域文化の形成』(『日本の時代史1倭国誕生』吉川弘文館、2002)に目を通してみますと土偶の性の変化に関することが述べられていました。藤尾先生とは違って土偶=女性説です。縄文晩期に男性の土偶が出現、弥生前期には男女の土偶も出土している。また長野県渕ノ上遺跡、山梨県岡遺跡の2例をあげ中部日本では土偶が男女像に変化したといわれます。ここで設楽先生は土偶の性に関わる変化の原因を西日本の弥生文化の影響と論じています。

これまた部分引用ではわかりにくいでしょうし、私自身も理解しているわけではありません。藤尾先生の説はユニークなように思えます。多様な視点は想像力をかき立ててくれるので、面白く感じています。

川崎さんのエッセイに刺激を受けて関連した論考をさっとのぞいただけの無責任な書き込みで、申し訳ありません。とりあえず紹介まで。

佐原先生の『大昔の美に想う』(新潮社、1999)を開いてみましたら小林説には反対しておられ土偶=女性説でした。今年1月、さわらびY(ゆみ)宛に「元始、女は実に太陽であった。そして今も太陽だ」とサインしてくださった姿をまた思い出しました。やっぱり土偶は女性かな?




381. 土偶のマツリと性 さわらびT  2002/12/16 (月) 23:05
藤尾慎一郎『縄文論争』(講談社選書メチエ、2002)を読んでいます。
土偶は縄文時代の中でもあらゆる食料資源を網羅的に獲得するシステムを持った社会で、集中的な協働作業の求心力を維持する為に必要とされた、と論じられています。
弥生時代には稲魂がマツリの対象となり、豊穣を約束するには性を持たない土偶は用をなさなくなったようです。
聞きかじりですが、関連してましたので一言。




379. 宝篋印塔について勉強してきました さわらびY(ゆみ)  2002/12/15 (日) 23:16
金沢文庫で斉藤彦司先生の「関東形式の宝篋印塔」のご講演を聴いてきました。その予習を兼ねて、宝篋印塔などの画像データを整理し、一応HPにUPしておきましたが、整理しながらわからないことがでてきて、ご講演が終ってから、先生にいろいろ教えていただきました。
(斉藤先生、もしご覧になっていらしたら、今日は本当にありがとうございます。)
特別展「称名寺の石塔」では、340.の桃崎先生ご推薦の覚賢(多宝寺五輪塔の主)の一周忌諷誦文も見てきました。文書では、斉藤先生のお話にもあった箱根の宝篋印塔銘にある「大蔵安氏」との同一人物らしき名前の出てくる「堂建立書」が、興味深かったです。

境内では石塔の撮影のつもりが、おだやかな天気にさそわれ、橋が水面に照り輝いているのが印象的で、風景も撮ってUPしました。

風邪気味で、昨日はとうとう「インド&パキスタン彫刻」展は行けずに終ってしまいこちらは、ちょっと残念。
21日までになんとか、風邪を治さなきゃと思っています。




378. 「土偶は女神?」よみました さわらびY(ゆみ)  2002/12/14 (土) 01:03
信州発考古学最前線12月6日(vol.14)「土偶は本当に女神か?」を読みました。
http://www.volonte93.com/
国立歴博の展示室も縄文中期のビーナスがむかえてくれます。http://www.rekihaku.ac.jp/zyoosetu/no1/pict11.html
ビーナスというだけに、「容貌魁偉な縄文土偶」よりましかな。
でも「土偶は本当にすべて女性なのか」という問いかけは、なるほどと思いました。言われてみれば、なるほど仮面をした男性のシャーマンだっておかしくないですものね。
川崎さんのエッセイ、毎回楽しみです。
信州はもう雪景色のスキーシーズン?長い冬をどうお過ごしでしょうか。おたよりお待ちしています。




377. 海老名市へ みきこ  2002/12/12 (木) 21:11
さわらびT様
 やはり14日はシンポ「墳丘墓から古墳へー秋葉山古墳群の築造」の方へ行きます。「水銀朱の使用と祭祀」に興味があります。




376. 情報をありがとうございました さわらびY(ゆみ)  2002/12/12 (木) 00:08
みきこさん、桃崎先生
若王子古墳群・賎機山古墳の情報をありがとうございました。
沼津の香貫山の山歩きと思ったのですが、静岡まで行くのもいいですね。ただ、28日はもう年末の休みに入っているので、資料館などが閉まっているのが残念です。
霊山寺はお寺だから年末でも大丈夫でしょう?
http://www2.tokai.or.jp/izuso/kankou1.htm
に五輪塔と並んで変形宝篋印塔の写真が載っていますが、ずいぶん変わった形ですね。
15日は金沢文庫で斉藤彦司先生の「関東形式の宝篋印塔」の講演会があり、申し込んだら抽選で受講券が届いたので、聴いてきます。
桃崎先生の「340. 研究は奥が深いです。」を参考に特別展ものぞけたら見てきます。藤枝市鬼岩寺関連史料も探してみましょう。

21日の桃崎先生の講演会場ですが、工事中の大崎駅の様子が若干かわったようです。大崎にバイトに行っている友人が、労政会館の行き方の地図を送ってくださいました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/uzunokai.htm
に貼り付けました。これでなんとか迷わずたどり着けるかしら?
初めて行かれる方は御参考にしてください。




375. 今度詳しく教えて! みきこ  2002/12/09 (月) 21:56
T,Y様
 岩崎先生のお話聴けてよかったですね。私は流行に敏感なので又風邪と仲良くしていました。桑57号墳は以前行った記憶があるような・・確か被葬者は女性で珍しい「天冠」と蛇行剣が出土しているですよね。大小の鋳銅製の鈴が8個蛇行剣の側に並んでいた写真見たことがあります。面白いですね。今度詳しく教えてくださいね。発掘調査報告書によると鈴の5個には平織りの布痕(2種)があったそうで、麻か絹の布に包んだか、衣服が付着したのかとかいてありましたが、どのように鈴が使用されたのか一番興味のあるところです。
 静岡まで足を伸ばされるなら、藤枝の若王子古墳群(舟葬の例)、静岡市の賎機山古墳(歩揺付冠帽、六鈴鏡、馬具ー確か桃崎先生が書かれている)がいいのでは?なんて言いながら・・私は行っていないので、今後行く予定の古墳です。




374. 岩崎卓也先生のご講演から さわらびT  2002/12/08 (日) 23:49
みきこ様
今日は松戸市立博物館に行ってきました。出土遺物巡回展『房総発掘ものがたり』の会場が、先月お越しいただいた八千代市からこの松戸市に変わっています。

今日は岩崎卓也館長のご講演がありました。

みきこさんもご覧になった鈴に関連して、桑57号墳出土例を図示されました。さらに栃木県の大橋泰夫氏の集成、検討に基づくお話とのことですが、この鈴の用途にふれられました。資料としてあげられた神奈川・瀬戸ヶ谷古墳出土太刀形埴輪などをおつかいになり、柄の部分に曲がりがねと称する飾りがありさらにこぶのようなものがついている、よく見ると刻みがついているので、つまり鈴が列状に並んでいる、というご説明でした。こうした銅鈴は儀礼用のものであるとの大橋氏は解釈された、こんな風におっしゃられたものと理解しました。

みきこさんがお聞きになったらもっとよくお分かりだと思いますが私では理解不充分。今度ゆっくり教えてください。

岩崎先生は、多古台遺跡群bR地点(多古町)出土の方格規矩鏡に関連したお話、並びに大山台古墳群(木更津市)第48号墳(前方後円墳)の埋葬施設がすそにあることに関連しての話をされました。含蓄のある内容でした。

出品物で興味深いのは多古台遺跡群bR地点、5号墳周溝出土の帯金具ですが、ホ具、蓮華紋帯金具、巡方、鉈尾の4点が展示されています。松戸会場は12月23日までです。




373. 「中世船橋と千葉の湊…」をお読みいただきありがとう さわらびY(ゆみ)  2002/12/08 (日) 21:50
あるけ〜様、みきこ様
「中世船橋と千葉の湊…」をお読みいただきありがとうございます。
地方史も、新しい視点から常識が覆され、謎が解き明かされるのは面白いです。
「あるく」ことも大事ですね。船橋は中央図書館裏の御殿地付近の迷路を何回か歩くうち、崩された土塁のわずかな傾斜を足の裏に感じられるようになりました。
それに比べると、千葉はまだまだ「歩いて」いません。あるけ〜さんの、裁判所=千葉氏の方形の館跡のカメラアングルはさすがです。
暮れは、箱根の石仏群と、沼津の霊山寺に行ってみようと、久々に箱根の温泉ホテルを予約しました。桃崎先生が図を直された霊山寺の五輪塔の姿を見てきます。
ところで、この付近の古墳や古代遺跡の見所は? わたし一人が楽しむだけにはいかないのが夫婦の旅ですから。




372. 楽しみですね みきこ  2002/12/08 (日) 00:48
さわらびY様
「中世船橋と千葉の湊・巨大五輪塔の記憶」とってもいいですね!少しづつわかってきました。「史談八千代」もこんなふうに地域史って取り組むといいんだなと参考になりました。そういえば私の近くにも板碑、馬頭観音が多いのに気がつきました。
 もう5,6年以上前になりますが、千葉の大寺山洞穴の舟葬がクローズアップされた頃、ずーときになっていた埼玉稲荷山古墳の舟形礫槨も舟葬なのでは思い、磯部武男さんの「古代日本の舟葬について」を読み、感動しました。意外に日本では舟葬の例は少ないのにびっくりしました。中国では紀元前4世紀から前漢後期の四川省、紀元1〜2世紀頃のタリム盆地の遺跡に例があるらしくて、それからですねこの珍しい主体部を持つ稲荷山古墳の副葬品の一つ一つを調べてみようと思ったのは!そこから被葬者のイメージが見えてくるのかなと思ったのですがこれがなかなか大変で(一生かかりそう)、馬具にとりかかったとたん・・奥が深すぎるのですねー。稲荷山古墳の馬具はどんな政治的立場を表しているのかな?だから今月の桃崎先生のご講演は楽しみです!
 先生、めっきり寒くなりました。巷では風邪が流行っています。くれぐれもお体ご自愛くださいね。




