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No.2201-No.2300 2005/6/142005/8/18
Since 2001.10.08
・オーバーフローで消えてしまった発言を収納しました。
・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
・他への引用は、著作権などの配慮から、発言者へ連絡をお願いします。
No.1-No.100 No.101〜200 No.201-300 No.301〜400 No.401-500 No.501-600 No.601-700
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2298. Re: 柏市布施の弁天古墳 T花  2005/08/18 (木) 23:35
 土曜日はよろしくお願いいたします。
 さて、柏市弁天古墳ですが、平成4年の調査の際、一度調査中にお邪魔したことがあります。千葉県史の資料編2にも書かれていますが、前方部等の墳端は墳丘の流失で確認しにくいようで、保存目的のため、幅の狭いトレンチ調査であり、調査していた方が「墳端が確認できない??」と発言されていたのを聞いた記憶があります。
 さて、弁天古墳の時期ですが、千葉県史資料編2で「弁天古墳」を書かれた古谷毅さんは、埋葬施設の形態や滑石製品の特徴から「中期の5世紀第U四半期を中心とした時期」としています。また、白井久美子さんは、弁天古墳の時期を4世紀後半から末とされています。
 古墳の時期は、おそらく中期前半という位置付けでお二人とも合致していると思いますので、時期を絶対年代に当てはめた場合の編年観のズレが表れていると思います。
 千葉県史資料編の2の39頁に、古墳時代の概説が書かれていますが、ここでは中期の年代幅を4世紀後半から5世紀末葉としています。そうすると中期前半は4世紀後半代になります。各遺跡の概要は執筆者の見解で書かれていますので、このような矛盾が生じたのでしょう。しかしながら、古墳の年代観は、出土土器、墳丘、副葬品、埋葬施設の形態等、どの基準で書かれたかによって異なる場合もあり、難しいですね。
 でも、読む側からすれば、1冊の本なのですから、年代観は統一してほしいものです。



2295. 柏市布施の弁天古墳 さわらびT  2005/08/17 (水) 22:33
こちらの掲示板は、管理人以外には多少書き込みしづらいかと存じますが、以前話題になったテーマでもありますので、書かせていただきます。いまだに、スパム書き込みが続いておりますので、許可制をご了承下さい。

土曜日に古墳見学会があるので、事前勉強をしてます。訪問予定の柏市布施の弁天古墳は、石枕の出土でも知られます。後円部が自然の地形を利用した不整形な前方後円墳、年代は五世紀第U四半期とされます。(『千葉県の歴史 資料編 考古2』)
となると、古墳自体は、今回のテーマの「出現期〜前期」とは時期がずれてしまいますが、以前、柏・HOKさんが白井久美子先生に石枕関連で質問されたときのご返事は4世紀後半から4世紀末とのことでしたね。

この石枕ですが白井先生の分類でFc1(外形:その他、頚受け部:直線で平行にのびる、平坦面:1段)となってます。ちょっと粗雑な感じがしますが、立花孔もあって興味深い一品ですね。

http://www.city.kashiwa.chiba.jp/yakusyo/sosiki/B_SYOG/SYOG_BNK/bunkanavi/kashiwabunkazai/contents/shitei/benten/benten.htm

ところで、この古墳の滑石製模造品の出土状態も興味深いです。埋葬施設の石枕出土部分とは別に模造品出土部分があったようです。

白石先生の「神まつりと古墳の祭祀」(歴博研究報告第7集)を読んでいるのですが、滑石製模造品は、まず古墳の被葬者である首長にとってもっとも重要な仕事である農耕儀礼の執行に必要な祭器の石製品化からその製作が始まったものであった、とのこと。面白いテーマです。



2289. 東アジアの古代文化を考える会講演会 さわらびT  2005/08/11 (木) 22:05
東アジアの古代文化を考える会から、講演会のご案内をいただきましたのでお知らせします。
古墳と古代国家シリーズ 第1回
古墳時代の政治構造論の現状 −首長制論と国家論−
日 時 9月10日(土) 13時半開演
場 所 杉並区立産業商工会館(地図参照)
JR阿佐ヶ谷駅南口徒歩5分
丸の内線南阿佐ヶ谷駅徒歩3分
講 師 寺澤 薫氏(橿原考古学研究所調査部長)
会 費 会員1300円、一般1500円
定 員 80名(予約不要、先着順)
【ご案内】 
 寺澤氏は2002年本会創立30周年記念国際シンポジュームで「日本列島の国家形成」を講演されました。紀元前三世紀末の北部九州における外的国家形成から7世紀後半の律令国家への道筋を本格的に論じた画期的な講演でした。弥生時代の戦いに発生した「階級的首長」が国家成立の前提であるとし、支配者の階級構造を論じました。
最近、古墳の持つ政治的意味の議論が盛んです。また中央・地方概念の発生に関する議論も盛んです。これらの議論を踏まえた上での寺澤氏のさらなる国家形成論が期待されます。
照会先 090−9835−1857 稲垣



2287. Re^2: 聖武天皇 さわらびT  2005/08/09 (火) 22:23
空様 はじめまして

質問にお答えできるほどの知識はありませんが、関心はあります。聖武天皇は光明皇后とともに奈良時代を象徴する存在ですね。
広嗣の乱を機に聖武は長い行幸にでてしまいます。祖父天武=持統の足跡を確かめて、自らの信念を固めたかったのでしょうか。

聖武天皇の信仰は「金光明最勝王経」が基礎にあるとされますが、詳しく調べてみてはどうでしょう。
大仏建立は行基を登用することで果たされます。この出会いは大変意義があったのだと思っています。



2286. Re: 聖武天皇 さわらびY(ゆみ)  2005/08/09 (火) 20:37
> 聖武天皇が、どんな気持ちで、大仏を作ったのか?

学校の宿題ですか。
重要なテーマですので、私も知りたいです。
きっとTが今調べているでしょうから、少しお待ちください。



2285. 「被爆マリア像」小聖堂落成のニュースに接して さわらびY(ゆみ)  2005/08/09 (火) 20:06
今日8月9日午前11時2分、職場でも長崎の原爆犠牲者を悼み平和を祈る所内放送が流れ、黙祷がありました。

5年前の2000年の8月9日を私は、慰霊の街長崎で迎えました。
その前年の9月、キリシタン史跡をまわった最後に浦上教会で、まみえた「被爆マリア像」。浦上の隠れキリシタンの子孫が流刑後の困難な生活の中で建造した浦上天主堂、その祭壇に奉られていたマリア像が、被爆後の廃墟から一神父の手で奇跡的に拾い上げられ、被爆30年の年浦上教会に返納されたという、歴史的なマリア像でした。

翌年の8月9日の早朝ミサで祭壇に奉られて、天に祈るようなまなざしのマリア像に再会したときの思いを2000年11月、シリーズ「日本史をみつめた「聖母」たち」に『X 平和への使節=浦上の「被爆マリア」』としてHPに載せました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/5hibakuseibo.htm

