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No.2501-No.4140 2006/3/312007/4/22
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4140. 日本国憲法の誕生 さわらびT  2007/04/22 (日) 22:34
1946年2月13日、GHQは、憲法草案をもって外相官邸を訪れます。民生局長ホイットニー准将、ケーデス大佐らが吉田外務大臣らとの会談の席上、前日プリントした草案を渡したのです。当時の法制局次長であった佐藤達夫氏は、これを憲法の「受胎告知」と表現します。
昨日、レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』を観賞してきたばかりなので語呂合わせのような話ではありますが、その告知は、ともに青天の霹靂であったのでしょうか。

来週、憲法誕生をテーマにしたNHKスペシャルが放映されるようです。
2007年4月29日(日) 午後9時〜10時14分
『日本国憲法 誕生(仮)』

「押しつけ」憲法論は、もう過去の遺物といえると思います。しかし現行憲法を変えようとする動向が明確になっている今日、あらためて成立過程を問い直す機会になると思われます。NHKのHPの告知欄には、「国会の憲法改正案委員小委員会の秘密議事録が公開されると、GHQ草案に様々な修正が施され、「日本化」「土着化」と呼ばれる過程を経ていることが明らかになってきた。」と記されています。民衆の総意であったかどうかは、議論すべきでしょうが、GHQ草案を素材に、いかなる攻防があったのか、「受胎告知」から誕生までのドラマを興味深く拝見したいです。



4004. 「千の風になって」と復活祭によせて-その1 さわらびY(ゆみ)  2007/04/11 (水) 00:46
 昨春、息子の死を知った友人から「千の風になって」の歌詞をお送りいただきました。
 その後、この歌が昨年末の紅白でも歌われるほど、また今もTVやお店のBGMで流れてくることに、身近な方を失った方々の多いこと、そして、この歌への共感を言葉にしながら、私たちを慰めてくださる知人の多いことに、今更ながらこの歌の「言葉」の力に驚いています。

  私のお墓の前で 泣かないでください
  そこに私はいません 眠ってなんかいません
  千の風に 千の風になって 
  あの大きな空を 吹きわたっています
            (新井満訳。原作者不明)

 父や息子の命日と心を重ねながら、先週末は、キリストの受難と復活を記念する典礼を、教会の方々や家族とともにすることが多く、感慨深いときを過ごしました。
 今年の復活ミサでは、土曜日の夜にルカ福音書、日曜の朝はヨハネ福音書が読まれました。

 「(マグダラの)マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。・・・天使たちが、『婦人よ、なぜ泣いているのか』と言うと、マリアは言った。『わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。』こう言いながら後ろを振り向くと、・・・ イエスは言われた。『婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。』」ヨハネによる福音20章

 「・・・墓に行って見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。・・・『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。』 」ルカによる福音24章



4003. 「千の風になって」と復活祭によせて-その2 さわらびY(ゆみ)  2007/04/11 (水) 00:45
 私は「千の風になって」の「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません」の歌詞に、ヨハネの物語るマグダラのマリアたちの体験を重ねあわせていたせいか、今年は素直に福音の言葉が心にとどきました。

 「泣かないで、もうそこにはいないのだから」と呼びかけられたとき、マグダラのマリアの当惑と同じように、私たちはいったい、愛するものの姿をどこに見出せばよいのでしょう。
 私は、昨春「千の風になって」の歌を聴いたとき、まだ喪失のショックから立ち直っていなかったせいか、愛する死者が「風になる」とすぐには感じられませんでした。
 それに続く歌詞が抽象的で、また新井満氏の訳があまりにも美し過ぎるからかもしれません。

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆、そのとおりである。」ヨハネによる福音書3章
「霊」、すなわちヘブライ語「プネウマ」の原意は「息」、そこから自然界の「風」、そして目に見えない「神の働き」とのことだそうです。

この歌の「風」という言葉に「般若心経」の「色即是空 空即是色」」を深く会得されたという方、あるいは輪廻転生を感じた方もいらっしゃるそうですが、私は私なりに「主がガリラヤで話されたこと」すなわち「復活の希望」に耳を澄ませ、その「風」の 働きを感じてみたいと思います。
「・・・野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか・・・」マタイによる福音6章



3858. 「立石樣」を祀った名主家のご子孫から情報に触れて さわらびY(ゆみ)  2007/03/25 (日) 19:26
HP「さわらび通信」の次のページをご覧いただいた方から、たいへん貴重な情報メールでいただきましたので、ご紹介したいと思います。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/06.07.30tateisi/tateisi1.htm
「葛飾区立石遺跡調査の現地説明会ルポ」

メールの差出人は、「江戸時代に立石祠を掘り進めさせた名主島田新右衛門の子孫に当たる」方からでした。

「祠の前の鳥居に、島田八郎、島田太郎の名前があったかと思いますが、共に、曽祖父と祖父に当たります。新右衛門の墓は今も宝持院の墓地の左奥に残っておりますが、残念ながら、子孫の私には何の情報も伝わっておりません。さわらび通信のページはたいへん勉強になりました。」とのことです。

「文化三年(1806年)に地元の名主島田新右衛門が、村民の協力得て三日三晩掘下げを試みたが、石の底は一行に現れず、おまけに関係者から病人が続出した為、立石の祟りだと恐れ、工事を取止めて文化八年、立石稲荷大明神として祀り、文化十二年には鳥居まで寄進されました。」(HP「NATS」より
http://nats12.cool.ne.jp/NATS/KANTO.1/TATEISHI/tateishi.html
という伝承の名主島田新右衛門。

ご先祖の「好奇心」と努力にもかかわらず、石の底が現れず、関係者から病人が続出したとは、当時の方々はとても不思議に思ったことでしょう。

郷土史の面白さは、伝承や史料が活きているということ。そして、HPの面白さは、その情報をリアルタイムで交換できるとことかもしれませんね。



3838. 近況報告にかえて さわらびY(ゆみ)  2007/03/24 (土) 00:04
春分を過ぎて、桜の開花がちらほら伝わってくるころ、今年は父の命日(3/25)に加え、息子の一周忌(3/26)が近づいてきました。
明日(24日)は、10時から習志野教会で息子の帰天一周年の記念ミサをあげていただきます。
夫と、そして神父様と相談して、明日の聖書朗読は、コリントへのパウロの書簡1の15-35(復活した人間の「体」について)とヨハネの福音12-23(一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。)に決めて、プリントを用意し、教会に持っていくお花のアレンジもできました。

毎日のように「もう一年になるのですね」とお会いする方々にお声をかけていただき、心にかけて下さっていることに感謝しつつ、辛かった昨春を振り返りつつ、月日の立つ早さに驚く日々です。

実は、このところ、息子の遺稿と故人と関係の深かった方からいただいた追悼文、私たちの手記を編集し、『やさしさを遺して』という本を刊行する仕事に専念していました。
先日初稿の校正を入れ、二稿を待っているところです。

夫は、息子が論じている近代文学の本を読みふけり、またこの遺稿集の編集に没入することによって、ようやく「彼が自分と一体になったと感じられてきた」という実感を得たようです。
私は、宗教的倫理感にもとづいた息子の文章とその心のうちに触れたく、また生と死、永遠の命について思い巡らすような本ばかりを読んでいました。
とは言っても、頭で理解してもなかなか、心の平安はえられないのが実情で、巡礼の旅に出たりして悟りをえようとした先人たちの気持ちがわかるような気がしています。

このところ「さわらび通信」の更新も途絶えがちなのは、そんなわけでした。
今日は、「千の風」のCDつきの本を買ってきました。あらためて聴くと、死と再生を深く考えさせられる歌だと思います。
この歌詞については、またいずれ触れたいと思います。

あ、23日の24時を過ぎてしまいました。では、おやすみなさい。



3817. 本佐倉城跡現地説明会 T花  2007/03/21 (水) 23:16
酒々井町教育委員会が実施している本佐倉城跡の発掘調査現地説明会のご案内です。

日時 3月25日(日) 午前10時〜、午後1時30分〜(※雨天中止)
場所 本佐倉城跡東山馬場集合(京成線大佐倉駅下車徒歩10分)
   ※大佐倉駅で集合場所の案内があるそうです。
備考 駐車場なし
問合せ 佐倉市教育委員会文化課
    043(484)6192



3577. 千葉市遺跡発表会 T花  2007/02/17 (土) 10:47
 千葉市遺跡発表会のご案内です。

1 日時 平成19年3月4日(日)
     午前10時30分〜午後4時 (午前10時より受付)
2 会場 千葉市生涯学習センター(千葉市中央区弁天3−7−7)  
3 参加費 無料
4 遺跡調査研究発表会場 2階ホール・ホワイエ
5 プログラム
 (1)開会のあいさつ 10:30〜10:35
 (2)遺跡発表等
   @緑区土気東遺跡群 10:35〜11:00 塚原 勇人 氏
   A若葉区下泉町遺跡群 11:00〜11:25   長原 亘 氏
    (休  憩・展示遺物見学)
   B中央区猪鼻城跡 11:35〜12:00
    國分 篤志氏(千葉大学考古学研究室)
   C事例研究 千葉市の遺跡からみた古代仏教 13:00〜14:00   
    森本 剛氏(千葉市教育委員会文化課)
     (休  憩・展示遺物見学)
   D講演 房総の古代寺院 14:20〜15:50
    山路 直充氏(市立市川考古博物館)
  (3)閉会のあいさつ 15:50〜16:00




3556. 「知恵の書」から さわらびY(ゆみ)  2007/02/13 (火) 00:28
新約聖書は時折、拾い読みすることがあっても、分厚い旧約聖書(しかもその「外伝」)を紐解くことって、ほとんど全くありませんでした。
偶然開いたページで心にしみた「知恵の書」言葉です。

 [知恵とはいかなものか]
知恵は輝かしく、
朽ちることがない。
知恵を愛する人には進んで自分を現し、
探す人には自分を示す。
求める人には自分の方から姿を見せる。
知恵を求めて早起きする人は、苦労せずに
自宅の門前で待っている知恵に出会う。
知恵に思いをはせることは、最も賢いこと、
知恵を思って目を覚ましていれば、心配もすぐに消える。
知恵は自分にふさわしい人を求めて巡り歩き、
道でその人たちに優しく姿を現し、
深い思いやりの心で彼らと出会う。
 〜以下略〜

 [神に従う人の若死に]
神に従う人は、若死にしても安らかに憩う。
老年の誉れは長寿にあるのではなく、
年数によって測られるものでもない。
人の思慮深さこそ白髪であり、
汚れのない生涯こそ長寿である。
神に喜ばれていた人がいた。彼は神から愛され、
罪人の中で生活していたとき、天に移された。
悪が心をかえてしまわぬよう、
偽りが魂を惑わさぬよう、彼は天に召された。
悪の魅力は善を曇らせ、
渦巻く欲望は純真な魂をかき乱す。
彼は短い間に完成され、長寿を満たした。
彼の魂はみ心にかなったので、
主は急いで彼を悪の中から取り去られた。
人びとはこれを見ても理解せず、
心に留めようともしなかった。
恵みと憐れみとは主に選ばれた人びとにあり
主の訪れは主に清められた人びとにあることを。

(『旧約聖書 続編つき 新共同訳』 「知恵の書」6-12、4-7から)



3531. 私の説は「中世地下式坑は民衆の自衛用シェルター」 さわらびY(ゆみ)  2007/02/07 (水) 23:29
2月4日(日) は朝から、アミュゼ柏で開かれた東国中世考古学研究会第3回研究大会「地下式坑を考える」−地下式坑の全国集成とその検討−を聴講してきました。
「地下式坑とは、井戸状にまっすぐ2〜3m掘り下げて(たて穴)から、横に部屋(地下室)を作るもので、墓とも貯蔵庫とも言われ、用途は解明されていない」遺構です。

千葉県では280遺跡2100基と全国で最も多く、下総台地の関東ローム層に展開し、関東全域に広がる分布がみられ、時期は15世紀半ば〜16世紀前半に集中しているとのこと。
八千代市内でも、高津新山遺跡、井戸向遺跡、吉橋の渋内遺跡から多数見つかっており、私も先日、八千代市内の吉橋城探索の際、貞福寺の西側の畑の縁で藪に覆われた未調査の地下式坑をみました。落ちると危ないので、バリケードの馬で囲ってありましたが、不気味な穴でした。

研究大会では、やはり、地下式坑の機能をめぐって、地下式坑葬送施設と貯蔵施設の2つの論戦が中心でした。
私は地下式坑の実態に触れるまで、中世前期のヤグラの系譜につながる信仰施設(墓)とも思っていたこともあったのですが、時期的に断絶があることや、掘立建物群など墓域といえない場所での検出例から、生活関連の遺構とも感じました。
しかし、芋穴のような農業生産に伴う貯蔵穴であれば、中世末から近世に続くはず。いわば、地下式坑は鎌倉公方対関東管領上杉の対立する1438年永享の乱以降、千葉氏宗家をめぐる争乱と1538年の第一次国府台合戦、1564年第二次国府台合戦と激しい戦いに民衆も巻き込まれた時代に時期を同じくします。
この時代に限られた地下式坑について私は、民衆の自衛用シェルターであったと思います。戦乱の中で、焼き討ちや人狩りから逃れ、また一晩でも雨露がしのげる避難坑として機能したのではないでしょうか。
千葉県では、北条氏による支配が広まるころに地下式坑は終焉を迎えます。そのころ城の造りが機能的な惣構えの大掛かりなものに改変されていく過程で作られなくなり、残った穴は、ゴミ穴や墓穴に、あるいは貯蔵用に再利用されたものと理解するのが自然だと思います。