371. 佐藤信先生の『出土史料の古代史』 さわらびT  2002/12/07 (土) 23:30
髻華の会で来年1月にご講演をお願いしています佐藤信先生(東京大学大学院教授)の新刊『出土史料の古代史』(東京大学出版会)をご紹介します。(ご講演の詳細は下記をご覧ください。12月は桃崎先生です。年のため。)

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/uzunokai.htm

先日の平城京シンポジウム(11月17日)で、佐藤先生が埋蔵史料の重要さを指摘され「地下の正倉院」という表現をされたのが印象的でした。
出土史料によって古代史を読みなおすというお考えに説得力があります。
「出土した暦−古代国家と時の支配」の項で、東北地方の漆紙文書の出現には蝦夷との戦いという時代背景が関連していると説き、また古代国家の確立は民衆生活にも時による支配から無縁ではなかったことが述べられていました。
平安時代、古代貴族にとって暦がいかに生活を規定したかの例として、「朔旦冬至」を大の月、小の月をやりくりして実現してしまった事例(貞観2年、860年)が書かれていたのを面白く読みました。そういえば昨年〜今年の初めにかけて、掲示板で暦の話題で盛り上がったとき「朔旦冬至」に関連して掲示板70「朔旦冬至を2度経験した桓武天皇」を書いたことがありました。
冬至がくればもうすぐ年が明けますね。(まだ早い!)




370. リンクのご報告 あるけ〜@千葉市の遺跡を歩く会 [URL]  2002/12/06 (金) 21:05
ゆみさん、こんばんわ
貴サイトのトップページと、「船橋と千葉の湊・五輪塔」のページへのリンクを当方のサイトのトップと御成街道のページに設けさせてもらいました。よろしくお願いします。支障があったら、ご連絡ください。




369. Re: 五輪塔の階層構造図を更新しました 桃崎祐輔  2002/12/06 (金) 00:27
> 桃崎先生の五輪塔の階層構造図を9月にいただいた最新の図に差し替えました。
> 掲載をお許しいただいた桃崎先生に感謝!です。

 お手数かけました。私は研究会で発表したものはどれもOKですので今後も気兼ねなく掲載してください。
 というか、私がさっさとちゃんとした論文書けばいいんですが・・・





368. 五輪塔の階層構造図を更新しました さわらびY(ゆみ)  2002/12/05 (木) 19:52
桃崎先生の五輪塔の階層構造図を9月にいただいた最新の図に差し替えました。
房総石造文化財研究会の皆様などに見ていただいてプリントもできるよう、なんとかぎりぎりのサイズにしました。
これ以上大きくすると、ブロードバンドでない方にはつらいでしょうし、これ以下では字が全く読めないでしょう。
ひょっとしたら、まだこの図の載っている雑誌や本は売っていないのかも。
掲載をお許しいただいた桃崎先生に感謝!です。




366. Re: 霞ヶ浦沿岸の滑石製玉作遺跡 さわらびY(ゆみ)  2002/12/04 (水) 23:56
桃崎先生
「巨大五輪塔の記憶」をごらんいただきありがとうございました。
船橋と西大寺でいただいたレジメの五輪塔階層構造図では、たしかに駿河霊山寺塔が8尺から9尺になっていて空輪の形も変わっていましたね。
ただ、レジメにいっぱい書き込んだメモを消してから、スキャナーのA4サイズに縮小する必要があるので差し替えはちょっとお時間をください。

北関東の滑石製模造品の情報も興味深く読みました。
古代も中世も石製品は原石の産地が限られ、また意外なほどに遠くまでは運ばれるのですね。

ところで、川崎先生の新作のエッセイ「倉科の石井−泉と巫女と古代の王権」なかなか面白かったです。http://www.volonte93.com/
「真間の手児奈」は御当地、下総の美女ですが、「埴科の石井の手児」については、石井推定地の祭祀遺跡(もちろん滑石製模造品があるのですね。これも三波川帯の滑石?)から『地域首長の祭祀を司った「巫女」的人物』を推定されているのは興味深いです。
もしかしたら、真間の手児奈もただのかわいそうな美女じゃないのかも?

桃崎先生の21日の東京での講演会ももうすぐ、皆様スケジュールの確認をよろしく御願いします。




365. 霞ヶ浦沿岸の滑石製玉作遺跡 桃崎祐輔  2002/12/04 (水) 21:27
さわらびYさま
「巨大五輪塔の記録」拝見しました。わがネタながら見事に昇華されて立派な画像になっており感動です。おつかれ様でした。ただ使われている土浦市博の図録の階層構造図は古くて手直しの必要があり、駿河霊山寺の古い図面(斎藤彦司先生原図)はその後新しい図(吉沢悟原図)に変えて規模がかわりました.
お手数ですが今後は新しい図を使ってください。

 12月2日の川西ゼミでは、栃木県埋蔵文化財センターの篠原裕一さんが滑石製模造品について講義してくださいました。北関東で生産された滑石製模造品のほとんどは、群馬県の藤岡や高崎あたりに広がる三波川帯の滑石を素材としており、地元のほか、結城・小山周辺、霞ヶ浦西岸・南岸などへと運ばれ、模造品に加工されているそうです。
霞ヶ浦沿岸に特徴的に見られる石枕の大部分も、地元の筑波南麓の石ではなく、わざわざ三波川帯から搬入された滑石で製作されているそうです。やはり藤岡市白石稲荷山から初期の石枕が出ていることには意味があるんですね。
 翌3日、篠原さんやうちの先生、学生たちと美浦村と東村の遺跡出土品の見学に出掛けました。徹夜明けでフラつきながらでしたが、いいものが見れました。
 美浦村陸平研究所では、教育委員会の中村哲也さんのご説明で、三波川帯産と思われる滑石を使って玉作をしているミコヤ遺跡・木の根田遺跡の出土品を見せていただきました。陸平遺跡近くの古墳時代中期後半から後期前半(5世紀末〜6世紀前半)の遺跡で、カマドを持たない1辺7mほどの住居跡から、粗割した横35cm、幅15cmほどの石材を、さらに幾つかに割ったたまま放置したものが出ていたほか、剣形・紡錘車・勾玉・有孔円板・臼玉などの完成品・未成品が数多く出土していました。現在報告書作成中だそうです。
 東町では、東町立歴史民俗資料館を見学し、立切遺跡で出土した滑石製鏡形(なかなかよいものです)・剣形・紡錘車・勾玉・臼玉などの完成品・未成品等を見学。平台遺跡でも玉作り資料が出ているほか、鍛冶をやっていた住居跡も見つかっているそうです。そこでは釣針や馬具も出ているらしくキャプションが並んでいますが、どこかの特別展に貸し出されているようで見ることが出来ず残念でした。
 なお平台遺跡では見慣れない大型の滑石製?紡錘形土錘が出ていたほか、網に付けた状態で朽ちたらしい並んだ状態で出土した土玉に興味を覚えました。




364. 行きたいところがいっぱい みきこ  2002/12/04 (水) 21:10
さわらびT様
 かみつけの里博物館に行かれたのですね。保渡田古墳群は私の一番好きな?場所です。4,5回は行きました。何で好きなのかというと八幡塚古墳の埴輪達には鈴があちこちに付いていますから・・舟形石棺もすばらしいですよね。今城塚古墳の埴輪も大きかったですね。関東の巫女埴輪とはやはり違っていますね。土曜日には東京都美術館の「狩野探幽」展に行ってきました。(12月8日まで)「インド・マトゥーラ彫刻」展も行く予定でしたが体力的にギブアップ。上野公園の大きなイチョウをボーと見ていました。狩野探幽って大きな迫力のある襖絵のイメージしか持っていなかったのですが、同じ人が描いているのかと思うほど繊細な植物画、動物画にも感動しました。巨匠といわれる人の生き様がひしひしと伝わってきました。勉強もしたいし、あちこちにも行きたいし・・・




363. 「船橋と千葉の湊・五輪塔」の記憶をUP さわらびY(ゆみ)  2002/12/04 (水) 00:42
桃崎先生、みきこ様、忍性シリーズを見てくださっている皆様

「中世船橋と千葉の湊・巨大五輪塔の記憶」をやっとUPしました。
8月に書き始めてから、西安へ旅行や八千代市郷土歴史研究会の行事で中断し、なんと3ヶ月以上もかかってしまいました。
何度も足を運んで撮影するたびに夏から晩秋へと時はうつり、新緑の意富比神社、夾竹桃の咲き誇る千葉神社、紅葉の海老川と、さまざまな季節のよそおいの画像になりました。
また、五輪塔群の図と桃崎先生との出会いもぜひ書きたかったことです。
先日掲示板に書いたように、大日寺縁起と忍性開基伝承は、まだ原典に当たっていないことと、謎解きの部分が多いので、今回のUPはあきらめました。
そのため、突込みが足りないところはお許しください。
桃崎先生、今後とも御指導のほどよろしくお願いします。

Tak様
「インド・マトゥラー彫刻」展と「パキスタン・ガンダーラ彫刻」展に行きたいと思っているうち、会期の15日がせまってきているのに気づきました。仕事は休めそうもないし、土日はスケジュールがいっぱいだし、ちょっと焦っています。晩秋の上野の館めぐりを満喫されたよし、うらやましいです。






362. 秋の上野 Tak [URL]  2002/12/03 (火) 23:09
上野の国立科学博物館「光を楽しむ」展と
東京国立博物館「インド・マトゥラー彫刻」展「パキスタン・ガンダーラ彫刻」展に
行ってきました。
科博に行ったのはかなり久しぶりでした。
新館が出来ていてビックリです。ノーベル賞の小柴氏と田中氏の直筆メッセージもありました。!(^^)!