その後、このマリア像を「世界遺産」にという呼びかけや外国からの注目が続いているとお聞きしていましたが、昨日のニュースで、「被爆マリア像」を安置する小聖堂が、浦上天主堂で完成。被爆60年となる9日午前、恒久平和を願って像を聖堂内の祭壇に納める式を営み、一般公開するということを知りました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050808-00000017-kyodo-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050804-00000014-maip-soci
小聖堂の祭壇は、被爆前の姿を考証し小型に復元したとのこと。
http://www1.odn.ne.jp/uracathe/hibakumariachapel.html

「マリア像」は、壁にはめ込まれた被爆死没者銘板とともに、平和への祈りと訴えを永遠に続けていくことでしょう。

またいつか長崎に行く機会があれば、そこに額づいて私も祈りを捧げたいと思います。



2284. 聖武天皇 空  2005/08/09 (火) 09:34
今回初めてメールを送らせていただきます。
今、聖武天皇の事を調べています。 
聖武天皇が、どんな気持ちで、大仏を作ったのか?
ご意見お聞かせください。



2271. 「井真成墓誌」の「里帰り」展 さわらびT  2005/08/06 (土) 01:05
現在、東京国立博物館で『遣唐使と唐の美術』が開催中です。
周知のように「井真成墓誌」(西安・西北大学博物館蔵)の「里帰り」展といってよいでしょう。(会期は9月11日(日) まで)

実物を見るとさすがに実感が湧いてきます。思っていたよりも大きかった。
「井真成」さんの謎解きは難しそうですが、その時代を考えるのにはいい機会だと思っています。

掲示板で時おり話題にしてきましたのですが、石山寺に伝わる『遺教経』も展示されています。(掲示板1715、1946をご覧下さい。)
問題は、この奥書です。

唐清信弟子陳延昌荘厳此大乗経典附日本
使国子監大學朋古満於彼流傳
開元廿二年二月従京發記

開元廿二年は734年、陳延昌という人物が「朋古満」(「羽右満」かも?)にこの経典を日本に流布させる目的で託したらしいことが読み取れます。「この経典は、奥書を含めて唐時代のものとは考えられず、唐教を日本の平安時代に写したと判断される。」(東野治之「井真成の墓誌と天平の遣唐使」(「遣唐使と唐の美術」図録、2005)と、されてますので、実物といっても写本らしいですから、字体で判断するのは意味ないようですね。東野先生は、朋古満(大伴古麻呂)で間違いないとのご見解のようです。

私としては、「朋古満」=大伴古麻呂説であるより、阿部仲麻呂の{従(けんじゅう)であった羽栗吉麻呂(「羽右満」→「羽吉満」)説の方が背景となる物語として感動を覚えます。(王勇『唐から見た遣唐使』)
真実は突き止められないかもしれませんけれど、想像は自由ですよね。

1970年に西安市何家村で発見された窖蔵(こうぞう)出土の、銀和銅開珎、金開元通宝も展示されてます。この何家村の窖蔵も、唐長安城の史跡として興味深いですが、この銀和銅開珎は、遣唐使の朝貢品として鋳造されたらしいといわれてますので、これまた不思議な「里帰り」といえるでしょう。




2270. 新掲示板をOPENしました。 さわらびY(ゆみ)  2005/08/05 (金) 23:55
2001年10月開設以来、皆様の貴重な投稿で続けてきたこのNIFTYのメッセージボードでしたが、スパム投稿対策に、管理者が投稿記事内容を確認してから公開されるように設定を変更しました。

とらさんのアドバイスで、新「さわらび通信メッセージボード」を開設しました。こちらはリアルタイムで公開できますので、気軽なメッセージやお急ぎの用件は新掲示板へ投稿してください。http://bbs3.on.kidd.jp/?0330/sawabbs

長文の投稿、論説などは、こちらの「由緒」ある旧掲示板も、どうぞ末永くお使いください。



2265. Re^2: スパム投稿に有効な手段は? さわらびY(ゆみ)  2005/08/04 (木) 22:03
とらさん、ありがとう。皆さん自衛していらっしゃるのですね。
そろそろ、掲示板も替え時のようですね。
週末にゆっくり、検討してみましょう。

とらさんのブログ「一考古学徒の思うところ」毎日楽しみに読んでいます。
http://blog.livedoor.jp/ibarakikoukogaku/
それにしても、暑いですね。
大洗海岸はきっと海水浴でにぎわっていることでしょう。
お元気でね。



2263. Re: スパム投稿に有効な手段は? とら  2005/08/04 (木) 18:04
ひづめさんより教えていただき,私のところで使っているKIDDは,投稿禁止用語を登録できます。他にも連続投稿(1〜15分)禁止,無料接続サービス・プロキシからの投稿を禁止したりもできます。参考まで。もっといいところもあるかと思いますが。書き込みがあった時に上に上がる掲示板というのも便利ですね。
http://www.kidd.jp/



2259. スパム投稿に有効な手段は? さわらびY(ゆみ)  2005/08/02 (火) 18:21
No.2249. 連続のスパン書き込みに困っています。 さわらびY(ゆみ)  2005/07/29 (金) 19:04

29日0時ごろより、2248のような同一の発信元より、スパン書き込みが2時間おきに8件続きました。
管理人が常時監視して消去するのも限界がありますので、プロバイダーに対策をお願いするため、しばらくお見苦しいでしょうが、一部消さないでおきますので、無視してください。
何か有効な対策がありましたら、ご助言ください

という書き込みをして、niftyに対策を問い合わせましたが、niftyともあろうものが、「 一案として、お客様ご自身で書込み元IPアドレスによる投稿規制が可能なような自作の掲示板CGI をご用意いただき、現在の「メッセージボードマルチ表示タイプ」に替えてご利用いただく方法などもあるかと存じます」というつれない返事でした。

No.2240からNo.がほとんど虫食い状態なのは、削除した迷惑なスパム投稿です。

おすすめの掲示板CGIがありましたら、ご助言ください。
しばらくはスパムとのいたちごっこになるかもしれませんが、皆様からの投稿が楽しみで開いている掲示板ですので何とか閉鎖しないよう頑張ってみます。



2256. 『「大森貝塚」を読む』 さわらびT  2005/08/01 (月) 22:26
第8回ワークショップで、土器の整理も興味深く参加させていただきましたが、鈴木先生の『「大森貝塚」を読む』も大変素晴らしい話でしたので、非礼を承知の上、テープから文字起ししました。
鈴木先生に直接、監修していただき、素晴らしい講義録になりました。お忙しいところ本当にありがとうございます。