会場は、埋文関係の業界の専門家ばかり、とても素人が質問などできる雰囲気はなく、ご一緒した八千代市郷土歴史研究会の会長に帰りの電車の中で、私の独りよがりの説を聞いていただいたのですが、戦争中の防空壕に共通する点で相槌を打っていただけました。



3526. 歴史とは何か さわらびT  2007/02/05 (月) 22:55
折角書き込みいただきましたが、こうしたパズルのような解釈を、私自身は求めないことにしています。ですから「邪馬台国」の場所を探すことにもさほど興味を持ちません。
歴史を紐解くのは、謎解きそのものが目的なのではなく、その時々の人々の暮らしを再現できるからだと思います。日本の古代の政治的な状況について、たとえば皇親勢力と貴族勢力に二分された対立構造を考えてみたりいたします。歴史的事実の迫る手段であり、興味深いことには違いありませんが、権力をめぐるこうした抗争を支える兵士や農民がいたことへの想像力も必要でしょう。網野善彦さんがよく引き合いに出されてきたのですが、「つぶて」から歴史を読み取る中沢厚さんの研究なども想像力をかきたてられます。
マルク・ブロックの『歴史のための弁明』やE.H.カーの『歴史とは何か』は、私の学生時代には必読文献でした。戦争と言う現実と直面した歴史家の切実な問題意識があることも理解できます。私達は気楽に楽しめばいいのですが、歴史家のこうした根源的な問いは大事なことだと思うのです。
「けれども、歴史は時計製造業や唐木細工業ではない。それはよりよく理解することに向かっての努力であり、したがって動いてやまぬものである。」(マルク・ブロック)



3497. 聖徳太子の正体 銀河 秋彩 [URL]  2007/02/01 (木) 10:10
 お邪魔します。m(_ _)m

中部大学の大山誠一教授は、「聖徳太子はいなかった」論のようですが、それは間違いであり、大山師は不勉強です。

正解は、「大津皇子」=【諡号は、聖徳太子、聖武天皇】です。

『懐風藻』、『拾遺和歌集』と『日本霊異記』を併せて読むと、
大津皇子【諡号は★聖徳太子】=【★聖武天皇・行基】と判ります。

  大津皇子御歌一首
経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず娘子(をとめ)らが織る黄葉に霜な降りそね (巻8・1516)

七言。志を述ぶ。一首。大津皇子【★聖徳太子】。
 天紙風筆 雲鶴を畫き
 山機霜杼 葉錦を織らむ

  後人【★聖武天皇】の聯句。
 赤雀 書を含む時至らず
 潜龍 用ゐること勿く 未だ安寝せず
    (『懐風藻』)

『懐風藻』の「山機霜杼 葉錦を織らむ」と大津皇子歌の「織れる黄葉に霜な降りそね」の【極似】に注意!

ちなみに、聖徳太子【大津皇子】の、「崇峻【天武】天皇弑逆」ゆえに、時代を遡らせて記載しているのです。
高松塚古墳の被葬者は檜隈大内陵(通称・天武持統陵)から移葬された【天武天皇の首なし遺体】です。
葬者は【柿本人麻呂(大津皇子・聖武天皇)】です。


また、蛇足ですが、
「柿本(朝臣)人麻呂」=【書きの基の 一麻呂……姉・大伯(明日香)皇女(額田王)君臨の、朱鳥元号時の「官房長官」の名乗り】です。
「大津皇子の死」は、【お隣の中国の『漢書』「景帝紀」を利用した、「文学上の死」に、ほかなりません。
「山辺皇女」=「県犬養(橘)三千代」です。】

即ち、『記、紀、万葉』は、平安時代の大和朝廷(梨壺)に於いて、同時に最終編纂されています。
倭国・物部系の史書『古事記』は西暦712年に、天智(大伴)系の史書『日本書紀』は西暦720年に置いただけです。



3457. 東国中世考古学研究会「地下式坑を考える」 さわらびY(ゆみ)  2007/01/21 (日) 23:41
房総中近世考古学研究会事務局の方から、ご案内をいただきましたので、紹介します。
参加の事前予約は不要で、直接会場で受付とのことです。


==東国中世考古学研究会第3回研究大会
      「地下式坑を考える」    
    −地下式坑の全国集成とその検討−==
 

*その性格を巡って議論が続く中世の地下式坑について、全国的に集成を行った成果をもとに、多角的にその謎に迫ります。地下式坑については、初の本格的研究会です。

主 催:東国中世考古学研究会・房総中近世考古学研究会

共 催:
 文部科学省特定領域研究「中世考古学の総合的研究―学融合を目指した新領域創生―」 領域代表:中央大学・前川要)
 特定領域研究『中世考古学の総合的研究』「墳墓遺跡及び葬送墓制研究の観点からみた中世」研究班

日 時:2007年2月4日(日) 午前10時〜午後4時30分
会 場:アミュゼ柏
 千葉県柏市柏6丁目2番22号TEL 04-7164-4552
 JR常磐線・東武野田線 柏駅東口より徒歩7分

定 員:200名    
参加費:資料代1500円程度。 
 全国地下式坑集成資料集(約550p)は別途販売予定。

日 程
 9時30分受付開始 開会10時

10時5分 地下式坑をめぐる研究史 
      谷口 榮(葛飾区郷土と天文の博物館)

−地域別報告−
10時30分  関東 井上哲朗((財)千葉県教育振興財団文化財センター)
11時    東海 戸塚和美(掛川市教育委員会)
11時30分  北陸  宮下幸夫(小松市立博物館)

12〜13時   昼食

13時  中国・九州  原田昭一(大分県教育庁埋蔵文化財センター)

−地下式坑の機能をめぐって−

13時30分 地下式坑葬送施設論
       斉藤 弘(栃木県立学悠館高等学校)
14時   地下式坑貯蔵施設論 
       簗瀬裕一(千葉市立加曽利貝塚博物館)

14時30分 休憩

14時50分 討論  

16時30分 閉会 



3435. 小美玉市の展示情報 T花  2007/01/14 (日) 08:50
 昨日は「古代印波シンポジウム」お疲れさまでした。6世紀から7世紀を主に考古資料から、8世紀以降を主に文献史料から、といった発表内容でしたが、個人的には8世紀の考古資料からみた発表も聞きたかったと思いました。

 さて、小美玉市の小玉さんから展示の案内が届きましたので、ご紹介します。

「平成18年度参考展示 縄文の闇、弥生の光」
会期:平成19年1月21日(日)〜3月11日(日)
第一会場(玉里史料館):消えゆく貝塚文化
第二会場(小川資料館):農耕社会の誕生
開館時間:午前9時30分〜午後6時(休館日:月曜日・祝祭日)
入館料:無料
記念行事
(1)記念講演会(聴講無料)
   @演題:「関東地方における農耕社会の成立と特色」
    講師:小倉淳一氏(法政大学専任講師)
    日時:平成19年2月25日(日)午後2時から
    会場:小美玉市小川公民館
   A演題:「弥生文化成立前夜の東関東‐縄文貝食民と弥生       再葬墓の世界」
    講師:小林青樹氏(国学院栃木短期大学助教授)
    日時:平成19年3月4日(日)午後2時から
    会場:小美玉市玉里総合文化センター
(2)貝塚探訪(参加料無料)
    日時:平成19年2月18日(日)午前9時
    集合場所:小美玉市玉里史料館(※事前申込み制)
(3)展示解説会
    日程:平成19年3月11日(日)
    時間:@午前11時から(玉里史料館)
       A午後1時30分から(小川資料館)

問合せ 小美玉市玉里史料館 電話:0299(26)9111
    茨城県小美玉市高崎291−3
    小美玉市小川資料館 電話:0299(37)1371
    茨城県小美玉市小川1664−2
    



3416. 古代印波シンポジウムのプログラムお知らせします さわらびT  2007/01/08 (月) 23:02
プログラムのご案内をいただきました。
最初の書き込みに9時〜16時となっておりますが、ご訂正ください。(懇親会は18時からとのことです)

学術フロンティア推進事業 明治大学古代学研究所
古代印波シンポジウム
日時:2007年1月13日(土) 
会場:明治大学リバティータワー1021教室

開会の挨拶      吉村 武彦  10時00分 〜10時05分
古墳からみた印波   白井久美子  10時05分 〜10時45分
埴輪からみた印波   犬木 努   10時45分 〜11時25分
印旛における古墳時代後期から律令期の集落動向
           小牧美知枝 11時25分 〜12時05分
〜昼食〜             12時05分 〜13時00分
印波国造と評の成立 大川原竜一  13時00分 〜13時40分
印波のミヤケ    山路 直充  13時40分 〜14時20分
〜休憩〜             14時20分 〜14時30分
ミブ部と東国    川尻 秋生   14時30分 〜15時10分
房総からみたヤマト王権吉村 武彦  15時10分 〜15時50分
〜休憩〜             15時50分 〜16時00分
討論               16時00分 〜17時30分
閉会の挨拶      佐々木憲一 17時30分 〜17時35分



3410. 「菊間国」の古墳 さわらびT  2007/01/07 (日) 22:22
今日は、千葉市の遺跡を歩く会の遺跡めぐりに参加させていただきました。いわゆる「菊間国造」の支配領域とされる地を歩いたのですが、説明板のある姫宮古墳(前方後円墳)、標柱のある北野天神山古墳(前方後円墳)、残念ながら民家の裏山のような状態の新皇塚古墳(前方後方墳)など、保存状態は様々でした。
午後見学の大厩二子塚古墳(前方後円墳)は、墳丘もよく残されていましたが、大厩二子塚古墳(円墳)は跡形もなく住宅となっていました。
この遺跡めぐりは、残された古墳だけでなく、かってここに古墳があった、ということを教えてくれる貴重な機会を与えてくれました。



3390. 市原市姉崎の古墳 さわらびT  2007/01/04 (木) 19:40
昨3日(水)ですが、またしても『房総の古墳を歩く[改訂版]』を手掛かりに出かけてきました。運転手は私ですが、地理不案内の私のために常にYが道のりを探します。

「古代、上海上国の奥津城として造営された姉崎古墳群」(122〜127頁)を見てまいりました。姉崎神社に近接する釈迦山古墳(4世紀前葉、前方後円墳)から、青葉台のマンションに接する六孫王塚古墳(7世紀前葉、前方後方墳)まで見ごたえ充分です。と言うわけで、前期から終末期までの古墳を短時間に一気に見ることができました。

探すのに少々苦労しましたが、姉崎二子塚古墳も見てきました。住宅に隣接していますがそれどもよく残してくれていると感心しました。二子山という名のように、小山が二つ並んでいるような感じですね。この古墳は、名品と言える石枕の出土で有名ですね。以前、掲示板で話題になりましたが、この出土例から、甘粕健氏が上海上国造と下海上国造による連合説を唱えたことでも知られています。ちなみに、この出土品は「側面に直弧文をもつ特殊な製品で、常総には例がない。石材も香取海沿岸の滑石とは大きく異なる。」ということで、白井久美子氏は、その説を退けています。(掲示板1991、1993など参照ください)



3381. 初詣と史跡めぐり さわらびT  2007/01/01 (月) 22:24
初詣に芝山仁王尊・観音教寺に行って参りました。自家用者で出かけた私どもが到着したのは11時ごろ、まだお参りの列はさほどでもなかったのですが、芝山はにわ博物館をしばらく見学したあとには、人出がずいぶんと多くにぎわっていました。芝山町立芝山古墳・はにわ博物館は残念ながら休館でした。

午後からは、柏・HOK様からご案内いただいている『房総の古墳を歩く[改訂版]』を持って、古墳と貝塚の見学して参りました。旧香取郡小見川町(昨年3月に佐原市・山田町・栗源町と合併し香取市)にあります阿玉台貝塚・良文貝塚(p54)、三之分目大塚山古墳(p55)です。詳細は、この本をご参照下さい。

途中、旧香取郡栗源町(昨年3月から香取市)大畑の大塚古墳に立ち寄ってきました。少々苦労しましたが、祖波鷹 (そばたか) 神社にお参りに来られていた地元の方にうかがって、行き着くができました。かなり立派な方墳でした。



3373. 2007年が良い年でありますように! 亥年の私たちもどうかよろしく さわらびY(ゆみ)  2006/12/31 (日) 21:24
2006年は、たいへんお世話になりました。
私たちにとっても、息子の友人たちにとっても悲しくつらい年でしたが、2007年は心おだやかな一陽来復の年になることを、祈っています。
私たち夫婦も亥年の年男年女。(何回目かはご想像にお任せします) 2007亥年を、1983亥年生まれの息子とともに迎えることはできませんでしたが、この間、多くの彼の友人と知り合うことができ、彼らの活躍とその未来の期待できることをうれしく感じています。

今年の年賀状は欠礼しますが、HPのトップ画像は、新しい年に期待を込めて更新しました。

右は、「八千代の猪」
ブログ「さわらびYの歴史・民俗・考古探索ノート」の最初のページを飾った上谷遺跡出土、長さ3.6cmの五領ヶ台式期(縄文中期)のミニ猪です。
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/2005/05/post_dd36.html

左は、お隣「佐倉の猪」
1980年に井野小学校内で子供が拾い上げたもの。中空の三角柱状で、長さは約10cm、デフォルメされたデザインが新鮮です。
この猪の出土した井野小学校内と隣接地にある井野長割遺跡は、2006年3月に国指定となりました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/inonagawari/inonagawari1.htm

このかわいい猪たち同様、亥年の私たちも、本年どうぞよろしくお願いいたします。

八千代の猪=2005.5.14八千代市遺跡調査会東部事務所にて撮影
佐倉の猪=2006.7.22印旛郡市文化財センターにて撮影



3371. Re: お知らせ 柏・HOK  2006/12/30 (土) 17:23
みなさま、こんばんは。

 「房総の古墳を歩く/改訂版」ですが、Amazonでの取扱ができるようになりました。 「房総の古墳を歩く」で検索しますと「改訂版」がヒットしますので、ご覧になってみてください。



