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No.2401-No.2500 2006/3/302005/10/16
Since 2001.10.08
・オーバーフローで消えてしまった発言を収納しました。
・書き込み、修正、削除はできません。修正・削除は、管理人にお申し付けください。
・他への引用は、著作権などの配慮から、発言者へ連絡をお願いします。
No.1-No.100 No.101〜200 No.201-300 No.301〜400 No.401-500 No.501-600 No.601-700
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2498. 。。。何と申し上げてよいものかわかりませんが くまぷ。 [URL]  2006/03/30 (木) 05:18
すみません、

またきてしまいまして、、

さぞお力落としのことでしょうけれども、、



ご子息様はさわらびさんの元に戻られて、傍にそっと笑顔で寄り添って守っておられるような。。

あ、何も存じませんで。。ごめんなさい

ご子息様のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。くまぷ。拝



2497. 皆様へ さわらびT  2006/03/29 (水) 20:11
3月26日、息子が他界しました。22歳と11ヶ月余の生涯でした。29日の今日は23歳の誕生日となるはずでした。

まだ学生生活の途次です。病魔に襲われたのは数年前でしたが、傍目にはその痛々しい姿を見せることはありませんでしたので、突然の訃報に驚かれた方も多かったかと存じます。
水泳で鍛えた身体と、健全な精神を持っていただけに本人にとってもつらい日々だったといまさらながら感じております。

本人が希求しておりましたのは病理や看護への関心、文学への熱情、音楽に対する強い関心であったようです。しかし病魔は、彼の好奇心・探究心を持続させることを、さえぎったのでした。

息子の、通夜、葬儀ミサ、故人を偲ぶ告別式に際しては、皆様のあたたかい励ましをいただきましたことを深く感謝申し上げます。皆様から故人の生前の活動をうがかいまして、助けを求める相手には全てを与えようとする誠実さを自然に持ち合わせた人柄だったことを知ることができました。

私どもはまだ困惑し動揺しておりますので、通常のHPの運営とはいささかタイプをことにする内容を表現することもあるかもしれません。しばらくは、更新が、これまでのペースより遅くなることをご寛恕ください。



2494. うわぁさわらびさんゆみさんご了承頂き誠に有難う存じます! くまぷ。 [URL]  2006/03/26 (日) 00:24
東京国立博物館、天寿国繍帳?

いいですねぇ。。。

懐かしいです。

室生寺展をやっていたことがなかったかしら?

上野の桜も素晴らしいですよね!!



2493. 今週末訪ねた博物館の企画展について一言 さわらびY(ゆみ)  2006/03/25 (土) 23:57
東京国立博物館の特別公開「天寿国繍帳」
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=2562
「飛鳥時代に制作された旧繍帳と、鎌倉時代にこれを模造した新繍帳の遺(のこ)りのよい部分を、江戸時代に貼り混ぜて1面の繍帳にしたもの。意外なことに、鮮やかな色彩のほうが旧繍帳!」
確かにこれは、実見すれば一目瞭然でした。
飛鳥時代の刺繍は、堅牢な染色の強い撚りの糸で輪郭線を縁取って内部を緻密に繍ってあり、千四百年たっても色あせず、ほつれもせずに残っていました。
鎌倉時代にまったく同じに造られた刺繍部分は、平糸でのサテンステッチ。その当時はソフトな感触でとれもきれいだったことでしょうが、今は傷みがひどく、染色法も違うのか色あせてしまっています。
とはいうものの、鎌倉時代にそのコピーを残してくれていたからこそ、刺繍部分の半分ぐらいの図柄が今日に伝わったといえるのですから、その努力に感謝すべきでしょう。
こちらは4月9日まで。

船橋市飛ノ台史跡公園博物館の小企画展「船橋市内の縄文遺跡U 船橋市北部の後期・晩期の遺跡 金堀台貝塚」
http://www.city.funabashi.chiba.jp/tobinodai/h17syoukikakuten.htm
「昭和40年代になると金堀台貝塚に開発の波が押し寄せ、山林が削られました。遺跡を守ろうとした人々は、破壊され、散乱した土器や石器を夢中で拾い集めました。」
その高橋煕氏夫妻の採取された縄文後晩期の土器片などが展示されていましたが、現在の馬場小室山で私たちが採取した土器片の山を連想し、感慨深いものがありました。
また、八千代市との境の桑納川で渡辺誠氏が採取された晩期の土器は、まだ縄文人が使ったままのおこげも残るリアルな土器片で、西根遺跡の発見事例を思い起こさせます。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/joumon/nisine/nisine1.htm
こちらは3月31日までです。



2492. Re: はじめまして。 さわらびY(ゆみ)  2006/03/25 (土) 22:40
初めまして くまぷさん

一生懸命「自己啓発」に努めていらっしゃる中で、「さわらび通信」の目を留めてくださって、リンクいただき、ありがとうございます。

>洛陽城の東西という漢詩
>范雲(451−503)という中国梁の詩人の漢詩が載っています。
>字は彦龍。この洛陽城の詩が私は大好きです。
>洛陽城東西 長作経時別 昔去雪如花 今来花似雪

よい詩ですね。
また時々、遊びに来てください。



2490. はじめまして。 くまぷ。 [URL]  2006/03/25 (土) 17:22
さわらびさん、はじめまして。くまぷ。と申します。40代の主婦です。

実は、自分のページで洛陽城ってどんなところかしら?と思って、さわらびさんの洛陽城のページに参りまして、そして、自分のページに洛陽城の東西という漢詩の説明に、さわらびさんのページをつけてしまいました。

そしてこちらにうかがったのですが、トップの音楽がとても懐かしい。昔練習したことがある様な気が致します。

あ、勝手につけてしまったのですが。。

了承して頂けないでしょうか?

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

                  くまぷ。



2489. 講演会のご案内 さわらびT  2006/03/23 (木) 20:09
下記のご案内がありましたのでお知らせします。

東アジアの古代文化を考える会 講演会のご案内
推古天皇シリーズ 第2回
『任那問題と遣隋使 推古朝の東アジア情勢と外交』
日 時 4月15日(土) 13時半開演
場 所 杉並区立産業商工会館
   (阿佐ヶ谷駅徒歩10分)
定 員 80名(予約不要、開場後先着順)
講 師 森 公章氏(東洋大学教授)
資料代 会員1300円、一般1500円

講師の言葉
五六二年新羅の攻撃により「任那」が滅亡しましました。時の欽明天皇は「任那復興」を遺言とし、これは倭国歴代の課題となります。では、「任那」とは何だったのでしょうか。まずは「任那日本府」の推移や倭国の「任那復興」策を東アジア諸国との関係の中で考えてみたいと思います。ここでは新羅による「任那調」貢上や敏達朝の日羅献策の意味が問題になるでしょう。次に敏達〜崇峻朝の「任那復興」策の様相をふまえて、飛鳥時代に入る推古朝の外交方策を検討したいと思います。「聖徳太子の外交」と言われているものの実態、そして東アジアの強大国・隋との通交が考察対象になります。遣隋使は何故派遣されたのか、対隋外交は「対等」だったのか、「任那復興」問題との関係はどうだったのか、等々を解明し、推古朝の外交の基調を押さえてみたいと考えています。
照会先  090-9835-1857 稲垣



2488. 春の飛び石連休をいかがお過ごしですか さわらびY(ゆみ)  2006/03/21 (火) 22:57
久々にゆったりとした四連休をのんびり過ごしました。

18日(土)は、家中の夜具の洗濯をしながら、パソコン三昧。
さわらびYブログに、下大津式土器についての考察を書きました。
2月にかすみがうら市資料館を訪ねて、すぐにUpできそうだったのですが、一応読んでおこうと思った鈴木正博さんと海老澤稔氏の難解な論文を理解?するのに時間がかかり、やっと余裕ができた先週末のUpになりました。
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/