一日でこれだけ観てまわるのはちょっともったいなかったです。





361. 歴博友の会イベント情報HP紹介 さわらびY(ゆみ)  2002/12/02 (月) 22:26
昨日は、Tは群馬へ、わたしは歴博友の会主催の埼玉の武蔵嵐山の菅谷館周辺の史跡見学会へ、帰ってから Takさんご推薦の「狩野芳崖の世界」の再放送と続けて「世界遺産―バチカン市国」の美術番組を見ました。
(いま、Tは帰宅後「クローズアップ現代」の今城塚のビデオを見てます。)

Takさん、mwaraさん、貴兄のHPに「さわらび通信」をあらためて丁寧な紹介文付でリンクいただきありがとうございます。

ところで歴博友の会イベント情報のHPがSさんの奮闘で下記のURLにUPしました。
http://www.rekishin.or.jp/tomo-info.htm
歴博友の会ニュースで「HPの拡充を」と書いた手前、中世古文書講座の井原・小島両先生の画像提供などの助っ人をしました。
友の会の皆様、ごらんになっていらしたらご一緒に、良いHPになるように応援しませんか。




360. 明日のクローズアップ現代は今城塚です さわらびT  2002/12/01 (日) 22:13
明日12月2日夜7時半のクローズアップ現代は、今城塚古墳の特集らしいです。注目の埴輪群に興味がわきますね。

今日は思いきってかみつけの里博物館に出かけました。第10回特別展『犬の考古学』開催中です。
でもさすがに遠かった。時間の都合で三ツ寺遺跡には行けませんでしたが、博物館周辺の古墳を歩いてみました。
保渡田八幡塚古墳には水野正好氏の王位継承儀礼説(『埴輪芸能論』)のモデルとなった埴輪列があります。(第7回特別展『はにわ群像を読み解く』参照)

実はあまり遺跡を歩いていませんのでこれから少しずつ探訪するつもりです。

日高慎先生の講演がありました。ごあいさつしようと思いましたが今日は遠慮しました。桃崎先生、日高先生とお話になる機会があったら千葉県からはるばる出向いて聴講していた者がいたとこっそりお伝えください。




359. 古代のものさし みきこ  2002/11/30 (土) 23:32
最近感動した本です!
「まぼろしの古代尺」吉川弘文館 新井宏著・・(新井さんは現在韓国慶尚大学招聘教授)10年前の本ですが、韓国版の本が出版されて韓国では注目されているとか。物理学者らしく「基準尺導出法」を開発コンピューター解析し、日韓の古代建築物等に使用されている基準尺=0.268m程度の「古韓尺」を抽出。興味深いのは、日韓の70種1000件のデータの解析の結果というところにある。(集安壁画古墳、宋山里古墳石室、日本大型前方後円墳、埼玉古墳群や法隆寺・・・4〜7世紀)この「古韓尺」の祖形は鮮卑の拓跋、慕容部にあるのではとのこと。
 「BOUNDARY]11月号では「天安・清堂洞遺跡の馬形帯鉤と一部の三角縁神獣鏡の鉛同位体比が完全に一致し、朝鮮半島と同じ原料源を使用している」との指摘も面白い。






358. 紹介 Tak [URL]  2002/11/29 (金) 22:37
●新日曜美術館
 NHK教育  ▽午前9時〜10時午後8時〜9時
「母と観音とマリア〜画家 狩野芳崖の世界」
 幕末から明治にかけて活躍した狩野芳崖が、最晩年に制作した「悲母観音図」
には、観音像でありながら洋画的なモチーフと色調が使用されている。
 長府藩御用絵師の家に生まれ、後にフェノロサとの出会いを通じて西洋絵画に
通じた芳崖が、明治の時代の中で、新しい日本画を模索した姿を描く。




356. 初めまして。 Tak [URL]  2002/11/27 (水) 11:39
こんにちは。こちらの掲示板にお邪魔するのは初めてです。
千葉県市川市のTakと申します。

先日、拙HPをこちらとリンクさせていただきました。
大変嬉しく感謝しています。

悲しみの聖母について調べています。
中々うまくいきませんが何とか頑張るつもりです。
今後とも宜しくお願いいたします。




355. ありがとうございます。 さわらびY(ゆみ)  2002/11/27 (水) 00:29
郷土史展の写真整理や、残務整理に追われ、展示にお出でいた皆様からのメールに十分御返答できず失礼しています。
(今日は、明大で、中国から日本古代史研究に来日されていて、夏の西安洛陽の旅を御一緒した徐先生の送別講演で、日付の替わった今、帰宅しました)
みきこさん、mwaraさま、展示を丁寧に見てくださり、本当にありがとうございました。

また、古霞ヶ浦のお問い合わせに、早速お答えいただいた桃崎先生、文献紹介をありがとうございます。
白井久美子先生の論文はわたしも、読んでみたいと思います。
桃崎先生にお答えいただく前に、棚から手にとって眺めていた千葉県側の資料をご紹介しておきます。
千葉県立中央博物館発行の『香取の海ーその歴史と文化』(平成5年度特別展図録)、同博物館の『研究報告・人文科学』第3巻第1号(特集 香取の海と民衆)のうち、川尻秋生「香取の海雑考」です。千葉県在住の私どもは茨城側については不明なことが多く、これは専門の桃崎先生に御教授いただいたほうが、よろしいかもしれませんね。

明日(27日)は、加藤健吉先生の講演会http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase.htm
がありますので、今日いただいたメールのお返事も、きっとあさってになるかもしれませんが、どうかお許しください。

睡眠聴講(?)にならないよう、さあ、はやく寝なきゃ。
では皆様、渋谷でお会いしましょう。




354. お礼 mwara [URL]  2002/11/26 (火) 22:35
こんばんは;先日は郷土史展を拝見させていただき、会員さんのまとめられた貴重な資料、大変参考になりました。皆さん細かいところまで手をかけいらっしゃいまして感心しております。今”史談八千代”を拝読しておりますが、読み終わったら感想等書かせていただきます。まずはお礼まで!!




353. 古霞ヶ浦の参考文献1 桃崎祐輔  2002/11/26 (火) 01:25
北畠克美様

白井久美子氏(1954年生まれ)の『古墳から見た列島東縁世界の形成−総武・常総の内海をめぐる古墳文化の相剋』千葉大学考古学研究叢書2(2002年2月28日発行 平電子印刷)がおすすめです。千葉県下の主要図書館にはあると思います。
 白井さんは団塊世代研究者にとってはアイドル的な姐御で、現在も竜角寺浅間山古墳の報告書作成に取り組まれています。

 古地図につきましては、佐原の伊能忠敬記念館か土浦市博があるていどのデータをおもちのことと思います。そちらの刊行物をあたられるとよいかと思います。




352. 霞ヶ浦 北畠克美  2002/11/25 (月) 23:11
霞ヶ浦の古代史に興味を持つ団塊の世代です
どなたか霞ヶ浦の古地図をお持ちの方お知らせ願えれば幸いです
香取の海の交流史などご存じの方が居ましたら、ご指導頂きたいと考えております




351. 帰りの道は遠かった みきこ  2002/11/24 (日) 23:35
さわらびT,Y様
今日は大変お世話になりました。歴博「中世寺院の姿とくらし」、八千代市郷土博物館、八千代市民文化祭「高津新田の昔と今」と欲張りに見せて頂きました。一番よかったのが八千代市民文化祭でした。皆様方の日々のご研究の発表をちょうど聴くことができ、失われていく郷土の歴史を地道に調査され研究されているお姿に感動しました。江戸時代から伝わる屋号に山伏のが残っているとか、幕府の直轄地下野牧に接して野馬除土手が続いているお話とか非常に刺激を受けました。
 T様から見せていただいた桃崎先生の考古学ジャーナル(もちろん私は購入します!)読みながら電車に乗っていったのですが・・夢中で読んでいくうちに気がつけばなんと羽田近くだったんです!どうしてなんだろう。私にとっては難解な馬具。でも九州における騎馬文化がコンパクトに整理されていて、有名な古墳の馬具しか知らなかった自分にとっては刺激的でした。今後が楽しみです。随所に先生のお考えが述べられていて今まで知りたかったことがよく理解できました。




350. 郷土史展への御来場ありがとうございました さわらびY(ゆみ)  2002/11/24 (日) 23:17
みきこさま、皆様へ
このHPをご縁に、遠路はるばる八千代市郷土歴史研究会の郷土史展へのお越しいただきありがとうございました。
わたしの展示も、皆様のHPから画像を展示に利用させていただいたり、また会場で皆様から助言や情報をいただき、双方向のコミュニケーションができてうれしかったです。

348.の桃崎先生の文章の
>最初予測した範囲の結果しか出ない研究は、やっても意味がありませんので、今の自分には予測できない何かにたどりつきたいのです。
という研究姿勢と気迫は、心打たれるものがあります。
Tとの論点はともかく、鮮度のよい講演には、直前まで「仕込」が必要というご苦労もよくわかりました。
とはいっても、没頭して寝食をお忘れになるようなこともしばしばおありではと、みきこさんともども心配しております。
お体に気をつけて、御研究に邁進されるよう願っております。





349. 了解しました さわらびT  2002/11/24 (日) 22:55
桃崎先生
了解しました。直前にあらためて打ち合わせさせていただきます。

今日はみきこさんがはるばる、佐倉の歴博や八千代の郷土史展におこし下さいました。正覚院にも感動していただきました。
「遠い」けれど、面白かった、とおっしゃっていただいてよかった!