3356. 2006年のクリスマスを迎えて さわらびY(ゆみ)  2006/12/25 (月) 00:26
今年のクリスマスの夜ミサも、母と連れ立ってカトリック習志野教会で迎えました。
 足が悪く、老いた母を連れての夜の外出は車が必須で、ここ三年間、夜の運転が苦手な私に代わって、今は亡き息子がアッシー役を務めてくれていましたが、今年は24日が日曜日だったこともあって、弟が遠くから駆けつけて車を出してくれ、親子3人で水入らずのクリスマスイブでした。
 
 母は、湯たんぽを入れた橇に赤子だった私を乗せて、厳寒の雪道を深夜教会へ行った札幌時代の話を、車の中でしました。そういえば、息子が運転手をしていた年も、その話をしていたように思います。
 初めての子を伴ってのクリスマスは、母にとってさぞ大きな喜びだったのでしょう。

 私も、ある年のクリスマスを契機に再び教会通い始め、その翌々年に息子をベビー籠に入れてクリスマスのミサに行ったことが、昨日のことのように思い出されます。

 今年は、年の瀬の街のイルミネーションもむなしく思えていましたが、降誕祭を母と祈りの中に迎えられたことは、大きな心の慰めになりました。

 「誕生を祝うということは、出会うことの尊さを知ること」という今日の説教のフレーズ。
 また息子も短い生涯であったが、確実にこの世に誕生し、結婚以来12年間待ち続けた家族に大きな喜びを与えてくれたのです。

 息子が亡くなってしまったことに打ちひしがれてばかりの2006年でしたが、今日の教会の祭儀は、「生まれてきてくれてありがとう。あなたに出会えてよかった」という思いを、やっとよみがえらせてくれました。

 また今年は、マタイ福音書の記された主の降誕が、絵に描かれているようなメルヘンのような状況ではなく、ヘロデ王の幼児虐殺とそのためのエジプト避難という圧制と混乱の状況下のできごとであったことを思い起こさせ、「ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから。」というエレミアの預言の引用が、強く心に響いてきます。http://www2.plala.or.jp/Arakawa/christ_srm07.htm

 世の中の明と暗を知ってしまった2006年、その中で迎えた感慨深い私のクリスマスでした。



3279. 川尻先生の「古代印旛郡は誰が造ったのか」を聴講しました。 さわらびY(ゆみ)  2006/12/10 (日) 00:18
今日は、井野長割遺跡(第13次)現地説明会だったのですが、残念ながら雨で順延になってしまいましたね。(晴れ女も面目ない!)
井野長割遺跡は初めてという都内の友人を朝からお誘いしていたので、雨ニモ負ケズ、現地へ。
幸い、印旛郡市センターの担当者が順延の掲示にいらしていて、私たち4人だけでしたが、特別に発掘調査現場の遺構を丁寧に説明いただきました。
平成15年第8次調査で判明したM6と(井野っこ山から続く?)M7の間を通る縄文の道遺構と、M7のマウンドの裾の端、掘立住居らしき柱穴などが明らかになったそうです。
(参照⇒
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/inonagawari/inonagawari2.htm

遺跡を一巡して、早めに白井市の郷土資料館へ。常設展「白井のあゆみ」と、ちょうど講座の教材に出してあった弥生土器などを見せていただいてから、印西市へ向かい、本日の目的の川尻秋生氏の講演会「古代印旛郡は誰が造ったのか」を聴講しました。

以前(2003年7月*)に白石太一郎先生が講演会で引用されていた川尻秋生先生の「大生部直と印波国造」論の真髄をわかりやすくお話しいただきました。
(*2003年のこの講演の感想「869. 印波国造のルーツはだれ?」からこのころの本掲示板は「大生部」でとても盛り上がりましたね。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/BBS/BBS.801-900.htm
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/BBS/BBS.901-1000.htm

千葉県立中央博物館研究報告第7巻第1号の川尻論文の内容に加えて、印西市西根遺跡出土の「大生部直子猪形代」銘墨書土器などの最新の発掘調査成果を交えての「新鮮な」お話しでした。

来年1月13日、明治大学古代学研究所公開研究会「古代印波シンポジウム」(本掲示板No.2976. 古代印波シンポジウム(来年です)参照)でまた、川尻先生の「ミブ部と東国」の講演があります。こちらも楽しみですね。



3207. あたたかな霜月・・・ さわらびY(ゆみ)  2006/11/28 (火) 00:33
 先週末の二日間、一年ぶりに東大本郷キャンパスへ通いました。
 昨年の同じころ、今は亡き息子と黄金色に色づいた構内を二人で歩いたことが、もう遠い昔のころのように感じながら、足早に法文2号館での公開研究発表会「異系統土器の出会い」の聴講に向かいました。
 今年の秋は気温が下がらず、名物の銀杏並木もまだ青々していて、ケヤキの紅葉がひときわ輝いて見えます。

 春の息子の若すぎる死から間もなくの夏の「印旛沼周辺の弥生土器」シンポ、そして秋の馬場小室山市民フォーラムと八千代郷土史研の展示会を全力でやり遂げ、気の重い喪中はがきの発送作業を終え、訃報が遅れてしまった方からのいたわりのお電話をいただき、そうこうしているうちに、辛くも友人の皆さんに支えられて頑張り続けた2006年がもう数日で師走を迎えようとしています。

 夫は、26日(日)気晴らしにどうぞとK先生に誘われた鎌倉見学の帰り、駒場祭に立ち寄って、息子がかかわっていた文芸サークルの企画を初めて見てきたとのこと。会場内の、詩やオブジェで飾られた息子へのレクイエムコーナーをカメラで撮って見せてくれました。
 春から秋へ、私たちの友人、そして息子の仲間たちの友情に励まされ、いつになく暖かだった霜月もやがて足早に過ぎていこうとしています。



3172. 印旛沼周辺の晩秋〜師走の行事予定の情報です さわらびY(ゆみ)  2006/11/17 (金) 19:33
明日・あさって(18日〜19日)は、八千代市郷土歴史研究会恒例の「郷土史展」、皆様のお越しをお待ちしています。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudositen18/kyoudositen18.htm

お隣佐倉市からも、明日以降の行事予定が届きました。
以下は、佐倉市教育委員会文化課からの情報です。

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「11月18日(土)
 講演会「旧佐倉藩主が建てた明治の邸宅」
  濱島正士氏(別府大学教授)
  佐倉市立美術館4階ホール 13:30〜
  電話申し込み043−484−6294
  まだ空席があります。

 12月2日(土)
 本佐倉城跡見学会
  10:00〜、13:30〜

 12月9日(土)
 井野長割遺跡見学会(井野小学校内発掘現場公開、史跡見学)
  11:00〜15:00
井野長割遺跡は、12月1日から2週間の予定で発掘調査を行います。
 縄文時代の「道」の方向と大型柱穴の配置を把握したい」とのことです。

  ----------------------------------------------

 12月9日(土)は13時30分から 川尻秋生氏(早稲田大学大学院助教授)の講演会 「古代印旛郡は誰が造ったのか」が印西市の「サザンプラザ」でありますが、車なら井野長割遺跡に寄ってからハシゴしても間にあいそうですね。



3159. お知らせ 柏・HOK  2006/11/13 (月) 22:36
 みなさま、こんばんは。

 やっとのことで、「房総の古墳を歩く/改訂版」を発行することができました。
 旧版から、僅かなところではありますが、幾つか増えているところもありますので、『改訂・増補版』とお考えいただければ幸いです。 また、ご専門の方々の手により、古墳の編年表も見直しがされております(個人的には、「劇的な見直!」と思えるところもあります)ので、ご関心を持っていただけるようであれば、是非ともお手に取ってみてください。

 なかなか(すぐには)、「その辺で、容易に目にすることができる」ようにはならないと思いますので、お手数ですが、町立博までお運びいただくか、お問合せをいただくのがよろしいかと思います。
 URL:http://www.haniwakan.com/

 よろしくお願いいたします。


 さわらびさま、お言葉に甘えてBBSをお借りいたしました。 たいへんにありがとうございました。



3114. 嶋戸東遺跡と、武射寺(真行寺廃寺)から伝わる法灯 さわらびY(ゆみ)  2006/11/03 (金) 00:25
先週土曜日(10/28)は、山武市成東の嶋戸東遺跡の現地説明会へ行ってきました。
一昨年の暮れ、真行寺廃寺跡や経僧塚古墳を探しに行った際、郡衙遺跡とはどんな遺跡か、見てみたかったのですが、何の手がかりもない冬枯れの畑を通り過ぎてしまい、残念に思っていただけに、今回の現地説明会では興味深く拝見できました。

遺跡とその周辺の風景画像をHPにアップしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/06.10.28musagunga/musagunga1.htm

いずれこの遺跡も、国や県の史跡になることでしょうが、何年にもわたる学術調査というのも、緊急発掘と違って、謎ときに挑戦するような面白さがあり、今後の調査にも期待しています。

現地説明会の参加されていたKさんという郷土史に詳しい地元の方に、「真行寺廃寺にゆかりのある寺はないでのしょうか」とお聞きしたら、以前、三百戸ぐらいの檀家を持っていた珍宝山真福寺があって、弘安年間まで栄えていたとのこと。
そういえば、以前千葉美術館の特別展や成東の歴史民俗資料館に陳列されていた鎌倉時代の善光寺式阿弥陀三尊は、廃寺跡に隣接する日吉神社に保管される以前、この真福寺に伝わるご本尊であったのかと思い出し、武射寺=真行寺〜真福寺へ、古代〜中世に伝わる法灯を感慨深く感じました。
また成東には、行基さんも来たという伝承を持つ「ゴザフネ」という字名があり、古代〜中世は成東沼から境川・作田川への水運と津の存在をしのばせるお話もお聞きしました。

明日からの連休は、4日の茨城県勝田での「古代常陸国シンポジウム―風土記・国府・郡家―」へ行くに際して、3日は虎塚や台渡里廃寺跡など茨城の史跡をまわってこようかと思っています。



3104. 嶋戸東遺跡の現地説明会 さわらびT  2006/10/31 (火) 22:22
先週の土曜日(28日)、嶋戸東遺跡の現地説明会があることを知りましたので山武市に向かいました。遺跡のある旧成東町ですが、このHPでもたびたび話題にしてきました駄ノ塚古墳のある板附古墳群があり、古墳から寺院への時代の移り変わりがよくわかる地域だと思います。予定より、早めに着いたので山武市歴史民俗資料館にも立ち寄りました。伊藤左千夫の生家に隣接しており、資料館の展示も伊藤左千夫関係資料の方が目立ちます。企画展「左千夫の同人・門人」が開催中で、画家・書家である中村不折(書道博物館創設者、同館で現在、不折コレクション「広開土王碑」開催中ですね)、蕨真(.木材業、伊藤左千夫の活動を財政面でも支えたことで知られます)らが紹介されていました。最近、文学にも少し関心があるので、興味深く拝見しました。

嶋戸東遺跡の第9次調査では、掘立柱建物群が見つかっていて、官舎の遺構のようですが、残念ながら今回の調査では後期政庁跡は見つからなかったようです。調査期間中でなければ遺跡の所在地はわかりにくいものですから、現地を初めて見ることが出きて感激しました。2年程前に「嶋戸東遺跡成果発表会」に行ったことも思い出しました。(掲示板1835参照) 

帰り道、八街郷土博物館に、ちょうど閉館30分前に通りかかることが出来ましたので、あわただしかったのですが寄ってきました。T花さんからご紹介いただいているように「太古の八街−八街はむかし海だった−」と題する企画展が開催中(12月10日まで、入場無料)で、松山2号墳の石棺石材・チョコレート色貝化石などを見ることができました。



3073. 講演会のご案内 さわらびT  2006/10/24 (火) 22:42
ご案内をいただきましたのでお知らせします。

東アジアの古代文化を考える会
講演会のご案内
日本書紀シリーズ 第1回
『日本書紀の紀年論
―初期ヤマト王権解明のための方法論―』
日 時 11月18日(土) 13時半開演
場 所 豊島区生活産業プラザ
   (池袋駅徒歩5分)
定 員 80名(予約不要、開場後先着順)
講 師 小林敏男氏(大東文化大学教授)
資料代 会員1300円、一般1500円
【講師の言葉】
日本書紀については、初期の天皇群(応神・仁徳以前)は長寿で在位年数が長い天皇が多い。従って、書紀の編年史において、雄略以前は客観的な年代を特定できず、四、五世紀(初期ヤマト王権)の歴史像を描くのを困難にしている。例えば、崇神天皇は一体いつ頃の人物なのか、確定できないのである。
 本講演会では、そうした延長された紀年をどう修正して客観的な時代の定点を確定できるか、崩年干支(古事記)を中心に考えてみたい。
照会先  090-9835-1857  稲垣

【今後のご案内】
「日本書紀の編纂事業と渡来人」
日 時 12月16日(土)13時半開演
場 所 杉並区産業商工会館
講 師 加藤謙吉氏(成城大学講師)
「『日本書紀』と即位儀礼」
日 時 1月27日(土)13時半開演
場 所 豊島区生活産業プラザ
講 師 熊谷公男氏(東北学院大学教授)



3063. 三たび、龍の爪の本数のお話し さわらびY(ゆみ)  2006/10/21 (土) 21:47
第3回馬場小室山遺跡市民フォーラムのルポ、画像の欲張って数多く入れようとして、制作に手間取り、やっとアップにこぎつけましたが、根を詰めすぎてへとへとになりました。