八千代栗谷遺跡研究会のブログ立ち上げも楽しく始めましたが、おかげで、翌日は眼精疲労。年には勝てないと実感しました。
http://yatikurike.exblog.jp/

19日(日)は、八千代市郷土歴史研究会の例会で、品川歴史館へ。http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kyoudosikenn/kyoudosikenntuusinn.htm
夕方は寒かったですね。

20日(月)は有休をとり、朝から平日のみ開館の印旛郡市文化財センターの「平成17年度企画展 ウチの土器 ヨソの土器 ―古代印旛の須恵器と流通―」を見学後、父の墓参り。

今日(21日)は、午前中、母を連れて、国立歴史民俗博物館に企画展「日本の神々と祭り−神社とは何か?−」を見にいきました。初日だったので、新谷尚紀教授の司会で藤井昭先生と山路興造先生のギャラリートーク付。普段は「土器なんかおもしろくない」となかなか博物館の同行に気に進まない母でしたが、今回はじっくりお話が聞け、きれいな翡翠の勾玉やミニチュアの高機などに喜んでくれて、親孝行ができました。
午後は、母の家でWBCの対キューバ戦後半を観戦。親とスポーツ観戦なんて、晩年の父と見た長野オリンピックのジャンプ観戦以来のことでした。

皆様は、春のお休みをいかがお過ごしでしたでしょうか



2479. Re: 山部の赤人、ほか さわらびT  2006/02/08 (水) 22:45
関口様

いろいろご教示ありがとうございます。門外漢のことが多く、わき道ばかりのご返答で申し訳ありません。山部赤人の名前が出ていましたので、無理やり「聖武天皇」の時代に誘導しました。4月に、遠山先生の講演を予定しておりまして、現代的なテーマともなっている皇位継承問題にも古代史から話題を広げていえればと考えております。
平安時代には、東国や境界世界との摩擦も顕著になりますし、「多胡」の語源を探ることからみえる史実があるとすれば面白いと思いました。
最近、さいたま市の縄文遺跡や、私どもの地元である八千代市の弥生遺跡と向き合ったりで関心が多面化しています。好奇心は変わりませんので、これからもよろしくお願いします。や



2478. 山部の赤人、ほか 関口 武  2006/02/08 (水) 08:43
山部赤人の字を間違えていました。失礼しました。ごめんなさい。
和歌を鑑賞すると昔の人も今の私もほぼ同じ感性のようで心が癒されます。
話はそれますが、以前のワープロで「たこ」と入力して漢字変換をすると真っ先に「多古」が出たそうです。現在では使う人の使用頻度の順に出ますが。「たこ」地名も日本各地に見受けられ、たこサミットも開けそうですね。
富士山の墳煙は竹取物語(881年)の最後の方でも記述がありますね。その頃の噴火は800、864年、が歴史年表にみられます。火山活動が活発だったのですね。
竹取物語といえばそのなかに出てくる「火鼠のかわごろも」が、現在、社会問題になっている「アスベスト(=石綿)」の日本の文献に最初に出てくる記述だ、と見る人もいます。なるほどと思います。
横道にそれてきたので、この辺で終わります。
 管理人のさわらびT様、この場を使わせて頂き有難うございました。



2477. 山部赤人 さわらびT  2006/02/07 (火) 22:56
話はそれますが、「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」(巻3-318)で有名な山部赤人は、聖武朝宮廷の歌人ですね。当時の富士山はまだ火を吹いていたらしいですが、その壮観を描いたのですね。

紀伊行幸で詠んだのが次の歌。当時の玉津島の眺望はいかがなものだったのでしょう。

やすみしし わご大王の 常宮と 仕へまつれる 雑賀野ゆ 背向に見ゆる 奥つ島 清き渚に 風吹けば 白波さわぎ 潮干れば
玉藻刈りつつ 神代より 然そ貴き 玉津島山(巻6-917)

反歌二首
沖つ島荒磯の玉藻潮干満ちて隠ろひゆかば思ほえむかも(巻6-918)
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る(巻6-919)

赤人は聖武天皇の吉野行幸にも従い儀礼歌を献じていますが、この年は736年(天平8)、その翌年には藤原兄弟をおそった疫病が流行します。その時代を思い描いています。



2476. 千葉県の旧「多古町」 関口 武  2006/02/07 (火) 14:01
 千葉県の旧「多古町」は横から見たところでは台地のような丘で丸い山には見えません。尾根の先端部が湿地や平地に接するところが、上から見て丸い形の一例だと思います。以下の参考資料をご覧ください。地図が見られます。尚、昨年合併により多古町は隣接の市になっています。

http://www.tako.gr.jp/jpn/temp/sekiguchi-02.doc

 同じ様に上から見ておよそ丸い形または湾曲の地形では釧路の達古武地名、達古武沼(小判型で端がおおよそ丸い形の沼)。別の例では、山辺赤人の詠んだ「田子の浦・・・」は海岸線が、海にせり出している地形だと思います。現在でも僅かに痕跡をとどめていると思います。
 瀬戸市に「凧山遺跡」があって発掘調査されましたが、この地形はどんなでしょうか?

 伊豆半島西海岸の堂ヶ島の北側に「田子」地名があって「多胡神社」があります。何でも小田原北条時代に地名は「多胡」から「田子」に替わったと書かれています。どうしてここが「田子」なのかわかりませんが、可能性の一つとしては、北側の小さな半島の先端が珍しくゆるやかな円弧を描いていることではないか?と思われます。 暖かくなったらそれぞれの「タコ」関連の現地を見たいと思っています。







2475. Re: 多胡の嶺 さわらびT  2006/02/06 (月) 22:24
千葉県にも「多古町」があります。やはり丸い山があるのでしょうか。見てきたわけではありませんので無責任に書くことになりますが、以前「房総発掘ものがたり」という企画展示で多古台遺跡群3−5号墳出土の帯金具を見たことがあります。古墳は方墳で切り石石室を、持つのですが金銅製帯金具が周溝から出ています。蓮華紋を持つものは他に類例を見ないとのことで関心を呼びました。
4世紀から7世紀まで連綿と作られた古墳群ですが、地図を見ますと遺跡のある大地の西に多古橋川という流れがありますね。現地で地形を確かめると思いがけない発見があるかもしれませんね。(『千葉県の歴史 資料編考古2』 参照)



2474. 多胡の嶺 関口 武  2006/02/06 (月) 15:12
早速のご返答有難うございます。
もう一つ気がついたことがあります。
多胡碑のある吉井町の南部に「牛伏山」があります。この山は万葉集にも詠まれていて当時は「多胡の嶺」と呼ばれています。写真で見る山の姿は牛が伏したようにゆるやかな丸みを持っていて、その形から「たこ」と名付けても無理ないように感じます。
 県境を越えて長野県佐久市に入ると「凧の峰」という山があります。
「凧」の字は約200年前に作られた国字なので、それ以前から「たこのみね」と呼ばれているなら、どんな字が使われているか興味あります。群馬県の桐生市には多高山、新潟県十日町には三多古山があり、山頂が丸みのある山です。
 戻って「多胡の嶺」の多胡も「胡人の多い山」では不自然な感じです。「ゆるやかな丸みのある山」とすると自然な感じがします。



2473. Re: 多胡群碑の多胡はアイヌ語源では? さわらびT  2006/02/05 (日) 23:19
投稿ありがとうございます。私は現物を見たことがないんです。「多胡碑」は建郡の記念碑としての性格を持っていますが、新郡名の「多胡」についての由来は必ずしも明らかとはいいがたいようです。アイヌ語に語源があるというのは、面白いご指摘ですね。