まとめのところで、「戦後の日本考古学が2000年にその脆弱性を暴露しました。戦後のあの勢いはにせものであり、抜本的な見直しが必至ですが、そのためにはモースをはじめとする分析的で科学的な方法を自らが再検証し、どこまでが確実なデータと方法であるのか、共有する必要があります。」とおっしゃっておられます。我々凡人には、体得はできないのですが、とても大事なことを伝えてくださってます。皆さん、ぜひご一読下さい。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/05.07.24/oomorikaiduka.htm



2254. 阿部先生の講演 さわらびT  2005/08/01 (月) 20:34
さいたま川の博物館の阿部先生の講演、1時間半あっという間の「授業」でした。馬場小室山遺跡研究会のメンバーも数名参加。
後晩期の土器の特徴を示されたお話が私には興味深かったですね。埼玉県石神貝塚、安行T式の器種組成率を図示され、さらに「縄文土器の使用方法の2つのモデル」として、@「ハレ」の土器と「ケ」の土器を区分A土器を「下ごしらえ」用→「調理」用→「盛り付け」用に分ける、二つの考え方を示されました。装飾の少ない深鉢を、どのように考えるか、で考え方がちがってくるようです。
@は旧説、Aが阿部先生のお考えです。
あらためて、『縄文のくらしを掘る』(岩波ジュニア新書)を読み直しました。煮炊き用の深鉢を大量に消費した暮らしがみえてくる、「博物館の陳列ケースではほとんど日の目を見ない粗製土器こそ、縄文時代の食文化を担う重要な道具」とも書いておられました。ナルホド。

会場までお連れいただき、帰路、下宅部遺跡までご案内いただき、すっかりお世話になったH様、あらためて御礼申し上げます。



2251. 「発掘された日本列島2005」 さわらびT  2005/07/30 (土) 23:34
東京都江戸東京博物館で、本日、講演会「キトラ古墳を考える」がありました。
久しぶりに白石太一郎先生にお目にかかれました。
講師は、白石先生ならびに川野辺渉(東京文化財研究所)・花谷浩(奈良文化財研究所)の諸先生という豪華メンバーでした。注目のキトラ古墳の保存の現状をお話いただきました。

白石先生の講演は、主に高松塚古墳をめぐる話題でしたが、終末期古墳の横口式石格槨の編年・石のカラト古墳出土の須恵器・鞘尻金具を元にした年代観、さらには貞観儀式を取り上げて被葬者論にまで及ぶ、楽しいお話でした。

開催中の「発掘された日本列島2005」展ですが、最近、関心が縄文・弥生まで広がってまいりましたので、時間をかけてり見てきました。今日は隅田川の花火大会があるためとのことで開館時間が延長されていたおかげで、武蔵府中熊野神社古墳出土の鞘尻金具の七曜文もゆっくり見られました。

明日、さいたま川の博物館に行く予定です。



2240. 佐伯有清「丈部氏および丈部の研究」から さわらびT  2005/07/28 (木) 21:44
房総でもゆかりのふかい丈部氏に関心を持っています。稲荷山鉄剣銘でも著名な「杖刀人」との関連も知られていますね。
佐伯先生の研究から引用させていただきます。(「丈部氏および丈部の研究」、『日本古代氏族の研究』所収)

下総国の丈部氏としては、印波郡采女丈部直広成、丈部直大麻呂、印幡郡大領の丈部直牛養の名が伝えられているそうです。

岸俊男説の指摘をうけ、丈部については、駆りつかいする部民というのではなく、軍事的性格を持っていることを、指摘されておられます。

「丈部は、大化改新を遡る古い時代に、大王に近侍して、杖を手にして宮廷の警護にあたり、また内廷での雑使に任じていたのに加えて、大王の命令を地方の豪族に伝達する使者としての任もあったであろう。丈部の後身と考えられる令制の使部は中央官庁に配置されていたが、当時、大宰府にも使部がいたことは延暦十六年四月十三日付の「応選白丁補大宰府使部事」という「太政官符」にあきらかである。それによると、「進上木蓮子御贄使」となったのは、使部の大伴直石国らであり、彼らのいう「求船之間。官粮己尽。更就陸路。飢寒共至。或取海路。風波麁嶮。海中絶対粮。辛苦無極。」は、使者となった大宰府の使部の「旅行」での苦難のさまをつぶさに物語っている。それは、かつての丈部にもあてはまるといってよい。いな、古い時代の丈部の遠路を行く道中での苦難・危険はさらにひどいものであったにちがいない。大王の命令を遠方に確実に伝えるためには、「旅行」の道中での各種の災害から身を護らなければならない。丈部が持っていた杖は、辟邪防災の呪力を有する杖、さらには杖刀そのものであったとみなしてよいであろう。」

長文を引用して恐縮ですが、興味が増しますね。



2239. Re: ご無沙汰しています。 さわらびT  2005/07/27 (水) 19:51
Noriさん、こんばんは。お久しぶりです。

佐伯先生とは面識はありませんでしたが、『新撰姓氏録』の勉強会を続けていることはご存知で、一度お電話して講演をお願いしたことがありました。体調がすぐれないというお返事で、実現しませんでしたがずいぶんお悪かったようですね。
先日、勉強会のあとの懇親会で加藤先生に佐伯先生のことをうかがっていた矢先でした。19日になくなられていたのですね。
『高岳親王入唐記』や『悲運の遣唐僧』(いずれも吉川弘文館)での問題意識、円載や高岳親王を「棄民」としてとらえた棚橋光男・細川涼一説への批判的検討に興味をそそられていました。「破戒僧」円載に改めて光を当てた所論には学ぶところが大きいと感じもしました。
多くの業績を残された偉大な方を失いました。あらためてご冥福をお祈りします。

それと、韓国なんですが、興味深い探訪地ですが今回はいけそうもないです。ご関心のある方にと思いご案内しています。



2238. ご無沙汰しています。 Nori  2005/07/27 (水) 01:16
さわらび通信のT様、Yさまご無沙汰しています。
佐伯有清先生の訃報に驚いています。
篠川、加藤の両先生の嘆きを思いつつ…。

関東の皆様、地震のお見舞い申し上げます。
お変わりはありませんでしたか?
台風7号の影響も気になっています。

>T様へ。韓半島への訪問、その成果を期待しています。
>Yさまへ。中世史の本格的成果を期待しています。
 さらには、日本のキリスト教受入れを軸にした列島の宗教史を 平易に纏めて頂けると有り難いのですが…。



2237. 東アジアの古代文化を考える会講演会 さわらびT  2005/07/25 (月) 22:42
ご案内をいただきましたのでお知らせします。

東アジアの古代文化を考える会講演会
演 題 「鉛同位体分析比から三角縁神獣鏡の製作地を探る」
日 時  8月28日(日)13時半開演
場 所 豊島区勤労福祉会館
講 師 新井宏氏(韓国慶尚大学招聘教授)
会 費 会員1300円、一般1500円
申 込 申込不要。先着80名様
照会先 090−9835−1857 稲垣