フォーラムで面白かったのは、宮田正治さんの見沼の龍のお話しでしたね。
特に絵語りの前の「龍とはどういうものか」という講演は、その考古学的なルーツのなぞから、古代から現代、中国・朝鮮の宝物から地元の産土神社の彫刻までの身近な東洋史や民俗信仰史を探るようで興味深い内容でした。

そういえば、龍の爪の本数をめぐって、この掲示板で熱い論議がありましたね。
過去ログのNo.291〜299
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/BBS/BBS.201-300.html
そして、三燕の帯金具の龍紋をめぐり藤井先生参入で論議が再燃したNo.1538〜1566
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/BBS/BBS.1501-1600.htm

フォーラムでお聞きした宮田正治さんのお話しでは「竜の爪の数は、中国皇帝の竜は5本、地方の王、たとえば朝鮮や沖縄では4本、日本では3本」とか。
中華思想による序列で、琉球・朝鮮の下に日本が位置付けられるは明のころなのでしょうか、それとも古代古墳時代までさかのぼるのか、時代をお聞きするのを忘れてしまいました。

今晩NHKの「琉球王国 栄華への夢〜 沖縄・グスクと関連遺産〜」の放送を見ました。
(斎場御嶽の映像はすばらしかったですね。)
なんとなく玉座の龍に目がいきました。その爪の本数は、4本! なるほどねえ。



2976. 古代印波シンポジウム(来年です) さわらびT  2006/10/08 (日) 19:28
昨日(7日)と今日(8日)開催されました「文字瓦国際シンポジウム−龍角寺を中心として−」を聴講するために明治大学に出向きました。明治大学古代学研究所が悉皆調査をされている栄町の五斗蒔瓦窯遺跡出土の文字瓦の展示もありました。瓦に文字を記した行為が意味するものは何か、記名が瓦屋に依頼した集団の識別であり、瓦の貢納への費用負担を考える山路説などに興味を抱かされました。質問者のお一人の佐藤信先生が、寺院出土の瓦でなく、いわば廃棄された瓦で論じることの妥当性などを問われていたのも印象に残っています。

予稿集に挟み込まれていたチラシの中に、八千代栗谷遺跡研究会にとりましても関心を持つシンポジウムの案内がありました。まだずいぶん先のことですけれど、皆さん、今からご予定ください。

*****************************
文部科学省学術フロンティア推進事業
明治大学古代学研究所公開研究会
古代印波シンポジウム

日時:2007年1月13日(土)9時〜16時
場所:明治大学駿河台校舎リバティタワー

「古墳からみた印波」 白井久美子(千葉県生涯学習財団)
「埴輪からみた印波」 犬木務(大坂大谷大学)
「集落からみた印波」 小牧美知枝(印旛郡市文化財センター)
「印波国造と評の成立」大川原竜一(明治大学大学院)
「印波のミヤケ」   山路直充(市立市川考古博物館)
「ミブ部と東国」   川尻秋生(早稲田大学)
「房総からみたヤマト王権」吉村武彦(明治大学)

司会:川尻秋生(早稲田大学)佐々木憲一(明治大学)山路直充(市立市川考古博物館)
申込不要 入場無料
*****************************




2892. Re: 講演会・企画展示情報です T花  2006/10/04 (水) 23:54
川尻先生の講演会の日程が変更になりましたので、ご連絡します。ご注意ください。

日時 12月9日(土) 13時30分から
※会場の変更はありません。



2842. Re^3: 大生氏について さわらびT  2006/09/27 (水) 22:17
「大生」(おおばえ)様、ご返信ありがとうございます。
成田市には「大生」(おおう)という地名があるようです。

10月3日(火)から始まる企画展『流す祈り・込める願い』の関連講演会(講師:田形孝一氏)がありましたので、24日(日)、房総風土記の丘に行ってきました。田形氏は展示予定の九州国立博物館蔵の「針聞書」などをご紹介されながら、水辺の祭祀にまつわる知見をお話くださいました。ちょうど「房総発掘ものがたり」開催中で、西根遺跡出土の人形や墨書土器などの展示も見てきました。私どもは、近隣といってもよいところですが東京の方には房総のむらは、ちょっと遠いかもしれません。講演会のあと、せっかくですから浅間山古墳→龍角寺を散策してきました。
途中に縄文遺跡があることを、ご一緒したSさんが見つけました。土器を採取したのですが、さすが、馬場小室山遺跡で土器を見慣れているSさんだと思いました。

「大生」さんからご返信いただいたので、思い返していますが、このHPで数年前に「大生部」氏について議論していたことがありました。龍角寺古墳群および龍角寺を造営した氏族として「大生部直」氏を想定する、川尻秋生説のご紹介をしたかと思います。川尻説は、平城宮二条大路木簡「左兵衛下総国埴生郡大生直野上養布十段」の考察から論じられたきわめて刺激的な問題提起でした。

というわけで、先日T花さんがご紹介くださった川尻先生の「古代印旛郡は誰が造ったのか」(12月17日)という講演会は楽しみです。
また、やはりT花さんからご紹介していただいています10月7日〜8日の文字瓦国際シンポジウム「龍角寺を中心として」、これも聞き逃せないですね。



2838. Re^2: 大生氏について 大学一年 匿名希望  2006/09/26 (火) 15:07
> はじめまして。
>
> 「大生」という姓とのことですが、何とお読みするのでしょう。
> 「おお」なら、「多」氏ですね。『古事記』の編者で有名な太安麻呂も一族の一人ですからかなり由緒のある名ということになりますね。この掲示板で以前、問題にしたのは、壬生(みぶ)氏との関連だったかと思います。「大生」を「大壬生部」と関連付ける考え方を、紹介したかと思います。名前の由来を考えるのは確かに面白いです。

返事かなり遅れて大変申し訳ございません。私はこの漢字で「おおばえ」と読みます。めずらしい読み方です。



2828. シンポジウム情報 T花  2006/09/23 (土) 09:06
印旛地域に関連するシンポジウムの情報が入りましたので、お伝えします。

文字瓦国際シンポジウム−龍角寺を中心として−

1 日程 平成18年10月7日(土)・8日(日)

2 場所 明治大学駿河台校舎リバティータワー
     7日:地下1階1001教室
     8日:2階1021教室

3申込み不要・入場無料

4プログラム
 (1)10月7日(土) 13:00〜17:40
  @「龍角寺の文字瓦1(瓦の製作)」 清地良太氏(駒澤大学大学院)
  A「龍角寺の文字瓦2(文字の記名)」 中村友一氏(明治大学大学院)
  B「龍角寺創建期の瓦生産」 山路直充氏(市川考古博物館)
  C「7世紀畿内地域の文字瓦」 志賀 崇氏(京都大学大学院)
  D「古代東国における手工業生産」 荒井秀規氏(藤沢市教育委員会)

 (2)10月8日(日) 10:00〜17:00
  @「古代日本語の文字表記」 犬飼 隆氏(愛知県立大学)
  A「古代日本の窯業生産」 菱田哲郎氏(京都府立大学)
  B「韓国古代におえる文字使用の様相」 山本孝文氏(韓国高麗大学)
  C「韓国の文字瓦−百済の文字瓦を中心に−」 沈 相六氏(韓国扶余国立文化財研究所)
  Dシンポジウム 
   司会 川尻秋夫氏(早稲田大学)、山路直充氏(市川考古博物館)

5 主催 科学研究費研究プロジェクト「文字瓦・墨書土器のデータベース構築と地域社会の研究」(研究代表者 吉村武彦氏)
  共催 明治大学子大学研究所
 



2823. 講演会・企画展示情報です T花  2006/09/21 (木) 01:59
印西市教育委員会の方より以下の講演会情報をいただきましたので、ご報告します。

1 11月19日(日)午前10時開会
 @演題 「“万葉集”に登場する古代東国の歌人たち」
 A講師 遠藤和夫氏(国学院大学教授)

2 12月17日(日)開会時間未定(詳細は後日報告します)
 @演題 「古代印旛郡は誰が造ったのか」 
 A講師 川尻秋生氏(早稲田大学大学院助教授)

※1 会場 いずれも「サザンプラザ」(住所:印西市原山3−3、北総鉄道千葉ニュータウン中央駅から徒歩又は千葉レインボーバス。原山中学校・内野ショッピングセンターそば。場所はサザンプラザのHPで確認してください。「サザンプラザ」の検索でヒットします。)
※2 主催 けやきカルチャー倶楽部(この2つの講演会は公開講座のため参加自由、申込み不要。)
※3 参加費 500円(高校生・大学生300円)

他に八街市郷土史料館で以下の企画展示が開催されます。貝化石を使った古墳の石室・石棺等の展示も、少数ですがあるそうです。

1 名称 「太古の八街」
2 会期 10月11日(水)〜12月10日(日) 9時〜17時
3 会場 八街市郷土史料館(八街市図書館・中央公民館そば、JR八街駅徒歩20分)
4 主な展示品 印西市木下貝層の貝化石、酒々井町上岩橋貝層の鯨骨、印旛村・八街市貝層出土貝化石各種。
5 問合せ 043−443−1726



2802. 折り紙  さわらびY(ゆみ)  2006/09/16 (土) 09:39
 先日、母の家を訪ねたら、珍しく折鶴を手にしていていました。
 母は、針仕事は得意でしたが、幼い頃に折り紙で遊んだことがなく、特に折鶴は苦手でした。
 聞けば、敬老の日などのデイケアで、折り紙をさせられるらしく、練習していたとのこと。
 傍らの箱に、工程順に途中まで折った八つの折鶴が箱に入ってあり、ひとつずつ順に番号がついています。今は亡き息子が「おばあちゃん、この順に折ればできるよ」といって母のために作ってくれた「大切な形見」で、もうあの悲しいできごとから半年が過ぎようとしていることにしばし思いをめぐらしながら、母の折り紙の練習につきあいました。

 私は、よく長崎や広島の平和集会に友人たちがもっていく千羽鶴にお付き合いすることがあるので、鶴を折ることは「手が覚える」ようでそんなに難しいこととは思わなかったのですが、教えながら順をおって作ってみると、伝承遊びとしてはかなり高度な技術であることに気づかされます。

 母の鶴が完成してから、その辺にあった反故紙で手早く箱を折って見せてあげました。
 紙箱折りは、私が保健所に勤め始めたころ看護婦さんから教えてもらった「技術」で、酒精綿や綿棒などの汚物を衛生的に捨てるための必需品でした。(考古学の現場でも細かい遺物を仕分けるため使っているらしいのですが、折り方には少々違いもあるようです。)
 母も広告紙で作ってみて、「これは簡単で実用的」と喜んでくれ、久々に親孝行をしながらおだやかな時間を過ごしました。

 さて今日から三連休、いっぱいつまったスケジュールをどう調整しようか悩んでいます。



2754. 『図説 茨城の城郭』出版おめでとう さわらびY(ゆみ)  2006/08/24 (木) 23:55
ひづめさま

『図説 茨城の城郭』出版おめでとう
「美浦村お散歩団」TOPページでも、時々おじゃまする「余湖くんのホームページ」でも、発刊までのご苦労の過程を拝見していました。
http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/index.html
http://homepage3.nifty.com/yogokun/ibajou.htm

お城の図録は、縄張図がすごいですね。

先日は、短い休み時間、いろいろな方々とお話ししたり、鳥名木家文書の特別展示を見たりで忙しく、見本においてあった『図説 茨城の城郭』もゆっくり見ていられなかったのですが、そのうち佐倉の歴博の売店に並んだら、購入したいと思っています。

昨年は、陸平貝塚や、小田城跡、平沢官衙遺跡など訪ねました。
小田城跡など、『図説 茨城の城郭』でぜひ拝見したいですね。

>  茨城県南部と千葉県北部は常総の内海としては一つの文化圏でした。

私もこのテーマを追っていこうと思いますので、今後ともよろしくね。



2753. Re: ニアミスでしたか ひづめ  2006/08/24 (木) 18:28
さわらびY(ゆみ)さん、お久しぶりです。

 茨城県立歴史館のシンポジウム「中世東国における内海世界― 霞ヶ浦周辺の新しい歴史像を描く―」に行かれていたのですか。実は私もお城仲間といっしょに聴講しに行きました。ニアミスですがお会いし損ないましたね。

 私は仕事の休日の関係上、土日の催しには参加不可能なのですが、今回は意を決して休暇を取り水戸へ行きました。自分が霞ヶ浦湖岸に住まいすることもあり、どの話も興味深く、一度も睡魔に襲われることがなかったというのも驚異的でした。

 最近は掲示板などへもご無沙汰していたというは、すでにお聞き及びかもしれませんが、茨城県内の城郭を多数縄張図入りで紹介した『図説 茨城の城郭』という本をお城仲間と共同で作成し、この8月上旬に国書刊行会から出版したばかりで、この1年間その作業に終われていたためなのです。シンポジウムの会場でも出版社の方がサンプルを展示していましたが、ご覧頂けたでしょうか。今回、意を決して休暇を取ってシンポへ行ったというのも、内山先生、市村先生方にお世話になったお礼をする目的もあったのでした。

 茨城県南部と千葉県北部は常総の内海としては一つの文化圏でした。ぜひこの機会に、茨城の城郭を通して歴史を記述した『図説 茨城の城郭』も参考書の中に加えていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

ひづめ@美浦村お散歩団



2750. 「中世東国における内海世界」シンポの感想1 さわらびY(ゆみ)  2006/08/21 (月) 00:52
「中世東国における内海世界― 霞ヶ浦周辺の新しい歴史像を描く―」は、(やちくりけんの慰労会だった前夜の二日酔いの頭痛をこらえ、朝起きして、いっぱい交通費をかけて)水戸まで行った甲斐がありました。