「多胡郡」を、「胡人が多い」から命名されたという説に対して、「多胡吉士」に因むとする原島説を加藤謙吉先生は紹介し、採用されていますが、(『吉士と西漢氏』)、「多胡・多古」(タゴ・タコ)というのはどうも建郡以前からの地名であったようです。
「多胡碑」でよく問題になるのは、文中の「羊」が何を指すかということですが、人名と考える野が合理的なように思うのですが、「蓋」の略字と読む説もありますね。(高島英之「多胡碑を読む」『東国石文の古代史』、1999 参照)



2472. 多胡群碑の多胡はアイヌ語源では? 関口 武  2006/02/03 (金) 08:48
群馬県吉井町に奈良時代に立てられた「多胡群碑」があり大切に保存されている。「多胡」の解釈を漢字の意味からとっています。
 私の解釈では丸い弧の形を表すアイヌ語の語源から変化した「たこ」の地形を漢字で表記したのではないかと思います。
 理由は鏑川の流れがほぼ丸い弧をえがいていて、そのほぼ真ん中に多胡碑が設置されているこてです。ご参考までに下記を参照下さい。

http://www.tako.gr.jp/jpn/temp/sekiguchi-02.doc



2470. 講演会のお知らせ さわらびT  2006/01/29 (日) 22:07
ご案内を頂きましたのでお知らせします。

2月のシルクロードの会
《日本文化の源流を探ねる》シリーズ 文献時代編・第1回

テーマ「ヤマト政権の芽生えから飛鳥時代へ」
講 師 倉本 一宏先生(駒沢女子大学人文学部教授)
日 時 2月17日(金)午後6時〜8時
場 所 渋谷区立商工会館
JR渋谷駅・宮益坂出口から5分・渋谷郵便局裏側
会 費 \1000

【講師からのコメント】
 ヤマト政権の成立から推古朝の国制の整備までを、かいつまんでお話しいたします。
 まず、「ヤマト政権の成立」としまして、三世紀から四世紀にかけてのヤマト政権の成立を、邪馬台国や前方後円墳の成立と絡めてお話しいたします。
 それから、「大王と地方豪族」としまして、5世紀から6世紀にかけてのヤマト政権の展開と地方豪族の動向についてお話しいたします。
最後に、時間がありますれば、実はあまりお話ししたくないのですが、「飛鳥の王権」としまして、六世紀の末から七世紀前半にかけてのヤマト政権の新たな展開について、蘇我氏や廐戸の問題とも絡めてお話しいたします。
大雑把な話に終始すると思いますが、これから踏み込む文献史学の時代へのアプローチの役割を果たせたらと思います。

【問合せ先】電話/FAX 03-3400-2726 高淳日



2469. 講演会のお知らせ さわらびT  2006/01/27 (金) 19:41
下記のご案内がありましたのでお知らせします。

東アジアの古代文化を考える会講演会
推古天皇シリーズ 第1回 『女帝の世紀』
日 時 3月19日(日) 13時半開演
場 所 渋谷区立勤労福祉会館 第一洋室
    渋谷駅ハチ公口徒歩6分パルコ向
    渋谷区神南1−19−8
定 員 80名(予約不要、開場後先着順)
講 師 仁藤 敦史先生(国立歴史民俗博物館助教授)
資料代 会員1300円、一般1500円
【講師の言葉】
七・八世紀は、相次いで六人八代の女帝が即位しました。なぜこの時代に女帝が多いのか、その役割は何かを考えます。
「中継ぎ」説や「巫女」説とは異なる、新たな女帝像を提示できればと思います。具体的には宮の経営に代表される経済的基盤の問題、性差を超えた即位年齢の問題、終身的な大后の位置づけ、未婚は強制されたのか、擬制を含む双系的な系譜意識などについて私見を述べたいと思います。
照会先 090−9835−1857 稲垣




2468. Re: 「古代人の精神世界」? さわらびT  2006/01/23 (月) 22:22
元企業技術者y様

書き込みありがとうございます。あえて申しますが、やはり私は「古代人の精神世界」を論じてこそ学問だと思います。普遍性・合理性って何でしょう。中国の文献に書いてあれば、検証されたことになるのでしょうか。考古学が、文献に頼りすぎるきらいはないでしょうか?その疑問から、私の今の問題意識が生まれています。思いつきと紙一重かもしれませんが、それを承知で書いたのでした。

「馬場小室山遺跡−縄文のムラの景観」という文章を以前書きました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/05.07.03/bunnsyou1.pdf

この文章で言いたかったのは、51号土坑とは何かということでした。ここから古代人の精神世界を考察することはできないのでしょうか。51号土坑は人面のついた土器だけでなく、多世代にわたる土器が出土したことで、その「土坑」に集約される遺物の意味を問い続ける必要はあると思います。それを祭祀遺構と呼ぶつもりはありません。同じ土地に住み続けたことで、共通の精神的な絆の存在を示唆していると考えるのは無意味ではないと思うのです。

古墳を「壷型古墳」ととらえてこそ、古墳築造の本質が見えるのではないか。外来思想の一方的な受容とは考えているのではありません。日本人は、外来思想(ここでは神仙思想ですが)を受容したようでいて、古来の風習を捨てていないと思っています。あくまで日本的変容なのではないか、そんな風に思います。古来のカミは残っているのでしょう。それをムロという概念で説明できるなら、考察する価値もあると思っています。車崎説はあくまで、車崎氏の世界ともいえます。しかしこうした思考方法を異端とすることで、考察を停止してはならないと私は思っています。

考古学の一ファンでしかない者が偉そうに述べることは、大変心苦しいのですが、モヤモヤした思いをぬぐいきれていません。ただし、もう一言。もちろん探究心旺盛な姿勢を持ち続けておられる研究者を知らないわけではありません。



2467. Re: 「古代人の精神世界」? 元企業技術者y  2006/01/23 (月) 20:24
blogの方で長すぎるから、拒絶されたので、掲示板の方に投稿しましたが、今、見たらblogの方にも掲載されており、二重投稿になって申訳ありません。



2466. 「古代人の精神世界」? 元企業技術者y  2006/01/23 (月) 10:40
1/19付けTさんのblogに関連した意見です。
単なるアマチュアですので、高尚なことは分かりませんが、遺物または遺跡から「古代人の精神世界」の領域にどれだけ踏み込むことができるのか、疑問に思います。

Yシャツ、ネクタイ、背広を着用していれば、肉体労働には従事していない人と推定するのは妥当でしょうが、当人の精神の世界の推定は困難と思います。例えば真言宗を信じているのか、キリスト教を信じているのか、無宗教かはわかりません。

「古代人の精神世界」は、唱えた人の個人的夢想であり、普遍的合理性はないと思います。
 一方、その説に反論するのも(物証的に)困難なことも事実です。

「古代人の精神世界」を論ずるのは結構ですが、己の論以外は正しくない、と他説を中傷・誹謗することがあれば、それは行き過ぎと思います。
証拠不十分、証明不能の分野の論ですから多数並立が普通でしょう。
ただ、そのような普遍的妥当性のない分野が学問に入るか、どうか疑問だと思います。



2465. 遠山美都男先生の講演会 さわらびT  2006/01/22 (日) 23:13
昨年、好評だった遠山美都男先生の講演会を、今年も開催いたします。
今回のテーマは聖武天皇の、皇位継承をめぐる将来像です。遠山説を拝聴できるよい機会と思っております。昨年のご講演でお話された論点は、新刊の『蘇我氏四代−臣、罪を知らず− 』(ミネルヴァ書房)に書いておられます。ご興味のある方は、こちらもぜひご一読下さい。

4月8日の講演会ですが、昨年の会場より定員が少ないので、今回は予約制にさせていただきました。先着順にさせていただきますので、お申込はお早めにお願いいたします。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase/06.04.08touyama.pdf



2464. 一部リンク切れのお詫び さわらびY(ゆみ) [URL]  2006/01/21 (土) 13:11
弥生土器の画像資料集を一時的にアップしようとして、「さわらび通信」のサーバー容量が限度いっぱいになり、馬場小室山出土品資料などの重いファイルや、千葉市の遺跡を歩く会のスナップ画像など一時的なファイルを、サーバーから一時的に削除しています。