講演の主旨は次の通りとのことです。

「新井宏氏は冶金学者であり、古代銅の成分分析データを数多く収集・分析し多くの知見を得ている。泉屋博古館が発表した三角縁神獣鏡の蛍光エックス線分析結果についても専門の立場から鋭い批判を行い、新聞・雑誌で高く評価された。
今回、三角縁神獣鏡とその前後の鏡の鉛同位体比を詳細に分析され、大多数の三角縁神獣鏡がいわゆる舶載鏡とは異なり、いわゆるぼう製鏡の鉛同位体比に極めて近いことを発見された。すなわち三角縁神獣鏡のほとんどは日本列島製の可能性が高いと結論された。三角縁神獣鏡の紀年鏡の分析から、同一紀年の鏡でも異なる時期・場所で製作されたものがあること、異なる紀年の鏡が同一時期・場所で製作された可能性のあることを究明されたことは注目される。」



2236. 次の馬場小室山ワークショップは8月7日! さわらびY(ゆみ)  2005/07/25 (月) 20:27
昨日は、馬場小室山でお越しくださった皆様、ご苦労様でした。

10月2日の「馬場小室山に学ぶ市民フォーラム」は、さいたま市とさいたま市教育委員会の「名義後援」もいただき、フォーラムのプログラムも着々と進んでいます。
また前日の10月1日は、阿部芳郎先生のコーディネートによるプレフォーラムとして、環状盛土遺構についての最新研究の討議の場となる予定です。

次のワークショップは、8月7日に決まりました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/05.01.03osirase.htm
夏休みにご家族で、縄文土器を実際に手にとって学んでみませんか。

市民主導型のパブリック・アーケオロジー歴史的実践という主旨に賛同し会費の負担をお願いできる方は実行委員会メンバーに、またともに行動できる方は事務局メンバーに、ぜひなってください。



2235. たらし とら  2005/07/21 (木) 22:29
あ,ご紹介,ありがとうございます。
コメント「たらしブログ」に書いておきましたので参照くださいませ。ではでは。



2234. NHK「たらし」特集見ました さわらびY(ゆみ)  2005/07/20 (水) 23:28
「常陸古文化探求室」
http://www015.upp.so-net.ne.jp/hitati-kobunka/h.html
のとらさんが、今朝のNHK首都圏ネットワークに登場しましたね。
考古学も城跡さがしも半端でないけど、もんじゃによく似た地元の食文化「たらし」研究もHPに特設ブログもあって本格的。
http://blog.livedoor.jp/tarashi1/
うちの亭主が、朝ビデオに撮ってくれていたのを見ました。
写りもなかなかよくって、さわやかとらさんでした。

ちなみに、「さわらび通信」の相互リンク先の、さきたま古墳群の脇ではにわや縄文土器を扱っている「はにわ処 さかもと」の名物は、「ゼリーフライ」です。
http://homepage2.nifty.com/haniwadokoro/
ルーツは日露戦争のときに中国から伝わった野菜まんじゅうをアレンジしたものとか。
ご馳走になったけど、とても美味しかった!

たらしやもんじゃ、行田のフライなど、何か共通するものがありそう。
チヂミもお好み焼きも親戚のような感じもしますし、食文化を考えるのは面白そうですね。

まずは、大洗に行ったら、たらしを食べなくちゃ



2233. 「百済南進の史跡と前方後円墳巡見」 さわらびT  2005/07/18 (月) 22:19
8月30日(火)〜9月3日(土)の日程で「百済南進の史跡と前方後円墳巡見」という企画があります。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase/050830kankoku.pdf

ご関心のある方は主催者にお問い合わせ下さい。



2232. 栄山江流域の前方後円墳の被葬者 さわらびT  2005/07/17 (日) 23:25
自己レスです。2003年12月に國學院大學でシンポジウム「古代東アジアの異文化間交流と文化形成」第Tセッション「韓国古代の前方後円墳と日本の古墳文化」で鈴木英夫先生が「韓国の前方後円墳と倭の史的動向」という講演をされました。

熊谷先生とはまた一味ちがう解釈をされておられました。鈴木先生は、朝鮮半島での流動化、とりわけ高句麗の脅威に対応して倭では「高句麗征討計画」を立てたとの説を述べられます。倭の5王の一人「武」の上表が示すのは宋への高句麗戦争出兵の承認であり、それを「使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事」号に表現されている。欽明17年(557)年条にみえる「津路要害之地」の確保こそ必要だったとされます。

『書紀』は、継体7年(513)から10(516)年にかけて「己モン・帯沙」をめぐる紛争を記しています。これは、百済と大加耶の交戦を意味します。倭は物部連を派遣し「舟師5百を率いて」百済の支援をしています。「津路要害之地」の具体的様相を示すものだとするのが鈴木説で、「津路要害之地」の警護のための倭の将軍こそ被葬者であると述べられたのでした。



2231. 百済南進と倭系百済官僚 さわらびT  2005/07/17 (日) 21:28
先日(7月9日)、東アジアの古代文化を考える会の講演会で熊谷先生が、「5〜6世紀の倭国と栄山江流域との交流」というテーマでお話されました。
8月末〜9月はじめには吉村先生呼びかけの旅行の企画があるようですし、興味深く拝聴してきました。

被葬者論も気になるところです。ご承知のように、栄山江流域に築造されているこれら前方後円墳の築造の時期は5世紀後半から6世紀前半とされています。

旅行記にも記したのですが、百済の歴史を振り返りましょう。475年百済は、高句麗軍の前に敗北し、蓋鹵王は殺害されます。これによって実質的には滅亡したといえるのですが、文周王が即位し、倭が百済を支援する形となったと思われます。百済は王都を熊津に移します。百済国内はさらに混迷を深め、477年文周王は兵官佐平の解仇に実権を奪われるといった王権内部の動揺も続いています。・・・・

ちょっと時期を飛ばします。継体六年(512)、いわゆる『書紀』にいう「任那四県割譲事件」が記されています。そのまま史実と考えるわけではもちろんありません。百済による「任那四県」の地の領有化とする考えがあり、この四県全羅南道と比定します。鈴木英夫先生は、以前、別の考え方を示されましたが、それはともあれ、この「割譲事件」において「タリ国守」の穂積押山が仲介に立ちます。熊谷先生は、この存在に着目されます。

欽明朝になると百済の官位をもつ倭系百済官僚が、外交使節のメンバーとしてしばしば倭国にやってきます。彼らは、百済の倭国への諸要求を取り次ぐのが任務のようです。穂積押山は、こうした欽明朝の倭系百済官僚の前身となる存在だった。