内容は下記の通り
基調講演 
 市村高男「内海論から見た中世の東国」
報告
 内山俊身「古河公方領国における流通―馬・船・商人―」
 桃崎祐輔「中世霞ヶ浦をめぐる宗教世界―律宗の布教活動を中心に―」
 高橋修「常陸・下総の武士勢力と交流」
 小野正敏「発掘された中世城館から見る常陸」
討論 司会 糸賀茂男 飛田英世
総括 糸賀茂男「今後の中世の霞ヶ浦周辺をめぐる課題について」

市村・内山氏の「内海」の定義として、「武総の内海」と「常総の内海」、その二つの内海を繋ぐ「繋ぎの地域」の呼称と概念はわかりやすく、理解しやすかったですね。

ただ私としては、平成5年の千葉県中央博の特別展のキャッチコピー「香取の海」も好きなんです。この企画展の図録の古代史の川尻さん中世史の木村さんの解説がとても新鮮で、この呼称を特に気に入って使っていました。
古代〜近世初頭の「香取の海」、中世後期〜近世末の「江戸湾」は、歴史的なロマンが漂う呼称でお気に入りなのですが、考古学では、もっと地形に沿った「古鬼怒湾」×「古東京湾」が一般的な名称のようですね。

その間の(東遷前の)利根川水系と鬼怒・小貝川水系流域を「繋ぎの地域」として見ると、この地域の古河公方の存在や船や馬を駆使した交易の姿が、鮮明に見えてくるというのが、今回のシンポジウムの提起した主旨のひとつでした。



2749. 「中世東国における内海世界」シンポの感想2 さわらびY(ゆみ)  2006/08/21 (月) 00:50
久々にお聞きする桃崎氏の報告も今回の楽しみでした。
土浦市での特別展とシンポジウム「中世の霞ヶ浦と律宗」で、桃崎氏を含む当時の「無名の研究者」がこの分野の研究を拓いていったのが1997年。私が買ったこの図録(難解な文章で一般向きではない)は、くり返し開いてすぐにぼろぼろになりました。

今回の報告は、一般市民も対象にしていたので、難しい内容には触れていませんでしたが、レジュメの最後のほうに、霞ヶ浦沿岸の律宗が、14世紀以降、念仏禅の影響で臨済禅に変わっていくことや、般若寺などでは、民衆の現世利益祈願の場に変貌していくことなどが列記されています。
また、墓制も15世紀以降火葬造塔が後退し、中小居館の周囲に地下式壙(淵源は元・明の禅林)と土壙墓から校正される墓地が形成されるとのこと。

今は、九州の福岡大学へいらした桃崎先生、少しやせられましたが、お元気でご活躍の様子。またの機会があれば、この辺のお話をお聞きしたいですね。



2748. お盆も終わりなのに暑いですね さわらびY(ゆみ)  2006/08/20 (日) 01:02
世の中、お盆休みも終わりというのに、毎日暑いですね。

8月15日は、首相の靖国参拝で騒然としていたようですが、カトリックでは、敗戦のこの日は平和祈願旬間の最終日、そして聖母被昇天の祝日。
母を連れて教会での夜のミサで、故人のためにも祈り、ミサ後は心づくしの納涼の夕べを楽しませていただきました。

歴史的には聖母が生涯を終えた日について聖書にも何の記述もないのですが、古来から聖母を賛美するこの日は、世界的な夏の年中行事の日でもあるようです。
そしてこの日が日本のお盆と重なるのも不思議ですね。

8月15日の前日〜前々日はペルセウス座流星群の極大日で、1年で最も流れ星が多い時期とか。(Wikipedia)
人の魂を星にたとえて亡き人を思う民俗信仰のお盆の時期としても、また聖母が身も心も天に上げられたという信仰の日としても、この星とゆかりの深いこの時期がふさわしかったのかもしれません。
そして第二次世界大戦終結の日に選ばれたのも、偶然とはいえない気がするのですが・・?

17日(木)は、市博物館の民俗調査の取材に誘われて、地元のお寺の施餓鬼会に行ってきました。
じっとしていても汗の吹き出る猛暑の中、心を込めて法会を行う僧侶と参列の檀家さんの姿に、ただただ感心しました。(⇒歳時記にUP)

18日夜は、7月1日市民講演会『八千代は弥生文化の交差点』の反省会&慰労会。
そして19日は、早朝から水戸の茨城県立歴史館まで出かけ、シンポジウム「中世東国における内海世界― 霞ヶ浦周辺の新しい歴史像を描く―」を拝聴してきました。(感想はまた後日に)
お声をかけてくださったり、帰りは車で駅まで送っていただいたり、久しぶりにお会いした方々に、感謝です。



2747. Re: 戦争と平和を語る:大塚初重先生からお手紙 さわらびY(ゆみ)  2006/08/16 (水) 10:16
Fさんからのメールで、大塚先生の記事掲載の産経新聞をさっそく入手し、感想をこの掲示板に書きましたが、その翌々日(15日)大塚先生から、掲載紙のコピーとともに13日付けのお手紙をいただきました。

「謹啓 暑中お見舞い申し上げます。
今春 産経新聞のインタビューを受けておりましたが、
本日(8月13日)記事になりましたので、掲載紙を同封しました。
ご一覧いただければ幸いです。
残暑きびしい折、御身ご自愛ください。
             敬白
2006年8月13日       大塚初重」

追伸に
「今頃、こんな記事をと思われるでしょうね。
最近の若者が、戦争というものを全く理解していないことなどを、メディアは心配しているのでしょうか。大塚」
と走り書きしてありました。

忙しい中、多くの皆さんに読んでいただこうと、一枚一枚封書で投函されておられる大塚先生の切羽詰った熱い思いが伝わってきます。
お読みになりたい方は、管理人までメールにてお知らせください。(新聞社に著作権があり、記事全文をHPに掲載できませんので)



2744. 戦争と平和と亡き人々を思う季節に さわらびY(ゆみ)  2006/08/14 (月) 20:28
No.2739の大塚初重先生が戦争を、「蜘蛛の糸」そして「1本の羊羹」の経験を慙愧の念をもって語るとき、本当の意味での平和とはなにか、人が生きるとはどういうことか、深く教えられるものがありました。

本掲示板No.2741〜2742に載せた「野坂昭如の『平和』」は、昨年春、元気だった息子が書込みをしていた文学系の掲示板の記事からの転載です。
この掲示板からは、すでにTが “さわらびTブログ”に「日本近代文学」(3月31日)、「『8月の果て』の読み方」(4月14日)と題して転載していますが、最も息子らしい心情を吐露した作品ではないかと思っています。

平和を語るときの視点を、息子は、野坂の「平和」=「完全なる弱者たる状態」に見出そうとしています。
報復の連鎖が現実の戦争の姿であるとき、平和は「完全なる弱者」の視点での絶対的な無抵抗に拠らなければ、逆に実現し得ないのでしょうか。
この難解な問いに、「憲法9条」は六十余年にわたり、私たちにそして人類にその答えを指し示してきたように思えるのですが・・・
息子の文章も「果たして生きている間にそんな悟りに達することは可能なのか? 」と自問して終わっています。

戦争と平和、そして亡き人々に心を馳せる季節にしばし考えたいと思います。

なお、フォトアルバム「君たちのうみ 友たちとのうみ」を先日アップしました。
チーフとして仲間の一員としてともに活動していた息子の追悼のセレモニーを、大海原を望む浜辺で行ってくださった皆様方への感謝のエールです。



2742. 転載:野坂昭如の「平和」(1) さわらびY(ゆみ)  2006/08/14 (月) 20:20
さる文学系の掲示板に昨春載せていた息子の投稿文を転載します。字数制限のため、(1)(2)に分けます。

題名:野坂昭如の「平和」

今さらながら、野坂昭如の「火垂るの墓」を読んでみました。
「火垂るの墓」といえば私の同世代の人たちが宮崎駿監督のアニメでしょう。そして今の子供達にとっての「もののけ姫」「ハウルの動く城」が、我々が小さかった頃には「となりのトトロ」「魔女の宅急便」、そしてこの「火垂るの墓」(1988年公開)であった、と言えるのではないでしょうか。しかしよくよく考えてみると、「トトロ」や「魔女」と同等に、おなじ時代の宮崎アニメとして「火垂るの墓」を観ている、というのは凄くないか!?と私は常々思うのです。だって「トトロ」や「魔女」はほのぼのとしたファンタジー、一方「火垂るの墓」は……わたしはビデオで観た記憶があるのみで、当時何歳だったのかは分かりませんが、幼気な少年の時分の私(苦笑)にとってこの映画は非常に衝撃的でした。
わけても、焼夷弾で焼かれた主人公の兄妹の母が紺のもんぺに上半身を血のにじむ包帯でぐるぐる巻きにされシー、シーと呻き声をあげているあのシーン。CG技術の発達した今日でも、これまで見てきた映像のなかで一番怖い映像は何かと聞かれれば私は真っ先にそれと答えます、聞かれたことはないけれども。
というわけで私にとっての一種のトラウマたるアニメ「火垂るの墓」の原作に、敢えて挑んでみましたが……小説もアニメと全く同じ印象でした、だからまたヒドいショックを享けたのだけれど……。



2741. 転載:野坂昭如の「平和」 (2) さわらびY(ゆみ)  2006/08/14 (月) 20:17
この小説、ページ数は文庫版で僅か35ページしかないのですが、そのなかに詰められた高密度の表現は、あの微に入り細を穿った、それでいてダイナミックな宮崎駿のアニメの動きそのものです。つまり野坂昭如の言語表現=宮崎駿の映像表現でありそれはとりもなおさず生まれた時代の土壌が近しいからなのでしょう。
というわけでおわりというのでは元も子もないのですが、唯一違いを感じたのは、「遺骨の美しさ」ということです。葬式には何度か行ったことがありますが、火葬場で焼いた死体の骨なんか骨壷に拾って何が楽しいんだ?と思う私ですが、「火垂るの墓」の母、兄、妹の三人の骨は読んでいてとても心地よい。なぜなら母の場合はその死体が非常に無惨であるからであり、兄妹の場合は、その死体が限りなく骨に近いからです。飢餓により衰弱し思い出の食べもののことしか口にしない妹と、その妹に何としても食べものをやろうと野荒しを試みるが、自分も食べていないためあえなくとっつかまえられる兄。そして死に向かって漸次衰弱してゆく二人……その完全なる弱者たる状態に私は野坂の「平和」をみます。
つまり野荒らしが成功しては彼らは「平和」でないのです、なぜなら強さは平和の敵であるから。キリストやガンジーが叫ぶ「平和」に説得力があるのは、断食で彼ら自身が衰弱しすぎて、かれらが死者に限りなく近いからでしょう。とすると「平和」とは「幸福」を意味しないのか?ということになりますがそのためには死者に限りなく漸進していく過程に「幸福」をかんじる外は無い。果たして生きている間にそんな悟りに達することは可能なのか?



2739. 戦争と平和を語る:「蜘蛛の糸」 さわらびY(ゆみ)  2006/08/13 (日) 23:22
朝一番にいただいたメールに「今朝の産經新聞に大塚先生の記事が掲載されています。人語り『真実はここにある』と言う表題です。」とあり、さっそく駅で購入し、読ませていただきました。
 大塚先生は、太平洋戦争中、乗っていた海軍の船が撃沈され、奇跡的に生還すること二度の経験から、「神話を真実と教えるような教育をしているから、日本は道を間違えたのではないか。それなら白墨の粉を浴びながら、子供に正しい古代史を教えたい。」との決意が、考古学への進路を決めさせたと語られています。
 八千代でお話ししていただいたときもそうであったように、今も誠実にかくしゃくとして私たちを指導くださる大塚先生の考古学人生の原点として、いつも心打たれるくだりです。

 八月に入り、炎天下に蝉の声を聞く頃、死者たちを思いだす季節は同時に、私たちに戦争と平和について考えさせるときでもあります。
 六年前の2000年8月訪ねた長崎の原爆忌、その翌年の千鳥が淵での平和祈願祭ミサと光の行列など、教会での祈りの行事も、暑さの中で深く心に刻まれる思い出があります。
 思い出されるのは、1981年の教皇ヨハネ・パウロ2世の広島での「平和アピール」の言葉 「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。」そして「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。」

 「人間のしわざ」をどれだけ語れるか、文字として残せるか、それは重い課題です。

 今日の産経新聞の記事から大塚先生の言葉を伝えます。
 撃沈された船の中から、はい上がろうと頭上のワイヤに飛びつき、後から追いすがった男たちを振りほどきながら、「狂っていました。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』と同じ。何とか助かろうと心を鬼にしてやった殺人行為です。忘れようにも、忘れられません。」
 そして、轟沈する船、闇夜の海で、生存者の一人がよこした一本の羊羹。脱出間際に倉庫から盗んだこの羊羹をほう張り、「生きてやる」と思ったと、記事は伝えています。

 「人間のしわざの戦争」を「自分のしわざ」を含めて語る勇気、そして今もその重荷に生きている大塚先生の言葉をかみしめたいと思います。



2736. 「最後のナイチンゲール」 さわらびT  2006/08/11 (金) 22:09
22日(火)に「最後のナイチンゲール」というドラマが放映されるそうですが、その主題歌が本田美奈子.さんの、「アメイジング・グレイス」になるとのことです。

沖縄戦にかり出された少女看護隊をテーマにしているとのこと、つい泣かされてしまうので、こういったドラマはあまり見ないようにしているのですが、主題歌にひかれて見ることになるかも・・・・