今後もしばらく、重いいくつかのファイルの削除とアップとを繰り返すかと思いますが、事情をお察しの上、ご容赦ください。
また必要なコンテンツは、なるべく保存をお願いします。

またリンク切れでも、どうしても見たいものがありましたら、善処しますので、お知らせください。



2463. 朝日新聞の「『環状盛土遺構』研究の到達点」取材記事 さわらびY(ゆみ) [URL]  2006/01/18 (水) 22:56
「今朝の朝日新聞に環状盛土遺構について書いてある記事を見ましたか」と、教えられて帰宅後さっそくその記事(朝日新聞2006.1.18文化欄)を読みました。

昨年のシンポジウム「『環状盛土遺構』研究の到達点」に取材した「祭祀場か集落跡か・ドーナッツ状遺構『縄文スタジアム』」という宮代栄一氏の署名記事で、この論点について一般向けにわかりやすく書いてあり、さすが「朝日」と思いました。

確かに、小林達雄氏の「祭祀スタジアム」に威儀を唱えた阿部芳郎明大教授の発掘調査の成果と論旨中心に、考古学史上たいへん意義あるフォーラムでしたが、その学史上の成果と論点の紹介だけに終わっていて、このシンポジウムの主体である「馬場小室山遺跡」について、一言も触れられていないのは、少々残念でした。

とはいえ、10月の馬場小室山市民フォーラムの参加され、3ヶ月あたためてお書きいただいた宮代氏の記事、ありがたく読ませていただきました。

皆様も、この記事をお見逃しなくぜひご覧ください。



2459. Re: 学習会&遺跡めぐりのお知らせ さわらびY(ゆみ) [URL]  2006/01/10 (火) 23:19
あるけ〜さま
ご紹介ありがとう

> 「有吉貝塚に学ぶ−斜面貝塚の衝撃」

前回は、関東地方が珍しく?雨でしたが、盛況でしたし、フィールドワークの内容も感慨深いものでした。

今回は「衝撃」の中身に、とっても期待しています。

よろしくお願いいたします。



2458. Re: 氷川女体神社への初詣 さわらびY(ゆみ) [URL]  2006/01/10 (火) 23:11
ドン・パンチョ様

女体神社初詣の詳細なルポをアップしていただき、ありがとうございました。
いつものようにパーフェクトな作品づくりに感嘆しています。

撚糸文土器の分類についての斉藤先生の説明は、私もうろ覚えというより、これまで誤解していたことがわかって「目からうろこ」でした。

また貴兄の先史時代の絶対年代についての「プリミティブな」ご質問も、私も考古学の扉を開けたときの最初の疑問で、お会いしたばかりだった斉藤先生を質問攻めにしたことがあります。

というわけで、私にとっても本当に有意義な勉強会でした。

ドン・パンチョさんの丁寧な叙述のHPは、史跡探訪旅行時の下調べなどになくてはならぬ貴重なデータ集です。

とてもその緻密な根性を持続できない私は、いいかげんな思いつきと妄想に近い提起ばかり。(写真もとても主観的な構図ばかりで、Tにあきれられています。)

ただ、私を含め素人からのたわいのない問題提起にも、その筋の研究者の方々が丁寧に答えてくださるのが、このHPを開設したときからの持ち味で、その方々のご好意で「さわらび通信」も支えられてここまで来たことを感謝しております。

ドン・パンチョさんには、分析力としっかりした史観がおありで、のようで、また、丁寧な調査と緻密なデータはすばらしいと思います。

「さわらび通信」は、感性と思いつきの問題提起ばかりですが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。



2457. 学習会&遺跡めぐりのお知らせ あるけ〜@千葉市の遺跡を歩く会 [URL]  2006/01/09 (月) 23:18
●学習会&遺跡めぐり「有吉貝塚に学ぶ−斜面貝塚の衝撃」
2006年1月15日(日)10時−15時半。鎌取コミュニティセンター2階講習室・会議室。
午後は現地、有吉北貝塚・南貝塚などを見学(移動は徒歩)。
学習会講師、鈴木正博氏(早稲田大学文化遺産アーカイブ研究所)。
今回は労働様式の差に注目するそうです。
保険・資料代400円。定員40名。参加希望者は
chibaiseki@yahoo.co.jpに参加する旨、一報ください。

そのほか詳しくは
http://chiba.fc2web.com/oshirase/oshirase.html

本年もよろしくお願いします。



2456. 氷川女体神社への初詣 ドン・パンチョ  2006/01/09 (月) 10:23
わらび ゆみ様

先日は「馬場小室山研究会」の第19回ワークショップに参加させていただき、どうも有り難うございました。今回のワークショップでは斎藤先生から撚糸文土器の分類について詳しい説明があり、本当に有意義な勉強会だったと感謝しています。小生がプリミティブな質問をしたばかりに、事務局が用意されたスケジュールが消化できずご迷惑をおかけしました。

一年の初めということで、参加者揃っての氷川女体神社初詣を計画していただき、有り難うございました。小生にとっては、初詣とともに、氷川女体神社が今年最初の史跡探訪の地となりました。さっそくあちこちの情報をかき集めて、この神社の沿革などをレポート形式で作成し、HPの橿原日記にアップして置きました。もし謝って記述している箇所などありましたら、ご指摘いただければ幸甚です。

懇親会では、鈴木正博先生から、小生のHPは独自性がないと指摘されました。しかし、不勉強で独自の史観や考えを持てる立場ではありませんので、従来通りの手法で、情報を集めそれを自分のメモとしてデータベース化していく以外に、特に才能はありません。その点をお含み置きください。

パンチョ



2454. メールアドレス変更しました さわらびY(ゆみ) [URL]  2006/01/03 (火) 09:26
皆様、お正月をいかがお過ごしですか。
mimi_daikonさま、
ブログに貴重なコメントをくださった、T花さま、mori_chanさま、ありがとうございました。

年末31日は、恒例どおり、家の片付けとおせち作り(少しだけですが・・)、実家で年越しをして、元旦はTの家へ。

そして昨日2日は、パソコンの設定などに明け暮れしました。
まず、息子のノートパソコンを新調したこと。フツウので80GB・512MB。TV付はあきらめたようですが、今のPCのスペックはすごいですね。
旧機ではうまく飛ばなくてしまいこんであったワイヤレスが快適に働き、部屋の中をオジャマムシではいずりまわっていたLANケーブルが消えてくれ、すっきりしました。

ちょっとたいへんだったのが、メールの変更。
時代遅れのパソコン通信用ニフティサーブを使っていたのですが、プロバイダーのNIFTYからも17年度で廃止とのこと。何のプロテクトサービスもしてくれないので、スパンメール、ウイルスメールはわんさと来て、開けるたびに受信箱はいっぱいで留守もできない状況が続いていました。

いつかは「アット・ニフティ(旧ニフティサーブ)会員」から「アット・ニフティ会員」 への変更し、メールソフトも変えなくてはいけなかったので、やっと新年を期して実行することに相成り、メールアドレスもNIFTYの都合でQWR07752@nifty.ne.jpの「.ne.jp」が「.com」変更になりました。(↑さわらびY(ゆみ)をクリックしてください)

これまでのアドレスでも受信可能ですが、送受信可能なメールサイズ容量が大きくなりますので、この機会に新アドレスへの変更をよろしくお願いいたします。

メールソフトの設定は、ただいま苦戦中。
アドレス帳のインポートもちょっとした形式の違いではねられるのが多く、まだ完成していません。
大事なメールをとりそこなうとたいへんですので、お暇なら時候挨拶かテストメールを送信してみていただけると受信のテストになりますので、助かります。

もう明日から出勤ですね。では、貴重な今日一日をゆったりとおすごしください。



2453. 明けましておめでとうございます mimi_daikon [URL]  2006/01/01 (日) 17:27
ご無沙汰しております、お元気ですか?