348. ご指摘ありがとうございます 桃崎祐輔  2002/11/24 (日) 12:51
 さわらびT様
 私は自分の論旨より根拠となる事例を重視しておりますので、1993の論考より1999の集成表のほうがよいかと思いましたが、ご指摘の通りですね。まあいずれにしても古いものは鮮度が落ちてだめなので、あんまり真剣にお読みになられても、益するところは少ないと思います。

 2月はまだどうなるか自分でよくわかっておりませんが、なんとかなると思います。ただ12月の講演が終るまでは、なかなか次のことまで頭がまわりません。既に単著のある先生がたとは異なり、私の講演は直前まで「仕込」が必要ですので、十分な見通しがありません。メールは拝見しておりましたが、まだ返事は先でよかろうと思っておりました。とりあえず話はさせていただく方向でご検討ください。内容は藤ノ木古墳の鞍以外の馬具の検討になるだろうと思います。

 小郡周辺の状況につきましては、私の1993の論考以降、小郡市史やその他の論考で研究に進展が見られること、ほかにも朝倉宮・小郡遺跡・那津屯倉や糟屋屯倉など、いろいろ未検討の問題が山積しております。今回の雑文は将来、もっと掘り下げた研究を行うための決意表明みたいなもので、十分裏付けがとれていないことが多いのです。いずれにせよ1993の論考はもう古すぎるので、全くちがう枠組みであらたに馬の供犠や殉葬、当時の朝鮮半島情勢との関係を再検討するつもりでおります。2〜3年気長にお待ちください。最初予測した範囲の結果しか出ない研究は、やっても意味がありませんので、今の自分には予測できない何かにたどりつきたいのです。

 私はあまり処理能力がなく、研究に没入すると事務連絡や雑務が煩わしくてできなくなります。また中世のときは馬具のことが考えられず、馬具のときは中世のことが考えられなくなります。音信不通の折はそのような状態ですので、ご承知おきください。
 




347. 「月刊考古学ジャーナル』論文関連ですが・・・ さわらびT  2002/11/23 (土) 16:45
桃崎先生、ご丁寧にお知らせいただきありがとうございます。
訂正がらみでお聞きするのですが、「九州における馬の供儀・殉葬」の項に、(桃崎1999)とありますが(桃崎1993)ではないですか。興味があって読みかえしているのですが、論文は古いですが言及があるのは1993の『古墳に伴う牛馬供儀の検討』のように思うのですが・・・

興味があるというのは古代牧との関連、殉葬馬の事例ですが、最古の供儀としては南九州の事例があり、6世紀代になって福岡県下にも分布するとのこと。宮崎県は生産地としての古代牧があるのに、九州北部は古代牧との関連がないのに出土例が多いとのことになります。朝鮮半島を向いた前線基地があったという理解でよろしいのでしょうか。ページ数が少ないせいでしょうか、先生も苦労されて書いてるように思いました。

掲示板bQ72で桃崎先生からご紹介があった宮崎の檍(あおき)古墳群ですが、「上ノ原第1遺跡の檍5号墳では「馬壙より鉄地金銅張の内湾楕円形鏡板付轡・棘葉形杏葉7・雲珠1・辻金具14」が出土、「飾馬具装着馬の殉葬馬として注目される。」とのことですが、「特異な例」とも書いてありますね。

すいません。質問というか、感想というか。ところで最近メールご覧になってますでしょうか?お願いがあったのですが・・・




346. Re: 「九州地方における騎馬文化の特質と軍事的背景」 桃崎祐輔  2002/11/22 (金) 15:10
『月刊考古学ジャーナル』12月号の拙稿「九州地方における騎馬文化の特質と軍事的背景」はいろいろ初歩的ミスがあるので申し上げます。
 まず15ページ右19行目、月岡古墳の馬具が「十字紋」となっているのは「十字形」、17行目「木芯鉄板張輪鐙」は「木心鉄板張輪鐙」、30行目の「横剥板鋲留短甲」は「横矧板鋲留短甲」のまちがい。17ページ23行目のの「羽曳野市市野山古墳」は「藤井寺市市野山古墳」、24行目の「「杖刀人」銘大刀」は「「杖刀人」銘鉄剣、さしあたって5箇所初歩的な間違いがありましたが、内容のほうでは、15ページ右2〜3行目に、遊環付ヒョウ轡の例に向田V−1号墳を挙げましたが、中條英樹君が現物を見に行き、報告書掲載分以外にも破片を探して接合したところ、遊環がないようだと言ってました。また甘木市小田茶臼塚のものは、遊環付の鏡板轡が破損したもので、ヒョウ轡ではないそうです。
 さらにこの時点では九州の花形鏡板・杏葉のうち、福岡県若宮町竹原、鞍手町銀冠塚、福岡市元岡石ヶ元1号、朝倉町狐塚しか把握しておりませんでしたが、熊本県熊本市黒髪のつつじヶ丘C‐1号横穴墓で千葉県金鈴塚に類似する大型の花形杏葉?、八代郡宮原町岩立C古墳で花形と近縁の杏葉の残骸が出土しており、宮代栄一さんは神奈川県伊勢原市らちめん古墳のものに類似するとみています。
 最近は福岡県田川市猫迫1号墳で5世紀前半の馬埴輪がみつかり、5世紀の前葉まで遡ると見られており、ジャーナルの論考は不備が多かったと反省しきりです。


されています。髻華の会12月例会(21日)は桃崎先生の講演ですので、ご関心のある方には必読文献です。といっても営業妨害になるので大きな声ではいえませんが、この本、厚さの割にお値段が高いです。ちょっと悩みましたが購入しました。お読みになりたい方お知らせください。「印内台遺跡群出土五花鏡」(白井太郎)も掲載されてます。
>
> 九州騎馬文化の特質を「倭国の最前線としての意義」という視点から論じ、今回の講演での論点になることと思いますが、わが国に特長的な金銅装f字形鏡板付轡と剣菱形杏葉のセットの加耶成立説への疑問も述べられていました。「新羅における楕円形鏡板付轡+扁円魚尾形杏葉セットの成立を強く意識しながら、これに対抗すべく百済や伽耶からの舶載品を列島でアレンジし、創出した可能性がある。」
>
> ご講演楽しみにしましょう。




345. 「九州地方における騎馬文化の特質と軍事的背景」 さわらびT  2002/11/22 (金) 07:26
『月刊考古学ジャーナル』12月号に桃崎先生の「九州地方における騎馬文化の特質と軍事的背景」が掲載されています。髻華の会12月例会(21日)は桃崎先生の講演ですので、ご関心のある方には必読文献です。といっても営業妨害になるので大きな声ではいえませんが、この本、厚さの割にお値段が高いです。ちょっと悩みましたが購入しました。お読みになりたい方お知らせください。「印内台遺跡群出土五花鏡」(白井太郎)も掲載されてます。

九州騎馬文化の特質を「倭国の最前線としての意義」という視点から論じ、今回の講演での論点になることと思いますが、わが国に特長的な金銅装f字形鏡板付轡と剣菱形杏葉のセットの加耶成立説への疑問も述べられていました。「新羅における楕円形鏡板付轡+扁円魚尾形杏葉セットの成立を強く意識しながら、これに対抗すべく百済や伽耶からの舶載品を列島でアレンジし、創出した可能性がある。」

ご講演楽しみにしましょう。


 




343. Re: はじめまして さわらびY(ゆみ)  2002/11/21 (木) 00:28
坡下さま
「隠れキリシタンの悲しみとその信仰の美しさを演奏でまたパンフレットで伝えることができたら」という思いで、二十六聖人記念館の椿を持つ聖母のステンド画像をお使いになりたいとのお申し出でをうけ、たいへんうれしく思いました。
残念ながら、初心者用のデジカメで遠距離から窓を撮ってトリミングした小さな画像しかなく、十分御希望に添えなかったと思いますが、HPでお伝えしたかった真意をこのように汲みとってくださったことに心から感謝します。

『日本史をみつめた「聖母」たち』シリーズは、美術関係のHPを主宰しておられる方や、坡下さまのように音楽の分野でご活躍の方など意外な方面の方からメールをいただき、ありがたく、また少々びっくりしています。
リンクを御希望された美術関係のHP「BLUE HEAVEN」については、当方も
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/sann.htmに相互リンクを付けました。
悲しみの聖母像を数多く制作したカルロ・ドルチについて詳しいページを制作中とのことですが、美術史的な背景がわかって奥深い興味がわいてきます。
これからも、幅広いジャンルの方とのご縁を大切にしていきたいと思っています。




342. Re: 研究は奥が深いです。 さわらびY(ゆみ)  2002/11/20 (水) 23:36
桃崎先生・みきこさま・皆さま

忍性七百年遠忌にちなんだ鎌倉学フォーラム、とても中身の濃い議論が展開されたようですね。

11月の土曜日は、2週続けて井原今朝男先生と小島道裕先生の古文書講座で、歴博の「中世寺院の姿とくらし」企画展展示の中世文書の世界に浸っていましたし、日曜日は今週末の郷土史展展示準備で、会員の皆さんと大きな模造紙に展示の写真や地図を貼ったり、当日配る「郷土史研通信」を作ったりなど、ホームグラウンドの八千代市郷土歴史研究会でひたすら作業をしていました。郷土史展は地域のPR紙にも載り、郷土史研究の1年間の成果を御披露しようと皆さんとても張り切って気合が入っていますので、どうか御期待ください。

桃崎先生からのおしらせでは、多宝寺五輪塔の覚賢の供養表白が見つかったとのこと、また藤枝市鬼岩寺の忍性開基伝承の件の裏がとれたというお話も興味深いですね。
連載途中で止まっている「忍性がたどった中世の風景」もいよいよ千葉・船橋を書く段になって「鎌倉大草紙」の「良観上人(忍性)を請うて小金の馬橋と云う所に大日寺を建立して・・・此寺を千葉へ移す」という伝承に悩んでいます。
霧の中のごとく遠くてなかなか実態に迫れない中世史は、やはりかすかな手がかりも貴重ですし、またそれが得られた喜びは格別のものがあるようですね。

今週末は、歴博の企画展最終日も見所ですが、八千代市郷土博物館で開催最終日の千葉県の出土遺物巡回展も見ごたえがあります。木更津の大山台古墳群の銅鈴や鈴釧、馬具、皮袋形提瓶など、みきこさんの喜びそうなグッズがいっぱいです。
遠路はるばるお出でくださるなら、ぜひ体調を整えて、わが郷土史展とこれらの企画展のどちらかをハシゴされることをお勧めします。ではまた。