百済南進が倭系百済官僚出現の背景にあったこと、栄山江流域の前方後円墳の被葬者をそこから導き出されています。



2230. 『日本考古学史』勅使河原彰著と、イタスケ古墳をめぐる市民の保存運動について さわらびY(ゆみ)  2005/07/16 (土) 00:35
東大出版会のUP考古学選書〔1〕の『日本考古学史』勅使河原彰著を読みました。
先史〜古代の考古学上の発見や論争がコンパクトな年表にまとまっていて、1988年発行でちょっと古い本ですが、不勉強な私には便利でした。

その中では、1955(昭和30)年にはじまったイタスケ古墳の保存運動もとり上げられ、土取り工事用の橋が架設され、破壊の危機に直面した状況を知った地元若手研究者が全国の研究者、一般国民の輪を広げ、多くの困難な状況を克服して、全面保存を実現したことを、「文化財保存が民衆と連帯してこそはじめて正しい発展がみられることを明らかにした」と高く評価しています。

そして著者の姿勢は、過ちを繰り返さないためにも、戦前〜戦後の研究史を振り返り、「考古学の現代的課題」について、吉田昌氏の『日本史を学ぶ』1の引用から「考古学が歴史科学として、現在および将来の民族さらに人類の最大多数の真の幸福の実現につながるような思想形成に寄与することができるかという本質的な課題」と鋭く問いかけています。

馬場小室山遺跡にかかわって、先史時代のいろいろなことを学んでいますが、「大森貝塚」に始まる考古学の近・現代史にも教えられることが多々ある毎日です。



2229. 「平将門―史実と伝説」 さわらびT  2005/07/08 (金) 20:58
先日、久しぶりに東京成徳大学に行ってきました。房総地域文化研究プロジェクトの第7回特別講義「平将門―史実と伝説」講師は、村上春樹氏(元千葉県立関宿城博物館客員研究員)です。(5日)

フィールドワークを通して研究を続けられてこられたことがよくわかりました。史実と歴史の、それぞれの意義か伝わってくるお話しでした。

伝説の主人公となるのは、どのような歴史的条件が必要なのか、考えてみたいものです。将門伝説は、全国に分布するとのことですが、新潟県にはないとおっしゃっていました。見つかれば新発見らしいです。「伝説によって一同が結束する」という意義を話されたのも印象に残りました。

ところで、川尻先生の新説にもふれられておられました。この機会にあらためて読み直してみました。昨年、NHKの「そのとき歴史が動いた」「もう一つの日本を創った男〜平将門 東国独立政権の謎〜」でも話しておられましたが、川尻先生は菅原道真の子、兼茂が常陸介に赴任していることに着目して将門即位の史実性を論じておられます。(「平将門の新皇即位と菅原道真・八幡大菩薩」『千葉県史研究』9、のち『古代東国史の基礎的研究』に所収)

この説の妥当性について判断できる力はありませんが、時代背景を考えさせられますし興味深い指摘だと感じています。



2228. 「文字瓦研究の新展開」 さわらびT  2005/07/07 (木) 23:10
明治大学古代学研究所 2005年度公開研究会「文字瓦研究の新展開」のお知らせです

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase/05.07.23kodaigaku.pdf

「台渡里廃寺の文字瓦」 川口武彦(水戸市教育委員会)
「龍角寺五斗蒔瓦窯の文字瓦」古代学研究所
など興味深いです。また勉強のテーマが増えそうですが・・・



2227. 発掘された日本列島展2005 さわらびT  2005/07/07 (木) 22:03
遺跡大好きネコ様

発掘された日本列島展ですが、なぜか最近、縁がなくて行きそびれてます。
今年は、法隆寺若草伽藍跡の寺院壁画片、キトラ古墳の壁画の実物大再現パネルなどが目玉のようですね。30日に記念講演(キトラ古墳)があるようなので、出向くならその日にしようかと思っています。

翌日の31日(日)はさいたま川の博物館の特別展「蘇る縄文」に行く予定ですので、忙しい月末になりそうです。

http://www.river-museum.jp/event/2005yokoku/joumonn/joumonn%20index.htm



2225. 訂正 遺跡大好きネコ  2005/07/06 (水) 22:26
下記の書き込みタイトル出土品店は出土品展の誤りでした。



2224. 出土品店 遺跡大好きネコ  2005/07/06 (水) 21:22
小室山ワークショップ、こちらこそお疲れさまでした。予定していた土器の分類は次回に持ち越しとなりましたが、副実行委員長とのお話も深まり良かったですね。次回もまた楽しみです。

ところで、その次回ワークショップの日は、ギャラリー風画でオーナーの土器展開催中なんですが、車がないとちょっと移動は難しいですかしら。みなさんと行けたら良いと思ったのですが・・・。

それから、12日から江戸東京博物館で「発見された日本列島―新発見考古速報展」の案内が今朝の新聞に載っていました。35遺跡の出土品700点が展示されるそうです。

忙しい時期のような気がするけれど行ってみようかな。ちょっとお知らせまで。



2223. 第7回馬場小室山ワークショップ、お疲れ様でした さわらびY(ゆみ)  2005/07/04 (月) 00:18
今日は、久しぶりに涼しくてさわやかな日和でしたね。
馬場小室山遺跡研究会ワークショップも、第7回目。お仕事などで来られない方も多かったのですが、初めてという方も4名参加。いつものとおり、にぎやかな会になりました。

朝の遺跡見学、事務局ミーティング、午後からのワークショップは、遺跡内の工事現場で救出した土器片への注記作業や、大学院生による「大森貝塚を読む」の発表のほか、フォーラム実行委員会事務局から、10/1-2のフォーラムへ向けた趣意書と実行委員会へのご案内リーフレットの配布がされ、ファーラム実現へ向けていよいよ走り出しました。

市民が遺跡についてより深く知るだけでなく、市民が主体の「パブリック・アーケオロジー」の姿をこれからの世界に向けて発信していくことになりそうです。

フォーラムのプログラムも10/2(日)の馬場小室山遺跡の重要性を広く市民に周知し、今後の保存と活用をふくめた地域的な取り組みの方向性を示す市民向けのわかりやすい内容のほか、前日の1日(土)は「環状盛土遺構」についての現在の考古学の議論の深化をはかり、この遺構の性格と意味を検討する学術的なプレフォーラムを準備していくこととなります。

皆様のお手元にEメールや郵便で市民フォーラム実行委員会の趣意書をご案内が届くと思います。ぜひご覧いただき、ご賛同いただければ幸いです。

また、次のワークショップは、7月24日(日)です。
考古学入門実習はいよいよ、「土器の分類」など遺物の観察が始まります。

夏のスケジュールのひとつにぜひ、7/24馬場小室山のこの日を入れておいてください。(小中高校生の夏休みの自由課題にも最適です)

ではまた24日にお会いしましょう。



2222. 「シルクロードの会」のご案内 さわらびT  2005/07/01 (金) 21:04
「シルクロードの会」のご案内を掲載しました。
次回は7月11日(月)になります。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase/050711silkroad.pdf