2731. Amazing grace! しんちゃんママ  2006/07/31 (月) 17:02
こんにちは!
偶然、私も本田美奈子さんの追悼番組を見ました。
いつ聴いても本田美奈子さんの「Amazing grace! 」は心が癒されますね。だから、南野陽子さんと早見優さんの涙を見て、私もこみ上げてくるものがありました。
そして、さわらびY(ゆみ)様の「昨秋、このCDが聴きたいと息子に言ったら、レンタルしてきてくれました。」のコメントが同じ母親として、胸に突きささりました。(合掌)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◎「御宿町の浅間神社での七つ子参り」、地域に密着した行事のようで興味深く拝見しました。お神酒を飲むお子さんたちの表情はほほえましいですね。

◎涼しくなったら、さわらびY様のブログを参考に「血流地蔵尊の道標」を見に行こうと考えております。(石造物が大好きなので・・)

またいろいろご教授ください。




2726. Re: 稲毛浅間神社祭礼&「Amazing grace! 」 さわらびY(ゆみ)  2006/07/30 (日) 00:01
しんちゃんママさま
メッセージをありがとう。稲毛浅間神社の祭礼へいらしたのですね。
いつもはひっそりしている境内もお祭りのときは、すごい賑わいのようですね。
今は稲毛や幕張も海がはるか遠くへ行ってしまい、浜辺での禊のイメージもすっかりなくなったなかで、国道14号の向こう側のお蕎麦屋さんの店先に残る岩だけが、かろうじて海と一体だったかつての信仰の名残りを伝えています。
三山の七年祭の幕張の浜での深夜の磯出式も、現代はマンションとファミレスに囲まれた14号沿いの公園に竹矢来をめぐらし、たらいに潮水を汲んできて行っているとのこと。(現代はカミさまもたいへんそう。)

そんな中で、HPのリンク仲間の「川柳と旅と写真のホームページ」の高橋さんの新作をご紹介。「御宿町の浅間神社での七つ子参り」のレポートです。
http://homepage3.nifty.com/takakei3/nanatugo.html

最近は、馬場小室山のフォーラムや八千代でのシンポジウムの主催にかかわったり、息子の急逝などで、祭礼のルポから足が遠のいていますが、民俗行事の研究にはもう意味がわからなくなった儀礼や芸能のしぐさなどに、遠い祖先の信仰と風習が見えてくる面白さが、あるので、すこしゆっくりした時間が得られれば、また身近な祭礼などを追っかけてみたいと思っています(今はただ願望かな?)

そういえば、息子の4ヶ月目の月命日の26日夜、TVで、本田美奈子の追悼番組を見てしまいました。流れてくる「アメィジング・グレイス」の透きとおった声。
昨秋、彼女の死を悼んでこの曲が流れている時、このCDが聴きたいと息子に言ったら、レンタルしてきてくれました。
もうすっかり忘れていたのですが、PCにとってあったこの曲を聴きながら、若くしてなくなった息子と本田美奈子のことを静かに思っています。

Amazing grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now am found;
Was blind, but now I see.



2723. 稲毛浅間神社祭礼 しんちゃんママ  2006/07/27 (木) 10:31
こんにちは!
アクセス100000、すごいですね。

15日にさわらびY(ゆみ)様のコメントで興味を持った
「稲毛浅間神社・祭礼」に行ってきました。
本殿でお参りしたあと、歩道橋の下の横断歩道を渡り、
一の鳥居まで行きました。
神官さんが「よくここまで来られました。」とおっしゃり、
「昔はあそこまでが海で、舟を繋げて・・・・」などと、
いろいろお話を聞かせてくれました。
(さわらびY様情報がなければ、寄らずに帰っていました!)

おかげ様で、いい経験ができました。
これからもいろいろな情報をお願いいたします。

追伸
 清涼寺式仏像画像データにある実蔵院(佐倉市臼井)は実家の菩提寺で父も眠っております。阿弥陀如来坐像は小さい頃から本堂で拝見しているので、これも何かのご縁だと思っております。 



2721. アクセス100000に感謝して さわらびY(ゆみ)  2006/07/25 (火) 00:02
昨晩、TOPページのアクセスカウンターが99999に近づいているのに気づき、「100000の切番をGETしたかたは、お知らせください」とのメッセージをしておきました。
今朝見ると(お知らせはなかったのですが、)100000をすでに超していました。

このカウンターの数から暗算すると、最近は1日数十人の方々にご覧いただいているわけで、おそらくお会いしたことのない方もおられることでしょう。

中には検索でこのHPに来れた方もいらっしゃるかと思いますが、時たま、HPの画像を
印刷物に使わせていただきたいとのメールもいただきます。(TV番組というのも先週ありましたが・・)
先日は、地域の広報誌に佐倉市正光寺の薬師如来像の画像を載せたいとのことで、了解しましたところ、の地域の史跡散策のページでこのお寺の歴史を記事にされた社協だよりを送ってくださいました。読ませていただいて、あらためて詳しい正光寺の歴史に学ばさせていただき、本当にありがとうございました。

昨年は、中国語の教材に中国歴史博物館商代後期の「司母戊鼎」写真を載せたいとのことで、OKすると、写真とともにその由来や歴史的背景を詳しく説明したリーフレットをいただきました。

今後ともこういう出会いは大切にしていきたいと思っています。

残念なことは、以前のように掲示板への書込みが少なくなってきていることです。
それぞれの皆さんがブログなどを開かれたこともあるのでしょうが、どうぞ通りすがりでも、ご感想やご意見をいただければと思います。
(困るのは「○○について教えて」と書いてきて、調べてお返事してもそれっきりというたぶん?学生さん?)

アクセスカウンターをつけて5年半、これまで「さわらび通信」のお越しくださった皆様に管理人より感謝いたします。




2718. 発掘された日本列島2006 さわらびT   2006/07/22 (土) 22:54
「発掘された日本列島2006」、江戸博での展示は明日で最後なので、あわてて見に行きました。昨日、明治大学で平川先生のお話をうかがったことで、あらためて興味を持ったのが佐賀県唐津市の中原遺跡出土木簡です。拝見しましたが残念ながら、まったく文字は読めませんでした。

というわけで、図録を見ながら考えています。8号木簡ですが、字がうすいために平川先生が赤外線カメラを使って解読されたもののようですが、「甲斐国□戌□」の文字が手掛かりとなり、東国防人関連文書とされています。

木簡は長さ約27センチ、最大幅3・5センチ、中原遺跡の北側を東西を流れる自然流路で見つかったもの。延暦8(789)年の年号が見えることなどから、既に東国からの派遣が停止された時期に当たる奈良時代後半のものとされます。面白いのは、文書が二重になっていて、甲斐国出身の防人の名と、食料を支給したという内容が記されています。

名の記された人は九州沿岸を守るために、やってきてこの地に土着し、再び徴兵された防人ではないか、と考えられているのですが、故郷に帰らないで、この地にとどまる方がいいのはなぜ?

静岡県箱根田遺跡の墨書人面土器の展示もありますし、なかなか興味深いです。江戸博での展示は明日(23日)までです。



2709. 公開研究会『東北と四国の墨書土器』 さわらびT   2006/07/18 (火) 22:12
ご案内いただきましたのでお知らせいたします。

文部科学省 学術フロンティア推進事業
明治大学古代学研究所公開研究会
『東北と四国の墨書土器』
日時:7月29日(土) 13時〜17時30分
会場:明治大学駿河台校舎 研究棟2階 第9会議室
発表:「東北の墨書土器」 三上喜孝(山形大学)
   「四国の墨書土器」 松原弘宣(愛媛大学)     
   定員100名(先着順) 申し込み・資料代不要

問い合わせ:明治大学古代学研究所http://www.isc.meiji.ac.jp/~yoshimu/kodaigakukenkyujo.html
〒101-8301 千代田区神田駿河台1-1 明治大学文学部気付



2685. 馬場小室山遺跡研究会」第22回ワークショップ さわらびT   2006/07/09 (日) 15:48
直前のお知らせで申し訳ありませんが、「馬場小室山遺跡研究会」第22回ワークショップが開催されます。お問い合わせ、ならびに参加ご希望の方はメールにてご連絡ください。

日時:2006年7月16日(日) 午前10:30厳守
集合場所:小室神社入り口周辺
  【午前】馬場小室山遺跡の勇姿確認
  【午後】三室公民館にて今後の活動や勉強会

◎午前午後のいずれかでも大歓迎です。

午後から参加の方は、【三室公民館】に13時30分までにご集合ください。
会場:三室公民館 2F和室  さいたま市緑区三室1946-5
(和室は10時から予約済)phone:048-873-2594
三室公民館は東浦和駅より馬場折返場行きバスで「松ノ木」下車、北宿通りに向かって西へ徒歩10分(文殊寺の隣です!)。
テーマは、第3回「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」(10月15日)について
・パブリック・アーケオロジ推進についての自由討議
・馬場小室山遺跡入門講座
・日本考古学協会第72回総会発表内容の詳細版解説
 大宮台地における縄文時代晩期の集落解明にはどのような研究視点が必要か?
 <必携資料>(お持ちでない方には差し上げます)
○第2回「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」資料
○馬場小室山遺跡再生プロジェクト 研究成果公開報告書

初めての方でも楽しめます。多くの皆様のご参加をお待ちしています。



2683. 「馬場小室山遺跡」に励まされています さわらびT   2006/07/06 (木) 23:08
市民講演会と学術シンポジウムを同時期に実施した今回のイベントですが、なかば遊び気分での会話が勢いをつけてくれたものでした。
昨年夏、白井市の小森ひょうたん塚古墳見学を柱として手賀沼周辺の古墳めぐりを企画しました。調査を担当された白井市教育委員会の高花さんに同行をお願いしました。
大型前方後円墳が多く存在する畿内およびその周辺を思い浮かべる考古ファンの方々が多いと思われますが、私どもの地域では前方後方墳が顕著な時期がありました。そのような視野で、行なった古墳めぐりですが、ご参加いただいた皆様には好評でした。

その日の夕刻、懇親会の席で、話題になったのが「栗谷遺跡」でした。高花氏は、「臼井南式」土器の研究を行なっておられましたし、「栗谷遺跡」から出土した土器に注目されておられました。「栗谷遺跡」の発掘を担当された八千代市教育委員会の宮澤久史氏も、この日の企画に参加していただいていましたので「栗谷遺跡」をめぐるシンポジウムの企画には意気投合したものでした。もちろん、私ども夫婦も、協力することを決めました。

とはいえこの企画が、本当に実現することになったのは、地元の遺跡と向き合うことの大事さを、「馬場小室山遺跡」との付き合いで教えていただいたからでした。鈴木正博氏の奮闘に触発され、大いに励みになっていました。

東京成徳大学の構内に保存されている遺跡ですが、ともかく知っていただこうと考えました。破壊に直面しての、保存運動ではありませんが、遺跡の存在を知っていただきたかったからです。2日間のイベントだけでなく、継続的に遺跡と付き合っていきたいと思っています。皆様のご支援よろしくお願いいたします。



2679. 皆様、ありがとうございました さわらびT   2006/07/05 (水) 22:37
八千代市で、これだけの考古学のイベントが開催できたことは、私ども市民にとって、大変名誉なことでありました。実行委員の一人として、ご参加いただいた皆様方のご協力を感謝しております。

弥生時代後期の土器研究においては、今回パネラーとしてご参加いただいた熊野正也氏、鈴木正博氏の「臼井南式」の設定が重要な意義を持っていたことがよくわかりました。今回、高花氏がその研究の継承をされておられることも、ご理解いただけたかと思っています。

予稿集をお持ちの方は、ご覧いただきたいのですが、最終ページに、昨年12月から数度にわたり行なって参りました「土器見学会」の成果が多少なりとも反映されたかと存じております。2階会場に、土器を陳列できたのも、ご協力いただいた文化財行政に携わる方々のご協力の賜物です。

反省しなければならないこともいくつかあります。「栗谷遺跡」の重要性が十分に伝わらなかったのか、心配しております。予稿集の表紙に「栗谷式」の土器(A080号住居跡出土)を載せておりますが、印象に残ったでしょうか。「臼井南式」土器の本場=臼井南遺跡群・江原台遺跡と近接していながら、胴部に附加条縄文が施されない土器が、「栗谷遺跡」にあったのです。

限られた時間、資金力の制約もあって十分な行動はできませんでしたが、シンポジウムのテーマあります「印旛沼周辺の弥生土器」への関心を持っていただけたでしょうか。このテーマがかなり難解なことは、予稿集の斎藤瑞穂さんの論文によく表現されています。今回のシンポジウムでは、議論は十分に尽くされたのでしょうか。皆様のご意見をうかがいたいです。私どもアマチュアには、難しい論点ではありましたが、これからの研究に役立つことを期待しています。

市民講演会のタイトルを、「八千代は弥生文化の交差点」と名づけましたが、それは初日の発表者・田中裕さんが丁寧にお伝えいただき、大塚先生からもその問題提起の意味をご指摘いただきました。

「八千代栗谷遺跡研究会」の今後の歩みを、是非見守っていただきたいと思っております。ありがとうございました。



2676. 市民講演会&シンポジウムへのご尽力ありがとう さわらびY(ゆみ)  2006/07/04 (火) 00:22
皆様へ

市民講演会&シンポジウムへのご尽力・ご参加ありがとうございました。
特に、ご講演、ご登壇くださいました諸先生、汗を流してくださったスタッフの皆様、遠方からご参加の皆様には、本当に感謝いたします。

最後の常松幹事長の涙は、幹事一同の気持ちです。

まだまだ事後の事務処理など山積みですが、とりあえず、やちくりけんブログに速報を順次アップしますので、ご覧ください。
http://yatikurike.exblog.jp/i15

このページ、またブログのコメント欄にご感想をお寄せくださると幸いです。

また、「千葉市の遺跡を歩く会」の掲示板にも管理人さんが「速報写真をアップしてくださいました。
あわせてご紹介します。
http://www3.ezbbs.net/27/chibaiseki/