341. はじめまして 坡下真弓  2002/11/20 (水) 02:53
突然失礼いたします。
私は金沢大学の合唱団に所属しています、坡下というものです。
さわらびさんのホームページ上で椿を持った聖母の写真を拝見してその純粋さと美しさに感動しました。この美しい絵とであわせていただき、さわらびさん、本当にありがとうございます。
 今年度私達金沢大学合唱団の定期演奏会では千原英喜さん作曲の「おらしょ」をメインステージとするため、さわらびさんにご許可をいただき、パンフレットの表紙にこの絵をもとにした絵を載せさせていただくつもりです。
隠れキリシタンの悲しみとその信仰の美しさを演奏でまたパンフレットで伝えることができたらと思っています。
さわらびさんの温かいご好意のもと、以下、定期演奏会のプログラムを載せさせていただきす。興味をもたれた方は是非お立ち寄りいただければ幸いです。

  <金沢大学合唱団 第55回定期演奏会>
  2003年1月25日(土) 金沢市観光会館
   開場 6:00pm  開演 6:30pm
       
   Tstage. 混声合唱組曲「How old am I?」
        作 曲:荻久保 和明 作 詩:吉原 幸子 
  学生指揮:中村 宏樹(正指揮者) ピアノ:川畑 倫子
   Ustage. ポピュラーステージ 
            “The Beatles”
           学生指揮:阿久津 知之(副指揮者)
     
   Vstage. 混声合唱のための「おらしょ」
              ―カクレキリシタン3つの歌―
           作 曲:千原 英喜
           指 揮:香田 裕泰(常任指揮者)
    
  団員一同頑張りますのでもしよろしければお越しください。
さわらびさんのお人柄がでたようなこの温かいホームページに心も温まる思いがしました。さわらびさん、ありがとうございました。
では失礼いたします。




340. 研究は奥が深いです。 桃崎祐輔  2002/11/20 (水) 00:38
このところ原稿と毎週の研究会で新しいデータの取り込みと咀嚼に追われ、こちらに十分ご挨拶できませんでした。ご寛恕ください。
 土曜には土曜考古研究会で斎藤弘さんの栃木県の中世集落研究を聞いておおいに刺激を受け(早稲田も行きたかったのですが、かわりに後輩たちが出掛けたのでいいかと思って・・・)、翌日の鎌倉学フォーラムでは、忍性や律、浜の問題が取り上げられ、渦中の由比ヶ浜南遺跡の報告書の評価をめぐって厳しい議論が行われる一幕もありました。
 なおこの席上で、金沢文庫の西岡芳文氏が、さきごろ断簡中から覚賢(多宝寺巨大五輪塔の主)の供養表白が見つかり、次の特別展で公表されるとのおはなしでした。侵入者の皆さん、ぜひ見に行きましょう。
 また私がコメントの中で静岡県藤枝市鬼岩寺の忍性開基伝承に触れたところ、あとで西岡氏から、「桃崎君はなぜ鬼岩寺のことを知ってるの?」と聞かれ「静岡の調査と地元の地誌の記事で」と答えると、なんと金沢文庫に忍性が永仁年間に鬼岩寺長老のために書いた供養表白があることを教わりテキストデータを送付して下さいました。非常に驚いて翌日藤枝市郷土博物館の磯部武男氏に連絡したところ、早速金沢文庫と連絡して編纂中の藤枝市史中世資料編に収録したい旨折り返し返答があり、これまで伝承だと思われていた鬼岩寺と忍性の関係が史実であったことを知ることができました。
 いや歴史は奥深いですね。もっと精進しようと思った2日間でした。

 そういえばみきこさんに渡そうと思っていたコピー、渡しそこねてしまいました。今度持参しますのでご寛恕ください。




339. わからないことがありすぎる! みきこ  2002/11/19 (火) 21:12
さわらびY様
土曜日は「日本における韓系遺物出土の背景ー軟質土器の場合」(早稲田大学)へ。日曜日は鎌倉学フォーラムシンポ「中世都市鎌倉の境界と領域」を聴きに鎌倉へと・・普段使わない頭を使ったせいか風邪気味。
中世都市鎌倉の光と闇ー全く知らなかった闇の世界を見た感じでした。鎌倉へのイメージが全く変わってしまった・・街中で発生した「けがれ」を捨てる先ー都市の中の異界としての浜ーそれと律宗がどのようにかかわっているのか。忍性のもとに餞民的な技術者集団がいたのではという意見もありましたが。・・私には全てが新鮮だったのでよくわからなかったけど面白かったです。途中で桃崎先生が意見を求められてお話されていましたよ。ここだけはよくわかりました!詳しくは後日。
鎌倉に通わねば!ああ群馬にも行かなくちゃ。茨城、千葉にも!




338. よろしくお願いします さわらびT  2002/11/19 (火) 00:04
川崎保様
ご訪問ありがとうございます。素人の書いたものですが、読んでいただいて恐縮です。

慶應大学の学生だった30数年前、三田の校舎の一角に土器が転がっていました。何の関心もなく邪魔だなとしか思っていませんでした。それが社会人になって、長野を歩くようになり、藤森栄一氏の本を次々に手にするようになったのはなぜだろうか、と思い返します。森本六爾伝は「二粒の籾」でしたでしょうか。藤森氏の文章にいつも感動をおぼえていました。

これからもよろしくお願いします。




336. ご冥福をお祈り致します みきこ  2002/11/16 (土) 10:20
江上波夫先生
 ご冥福をお祈り致します。
先生の『騎馬民族国家』いつも手元において導いていただきました。残念です。




335. Re: 江上波夫先生が逝ってしまわれました  さわらびT  2002/11/16 (土) 08:57
桃崎先生の「古墳に伴う牛馬供儀の検討−日本列島・朝鮮半島・中国東北地方の事例を比較して」(『古文化談叢』第31集、九州古文化研究会、1993年)を読ませていただいて、江上説を一方的に批判するとか、単純に継承するとかではなくどう批判的継承するのかを考えるべきなのだと思いました。それで書いたのが「騎馬民族征服王朝説は検討に値するのか」です。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kibaminz.htm

『東アジアの古代文化を考える会』が創設された頃は、社会人になりたての一会員でしたので、直接お話したことはありませんでした。桃崎先生のような個人的な思い出はありませんが、偉大な方をまた失った思いは強いです。ご冥福をお祈りします。




334. 江上波夫先生が逝ってしまわれました  桃崎祐輔  2002/11/16 (土) 00:45
 夕刻、ヤフーのニュースで江上波夫大先生が永眠されたことを知りました。96歳、肺炎だったそうで、風邪をこじらされたのでしょうか。
 不死身の江上先生が逝ってしまわれるとは・・・
 昔シリアの現場にいらっしゃった時のこと、全日空の古代史シンポジウムでお話した時のこと、伊藤さんの仲立ちで前座をやらせていただいたこと、モンゴルのツアーでご一緒していただいたこと、いつも居眠りしているのに、全部聞いておられた?江上先生が、あのユーモラスな身のこなしとともに、懐かしく思い出されます。
 そのようなわけですっかり意気消沈してしまいました。20日の告別式に出かけたいと思いましたが、既に予定を入れてしまったし。

 佐原先生が江上先生を連れて行ってしまったんでしょうか。だとしたら佐原先生に恨み言のひとつも言いたい気分です。

 




332. Re: おかげさまで さわらびY(ゆみ)  2002/11/15 (金) 23:55
利時さま
こんばんわ。カクレキリシタンについてのお問い合わせは、ゼミでの御研究だったのですね。まとめられてよかったですね。

何かの調べもので、検索からうちのページに飛んでくる方も最近多くなりました。
旅も思い出や、個人的なエッセイのつもりのページでも、真剣に訪ねてくださる方のために、(聖母シリーズのように)参考資料と参考HPをまじめに記載しなくちゃと思いました。
そういう意味でも、問い合わせてくださって、本当にありがとう。
また、何かあったら質問をよろしく。




331. 「信州発考古学最前線」面白かったです! さわらびY(ゆみ)  2002/11/15 (金) 23:41
川崎保先生へ
はじめまして。
「信州発考古学最前線」をさっそく拝見しました。
いずれも興味深く、わくわくしながら読みました。

特に「寺社になった中世居館跡が語るもの」「トロトロ石器と山の神信仰」「縄文と縄紋」は目からうろこでした!

何の紀要で読んだのかはさだかでないのですが、「トロトロ石器」は名前も面白く、形も(千葉県のは)オバQみたいなので、頭のどこかにインプットされていたのでしょう、船橋市飛ノ台史跡公園博物館でも、思わず「トロトロ石器はありますか」と館の方にお聞きし、なあんだこれかとながめながら、「これって石器の役に立つの?」とか質問したことを思い出しました。
なるほど、山の神をお祭りしたというのは、魅力的なお答えですね。

「縄紋・紋様」の「紋」へのこだわり。この掲示板の148・197〜200・209にもそれぞれの思いがつづられていますが、佐原先生への思いは今も、つきることがありません。
佐原先生亡き後、川崎先生の「やさしい考古学」の発信を楽しみにしています。

また、ご夫婦で史跡めぐりの旅日記のHPをご準備のとのこと、こちらもとても期待しています。(できたら、すぐにリンクさせてください)
プロと歴史ファンの楽しい交流の場が、このHPから広がっていくことを願っています。




330. おかげさまで 利時  2002/11/15 (金) 10:03
いぜんこちらでかくれきりしたんの資料についてうかがった利時です。
おかげさまで、ひととおりのことを調べ、ゼミで発表することができました。さわらびゆみさま、桃崎さま、どうもありがとうございました。
でもまだまだ資料を整理する段階で、研究とよべるものではありません。なおわからなくなった、という感じです。これからも調べをつづけていこうと思います。

では、ありがとうがざいました。




328. こんにちは 余湖  2002/11/14 (木) 05:56
こんにちは、余湖です。
私のほうからもやってきました。
千葉大ではどうもでした。
ネット上の知り合いと実際にお目にかかれたのはあの日が初めてだったので、とても充実した一日でした。
八千代方面の城址は、いい加減に回っただけなので、いすれきちんとまわり直したいと思ってます。
分からないこともあると思うのでそのときはまた、いろいろ教えてください。

私のほうからもリンクさせていただきました。
「千葉の城と歴史のリンク」のコーナーです。

それではまた!