古墳シリーズ第1回の土生田先生の講演は古墳とは何かの問いかけから始まって、小林行雄・西嶋定生・近藤義義郎氏の見解を紹介、とりわけ政治的な意味づけがなされたことを指摘されました。土生田先生は、むしろ精神的な面での研究が必要であり、畿内中心に広がった古墳築造の秩序とは別の動きが、地域によってはあるのだと、強調されました。

そうなんでしょうね。・・・・私は残念ながら参加できなかったのですが、先月(18日)の白井市での大塚先生の講演では、小森瓢箪塚古墳についても論及されたそうです。T花さんが調査されたこの古墳ですが、前方後方墳とわかったそうで出現期の古墳の謎にかかわりますので興味深く感じています。

ところで、シルクロード通信に、「死生決せり、帰らんかな」―馬鹿の温ダルの話し―という文章が、掲載されていました。高さんがお書きになったのですが、容量の関係ならびに著作物でもありますので、とりあえず掲載をしておりませんが実はなかなか面白い話なんです。時は、高句麗・平原王(在位AD559〜590)の時代、日本の時代でいえば欽明朝の頃に当たりますが、「馬鹿の温ダル」と周囲から呼ばれていたオトコがいたという。その男の運命が・・・・
文章が格調高くつづられてます。内容もあっと驚く展開でして、話についつい引き込まれてしまいました。転載させていただければ、あらためてご紹介したいです。



2221. 市町村の文化財担当の皆樣に感謝 さわらびY(ゆみ)  2005/06/29 (水) 20:23
「さわらび通信」では、「縄文遺跡のある風景in印旛沼周辺の遺跡群」や発掘調査現場探訪記、史跡歳時記などで、遺跡や現地ルポを連載していますが、これらのページは、貴重な情報をお寄せ下さる市町村の文化財担当の皆樣に支えられています。

「さわらび通信」でとり上げている遺跡もローカルなところが多く、市町村の資料館、文化財担当の皆様に教えていただくことが多々あります。

遺跡までの道を丁寧にご案内くださったり、収納庫からパンケースに入った土器や土偶を出してきて、さらに撮影をお許しくださったり、またこのHPを丁寧にご覧くださってケアレスミス(脱字やMAPの作図ミスなど)をご指摘くださったり、本当に感謝の念にたえません。

どうか今後ともよろしくお願いいたします。




2220. Re^2: 茨城県考古学協会・遺跡調査研究発表会と『婆良岐考古』第27号 とら(常陸古文化探求室管理人) [URL]  2005/06/25 (土) 23:36
お疲れ様でした。ワタクシも懇親会より今戻りました。
11時には水戸に着いていたようで,随分と早く出ていらっしゃったようですね。毎年この時期(6月最終週の土日)にやっておりますのでまた機会がありましたらお越しください。



2219. Re: 茨城県考古学協会・遺跡調査研究発表会と『婆良岐考古』第27号 さわらびY(ゆみ)  2005/06/25 (土) 22:57
5/31のNo.2180で、常陸古文化探求室管理人さんからお知らせいただいた茨城県立歴史館での茨城県考古学協会の遺跡調査研究発表会に、はるばる出かけていきました。

茨城へは、中世律宗の痕跡の探索や、東・西金砂神社の磯出祭、霞ヶ浦町の窯跡の発掘調査の見学など、つい出かけてしまうのは、「香取の海」で、印旛沼とつながっているという思いがあるからなのでしょうか。(先史では、「古鬼怒湾」でしたっけ)

> 馬場小室山遺跡研究会メンバーの発表もあります。

筑波大の院生も、活躍していましたね。
鈴木正博さんの馬場小室山のレジメは「開けてびっくり!」(参加した人だけはわかる?)

常陸古文化探求室管理人さんほか調査現場で活躍されておられる方々が熱心に聴いておられましたね。

でも水戸は、さすが遠かったです。
帰路遅くならぬよう最後の演題を聴かずに帰りましたが、会場で購入した『婆良岐考古』第27号は、車中でじっくり読めました。

鈴木正博さんの『馬場小室山遺蹟における「環堤土塚」の構成と形成プロセス』は丁寧な叙述で、じっくり読みたい方にはおすすめです。(読むのが苦手なら、馬場小室山遺跡研究会ワークショップで、きっとやさしく教えてます)

中世考古では、千葉隆司さんの「小田氏の仏教と中世墓」がおもしろい! 
「おわりに」で中世宗教史(なかでも律宗)の調査か
ら感じたこととして「歴史教育は古くを顧みて人類の知恵と愚か
しさを再認識し、現在をリセットして将来を展望するための重要な学問」と述べています。
「現代に忍性がいたら何を思うか」という問いかけは同感です。



2217. Re: こんにちは さわらびY(ゆみ)  2005/06/25 (土) 00:13
mimi_daikonさま、こんにちわ

家の引越しとは、さぞお忙しく、たいへんだったでしょう。

mimi_daikonさんの「海と山の工房」の作品はいつもこころを安らげてくれる名品ぞろいですね。

> 「今の季節、こんな感じかぁ」と、思いを馳せておりました。

そういわれて、先ほどブログに、あじさいの咲く岩名天神前遺跡の公園の風景もUPして見ました。
お暇になったら、のぞきに来てください。



2216. 「好太王碑 新たな墨本発見」 さわらびT  2005/06/24 (金) 20:36
朝日新聞6月23日夕刊に「好太王碑 新たな墨本発見」という記事が出ていました。
記事によると、中国社会科学院の徐建新教授が発表した論文「高句麗好太王碑早期墨本的新発見」で新たな墨本を紹介しているという。
記事には新発見墨本と酒匂本が比べて載せられていますので、拝見しますとそっくりな文字であることは明白です。
かって改ざん説を提起した李進煕氏によれば陸軍参謀本部の密偵酒匂景信が1883年碑文の一部を改ざんして墨本を作り持ちかえったとされます。
徐先生は新発見墨本の跋文(書付)から1881年以前作成とされているようです。
改ざん説を否定する決定打となるのでしょうか、直接お話がうかがえる機会があればと思います。徐先生の再来日が待ち遠しいです。



2215. こんにちは mimi_daikon [URL]  2005/06/23 (木) 16:29
ご無沙汰しております、mimi_daikonです。

家の引越しやその他の雑務で、しばらくサイト更新を休んでおりました。5月〜6月と、1年でいちばん気持ちのいい季節に散歩にも行けず「あ〜ぁ、つまらない!」と嘆きつつ、さわらび通信さんのサイトを拝見しながら「今の季節、こんな感じかぁ」と、
思いを馳せておりました。ブログもますます充実ですね。