私は寒い季節は動きが鈍くなり、冬眠中のクマのような毎日です。夏の終わりにひょんなことがきっかけで始めた「海岸陶片探し」に近くの浜に出かけるくらいです。これがまた寒いんですけれどね。

古い陶片が見つかるとわくわくするんですよ。大昔の人々の生活を想像するという点では、ゆみさんのやっていらっしゃることとちょっとだけ似ているかな?私のはまだまだ宝探し的なので全然、足元にも及びませんが。それでも見つけた陶片について色々と調べていくうちに、苦手だった歴史にも触れることになって、少し勉強になります。

さわらびさんのお写真を拝見していると、神社やお寺などに足を運びたくなります。暖かくなったら印旛沼付近の去年寄れなかったお寺に行こうと思っています。その時はまたUPしますね。

今年もどうぞよろしくお願い致します。



2452. 2006戌年 明けましておめでとうございます。 さわらびY(ゆみ)  2006/01/01 (日) 09:26
例年にない寒いお正月ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

一年ぶりの家の中の片付けを途中で投げ出し、一昨日(12/30)は、小春日和、しかも渋滞なしの館山道を走って、安房の洞窟遺跡と古寺を探訪してきました。
千葉県からの新年のご挨拶として、下記にUPしましたので、ご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/saijiki/05.12.30awa1.html

大寺山遺跡の名称でもある「沼の大寺」総持院では、ご住職にお寺の歴史などのお話を聞くことができました。
古墳時代の舟葬で興味深い発見のあった第一洞窟は、太平洋戦争時の戦跡遺跡でもあり、西浜の住民の防空壕にされたこともあったとか。その時、換気のため洞窟の奥を開口したとのこと。
中世のやぐらの跡もいくつか残っていました。
第一洞窟遺跡では、鎌倉時代の和鏡も見つかっているのですが、『千葉県の歴史・資料編・考古2(弥生・古墳時代)』では、鎌倉時代に「撹乱を受けた」という記述になっているのは、ちょっと残念です。

中世律宗の拠点であった念願の小網寺も今回、やっと訪ねることができました。
安房は、中世の鎌倉・金澤とも最も近かった地。
鉈切神社洞窟からは、対岸の三浦半島の貝塚群と同じ称名寺式の縄文土器が見られるそうですが、先史時代からの東国の交通の要衝として、考古資料や伝承からも興味深い地でした。

本年も、先史時代を含む地域の歴史を学んでいきたいと思いますので、「さわらび通信」とブログ(Y&T)をよろしくお願いいたします。



2450. 勉強会 はにわ処 [URL]  2005/12/27 (火) 16:05
今回、市民を対象にした世界遺産のことにもっとよく知っていただこうと勉強会を行田市教育委員会が企画しました
興味がある方はぜひご参加くださいね
1、日時 H18年2月4日(土)午後1:30〜3:00
2、教育文化センターみらい 第一学習室
3、講師 埼玉県教育局生涯学習部 生涯学習文化財課 
     主幹 井上 肇氏
4、募集人数 80人
5、費用 無料
 申し込み先 行田市教育委員会文化財保護課
電話048-553-3581



2449. T花さまへ さわらびY(ゆみ)  2005/12/26 (月) 11:17
T花さま、詳しいプログラムをありがとうございます。
多古町の環濠集落の調査結果や白井久美子氏の報告が楽しみですね。

ブログに「弥生の壺は魂のうつわ?」という素人の「妄想」を書きました。
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/cat3925489/index.html

五来重氏の著書「先祖供養と墓」「日本人の死生観」など民俗宗教の観点から葬法を考えることがこれまで多かったのですが、7月の昭和女子大の中屋敷遺跡のシンポジウムなど、考古資料からも教えられることが多い昨今です。

ご笑覧くださり、間違いなどよろしくご指摘ください。



2447. 平成17年度千葉県遺跡調査研究発表会について T花  2005/12/23 (金) 18:17
千葉県文化財法人連絡協議会より案内が届きましたので、ご報告します。

1.日時 平成18年1月22日(日) 10:00〜15:40
2.会場 千葉市文化センター
     (千葉市中央区中央2−5−1、ツインビル2号館)
     研究発表会場(3階)、出土品展示会場(5階)
3.発表内容
 (1)10:05〜10:40
    酒々井町墨古沢南T遺跡(旧石器時代)
    (財)千葉県教育振興財団 新田 浩三 氏
 (2)10:40〜11:10
    千葉市踏形遺跡(弥生時代)
    (財)千葉市教育振興財団 長原 亘 氏
 (3)11:10〜11:40
    多古町柏熊遺跡(弥生時代〜古墳時代)
    (財)香取郡市文化財センター 戸村 勝司朗 氏
    ※多古町で初めて発見された中期の環濠集落

    休憩・昼食 11:40〜13:00

 (4)13:00〜13:30
    市原市長平台遺跡(弥生時代末葉〜古墳時代初頭)
    (財)市原市文化財センター 小橋 健司 氏
 (5)13:30〜14:00
    千葉市椎名崎古墳群・人形塚古墳(古墳時代)
    (財)千葉県教育振興財団 白井 久美子 氏
 (6)14:00〜14:30
    横芝町長倉鍛冶屋台遺跡・寺方古墳群(古墳時代〜奈良・平安時代)
    (財)山武郡市文化財センター 椎名 信也 氏
 
  休憩 14:30〜14:40

 (7)14:40〜15:10
    袖ヶ浦市永吉台遺跡群西寺原地区(平安時代)
    袖ヶ浦市教育委員会 諸墨 知義 氏
 (8)15:10〜15:40
    光町の中世遺跡(中世)
    (財)東総文化財センター 道澤 明 氏

※1 出土遺物の展示 10:00〜15:00
※2 発掘調査報告書等の頒布あり

問合せ (財)千葉県教育振興財団資料部普及課
    043−422−8811

※千葉県教育振興財団は9月1日付けで千葉県文化財センターから名称が変更となった組織です(念のため)



2446. Re: こんにちは さわらびT  2005/12/21 (水) 23:11
はにわ処様

史跡整備がどのように進められたのか、あまり考えたこともありませんでした。前方後円墳の復元だけでもびっくりですが、研究と技術の蓄積と市民の協力が大いにあったことでしょう。たまにうかがう立場としては、十分な整備に思えますが、これからも大いに知恵をしぼって、より利用しやすい史跡になってくれることを望みます。

はにわ処さんのお仕事は、遺物や遺跡を身近に感じさせる大事な役割を果たしておられますね。馬場小室山遺跡にも支店というか、「じょうもん処」を開いてくだされば・・・なんて勝手に考えてしまいました。



2445. こんにちは はにわ処 [URL]  2005/12/20 (火) 12:54
さわらび様
馬場小室山遺跡にはこちらの内容を読んで足を運びたいとは常々思っているのですが中々時間の融通がつきません ごめんなさい
そうですよね千葉県の方に埼玉県の遺跡の保存運動とは有難い事です さきたま古墳群も世界遺産はちと道のりが遠いのでまずは2年後の特別史跡への格上げを目標に公園の整備が始まっています 只気になるのがただの公園拡充で終わってしますことですがもう少し見学者の為になる事、さきたまの特長を生かす事なども考えていかなければならないと思っています



2444. Re: さきたま古墳群を世界遺産へ iさわらびT_  2005/12/19 (月) 23:37
はにわ処様

こちらこそご無沙汰です。さいたま市には何度も足を運んでいましたが、行田には足が遠のいてしまいました。申し訳ありません。また、体調を崩されたようで、お見舞い申し上げます。

私どもは、何とか元気で今年の市民フォーラムも乗り切り、来年の第2回(3月5日)に向けた準備を始めています。同じ埼玉県内で、馬場小室山遺跡も世界遺産の価値がある遺跡だと思っています。あとは、さきたま古墳群に負けないよう知名度を高めたいものです。お仕事柄、土日に開催されるワークショップには、ご参加しにくいでしょうが、もし機会があれば、是非、馬場小室山にもお立ち寄りください。(当方、千葉県の住民なのに埼玉県の方に対してちょっと変なお誘いですね?)