327. 篠川先生の魅力 さわらびT  2002/11/11 (月) 23:40
篠川先生って、お人柄ですね。遅くなるのを承知でカラオケまで付き合ってくださいました。温厚な篠川先生が、どうしてあの破天荒(?)な大山先生と親しいのか不思議です。「風の盆恋歌」よかったですね!印象的な一日になりました。みきこさんもお疲れさまでした。

ご講演でよく理解できたのは、鉄剣銘文からは時世が現在であること、すなわちヲワケがワカタケルに仕えている時のことを文字にしているということです。打合せのとき先生に銘文がどこで刻まれたかと、質問したところ、ヲワケが近侍しているまさにその時につくられたことが銘文から読み取れますよ、と明快にご返事いただきました。

ヲワケが地方豪族か中央豪族かと言う問題についても明快でした。ただし、最近は中央豪族説も多いようですが・・・

私が気になったのは加藤先生が雄略=軍事的専制王権の成立と論じられたのとは、ニュアンスの違うお話だったことです。どの豪族に限らず大王になれた最後に時代が雄略期であって、その後混乱が起こったとするお考えです。
「五世紀までの一豪族としての大王から、継体の即位を契機に、特殊な血統としての王統が諸豪族の合意のもとに作られていった」と『飛鳥の朝廷と王統譜』(吉川弘文館、2001年)のあとがきにお書きになっています。次回はこのお話をしていただこうかな、と思っています。




326. 昨日お会いした方のURL さわらびY(ゆみ)  2002/11/11 (月) 21:48
昨日は「髻華の会」のほうももりあがったみたいですね。「風の盆」いいですね。
文化の秋で、11/10は本掲示板も、Tと勧誘合戦?
でも 次回の髻華の会(昨夜UPしました)は必ず行きます!!
来月の髻華の会は、桃崎祐輔先生ですものね。

さっきの私の書き込みですが、初めてお会いした「お気に入り」のHPのオーナーさんのURLをご紹介し忘れました。
たかしPart3さんの「房総の城郭」http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/5110/index.html
 「余湖くんのホームページ」
http://member.nifty.ne.jp/YOGOKUN/
あるけ〜さんの「千葉市の遺跡を歩く会」
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/1467/index.html
(ぜひみてみて!)

「歴博」最新号(No.114)は、「城郭」特集、この中で千田先生がお書きの「世界の城と日本の城」は、中国の城郭にもふれていますね。
「西安洛陽の旅日記」でふれた「西安西城門」「隋唐洛陽城応天門址」「函谷関」はその構造が、この特集でその位置づけがややわかったような気がしました。
お城好きなみなさま、こちらもぜひのぞいてみてください。




325. 風の恋? みきこ  2002/11/11 (月) 21:10
昨日はお世話になりました。最後は私の故郷越中八尾のおわら節「風の盆」で盛り上がりましたね。「風の盆」のファンの方とは知りませんでした。水の音と胡弓の音を聞きながら育ちました。小さな山間の土地ですが、9月1日〜3日までの「風の盆」は喧騒に包まれます。町民は小さな子供の頃から町流しに出て踊ります。20年ほどかかってようやく優雅な踊りが踊れるようになります。おわらの歴史は古く文化9年(1811)頃から「お笑い節」という歌を様々な変装を凝らし町中を練り歩いた時から始まっているようです。この3日間だけは無礼講で子供ながらにも夜遊びしたことを覚えています。高橋治さんの小説「風の盆恋歌」ですっかり有名になりました。風の盆の醍醐味はー誰でもが狭い町中で大きな輪になって一晩中踊り明かすことにあります。激しい想いを胸の内に秘めてつらぬきとおす静かな強さを感じる踊りです。(男踊りは特に女性のファンが多いようです)おわら節は難しくて歌える人は何年も練習しています。

三千世界の松の木ァ枯れてもあんたと添わなきゃ娑婆へ出たかいがない

ほとんどが激しい恋の歌です。小さい時は意味も知らず口ずさんでいたのですから!万葉集14巻東歌も恋の歌が多いようですね。いつの世も恋の歌が歌える豊かさを持ちたいですね。本番は混んでいるので8月22日過ぎ頃5日間の「風の盆前夜祭」がお勧めです。
 肝心の講演会は?礫槨の被葬者はヲワケの臣しかない。ヲワケ(地方豪族)と大王の関係も私なりにすっきり納得しました。ありがとうございました。
最後に「おわら風の盆」の神髄は徹底したアマチュアリズムにあります。
 浮いたか瓢箪かるそに流るる行先ァ知らねどあの身になりたや




324. Re: お会いできてよかったです さわらびY(ゆみ)  2002/11/11 (月) 20:20
> 先日は充実した一日でしたね。

昨日の千葉城郭研究会セミナーは、佐藤博信先生の講演をはじめ、中身の濃い内容でした。聴衆として大満足!準備なさった遠山先生方のご苦労も実を結び本当によかったですね

> またどこかのセミナーや史跡(私は城ばっかですが)で歴史談義でもいたしましょう(^^)
 
昨日は小春日和にひかれて、千葉大の中庭でお弁当を広げていたら、隣で城跡踏査とHPの話題、自己紹介したら、余湖さん、あるけ〜さん、たかしPart3さん、みな私が見慣れているHPのオーナーさん。特に「房総の城郭」をリンクしてすぐにお会いできるなんて、とってもうれしかったです。
八千代には、やや有名な米本城祉と吉橋城祉のほか、まだ報告類のない島田の妙泉寺〜大宮神社付近や、ノーマークな神野の熊野神社境内などアヤシイ凸凹のあるところがあります。
いつか御一緒に歩いてみたいですね。

> #余談ですがカウンターが“7777”でした。明後日の甲斐国攻めでいいことでもあるかな♪

“7777”は今日の正午ごろでしたね。なにかラッキーなことありそうで、うらやましい〜。




323. お会いできてよかったです たかしPart3 [URL]  2002/11/11 (月) 12:02
さわらびYさんこんにちわ。
先日は充実した一日でしたね。もうすこしゆっくりとお話できればさらによかったんですが。
またどこかのセミナーや史跡(私は城ばっかですが)で歴史談義でもいたしましょう(^^)

#余談ですがカウンターが“7777”でした。明後日の甲斐国攻めでいいことでもあるかな♪
それではまた。




322. 佐倉市寺崎蜜蔵院の薬師像 さわらびY(ゆみ)  2002/11/10 (日) 00:16
桃崎先生、忍性シリーズを見てくださっているみなさま

佐倉にある清涼寺式類型像3像のひとつで、秘仏の寺崎蜜蔵院の薬師像を、1年に1回だけの御開帳の法要にあわせ8日に拝観してきました。
内陣のすぐ近くに座ることができ、真言密宗の大護摩修行を間近で終始見ることができたのも、念仏講のおばあさんたちとお話できたのも、よい経験になりました。
とりあえず、薬師像のみ次のページに載せてあります
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/ninnsyou/butuzou-data/butuzou-data.htm
桃崎先生からいただいた資料では
「真言宗密蔵院にも清涼寺系仏像がある。寺崎は印旛沼南部、鹿島川・高崎川に挟まれた台地上に位置する。
鎌倉中期の年欠九月十五日付千葉介頼胤書状に「下総国寺崎郷住人申六郎太郎男并稲事」とある。(双紙要文裏文書 鎌倉遺文9261)。当郷は当時、中山法華経寺の前身である本妙寺ないし法華寺の所領で、千葉一族の国分季行という者が地頭であったらしい。
 なお寺崎に隣接して六崎の大字を残すが、金沢文庫蔵の「宇賀神祭文」写しに、「于時應永七年庚辰三月廿三日於下州印東庄六崎大福寺耆年房書寫畢、筆師十戒」の奥書があり、称名寺末寺の律院があり、斎戒衆のいたことが窺える。なお松戸市本土寺に移された「建治四年大歳戊寅(1278)三月十一日」「大日本國下総國、印東庄六崎大福寺」「上総國刑部郡大工大中臣兼守」「大勧進沙弥妙円」銘梵鐘が知られる。千葉系図は胤正の子胤朝を六崎氏の祖としている。こうした経緯で当地に清涼寺系像が存在するものと思われる。」と書かれています。

また、本堂脇の石碑の縁起では「口碑によれば、本尊薬師如来は行基菩薩の作、第百九代明正天皇の御代、堂下を流れる鹿島川薬師ヶ渕に霊光燦然と漂着せるを安置、小堂建立宝永年間(1704-1711)に再建、18世紀初頭の仏堂様式が現存する佐倉市指定文化財なり」とあります。

保品東栄寺薬師堂http://homepage1.nifty.com/sawarabi/toueiji/toueiji.htm
との関連も強いように感じられ、これからいろいろ調べてそのうちHPに載せて行けたらば、と考えています。





321. 髻華の会11月講演会もよろしく さわらびT  2002/11/08 (金) 00:25
11月10日に髻華の会の講演会があります。

講師は成城大学の篠川賢先生、テーマは「ワカタケル大王と地方豪族−稲荷山古墳出土鉄剣銘の検討を中心に−」

有名な鉄剣銘文の主人公であるヲワケ臣と、稲荷山古墳礫槨の被葬者との関係をどのように考えるか、を論じていただきます。加藤謙吉先生にも雄略期については葛城氏をめぐるお話をしていただきましたが、さらに論点を深めていきたいと思います。

篠川先生は、「律令制成立期の地方支配」(佐伯有清編『日本古代史論考』1980年、吉川弘文館)において『常陸国風土記』の建評記事の検討をされておられます。国造制の研究の出発点となった論文ということになるのでしょうか。国造のクニの枠を越えて形成された在地の政治権力と「ヤマト政権」の攻防を描いておられます。