ようやく一段落しそうなので、久しぶりにUPしました。
まだ散歩ネタはないのですが、佐倉スタンプラリーも残っているし、これから少しずつ、また外に出掛けたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。



2214. 考古文化研究会の西様へ さわらびY(ゆみ)  2005/06/21 (火) 21:46
西様
以前より考古文化研究会のHPには古墳のことをいろいろ学ばせていただいてますが、ご紹介いただいた西さんの新しい親しみやすいブログに、「考古学との出会い」シリーズなど今夜はハマッテしましそうです。
私も遅ればせながら、実はブログを始めました。なんとか三日坊主にならぬよう、西さんの肩のこらぬブログの極意に学びたいと実感しています。

>市民サイドでねばり強く文化財保護の意義を広めて、地道な活動が今ほど必要とされている時はないと思っております。

考古学のプロの皆様から見れば、全くの無知の一市民ですが、まずは景観から歴史を知るということが、誰にでもできるその地域の歴史を把握する手段だと思います。
分厚い緊急発掘の報告書が、どんなに○○遺跡の歴史的価値を説いても、一目瞭然の景観を失っては、だれにでもわかる万人に公平な文化行政とはいえないですよね。
そういう意味で「市民にわかる実資料」としての遺跡とその環境を守っていきたいと痛感している昨今です。

そういえば、先週16日池田市「古江古墳」がドコモの鉄塔工事で破壊されてしまったとのニュースが流れましたね。
6世紀後半ごろの池田市の横穴式石室といえば、とても興味がある古墳なのに府教委も市も十分な指導をせず、住民から指摘で明るみになったとは!

やはり市民と西さんのような考古学研究者の連携がとても大事だと思います。
どうか阪神地方の古墳を、考古文化研究会の皆さんで守っていってください。



2213. 講演会のお知らせ さわらびT  2005/06/20 (月) 20:27
下記の講演案内をいただきましたのでお知らせします。

東アジアの古代文化を考える会の講演会のご案内

日 時:7月9日(土)13時半開演
場 所:豊島区生活産業プラザ(池袋駅東口徒歩5分)
テーマ:欽明天皇シリーズ第4回
    『5〜6世紀の倭と栄山江流域との交流』
     ―倭系百済官僚出現の歴史的背景―
講 師:熊谷公男氏(東北学院大学教授)
講師の言葉:古代の日本列島と朝鮮半島には活発な交流がありましたが、今回は、近年、10数基の前方後円墳が発見されて脚光を浴びている朝鮮半島南西部の全羅南道栄山江流域に焦点を合わせて、5世紀末〜6世紀前半の倭国とこの地域との交流のあり方を乏しい文献史料から復原してみたいと思います。

資料代:一般1500円、学生500円、会員1300円
問い合せ:090−9835−1857  稲垣



2212. お知らせを有り難うございました 西 博孝 [URL]  2005/06/20 (月) 20:10
さわらび様

ご無沙汰を致しております、考古文化研究会の西でございます。この度は馬場小室山遺跡のお知らせを有り難うございました。昨今の行政改革に伴う文化財行政の縮小に対応するかのように、文化財を保護する体制が弱くなっているのも事実です。

このようなことに関わりなく、市民サイドでねばり強く文化財保護の意義を広めて、地道な活動が今ほど必要とされている時はないと思っております。具体的な発信をこれからも続けて下さい。

私の方もたいしたことはございませんが、ブログを作りました。またお立ち寄り下さい。

http://blogs.yahoo.co.jp/hirotak24



2211. 講演会のご案内、ありがとう さわらびY(ゆみ)  2005/06/20 (月) 20:04
> 第2回 国際縄文学協会講演会
> 【日 時】平成17年7月2日(土)   13時30分〜17時00分
> 【講 師】 安田 喜憲先生
> 【ミニライブ】ウージ(宇々地)さん

おしらせ、ありがとうございます。

> 事前申込制(定員200名)。参加費は無料です。
> 申込みがない場合、参加出来ません。

☆ここは、参加希望の方に重要ポイントですね

> お忙しいとは存じますが、皆様のご参加をお待ちしております。

行けたら行きたいのだけれど、管理人は、体がひとつしかありません。
参加された方、あとで感想を教えてください。



2210. 講演会のご案内をさせて下さい。 NPO法人 国際縄文学協会 [URL]  2005/06/20 (月) 08:44
第2回 国際縄文学協会講演会
【テーマ】環太平洋文明圏の中の縄文文化
【日 時】平成17年7月2日(土)   13時30分〜17時00分
【場 所】西新宿ホール
     (6月1日より名称変更。旧称:三省堂新宿ホール)
     東京都新宿区西新宿4−15−3 
     пF03−3320−2611
【講 師】 安田 喜憲先生

【講師紹介】
 1946年三重県生まれ。東北大学大学院理学研究科博士課程退 
 学。理学博士。広島大学総合科学部助手をへて、88年国際日本
 文化研究センター助教授、94年同センター教授、現在に至る。 95年麗沢大学客員教授。96年フンボルト大学客員教授。97年〜 99年京都大学大学院理学研究科教授(併任)。96年中日文化賞受 賞。「環境考古学」という分野を日本で初めて確立。古代文明 の盛衰と環境変動とのかかわりを世界的スケールから研究し、 自然科学と人文科学の学際的研究に取り組んでいる。

【ミニライブ】ウージ(宇々地)さん

今回の講演会は「環境考古学」の第一人者である安田喜憲先生に決定いたしました。縄文以来、日本人は森を崇め「森の文化」を継承してきています。しかしながら私たち現代文明は次々と森を
破壊し、地球環境を破壊寸前までにしてしまいました。そこで文明の盛衰と環境変動とのかかわりを世界的なスケールで研究している安田先生に「なぜ今、また縄文なのか」ということを含め、「環境考古学」の観点から縄文時代について、お話して頂きます。 また、講演会の前に縄文土笛奏者である宇々地(ウージ)さんのミニライブもあります。土の持つ、温かみある音を是非、聴いてみて下さい。

事前申込制(定員200名)。参加費は無料です。
お電話かFAX、Eメールで事務局までご連絡下さい。
その際に、受付番号をお伝えしますので、ご来場の際にお申し付け下さい。(全席自由です)
申込みがない場合、参加出来ません。

申し込み・問い合わせ
【TEL】03−3591−7070
【FAX】03−3591−7075
【Eメール】ijcc@jomon.or.jp

お忙しいとは存じますが、皆様のご参加をお待ちしております。




2207. 復旧が早く良かったですね 遺跡大好きネコ  2005/06/19 (日) 21:01
さわらびTさん、Y(ゆみ)さん、こんばんは。ネット環境が思ったより早く復旧してよかったですね。

大田 尭先生のお言葉はいつ聞いても涙が出てしまうのです。決して難しいことを言っておられないのが却って感動を呼ぶのか、あの語り口が良いのか。本当に胸にずしりと来る言葉です。良き師に委員長になっていただき、対照的なほどに若くはつらつとした副委員長にもご就任いただき何と恵まれたフォーラムでしょう。