2443. さきたま古墳群を世界遺産へ はにわ処 [URL]  2005/12/18 (日) 15:10
さわらび両氏様
大変ご無沙汰しております
今年も残りわずかですね
今年は夏前に椎間板ヘルニアになり3ヶ月ほど思うように動けず仕事も休みがちで散々な目にあいました(^^;
さて今年はさきたま古墳群でも色々と進展がございまして稲荷山古墳の復元工事の完了、さきたま資料館、埋蔵センター、歴史資料館の施設統合などがはじまり、また埼玉県知事のさきたま古墳群<世界遺産登録>発言により行田市でもその準備が始まりました。私も若輩者ながら推進協議会の委員となり今後どのようにしたら良いかの取り組みも始まりました 私のHPでもさきたま古墳群を愛する皆様にどのように公園整備を進めたら良いかのアンケートなどもはじめましたので宜しければ覗いてみてくださいね
 そうそう今年の土偶人気投票も終わりましてたくさんの方に投票していただいた結果予想通り?遮光器土偶が第1位になりましたよ
 寒い日が続きますが来年もどうぞよろしくお願いします(^−^)



2442. 「地域史フォーラム・地域の歴史を求めて−東京下町の歴史伝説−」に参加して さわらびY(ゆみ)  2005/12/11 (日) 23:33
今日(12/11)葛飾区郷土と天文の博物館での「地域史フォーラム・地域の歴史を求めて−東京下町の歴史伝説−」へ行ってきました。
基調講演「歴史伝承と祟り」 樋口州男氏
報告1「寺社縁起に見る歴史伝説」今野慶信氏
報告2「近世文芸と歴史伝説」鈴木彰氏
報告3「地誌に見る歴史伝説」谷口榮氏

樋口氏の講演では、菅原道真から、将門→佐倉惣五郎→自由民権運動へと怨霊伝承が引き継がれ発展していく過程とその背景となる時代や人々の生活と意識について興味深いお話が聞けました。

報告1〜3も身近な葛西地域(私にとっては長年の勤務先の近く)の事例研究から、伝承が生まれ発展するプロセスが丁寧に検証された深い内容の報告でした。

最後の討論では、浄土真宗では葛飾区と江戸川区内の4つの寺院に、親鸞にかかわる縁起や中世の彫像が残され、そして今もなお報恩講などの宗教行事が地域の人々によって続けられていることなど、親鸞の足跡を丹念に追いながら、戦国時代の上杉氏や後北条氏の禁圧によって別宗派になってもなお持続する根深い親鸞伝承、そして東海〜房総・常陸への交通の要所だった葛西(青戸周辺)の地理的な重要性が浮彫りにされたと思いました。
また、四つ木西光寺の葛西清重と言われている眼光鋭い彫像は、親鸞像の可能性を否定できないとか。江戸川区明福寺の親鸞像を比べるとなるほどといえる説です。

また、歴史史料には見出せない青砥藤綱伝説の近世における発展のプロセスも面白く、歌舞伎の「青砥稿花紅彩画」で大詰めの極楽寺の場面が設定されていることについて、作者の河竹黙阿弥が、中川のほとりの青砥藤綱の位牌を安置する極楽寺(現在の大光明寺)など青砥藤綱伝承地を訪れて、葛西の御殿山、中川や青砥橋、極楽寺などの舞台背景をそのまま鎌倉に移し、そのことがさらに後世、鎌倉に藤綱伝承地を生みだしていったのではないかという仮説も述べられました。
さらに近代になって、鎌倉青年会が大正10年に屋敷跡の、昭和13年に逸話の旧蹟碑を建立しまたまた、伝承地が増えてしまったとか。
近世の地誌の伝える歴史伝説も時代を追って検討すると、なかなか面白いようです。

11月26日に青戸周辺、12月3日に鎌倉でその伝承地を歩いてみていた(http://homepage1.nifty.com/sawarabi/aoto/aoto1.htm
ので、たいへん興味深いシンポジウムでした。



2438. 歴史に学ぶこと さわらびT  2005/12/08 (木) 19:30
掲示板にアダルトサイトへの誘導を促す書き込みが多発したために、管理者が拝見した上でUPする形を取っております。

下記の書き込みについては、判断に迷ったのですが、古代史を勉強している方のご意見のひとつとして紹介させていただくことにしました。しかし私どもの考えとは違っていることはお伝えしておきたいです。

特定の意見のみの絶対性を主張することは、有効だとは思えません。ご意見は尊重させていたきますが、「馬鹿」という表現は適切さを欠きます。

ご承知のように、「さわらび通信」では大山誠一氏の「聖徳太子」論を紹介し、かつ、ご本人の了解をいただきメールでの対話を掲載しております。大山氏の説にすべて同意しているわけではありませんが、「聖徳太子」の虚構部分を取り払ったら、別の様相が見えてくるのではないかという視点こそ重要だと思っております。

私が歴史を学んで感じるのは、史実として認識できることはほんの一握りのことであって歴史の一齣から切り落とされたものも、見て取りたいと思うのです。意図的に隠された史実もありましょうが、古代はとりわけ残された史料も限られています。失われた史実が多いのですから、想像力を養う必要はあるでしょう。ものさしはひとつではありません。仮説のなかから、人間の行動の軌跡を復元していき、今がどのようにしてあるのか、そして私たちがこれからどこへ向かうのか、そのかじ取りが見きわめられるならば幸いです。

馬場小室山遺跡に出会って、考古学の方法の一端も学ばせていただいています。しかし、それでも残念ながら縄文社会の生活の一齣を伝えてくれたに過ぎないのです。生活の隅々を知ることはできないまでも、私たちの暮らしの先人の姿に少しでも接近したいものだと考えています。



2437. 聖徳太子の正体 秋山 彩香(あやか) [URL]  2005/12/07 (水) 15:59
邪馬台国畿内説論者は、「南へ(鹿)」を「東へ(馬)」と
主張する「馬鹿」である。
居た聖徳太子を「居なかった」と云う大山誠一氏も「馬鹿」である。

『拾遺和歌集』や『日本霊異記』を併せて読めば、
「聖徳太子」=「聖武天皇〔大津皇子〕」と判る。
ただ、「聖徳太子〔大津皇子〕の崇峻【天武】天皇弑逆」ゆえに、
史書は時代を遡らせて記載しただけである。

「大津皇子の死」は、【お隣の中国の『漢書』「景帝紀」を
利用した文学上の死にほかならない。同様に、大津皇子妃の
山辺皇女は県犬養(橘)三千代である】。




2434. Re: カヅマヤマ古墳の現地見学会に出かけてきました さわらびT  2005/12/04 (日) 23:05
ドン・パンチョ様

情報ありがとうございます。飛鳥は話題が尽きないですね。
磚室墓といえば、百済を象徴する宋山里古墳群に武寧王陵と宋山里6号墳の2基があって、昨年4月に見学してきました。

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/04.04.26kannkoku/4.27.4.HTM

これらの古墳とどのような関連があるのか、楽しみな発見といえますね。武寧王陵をテーマにした国際研究集会「百済の国際交流−武寧王陵の最新研究をめぐって−」今週9日、歴博でありますので、話題になるかもしれません。