やちくりけんブログは、今後とも皆様との交流と研究会の内容の深化のためアップし続けますのでこれからもよろしくお願いします。




2670. 7月1日・2日はお気軽にご来場ください さわらびT   2006/06/29 (木) 20:17
いよいよシンポジウムの本番です。
今日の朝日新聞夕刊『会と催し』欄に掲載していただきました。
入場は無料なのですが、千円と書かれていました。資料(予稿集)をご希望の方には、実費(千円の予定)で頒布させていただきますので、このことを指しているのかと思います。150頁で、内容も充実していますので、ご興味のある方にはお勧めです。
皆様、どうぞお気軽にご来場ください。また、縄文のついた弥生土器の面白さをごらんいただき、縄文がどうやってつけられるのかを実際にご体験ください。



2669. Re: ご案内のセミナーへの参加 さわらびY(ゆみ)  2006/06/28 (水) 22:21
とみた樣

シンポジウム「印旛沼の周辺の弥生土器」にご興味を持っていただいてありがとうございます。

夜遅くまで準備作業(飲み会も?)続く毎日でお返事が遅れてごめんなさい。

今回のシンポジウム実行委員会の発起人で幹事の私も実は、弥生土器は素人です。でも、土器の実物に感動し、準備過程を含め、幅広い市民や学生さんと学ぶことに意義があると思っています。
そういう言う意味でとてもはげましになる書込みに感謝しています。

どちらかというと一日目が一般市民向けですが、二日目も印旛沼周辺の弥生土器に関しての研究史の足跡からスタートしますので、ご一緒に楽しめることと期待しています。

ではまた、シンポジウムでお会いしましょう。



2667. ご案内のセミナーへの参加 とみた  2006/06/26 (月) 21:43
ご案内の縄文セミナーを、初めて参加しました。

このセミナーは以前やっていたセミナーを復活したものだそうですね。

講師の薀蓄が深くて、トイレから見た考古学と言う表題でしたが、なかなかためになりましたよ。

寄生虫卵とか昆虫の種類で相当なことがわかるんですね。
次回は沖縄の風水史、次々回は沖縄の考古学だそうです。

印旛沼の周辺の土器、弥生土器の話も興味がありますね。私が如き素人には表面的知識しかわからないのですが、

各地の土器の特徴とその関連がわからないと、古代史の追求は限界があるような気がしております。

たとえば、纏向遺跡で出土する各地の土器構成比は、古代都市の交流の跡を物語ります。

房総の土器は、東海地方の土器との関連が気になっております。

或いは、房総に早くから黒潮に乗って移住してきた四国の忌部氏

との関連があるのでしょうか。
市原に神門古墳と言う古い3世紀の古墳がありますが、それと関連があるのでしょうか。もっとそれより古い時代の土器でしょうか。

素人が横から興味まかせに質問いたしました。

7月2日に参加したと思っております。




2662. シンポジウム「印旛沼周辺の弥生土器」&市民講演会 さわらびY(ゆみ)  2006/06/22 (木) 23:40
私が偶然?に、八千代の弥生土器にめぐり合ったのは、約一年前。
5月半ば、八千代市遺跡調査会・東部事務所で縄文の遺物や墨書土器を見せてくださるというので、ふらっと寄ってみて、小さな土偶や猪のマスコット、人面墨書土器などでしばらく遊んで帰ろうとした時、お部屋の奥のほうにずらっと並んでいた土器群!
お聞きすると栗谷遺跡から出土した弥生土器とか。

縄文がいっぱい転がしてある弥生土器、それは私にとって、初めて知る世界のような新鮮な驚きを感じさせてくれました。
この辺の出来事と感想は、ブログ「さわらびYの歴史・民俗・考古探索ノート」の2005年5月15日 (日)の最初のページと、カテゴリー「Y 弥生のうつわin八千代」に連載しています。
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/cat3925489/index.html

それから一年、夏は休日ごとに馬場小室山に通いながらも、この地元の土器が気になって、根っからの好奇心でサーチしていくうち、千葉から茨城にかけての弥生土器を研究している方々と出会い、そして教えていただくことがいっぱいになりました。

昨年末には「やちくりけん」(八千代栗谷遺跡研究会)が発足、そしてこの夏7月1~2日に市民講演会とシンポジウムを行います。

第一日目は、弥生土器も、まして「附加条縄文」なんて言葉も実態も知らなくても、う〜ん、なるほど!と納得してもらえるプログラムです。
また、「やちくりけんブログ」では栗谷遺跡の出土土器のほか、第二日目に話題となる臼井南遺跡群や江原台、あじき台などの弥生土器の画像をいっぱい掲載しています。http://yatikurike.exblog.jp/
(「さわらび通信」管理人が最近本HPの更新に手が回らないのは、それが理由?です)

予稿集も150ページの充実したものになりました。
シンポジウムの詳細は、「やちくりけんブログ」にあります。
http://yatikurike.exblog.jp/i8
皆様ぜひいらしてください。



2634. 縄文セミナー 2007開催いたします NPO法人国際縄文学協会 [URL]  2006/06/02 (金) 10:59
国際縄文学協会では毎月1回、講師の先生をお招きして、縄文文化セミナーを開催いたします。
場所は新設いたしました、図書資料室「縄文」です。参加費は無料、どなたでもご参加いただけます。

日時:平成18年6月24日(土)13:30〜15:30
講師:清水 久男 (大田区博物館学芸員)
タイトル:トイレから見る考古学(仮)
参加費:無料
定員:20名(先着順)
会場:図書資料室「縄文」
   港区虎ノ門1-8-5 平吉ビル2階 (虎ノ門駅1番出口徒歩2分)

お申込・お問合せ
NPO法人 国際縄文学協会 事務局
TEL 03−3591−7070 / FAX 03-3591-7075



2631. 金子みすゞの詩をもうひとつ..「繭とお墓」 さわらびY(ゆみ)  2006/05/30 (火) 22:44
月間『本の窓』新連載の「金子みすゞ−このかなしみはどこからくるのか/今野勉」を読み始めたのをきっかけに、彼女の詩集と矢崎節夫の『金子みすゞノート』を読んでいます。
今、心にしみる詩をもうひとつ。

  「繭とお墓」

  蚕は繭にはいります、
  きゅうくつそうなあの繭に。

  だけど蚕はうれしかろ、
  蝶々になって飛べるのよ。

  人はお墓へはいります、
  暗いさみしいあの墓へ。

  そしていい子は羽が生え、
  天使になって飛べるのよ。



2628. 「花のたましひ」 金子みすゞ さわらびY(ゆみ)  2006/05/29 (月) 00:26
 一昨日は仕事で厚生労働省の研修へ、きのうは、父の墓参りに母と行った後、幸い雨が降らなかったので、保品の民俗調査へ行き、今日は一日、考古学協会の研究発表会に行って・・・と、隙間なく動いて、いろいろなことを知り、学ぶ毎日が続いています。
 でも、なにか夜中になって一人になると、心の埋められない空虚さが忍び寄ってきてしまうのです。
 11時過ぎていつも早寝の夫が先に休んでしまうと、息子が悩みやら愚痴やらを私にこぼしにきていた夜の12時。
 もうそんな夜は戻ってこないのだと、思いつつ、今晩は金子みすゞの詩集から一つの詩に惹かれてしました。

 「花のたましひ」 金子みすゞ

 散つたお花のたましいは、
 み佛さまの花ぞのに、
 ひとつ残らずうまれるの。

 だつて、お花はやさしくて、
 おてんとさまが呼ぶときに、
 ぱつとひらいて、ほほゑんで、
 蝶々にあまい蜜をやり、
 人にや匂ひをみなくれて、

 風がおいでとよぶときに、
 やはりすなほについてゆき、

 なきがらさへも、ままごとの
 御飯になつてくれるから。




2622. Re^2: はじめまして トミー  2006/05/28 (日) 07:27
> ようこそ、トミー様
>
> 私もいつの間にか古代史の魅力に取り付かれて、勉強しています。
> 今日は日本考古学協会の72回総会があり、記念講演会を拝聴

お返事いただきありがとうございます。

本を読み、現地を訪れ、専門の先生から講義を受ける。

古代に夢中になると遺跡めぐりの旅も一層面白くなります。

余命も幾ばくぞ、時間軸は古代から逸脱しないで、平安時代までを対象にしています。視野は民族移動に置いておりますのでメソポタミヤ〜シルクロード〜中国・朝鮮〜日本への渡来に特に興味を持っております。

古代の古族の動静も気になって葛城・紀氏・隼人などを追っかけています。

市原あたりの上総には、大和の纏向石塚古墳と同時代の3世紀初頭の古墳があるようでそのつながりなどにも興味を持っております。

さわらびの会は講義/ウォーキングの両方があるようですのでそれへの参加も楽しみです。私は東武野田線沿線の住民です。



2621. Re: はじめまして さわらびT  2006/05/27 (土) 23:22
ようこそ、トミー様

私もいつの間にか古代史の魅力に取り付かれて、勉強しています。
今日は日本考古学協会の72回総会があり、記念講演会を拝聴するために東京学芸大学まで出向きました。佐藤信先生のお話の中で、『日本霊異記』上巻第七を取り上げておられました。この話から、663年白村江以前から地方豪族が仏教を受容していたことがわかるというご指摘でした。しかも百済僧を自ら招いて伽藍を建てるという文化受容のあり方にも着目して興味深く聞かせていただきました。
ちなみに、この話は、「禅師弘済は百済国の人なり。百済の乱るる時に当りて、備後国の三谷の郡の大領の先祖百済を救はむが為に軍旅に遣さる。時に誓願を発して言はく「若し、平に還り来らば。諸神祇の為に伽藍を造立せむ」といふ。遂に災難を免る。・・・・」という書き出しで、亀を放生したおかげでのちに亀にすくわれるという因果応報譚です。
古代史の面白さは、現代にも通ずるわけですが、生き生きとした人びとの暮らしぶりが見えてくるところにもあると思います。これからよろしくお願いいたします。



2616. はじめまして トミー  2006/05/27 (土) 08:49
はじめまして トミーと申します。

定年後、古代史にはまり込んで仲間と国内・国外を旅しては楽しんでおります。

昨年から、中国・シルクロード、南九州・北九州 飛鳥葛城熊野

そして北関東 、房総と連続して旅を重ねています。

現役の時は全く興味がなかった古代が俄かに面白くなりました。

総の国に住んでおります。さわらび通信も発信地が総の国ら

しく、しかも長続きをしているようですので確かな掲示板だと思

います。

お仲間に入れていただければ嬉しく思います。




2615. 「日ぐすり」と祈りに支えられて さわらびY(ゆみ)  2006/05/27 (土) 01:14
 今朝、出勤の途中、職場のお近くに住むシスターに、「今日は息子さんが亡くなって2ヶ月目の日でしたね。今日これからのごミサでも追悼のお祈りしますからね」とお声をかけていただきました。
 一番落ち込んでいたとき、「神様が、お預けになっていた息子さんを、いい子だからちょっと早く返してほしかったのでしょう。自分を責めてはいけませんよ」とアドバイスしてくださった方でした。

 あれは3月26日、ちょうど父の八回忌の翌日のことでしたから、もう2ヶ月がたってしまったのでしたね。
 知り合いの方からいただいたお手紙に「日ぐすりというそうですが、時が少しずつ虚ろになった心、寂莫たる心をうめていってくれるそうです。」と書いてありました。
 「日ぐすり」、それはたしかに効果のありそうなお薬ですね。

 そういえば5年前、父への思いをこめて『「親指のマリア」=鎖国下の白石との出会い』のページを作りました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/2oyayubinoseibo.htm

 「わが子の死をみとった悲しみのマリア」をテーマにしたドルチ作の絵画をめぐる史話でしたが、その「母」の立場に自分が立たされることに遭遇するとは、夢にも思わないことでした。
 その「母マリア」が、その後どのように生きたかは、福音書にも詳しくは記されていないのですが、「使徒行録」の初めのほうに「彼らは皆、婦人たちや、イエズスの母マリア、および兄弟たちともに、心を合わせひたすら祈っていた」と述べられています。

 先週の教会での追悼ミサでも、故人のおおぜいの友人、そして私たちの古くからの親友や恩師が、ともに祈ってくださいました。
 これまで不信心で、「祈る」という習慣から遠かった私でしたが、ともに心を合わせ祈ってくださる方々に恵まれ、「日ぐすり」の確かな効き目もあって、ずいぶんと心が軽くおだやかな日々になりました。
 本当に皆様には、感謝の念でいっぱいです。



2612. Re: 大生氏について さわらびT  2006/05/25 (木) 21:17
はじめまして。

「大生」という姓とのことですが、何とお読みするのでしょう。
「おお」なら、「多」氏ですね。『古事記』の編者で有名な太安麻呂も一族の一人ですからかなり由緒のある名ということになりますね。この掲示板で以前、問題にしたのは、壬生(みぶ)氏との関連だったかと思います。「大生」を「大壬生部」と関連付ける考え方を、紹介したかと思います。名前の由来を考えるのは確かに面白いです。



2608. 大生氏について 大学一年 匿名希望  2006/05/25 (木) 14:33
私の姓は大生ですが、ここでいろいろ話されてるのをみて、初めて姓について少しわかりました。もっと詳しく知りたいので教えてください。



2607. 大生氏について 大学一年 匿名希望  2006/05/25 (木) 14:19
私は大生姓ですが、由来がわからずにいましたが、ここで少し書かれていたので、見ました。まだ知りたいので、知ってる方はおしえてくれませんでしょうか?