2日間とも同じ会場で開催できるようになったのもまた縄文の人が用意してくれたことのように思います。

Y(ゆみ)さんの6月12日の報告も涙が出るほど感動しました。いつ見ても素敵な写真とルポです。ありがとうございました。



2206. 人間が二本足で歩くようになった のはなぜ? さわらびT  2005/06/19 (日) 20:16
大田先生の『教育とは何かを考え続けて』(岩波新書、1983)wに面白いエピソードが書かれてますね。

1970代はじめころ、東京大学附属中高等学校の校長時代、中学2年生のゼミナールをうけもって、イリーン『人間の歴史』を勉強していたとき、一人の中学生がが「人間はどうして二本足で立って歩くようになったのですか」と質問したのだそうです。

1週間後、自信のないまま答えるうち、「ふと頭の中をかすめるものがありました。そこで生徒たちに向って、私はこう考えるといったのです。人間が二足直立歩行にうつったのは何故か、それは人間が「その気になったからだと思う」といてしまったのです。誰も反応しないだろうと思ったとたん、「先生、人間はやる気になったんだなあ」という感嘆の声が一人の少年からはねかえってきたのです。私は改めて、これはほんとうかもしれないと思いました。」

「私がいいたかったのは、二足直立歩行のような不安定な姿勢は、ある種の目的意識なしには持続できないということです。その意味ではこの行動様式は、人間が選択することではじめて成立するのではないか、赤ちゃんも単なる遺伝や大人の所作をまねるだけでなく、自らその気になってあの姿勢を選んでいるのではないかという仮説なのです。」

従いまして、いま話題のレッサーパンダも立ちたかったわけであります。

なかなかユニークなお考えの方だとお見受けいたします。実行委員会は楽しく進められそうです。



2205. 馬場小室山遺跡から何かが始まる!をUP さわらびY(ゆみ)  2005/06/18 (土) 23:47
お待たせしました。
6/12の馬場小室山遺跡研究会と、記念すべき「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」実行委員会発足のルポをUPしました。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/05.06.12/05.06.12.htm

長かった一日、中身の濃い内容で、コンパクトにまとめるのに苦労しましたが、皆さんの熱意と、委員長・副委員長の感銘すべきコメントをお伝え出来ていればと、思います。

「市民フォーラム」実行委員会は発足したばかりですから、初めての方、遺跡に関心のある方、資金援助をお願いできる方、お名前だけでも賛同アピールに公表いただける方、匿名でお手伝いいただける方、HPやネットでのPRに協力いただける方、「この指とまれ!」です。
ご連絡をお待ちしています。



2204. 阿部先生の講演も楽しみです。 さわらびT  2005/06/15 (水) 23:07
副委員長をお引き受けいただいた阿部芳郎教授(明治大学)は、ワークショップにご参加いただき、お話されました。

「馬場小室山遺跡の発掘が始まる前、かなり丁寧に鈴木さんに案内をしていただきまして、まず自然の地形を実際に歩いて確認することが出来ました。初日に僕の日記に書きとめたのは、地表にぜんぜん土器が落ちていないということは、非常に重要なことだと思って今でも新鮮に覚えています。私たちの掘っていた曲輪ノ内貝塚は、江戸時代からの耕作、明治時代から近年に至るまで発掘が行なわれていて、地下の部分が壊されているわけですね。それに対して、馬場小室山遺跡というのは、これから掘るところを歩くと土器が落ちていないということで、これは本当にパックされている遺跡がこれからまさに陽の目を見るんだなということで期待をしていました。」

ところが、皆さんご承知の通り、期限の限られた発掘調査になり、阿部先生はSOSに応えて馬場小室山遺跡の緊急発掘にも学生さんともども参加されたわけです。阿部先生のご発言の続きです。

「僕らが残した記録が、いまはさいたま市にあるのですが、その中にはおそらくこれからの盛土遺構の研究を牽引するような様々な新しい所見が盛り込まれていますし、当然それまでさいたま市で調査された情報の中にもすばらしい成果がたくさん入っていると思います。」

発掘調査の報告にも期待して、フォーラムの日を迎えたいものです。



2203. 馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム さわらびT  2005/06/15 (水) 23:05
すでにご承知の方も多いかと存じますが、パソコン不調のため、お伝えするのが遅くなりました。
6月12日、「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム実行委員会」が結成されました。開催は10月1日、2日の両日の予定です。10月2日の会場は、さいたま市緑区の「プラザイースト」、明治大学の阿部芳郎教授のご講演もあります。(1日は会場未定)

実行委員長には、さいたま市在住の大田尭先生に就任いただきました。当日、実行委員の有志で先生のご自宅を訪問させていただいた折、先生が述べられた言葉が強く印象に残ります。
事務局長の飯塚氏からの要請に、お答えいただく形で「馬場小室山遺跡の、近くにいるものとして遺跡を守っていくという趣旨にはまったく異論はありません」と力強く話されました。

「こんな殺伐とした世の中、人間までがばらばらになるという状態ですから、こうして皆さんが、それまでかかわりのなかった方々が、こういう集まりをお持ちになるということの意味というのは非常に大きいと思うのです。今は教育基本法の問題もあり、憲法の問題もあります中で、お手伝いしています。人類の有史以前の段階というのは、(書かれた)歴史の始まったのちの時代と同じくらいに重要なのだと言ってきたことでもあります。」

淡々と語られたお言葉に感銘を受けました。



2202. ルーターは24時間働いていたのね さわらびY(ゆみ)  2005/06/15 (水) 22:01
とし樣、皆様

ご心配をおかけしましたが、ルーターを取り替えて、おかげさまで家庭内LANもめでたく復旧しました。

>ネットワーク関連の機器は24時間駆動しているので壊れやすいんですかね(笑)

メールありがとう。ルーターは24時間365日働きっぱなしですもの、ご苦労樣といいたいですね。
PCマシン本体の故障でなくてほっとしました。
ご助言などありがとうございました。

これから心置きなく「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」の歴史的始動!の12日のルポ作成に専念できます。乞う、ご期待!



2201. とりあえずネット接続を復旧しました さわらびY(ゆみ)  2005/06/14 (火) 23:07
とし樣
皆様への伝言の書込みをありがとうございました。

モデムからルーターを通さずPCに直付したところ、ネットにつながりました。
2台のPCにLANケーブルを交互につないで、応急的にしのいでいます。
家庭内LANはできないので、同時に使えず、いましばらく不便はですが、メール、インターネットはできるようになりました。

皆様へ
そんなわけで、12日の馬場小室山遺跡の報告は、今しばらくお待ちください。
ご心配をおかけしてしましたが、一応とりあえず、お知らせまで。