今日は七世紀研究会のシンポジウム『北方の境界接触世界』に参加してきました。
問題提起は、河野一隆氏の「古墳時代併行期の領域構造」
3〜7世紀の日本列島の文化展開を前方後円墳を主眼とした首長墓系譜の変遷過程などを勘案して16地域に分けるとともに、それらを@島嶼交流世界A列島求心世界B境界接触世界という3つの地域に大括りされたのですが、その問題提起を前提に、いくつかの報告と議論が展開されました。

刺激的な話題を提供されたと思います。これからも大いに論じていただきたいですが、参加者が少なかったのは少々、残念。



2433. カヅマヤマ古墳の現地見学会に出かけてきました ドン・パンチョ [URL]  2005/12/03 (土) 20:02
さわらびT/Y様、今晩は。パンチョです。
あるいは関東地方では報道されていないかも知れませんが、現在明日香村ではカジマヤマ古墳の発掘が行われています。マルコ山古墳の近くの丘陵に築かれた7世紀後半の終末期古墳ですが、明日香では初めての磚積石室墳として話題になっています。本日現地見学会が催されたので、出かけてきました。磚積石室の様子をデジカメに撮影して橿原日記にアップしておきました。暇な折にでもアクセスしてみてください。



2432. 青砥氏の故地探訪 さわらびY(ゆみ)  2005/11/30 (水) 00:16
11月26日(土)、中世前期研究会の幹事さんからのメールで、葛飾区郷土と天文の博物館で行われる「地域史フォーラム・地域の歴史を求めて」のご案内をいただきました。

日時:12月11日(日) 9:30〜17:00
場所:葛飾区郷土と天文の博物館 講堂
       http://www.city.katsushika.tokyo.jp/museum/
 テーマ:地域史フォーラム・地域の歴史を求めて
    「東京下町の歴史伝説」
基調講演「歴史伝承と祟り」 樋口州男氏(専修大学講師)
  報告1「寺社縁起に見る歴史伝説」
    今野慶信氏(江東区教育委員会)
  報告2「近世文芸と歴史伝説」 鈴木 彰氏(神奈川大学)
  報告3「地誌に見る歴史伝説」谷口 榮氏(葛飾区郷土と天文の博物館学芸員)

この博物館のイベント案内のHPを26日朝開いてみて、その日午前中、青砥氏ゆかりの遺跡と葛西城址を巡る見学会があることを知り、あわてて出かけました。(本当は予約制)
http://www.city.katsushika.tokyo.jp/museum/

職場にも近く、この博物館も時たま行くこともあったのですが、青砥:青戸のなぞや、葛西城と青砥氏の関係も知りたく、また鎌倉市内史跡めぐりでも青砥氏の史跡はなじみやすかったので、是非にとお願いして、隊列に加えていただきました。

お天気も恵まれ、谷口さんの解説もわかりやすく、短い時間でしたが、館内も写真が撮れましたので、景色とあわせて簡単なアルバムにまとめてみました。
「青砥氏の故地探訪1(京成青砥駅周辺を歩く)」
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/aoto/aoto1.htm

午後は一人で普賢寺の宝篋印塔を探しにいきました。
摩滅して銘文が定かでないことが残念ですが、中世前期の堂々たる宝篋印塔でした。

鎌倉市内の画像は、2〜4年前の撮影で、滑川が新緑のころでしたが、青砥藤綱の故地としては最も有名なところですので、(場所も違いますが)最後に載せてみました。

12月3日は、鎌倉市二階堂へ行きます。
忙しくて、NHK大河ドラマの「義経」も見てないのですが、しばし中世の世界に戻ってみたいと思っています。




2430. 茨城県立歴史館の特別展「祭り万華鏡」を見てきました さわらびY(ゆみ)  2005/11/23 (水) 23:25
小春日和になった勤労感謝の日、11月27日まで開かれている水戸の茨城県立歴史館の特別展『「祭り万華鏡」−茨城の年中行事その変様−』を見てきました。
http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/
民俗に関する企画展示としては、親しみやすく、また現在も行われている茨城各地域の年中行事とともに、そのルーツとなる中国の行事、日本各地の代表的な年中行事も併せて紹介されて祭礼の意味や由来が把握しやすいよう、そのプロセスがたいへん丁寧な構成になっていました。

常磐の民俗は、北総のそれに合い通じる点が多く、私には取手市白山神社の「オビシャ」や江戸崎の「浅間様」参り、八千代でも佐山などで行われていた「オダチ」など類似した祭礼行事が興味深かったです。
古代中国から宮中に伝わった儀礼の原型が、稲敷市阿波大杉神社の追儺行事によく保存されていることも驚きです。
阿波大杉神社は、「あんばさま」として疱瘡神除けに八千代でも信仰されていている神社ですが、一度その行事も見てみたいと思いました。
今回の企画展では、前半の節供が中国→宮中→民間と広まっていく過程がわかりやすく展示されていましたが、先史時代からの基底となる習俗や仏教などと習合し、さらに娯楽化し、あるいは省略されて現在の姿になっているのだと思います。ただその辺は、具体的な形で表現するのは難しいでしょうね。

☆“へえ〜”と思ったこと:@ひな祭りの菱餅は、緑(草餅)・白・緑の3段の地味な彩りだった。A十五夜の「月見団子」は江戸後期から。それまではサトイモが供物だった。また団子の大きさは15にちなんで、1寸半もあったとか。B石岡の各地域の辻切りの大人形はスゴイ!(何がすごいかはちょっと書けないけど)

歴史館の外は、秋深まる紅葉の中、写真愛好家の撮影会が行われていました。
TOPページの写真はその紅葉をバックに一枚。この石造物はつくば市小田にあった室町期の「六地蔵石幢」だそうです。



2427. Re: 甘樫丘東麓遺跡の発掘現場を見てきました さわらびT  2005/11/17 (木) 20:37
ドン・パンチョ様
さっそくのレポート、ありがとうございます。臨場感が伝わってきます。
相変わらず現地説明会には多くの方々が、参加されるようですね。『大化改新』がNHKのドラマにもなりましたし、古代史ファンにとっては、それだけ関心の深い話題だということがわかります。
飛鳥の発掘には100年かかると、聞いたことがあります。あまり結論は急がない方がいいのかもしれません。
「蘇我氏」研究の基本文献といえば加藤先生の『蘇我氏と大和王権』(吉川弘文館)なんですが、現在品切れ中なので、この機会に再販され、新たに読者をふやしていただけたらと思っています。

ところで、月末(27日)に馬場小室山遺跡のワークショップがあります。ご都合がつくようであれば、ご参加ください。



2426. 甘樫丘東麓遺跡の発掘現場を見てきました ドン・パンチョ [URL]  2005/11/17 (木) 06:43
さわらびT/Y様

ご無沙汰しております。パンチョです。10日前からまた橿原に来ています。
今週は久しぶりに飛鳥に衝撃が走りました。すでにメディアの報道でご存じ
だと思いますが、奈文研が調査を行っている甘樫丘東麓遺跡で、蘇我入鹿の
邸宅跡ではないかと思われる遺構が見つかったというのです。
昨日は現地見学会があるというので、愛用のチャリンコで出かけてきました。
大勢の考古学ファンや古代史ファンが集まってきました。
説明会の様子は、「橿原日記」にアップしておきましたので、興味がおありなら
アクセスしてみてください。



2425. Linkに「古城の丘にたちて」を追加しました さわらびY(ゆみ)  2005/11/16 (水) 00:01
Linkに「古城の丘にたちて」を追加しました。
http://homepage2.nifty.com/mori-chan/index.htm

相互リンクのきっかけは、Blog「さわらびYの歴史・民俗・考古探索ノート」の「女性名の銘を読む−高津の十九夜塔の調査から」コメント欄をご覧ください。
http://sawarabituusin.cocolog-nifty.com/notebook/2005/07/post_0fc5.html