真夏に桃崎先生が柏崎窯跡群の発掘調査をされておられ、現説にも参加させていただいたこともあり、常陸の国を論じておられることにさらに興味を持ちました。
したがって興味を持ったのは、霞ヶ浦町を含む茨城のクニの関連です。篠川先生によれば、古墳時代前期前半は、首長の権力は概して規模が小さく、広い範囲での政治的集団の形成はされていなかったが、前期後半には各首長墓の差が生じ、また大形首長墓の造営が途絶える地も存在、舟塚山古墳(常陸最大の前方後円墳)が造営された段階で政治的集団が結成されたとのべておられます。霞ヶ浦(西浦)北岸の首長層のことですが、恋瀬川下流左岸の首長を頂点に政治権力を有した、と論じておられます。

出島半島の菱木川流域に、柏崎訪問の際立ち寄った富士見塚古墳群、風返古墳群があります。篠川先生のご研究は20年前のものですので、国造制にかんするご見解も一部変わっておられるようですが、地域研究として先鞭をつけられたご研究だと思います。




320. 千葉城郭研究会セミナ−に行ってみませんか さわらびY(ゆみ)  2002/11/06 (水) 19:42
千葉城郭研究会編の千葉県内の城郭の『図説房総の城郭』が刊行され、刊行記念のセミナ−が開催されます。
なかなか興味ある内容なので、出かけてみたいと思っています。
『城郭が語る房総の歴史 −戦国武将の夢のあと−』
1.日 時 2002年11月10日(日) 午前9時30分−午後4時30分
2.場 所 千葉大学けやき会館(正門となり:JR西千葉駅下車徒歩10分:京成みどり台駅下車徒歩6分)
3.内容
記念講演 佐藤博信氏(千葉大学文学部教授)
「十六世紀前半の房総の政治情勢−関東足利氏を中心として−」
セミナ−発表
井上哲朗氏 「中世城郭への誘い」
簗瀬裕一氏 「小弓公方足利義明と”おゆみ”城」
外山信司氏 「上杉謙信の臼井城攻め」
中山文人氏 「高城氏と小金城」
滝川恒昭氏 「国府台合戦の実像 −里見氏と北条氏−」
主催 千葉城郭研究会 
後援 千葉県教育委員会・千葉県文化財センター・千葉市教育委員会・千葉歴史学会
詳しくはLINKページの千葉城郭研究会をご覧ください




319. 仏像の起源 さわらびT  2002/11/04 (月) 22:47
東博で同時開催中(10月29日(火)〜12月15日(日))の、

@「インド・マトゥーラ彫刻展」
http://www.tnm.jp/doc/Guide/Dyn/eten/eten21.html

A「パキスタン・ガンダーラ彫刻展」
http://www.tnm.jp/doc/Guide/Dyn/eten/eten22.html

は仏像がいつ頃からつくられたのだろうかという疑問に答えてくれます。

Aの図録28仏伝「ウダヤナ王の礼仏」は天上から戻った釈迦が、優填王の出迎えを受け釈迦不在の間に造った仏像を見せられている状況を現しています。どこかで聞いたことのある話です。さわらびYが追いかけている清凉寺式釈迦如来像と同じ故事です。仏像の起源としては釈迦の存命時には仏像が造られたとは考え難いらしいので、後世の説話ということになります。

仏像の起源については、マトゥラーとガンダーラというかなり隔たった地で1世紀頃まさに同時期に誕生しているということらしいですが、そのころの釈迦像はかなり力感あふれる姿で、現在親しまれる仏像とはかなり印象が違うことがわかりました。




318. 花流し mwara [URL]  2002/11/04 (月) 19:18
昨日は当地区鷲神社祭礼にご参加頂きまして誠に有難うございました。
早速さわらび通信に掲載頂き感謝感激しております。初めてお会いでき、私の描いていた方と一致しておりまして違和感無く、また初めてお会いした方とは思えないほどでした。最後の接待場に到着した後お宮入りは8時っ近くなってしまいましたが無事お神輿を収める事ができました。最後まで担ぎ手もがんばってくれた事、やはりお祭りが地域の方の気持ちが一体となった事が良かったと思いました。最後の挨拶と締めを行った後、胴上げまでしていただき無事役目を果たせました。今日はお神輿の飾り等はずし神社社屋に収めその後花流しを行いました。ほっと一息ついたところです。またHPに掲載を予定しておりますので見てください。畠山様にも宜しく申してください。




317. 祝!鷲神社秋祭り さわらびY(ゆみ)  2002/11/04 (月) 00:23
 初めてパソコンをインターネットにつないで以来、ずっとmwaraさんのHPにあこがれていました。
 デジカメに懲りだしたのも、この方のHPの美しい写真に魅せられたからかもしれません。
 地域発信の民俗や史跡・文化財の貴重な記録にも惹かれていました。
 そのHPの作者に今日初めてお会いできたのです!
 これまで何度も史跡の調査で通った先崎の村、今日はその村のの鷲神社祭礼で、mwaraさんは羽織袴に拍子木を持って祭礼の実行委員長を務めておいででした。
 午後からお神輿について村を廻り、コスモスの咲く辺田道や柿がたわわに実った畑の道を行きました。
 休憩所で八木節の踊りを披露する子供たち、ごちそうをいっぱい作って接待するご婦人方、この日のため一時退院されてきたというお年寄り、村の一人一人が祭りを楽しんでいました。
 静かな村のたたずまい、見上げると空が本当に秋晴れの一日でした。
 帰ってから、デジカメの画像を整理しアルバムに編集してみました。
 mwaraさんの写真にはまだまだ足元にも及びませんが、実行委員長の大役でシャッターを切れずにいらしたmwaraさんにかわり、2002年の祭りの風景と祭りを支えた方々の姿を留めておきたいと思います。
 よろしかったら、http://homepage1.nifty.com/sawarabi/massakimaturi/massakimaturi.htmをのぞいてみてください。





316. Re: 鷲神社祭礼の件 さわらびY(ゆみ)  2002/11/02 (土) 19:31
八千代市民文化祭郷土史展にご関心をいただきありがとうございます。
 佐倉市先崎の鷲神社祭礼もいよいよ明日ですね。準備でたいへんなことでしょう。
 デジカメ持参で皆様の晴れ姿を撮りに行きたいと思っています。
 御成功をお祈りします。




315. 鷲神社祭礼の件 mwara [URL]  2002/11/01 (金) 22:53
メール有難うございました。八千代市民文化祭郷土史展11月24日に時間が取れましたらお邪魔したいと存じます。ところで鷲神社祭礼も11月3日で僅かとなってまいりましたが、当日CATVユーカリ296の取材があります。もしお出で頂けるならばインタビューをさせて頂きたくお願いいたします。明日までにTV局に申し出無ければなりませんのでお気持ちをお聞かせください。9時から式典がありますがどの時点で入るかは判りません。
 





314. 「如墨委面」について さわらびT  2002/11/01 (金) 00:16
「其の国、本、亦男子を以って王と為す。住まるところ七、八十年にして倭国乱れ相攻伐して年を歴。乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼という。」(『魏志倭人伝』)

ここにいう倭国の成立は「倭国乱」の前なのか後だったのか。。故西嶋定生先生は、乱以前に存在したと論じられました。(『倭面土国出典攷』)

絶筆となった「『漢書』地理志倭人条注の「如墨委面」について』(『東アジアの古代文化』92号)では、『漢書』地理志燕地条の記事「楽浪海中有倭人、分為百余国、以歳時来献見云」に加えられた注記の解釈をされておられます。

3つある注記の第一に「如淳曰。如墨委面、在帯方東南万里。」とあります。西嶋先生によれば、「如墨委面」は「墨モテ面に委スルガゴトシ」と読めるとのことです。『漢書』地理志の「倭人」の「倭」という意味は墨をもって人面に委する(=積む)ということであろう、と西嶋先生は述べておられます。この論考の全体を述べることは不可能ですので興味ある方はお読みいただくしかありませんが、如淳という人が生きていた時代は不明ですが(少なくとも239年以後でないとこの注は書けないらしいです。)、入墨の風習と国名、すなわち、「倭」という国名が鯨面文身の習俗と関係あるとの理解があったことは面白いです。

付け加えますと山尾先生は倭国の成立を倭国乱の後と考えて、西嶋説に反論されておられますが、論争を深めていただくことが出来なかったのが惜しまれます。




313. 八千代市郷土歴史研究会郷土史展へどうぞ さわらびY(ゆみ)  2002/10/30 (水) 23:20
埼玉県からはるばる国立歴民博物館の帰りに私たちのささやかな郷土展http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudositen.htmをはしごしてくださるなんて、うれしいな。
歴博は京成佐倉駅から徒歩20分ぐらい、郷土史展の会場は佐倉駅から特急でひとつ手前(15分ぐらい?)の勝田台駅徒歩5分です。
ぜひみなさまもお出でください。
市民の手作りの研究発表とは言いながら、中身は充実しています(のはずです。)
私はたぶん、高津新田のオビシャなどの民俗行事を担当することになるでしょう。http://homepage1.nifty.com/sawarabi/suwaobisya/obisya1.htmでも紹介している内容ですので、楽しみにしてください。






312. 24日にお会いしましょう みきこ  2002/10/29 (火) 20:30
さわらびY様
11月24日には国立歴史民族博物館と八千代市の郷土展とはしごをします。近いのかな?たぶんいけるでしょう。知りたいこと、勉強したいことありすぎて、本当に学問の秋ですね。




311. 企画展『中世寺院の姿とくらし』 さわらびT  2002/10/28 (月) 23:48
国立歴史民俗博物館で、企画展『中世寺院の姿とくらし』が開催されています。(開催期間10月1日(火)〜11月24日(日))

http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index69/index.html

なじみがうすいのですが、密教寺院の大壇をすえ、法具である五鈷鈴を手に取り音を聞くことが出来ます。いささか荘厳な気分にひたれます。先日元興寺に行った時、見ることの出来なかった納骨塔なども展示されていました。