2585. 白井市文化財講演会のお知らせ 白井市教育委員会文化課  2006/05/20 (土) 08:42
下記のとおり文化財に関連する講演会を開催します。ぜひ、ご参加下さい。

白井市では、本年3月に国指定重要文化財である滝田家住宅の茅葺屋根の葺き替えを約30年ぶりに実施しました。建築以来長い年月を経ている文化財建造物は、修理を繰り返しながら保存をなされています。今回の講演会では、滝田家住宅の修理工事に携わっていただいた(財)文化財建造物保存技術協会の方を講師にお迎えし、滝田家住宅の修理をはじめ、全国各地で行われている文化財建造物の修理について、わかりやくすくお話いただきます。

日 時 平成18年6月17日(土) 
    開演 午後1時30分(開場 午後1時)
    終演 午後3時20分(予定)
演 題 「文化財建造物の修理−その歴史と近年の概要−」
講 師 安田一男先生(財団法人文化財建造物保存技術協会)
会 場 白井市文化会館2階中ホール(白井市文化センター内)
交 通 北総鉄道白井駅下車徒歩約10分(駅北側)
問合せ 白井市教育委員会文化課
    電話:047−492−1123(直通)



2544. おかげさまで、HP&ブログを更新しました さわらびY(ゆみ)  2006/05/02 (火) 17:36
皆様へ
この度はご心配をおかけしましたが、いつの間にか4月も過ぎ、皆様のおかげで気持ちも落ち着きましたし、連休は休暇をとりましたので、「さわらび通信」「さわらびYの歴史・民俗・考古探索ノート」ともに、ようやく更新しました。

「史跡歳時記・皐月の保品」http://homepage1.nifty.com/sawarabi/saijiki/06.05.01hosina.html
「保品おおびた遺跡の弥生土器」http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/

皆様のご厚情に感謝します。



2539. 「涙の谷にも花咲きみだれ---」 さわらびY(ゆみ)  2006/04/27 (木) 01:02
仕事の帰り、ふと花屋に寄りました。
あれからちょうど一ヶ月。フラワーギフト便で届いたり、弔問の方が持ってきてくださったりで、祭壇に花が絶えることはなかったのですが、今日は私が小さなアレンジメントを手作りしたくなって、花屋の店先で花材を買い求めました。

帰宅すると、息子が参加していたボランティアの仲間から、スナップ写真と寄せ書きのアルバムがポストに届いていました。
そこには、障がいのある子供たちと向き合って過ごす行事を、何よりも大事にしていたもうひとつの息子のすがたと笑顔がありました。
そして、文学か看護学か、最後まで迷っていたあの子の誠実さに、思わず涙がこぼれてきました。

八年前の父の死の際は、散る桜を見ても、季節が変わって青葉の樹々を見ても涙が止まらなかったのに、何故か今回は一滴の涙さえ出ない日々が続きました。
それは息子の死を、そう簡単には受容できなかったからかもしれません。

涙が自然にこぼれてきたのは、復活徹夜祭のミサの福音を聞いていた時だったでしょうか。
友人からのメールや、息子の親しかった方々からの情報で悲しみという自然の感情が、やっとよみがえってきました。

花を生けるというのは、不思議に心が休まることですね。
「涙の谷にも花咲きみだれ 香りもゆかしくよろこび満たす」という子供のころから歌いなれた「われらの母なるめぐみのマリア」というマリア賛歌がふと口ずさんできます。
ついでに庭の牡丹の花も切ってきて供えました。

「涙の谷」というフレーズは「SALVE REGINA」という伝統的なマリアへの祈りにあるようですが、キリシタンに伝えられたオラショでは次の歌詞でした。

「憐みのおん母」
この涙の谷にて 呻き泣きて、 御身に願いをかけ奉る
是によりて 我等がおとりなして あわれみの御まなこを
我らに見むかわせたまえ

***** ***** *****

しんちゃんママさん 本当にありがとう。

まだなかなか、考古の報告書を開くゆとりもないのですが『西根遺跡の発掘報告書』、図書館にリクエストしてみましょう。



2534. 心の財産 しんちゃんママ  2006/04/22 (土) 09:58
お母様のやさしさ&愛情で胸がつまってしまいます。
さわらび(ゆみ)様からの
「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
私の心の財産になりました。       

しばらくは送信をひかえるつもりで悩みましたが、どうしてもお伝えしたく、書かせていただくことをお許しください。

○下記の『西根遺跡の発掘報告書、こうなったら、一見するにも、どこかの図書館の書棚に並ぶのを待つしかありませんね。』
 ⇒ご存知かもしれませんが・・・・。
 県立西部図書館にこれに該当すると思われる本があります。県立西部図書館もHPでご確認ください。県立図書館に行かなくても、もよりの市立図書館経由で借りられそうですよ。

                        合掌
 

                  

                         
 



2533. 本郷キャンパスの思い出 さわらびY(ゆみ)  2006/04/22 (土) 00:04
 半年ほど前、イチョウの葉の降り積もった晩秋の大学キャンパスを、そのころ文学部への転部が内定した息子と歩きました。
 好きな文学の道へ来春には進める見通しがついたにもかかわらず、看護学科を断念することに迷いもあったようで、キャンパス内の診療所へ珍しく私を伴っての受診でした。

 校門を出て帰り道、「お母さん疲れた? いつも寄るお店でお茶にしようか」と言い、セルフサービスの店に入りました。
 この店で本を読んで過ごすことも多かったようで、なれた手つきでコーヒーとサンドイッチを座席まで持ってきてくれました。
 夏を過ぎてちょっと元気がなくなっていたのですが、医師の励ましもあって、来るべき春には回復するだろうと思いつつ、幸せなひとときでした。

 コーヒー店を出てすぐ、中学高校の同期生に出会って路上で立ち話を始め、母親が一緒なんて恥ずかしがるだろうと、私は目の前の雑貨屋の店内に入って民芸風なエプロンやスリッパなどを物色して待ちました。
 友人との別れ際、私にも紹介して「彼は、大学院へ進学したんだって」と楽しそうに話してくれましたが、いずれ静かな学究生活に入るだろう未来の息子の姿に思いをはせた晩秋の昼下がりでした。

 あれから、「パソコンでもう書く力がない」「もう本が読めない」と辛そうに訴えながらも、なおも快活に人と接し、そしてどんどん優しくなっていった息子の姿がいとおしく思い出されます。
 あの悪夢のような晩から4週間が過ぎようとしています。夫から過去を悔いてばかりいてはダメと諭されました。
 人を愛し、力尽きるまで前向きに生きようとした息子に対し、それこそ申し訳ないことですものね。
 今、本郷のキャンパスは、イチョウの芽吹きのきれいなころなのでしょうか。



2531. 西根遺跡は自然もいっぱい さわらびY(ゆみ)  2006/04/20 (木) 19:58
印西市立原山中学校で科学部の顧問をされている先生から、メールをいただきました。

この中学校の科学部では戸神川を中心にフィールドワークを行っています。戸神川及び周辺の生物、自然について観察を行っていて、HPでその結果をまとめていらっしゃるとのこと。

http://www.inzai.ed.jp/harayama-jhs//kagaku_tannkenn/tannkenn_top.htm
自然観察のきれいな画像と丁寧な解説、とてもすばらしいHPです。

そして「たまたま、貴HPの西根遺跡の記事を拝見しました。まさに、私たちが通っている場所なので驚きました。
活動内容は異なりますが、同じ場所の遺跡ということで、生徒たちも興味がわくと思います。
そこで、貴HPの西根遺跡のページにリンクをはらせていただきたく、よろしくお願い致します。」とのご連絡でした。

印西市立原山中学校
http://www.inzai.ed.jp/harayama-jhs/
西根遺跡のページ
http://www.inzai.ed.jp/harayama-jhs/nisine/nisine.htm

自然がいっぱいの戸神川。
今年も、そろそろ田植えの季節を迎えるころでしょうか。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/nisine/nisine1.htm

そういえば、西根遺跡の発掘報告書を入手するため、昨秋、四街道の千葉県教育振興財団に行ったところ、たまたま在庫がなく、また後でということで帰ってきたのですが、その後あっという間に売り切れたそうで、とうとう手に入れられませんでした。
今は「海賊版」を含めて貴重な希少本とか。
こうなったら、一見するにも、どこかの図書館の書棚に並ぶのを待つしかありませんね。



2529. 講演会のご案内 さわらびT  2006/04/18 (火) 20:39
下記のご案内がありましたのでお知らせします。

東アジアの古代文化を考える会 講演会のご案内
推古天皇シリーズ 第3回
『厩戸皇子と斑鳩』
日 時 5月20日(土) 13時半開演
場 所 豊島区生活産業プラザ(池袋駅徒歩5分)
定 員 80名(予約不要、開場後先着順)
講 師 遠山美都男氏(学習院大学講師)
資料代 会員1300円、一般1500円

講師の言葉
『日本書紀』は五九三年に厩戸皇子(聖徳太子)が推古大王(女帝)の「皇太子」となり国政が委任されたと描きますが、これを文どおりに事実と考えることはできません。厩戸皇子が政権に参画するようになるのはこれより後年のことであり、彼はそれを契機に飛鳥から離れた斑鳩に宮室の造営を開始しています。今回はこの斑鳩宮造営とその周辺開発の意味を問い直し、厩戸皇子の実像に迫りたいと思います。
照会先  090-9835-1857  稲垣



2525. 徐建新先生の『好太王碑拓本の研究』 さわらびT  2006/04/12 (水) 23:01
“さわらびT”ブログに、吉村先生からコメントをつけていただきましたが、好太王碑の研究の新知見としてご紹介した徐建新先生の研究成果が出版されたそうです。
http://blog.livedoor.jp/sawarabiblog/archives/50144501.html#comments

『好太王碑拓本の研究』東京堂出版、2006年2月の刊行。
なお、読売新聞の文化欄に好太王碑に関する特集があるとのことですが、見逃さないようにしたいです。

最初に中国旅行に行ったとき、徐先生のご研究を知りました。古代史に関心を持ったきっかけが、改ざん説だったとお伝えした覚えがあります。研究成果が公刊されたことをうれしく思います。

なかなかじっくり読む機会を作れないのは申し訳ないですが、早く気持ちを切りかえなければと、おもっています。皆さんの励ましに感謝しております。



2522. 春の雨 さわらびY(ゆみ)  2006/04/11 (火) 21:21
今日(4/11)の勤め帰りは、雨が降っています。
3月2日も雨、息子から「駅まで迎えにいく」とのメールが携帯に入っていました。
翌日も「今晩も雨が降っているから迎えに行きます。昨日と同じ電車ですか?」とやさしいメール。
駅につくころには雨は止んでいましたが、車で来てくれたついでに、入院する義母のお見舞いのことなどを話しながら、いつも車で行く電器店へ珈琲メーカーを買いに行きました。
その日も昼ぐらいまで寝ていたそうで、体力が急に落ちてきているようなのが、私には気がかりでした。

3月26日の息子の急逝から17日が過ぎました。
悲しみというより、何故?どうして?と問い続け、難解な方程式を必死に解こうとし続けるように、頭の中が24時間、緊張しっぱなしの毎日でした。

勤め帰りの普通電車の中、息子の遺した太宰治の「津軽」を読みながら、久しぶりに熟睡し、ふと駅に降り立つと雨。
そうだ、あの日は迎えに出てくれていたっけ、と思い出し、しみじみと彼の存在がないことに気づきました。

悲しみは、これから静かに来るのかもしれません。そんなことを感じさせてくれたやさしい春の雨でした。



2507. Re: 合掌。 さわらびY(ゆみ)  2006/04/02 (日) 22:48
息子の死から1週間。一連の葬儀を終え、久しぶりに静かな沈黙の中にいます。
多くの方々のお祈りとお心遣いに感謝しつつも、若い命を奪った病の実態と親としての自責の念に、打ちのめされそうな日々が続いています。

そんな中、ネットhttp://www.asahi-net.or.jp/~KX5N-KGYM/extra.htm
で見つけた最後の言葉に多少でも救われる思いがしていましたが、本日の一週目の追悼ミサでの福音朗読と説教は、奇しくも、「ヨハネによる福音」12-24のこの聖句でした。

「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

しんちゃんママさま、ありがとう。



2506. 合掌。 しんちゃんママ(松戸)  2006/04/02 (日) 16:55
時々、さわらび通信に立ち寄らせていただいている者です。
ご子息の訃報の文字に涙が出てきました。
私どもにも22歳の息子がおり、ひとごととは思えず、
ご両親の無念さを思えば思うほど悲しみがこみ上げてきます。
                        
                         合掌



2502. お祈り、ありがとう さわらびY(ゆみ)  2006/03/31 (金) 23:38
くまぷさん&皆様

> ご子息様はさわらびさんの元に戻られて、傍にそっと笑顔で寄り添って守っておられるような。。

ありがとう。優しいお言葉に今はとてもなぐさめられます。

息子の死は突然のことでしたが、葬儀には多くの友人、先輩、後輩、教え子などたくさんの若い方々が見えられて、息子の霊を送ってくださいました。

親しかった若い方々の息子への気持ちを思うと、まださみしいとか悲しいとかより、今はひたすら残念無念の思いの中にいます。そして葬儀とそれに続く雑事や、週末には弔問の方々をお迎えできるようにと部屋を片づけたりと、夫婦で「なぜ逝ってしまったのか」とぐちり合いながら忙しく動き回っていますが、ふと、手を休めると、「傍にそっと笑顔で寄り添って」くれている存在に励まされもしています。

TはブログをUPしながら、息子の残した文学関係の知的?遺産を追跡しようとしているようで、今しばらくは考古学・古代史に復帰するには時間がかかるでしょう。

皆様のお祈り、本当にありがとうございます。