なぜか「混一彊理歴代国都之図」(龍谷大学大宮図書館蔵)が展示されていました。邪馬台国畿内説にかかわる地図ですね。日本列島が九州を最北に南に伸びる形に描かれていることから、魏志倭人伝で方位を南と東の混乱が起こったのは、こうした地理的認識があったのだとする説があるので、注目していました。思いがけず、はじめて実物を見ることが出来ました。




310. 男子大小となく、皆、黥面文身す さわらびT  2002/10/27 (日) 22:44
皆さん熱心に耳を傾けておられましたね。その加藤先生のご講演ですが、せっかく蘇我氏にテーマがうつった所で時間切れになってしまいました。次回に蘇我氏渡来人説批判をじっくりうかがうことにしましょう。(髻華の会の「古代氏族を考えるシリーズ」は来春再開予定です。)

大伴氏の旧氏名=「来米」説は明快でした。久米氏のことでいえば山尾幸久先生が埼玉稲荷山古墳出土鉄剣に関連して、王の親衛隊兼調理人たる「久米の子ら」の中から関東の豪族を「膳大伴」として率いるのちの膳氏の成立記念とであると論じられているのを思い出しました。

黥面のことですが、魏志倭人伝に「男子大小となく、皆、黥面文身す」とあります。これは風俗としての黥面ですが、わが国には刑罰としての入れ墨はないようです。履中紀の阿曇連浜子の黥刑記事は、中国の黥面刑に影響を受けた説話であって、久米部、猪飼部、阿曇部などの軍事・動物飼養を受け持つ集団には黥面の習俗があったということのようです。(佐伯有清氏『魏志倭人伝を読む 上』吉川弘文館、2000年を参照しました。)




309. 大伴氏とは みきこ  2002/10/27 (日) 16:09
昨日はお世話になりました。加藤謙吉先生のお話を伺うのは2度目、外は雨、内は熱い講演でしたね。「大伴氏の本来の氏名が「来目」、この氏の本拠地は高市郡の筑坂邑、来目邑の地あたりとか。雄略天皇即位前には来目氏の率いる来目集団は雄略直属の私的兵力として戦闘に参加・・」にびっくり。
来目氏と言うと思い出すのが鯨面。そういえば、埼玉稲荷山古墳には線刻の鯨面埴輪(ハの字)が出土していましたね(彩色文様を線刻で表現したという説もあり)確か全国で出土例は30例ほど(?)(よく覚えていない)奈良・四条、石見遺跡出土の武人埴輪とか・・近畿地方のはハの字ではなく翼形だったような・・辰巳和弘さんは「近畿型の顔面装飾を持つ人物埴輪は入墨を表現し「記・紀」にみえる鯨面だった大久米命、その一族は鯨面した軍事集団であり、出自は紀伊半島中央部の山人であった」と言われています。鈴鏡をつけた女子、四鈴付釧をつけた女子埴輪(又鈴にいってしまった)、眉庇付冑を被る男、坊主頭の男埴輪等18体の中の一つ鯨面埴輪が本当に鯨面を表現していたら・・・




308. 西安・洛陽の旅日記をやっとUPし終えました さわらびY(ゆみ)  2002/10/26 (土) 00:29
西安・洛陽の旅日記をやっとUPし終えました。
吉村先生ほか熱心に見てくださった方々、ありがとうございます。

23日、古代史研究のため来日された徐建新先生を迎えて旅行の写真交換会があり、その際吉村先生が8年前西安に行かれたときの含元殿遺祉の写真をお借りしましたので、今日それも追加して更新しました。
また奈良文化財研究所編集の『日中古代都城図録』から参考となる都城図なども入れてみました。

なお、吉村先生が、今度の西安・洛陽巡見の成果を交えて、11月17日(日)明治大学 大学会館8階大会議室での第2回「高速道路計画で危機を迎えた世界遺産平城宮(京)跡を考える」シンポジウムで、講演と「世界遺産・平城宮(京)跡の保全と活用をめぐって」というパネル・ディスカッションをされるそうです。
詳しいプログラムは http://www3.ocn.ne.jp/~nsih2001/oshirase.html をご覧ください。
(私Yは、八千代市郷土歴史研究会の郷土史展準備作業のため聴講できませんが、Tが参加の予定です)
西安・洛陽のHPでお気付きの点や、大きい画像のご希望がありましたら、お便りください。




307. 三角縁神獣鏡は魏の鏡? さわらびT  2002/10/19 (土) 23:35
洛陽博物館で見た「三角縁神獣鏡」がきっかけで、魏の鏡なのか興味が出てきました。さんざん論議を呼んだ問題ですので今更ではありますが、私は魏の鏡説が有力意見だと考えております。有名な王仲珠氏の呉鏡説については着想の卓抜さは感じますが、根拠である「用青銅至海東」をパズルのように呉の工人が海を渡ったと解釈するのは読みすぎではないかと思っています。

福永伸哉氏『銅鐸から銅鏡へ』(都出比呂志編『古代国家はこうして生まれた』、角川書店、1998年所収)に紹介されている「方格規矩鳥文鏡」(河北省易県出土)に注目です。
銘文「吾作明鏡甚独奇保子宜孫富無[し]」[「し」は「誓」の上の部分が「此」]は、東京国立博物館所蔵の静岡県松林山古墳出土の三角縁二神二獣鏡と同じ銘文だとのこと。この銘文が独自のものだということです。この三角縁二神二獣鏡の系譜を、魏にたどれるとする考えは違和感なしに受け入れられると思います。ちなみにこの銘文ですが、「吾の作りし明鏡は、甚だ独り奇(すぐれていること)なり。子を保ち孫に宜しく、富は無[し][「し」は「誓」の上の部分が「此」](はかり知ることができないこと)ならん」と読むようです。(佐伯有清氏の『魏志倭人伝を読む 下』吉川弘文館、2000年より、一部、ひらがなにかえています。)

話は変わりますが、「仏像の手相」、考えもしませんでした。私は自分の手相が珍しいといわれたことは再三ありましたが・・・




305. 仏像の手相? みきこ  2002/10/17 (木) 20:20
桃崎先生すみません間違っていました。仏像の手相はいろいろなタイプがあるようです。一般書では手相のルーツはやはりインドを経て中国だそうなので仏教と共にでしょうね。極楽寺の釈迦如来像の手相はあの運命線(立身出世線)が彫られているみたいで面白いですね。(ひび割れかもしれないけど)それなりに意味があって彫られてるとしたら・・なんて考えると興味がわいてきます。さわらびT様には「今度は手相なの」なんて言われそう!爪に始まって掌からは出られないのかな・・
桃崎先生お忙しいのに本当に色々教えていただいてありがとうございました。




304. 感動!感動! みきこ  2002/10/16 (水) 21:47
忍性や律宗ということばも知らなかった自分にとってそこは不思議な空間でした。極楽寺の釈迦如来像、西大寺の文殊菩薩像が放つ人を魅了する美しさ、病宿、療病院、薬湯寮、坂下馬病屋まで描かれた「極楽寺境内絵図」、今なお人を圧倒しオーラを発する叡尊座像、忍性座像。一番心惹かれたのは「称名寺絵図並結界記」。結界ってなに?朱線で囲まれた外6箇所に配置された五輪塔。何か意味があるのでしょうか。位、年代の差とか・・初めて触れた五輪塔。風雪にさらされ忘れ去られていきそうな小さな五輪塔。静かに未来永劫生き続ける巨大な五輪塔。どこまでも続く鎌倉の青い空が心に残りました。




303. 鎌倉に忍性の足跡を訪ねて さわらびY(ゆみ)  2002/10/15 (火) 00:30
 桃崎先生、みきこさんほか総勢5名で、鎌倉国宝館の特別展「極楽寺忍性ゆかりの遺宝−奈良から鎌倉への軌跡−」を見てきました。
 極楽寺釈迦如来像や、西大寺の文殊菩薩や善財童子(これがとてもかわいい)など優れた鎌倉彫刻にうっとり。
さらに、今回は国宝の西大寺の透彫舎利塔や忍性塔など五輪塔に納められた骨蔵器など貴重な工芸品を、桃崎先生のプロの解説付きで詳しく見ることができて、この超贅沢な経験にたいへんうれしかったです。
 竹林寺忍性塔の八角の花崗岩石櫃も、展示品としてはおどろきでしたね。

 午後は、浄光明寺と海蔵寺付近を探索し、忍性が止住したという多宝寺や清涼寺谷を踏査しましたが、3m近い覚賢塔のすばらしさは、今までいくつか見た巨大五輪塔の中でも特に印象深く感じました。
 鎌倉の扇が谷にこれだけの足跡を残しながら、廃寺として法灯を伝え得なかった律宗の「その後」をこれから考えながら、私にとって感慨深いこの日のことをいつかまとめて見たいと思います。
 桃崎先生、原稿書きの多忙な合間をおつきあいくださって本当にありがとうございました。




302. 再びヒルとブタの世界へ 西谷 大  2002/10/14 (月) 07:59
昨日は、私のホラの世界につきあっていただいてありがとうございました。話し初めは、関西流の笑いをとろうとする努力に、ちょっと反応が鈍く、正直はらはらしました。
確かにブタ便所の研究は、これまでほとんどされてきていません。私にとっては、当時の生活世界を彷彿とさせるモノのほうが、おもしろいですし、未知の分野でもあります。ようするに、人と同じことをやるのが嫌いというだけかもしれませんが。
16日から、中国海南島リー族の村にでかけます。ネズミ、オケラ、オタマジャクシ、毛虫、蛇、アリの卵、クモなどなど、これ以外に今回は何が私の胃袋がまっているのか、見栄をはって、「楽しみ」といいつつでかけます。
みきこ様、やはり人間は、餌が上から入って下からでていくチューブです。これが真実です。







301. 面白かったですね みきこ  2002/10/13 (日) 00:43
豚便所と肉林!面白かったですね。倭に特産品がなかったので生口を贈った、鏡をたくさんあげたのも倭だけというのに驚きでした。同等な立場の「交流」はなかったというのも印象的でした。
爆笑騒ぎは「肉林」を超越した人、できない人が原因でした。
西谷先生ヒルに気をつけて調査がんばってきてください。ありがとうございました。