2424. 「『壬申紀』の再構築」 さわらびT  2005/11/13 (日) 23:43
11月13日、2005年度史学会(第103回大会)で、倉本一宏先生が「壬申の乱における戦略に関する考察」という発表をされました。会場でお目にかかることができ、発表と直接関連する論文「『日本書紀』壬申紀の再構築」(あたらしい古代氏の会『王権と信仰の古代史』2005、吉川弘文館)の抜刷を頂きました。詳細を紹介しきれませんので、感想めいたものを書き留めます。

壬申紀を読みますと、日付が錯綜している記事があることに気づきます。天武元年(672)6月〜7月の記事が続くのですが、7月壬子条(23日)、山前で大友皇子は自害しますが、その記事に続けて、「初將軍吹負向乃樂至稗田之日」とあります。日付はさかのぼっています。7月1日のこと、将軍吹負は、乃楽に向かうのです。このとき、大伴吹負は河内の大友軍を迎えることになっていたのでした。

記述では大友の自害で、戦乱は終結しているわけですが、「壬申紀」の記事の並び方が錯綜していることになります。倉本先生は原資料を想定しながら、壬申紀を再構成されました。(詳細は是非論文をお読みください。)

大伴氏の活動について、正確な日時を記すことが少ないのは、「大伴氏家記」ではなく「吹負戦記」ともいえる資料を想定するほうが理解しやすくなるようです。病と称して早くから大和に戻り、大海人に従った馬来田・吹負兄弟が活躍する物語の真相は?考えさせられます。あらためて興味が湧いてきます。

参考までに、久留倍遺跡(四日市市)探訪記もご覧いただければ幸いです。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kurubeiseki/kurubeiseki.htm



2423. 早稲田にいきました さわらびY(ゆみ)  2005/11/13 (日) 20:36
文化の秋、展示会やらシンポジウムやら目白押しの週末ですが、昨日(11/12)は、早稲田大学での次のようなシンポジウムを聴いてきました。

縄紋社会をめぐるシンポジウムV 
「縄紋中・後期の物質文化―その社会的意味― 」

12日(土)一日目
基調報告:安斎正人
「硬玉製大珠―その社会的意味―」栗島義明(さいたま川の博物館)
「石棒祭儀に伴う象徴的生殖行為とその意味」谷口康浩(國學院大學)
「南関東縄紋中・後期の墓制―千葉県下太田貝塚を中心に―」菅谷通保(茂原市立美術館・郷土資料館)
「土器塚の形成と縄文後期の地域社会」阿部芳郎(明治大学)

安斎氏の「“モノの考古学”から“コトの考古学”への転換、そしてさらに“モノコトの考古学”の構築」という提唱を受けて、考古学の貴重なデータ解析から、祭祀や葬制・墓制、土器生産と消費の社会構造などの推論が展開されるプロセスは、最後までは興味深く聴かせてくれました。
ほとんど休憩もなく終わったのが夜の7時、ハードな内容ですが民俗学の領域に迫る内容でもあり、時間を忘れるほど面白い!シンポジウムでした。
来週の郷土史研の展示会準備の最中、今日も続きが朝からあったのですが、一日目だけでも聴講できてよかったです。

またこの日は、早稲田界隈の中沢新一の「アースダイバー」の「名所」を探訪したいというTの提案で、早めに出かけ、穴八幡と水稲荷を訪ねました。
雨上がりの陽光のなか、都会の晩秋の景色をカメラに納めてみました。
「ふぉとすけっち 史跡歳時記」にアップしましたのでご覧ください。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/saijiki/05.11.12waseda.htm

水稲荷の神主さんにも、民俗的興味からいろいろお話をお聞きしましたが、「稲荷の神は、粗末にするとたたることが多い」と思われていて、屋敷神を遷したりするときは相談を受けることが多いとか。
中沢新一の「アースダイバー」の『「都の西北」に広がる死者の王国』の表現、そしてシンポジウムで葬制や祭儀のおどろおどろしい話を聞きすぎたせいか、妙な夢を見ました。
私も死霊の世界にとりつかれてしまったようです。



2419. 転載:シンポジウム「日本史のなかの永福寺」開催のご案内 さわらびY(ゆみ)  2005/11/08 (火) 23:07
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/saijiki/04.09.04youhukuji.html
に関連したお知らせです。
4日の千葉市の遺跡を歩く会とレンチャンになりますが、頑張って早起きするつもりです。

♪♪♪シンポジウム「日本史のなかの永福寺」開催のご案内♪♪♪

日 時:2005年12月3日(土)
主 催:中世鎌倉研究会
会 場:鎌倉女子大学二階堂学舎
後 援:鎌倉市・鎌倉市教育委員会
参加費:1000円
日 程
   9:30 会場集合→永福寺跡見学(経塚・西の山頂・遺跡内部)
  11:30 見学終了 開場
  12:30〜12:45 日本史のなかの永福寺:五味文彦(東京大学)
  12:45〜13:25 永福寺の考古学的成果:福田誠(鎌倉市教育委員会)
  13:25〜14:05 永福寺の成立と展開:秋山哲雄(東京大学)
  14:05〜14:15 休憩
  14:15〜14:45 永福寺の瓦:原廣志(鎌倉市教育委員会)
  14:45〜15:15 永福寺の建築:鈴木亘(鶴見大学)
  15:15〜15:45 平泉の庭園から見る永福寺:本澤慎輔
  15:45〜16:00 世界遺産としての永福寺:玉林美男(鎌倉市世界遺産登録推進担当)
  16:00〜17:00 討論 60分
         司会:小林康幸(鎌倉市教育委員会)
            高橋慎一朗(東京大学史料編纂所)
【申込方法】
下記@〜Eをご記入の上、FAX、E-mai、ハガキのいずれかの方法で11月18日(金)までにお申し込み下さい。
@氏名 A住所 B電話番号 Cご所属 D懇親会の出欠 E昼食用弁当の予約の有無

【申込先】中世鎌倉研究会事務局
・E-mail  yofukuji05@yahoo.co.jp
 
【永福寺跡周辺の見学】(事前の申込は不要です)
12月3日(土)9時30分 鎌倉女子大学二階堂学舎集合
→出土遺物を見学後、永福寺周辺へ移動→11時30分見学終了予定。
永福寺跡内部のほか、周囲の丘陵を巡り、経塚跡などを見学します。

【懇親会】(会費5000円)銀座アスター鎌倉賓館

【交通案内】
鎌倉駅東口、京浜急行バス5系統→約8分「杉本観音前」下車すぐ



2412. シルクロードの会のご案内 さわらびT  2005/11/02 (水) 20:01
お知らせをいただきましたので掲載します。

テーマ  「騎馬民族説と古墳時代の馬具」
講  師  松尾昌彦先生・松戸市立博物館学芸係長
日  時  11月4日(金)午後6時〜8時
場  所  渋谷区立商工会館 JR渋谷駅・宮益坂出口から5分・渋谷郵便局裏側
会  費 \1000

【講師からのコメント】
古墳時代における朝鮮半島と日本列島の交流を物語る器物の一つに馬具がある。
したがって、現今の馬具研究は意匠や技法などから大陸との系譜関係を論じるものやその編年に力点が置かれている。しかしながら、我が国への社会的・文化的な影響の大きさの面では、馬具そのものではなく騎馬文化の流入こそが重要と考える。このような視点から、江上波夫博士の「騎馬民族征服王朝説」に今日的評価を加え、馬具研究を通じて復元し得る古墳時代社会を論じる。

【講師経歴】
1956年茨城県生まれ。日本考古学専攻。筑波大学・同大学院で、増田精一教授・岩崎卓也教授に教えを受け、東日本の古墳時代〜古代を専門とする。現在松戸市立博物館学芸係長、専修大学大学院非常勤講師。主要著作として『古墳時代東国政治史論』(雄山閣、2002年)などがある。



2410. 真福寺貝塚・花積貝塚踏査の記録 さわらびY(ゆみ)  2005/10/30 (日) 08:58
馬場小室山遺跡研究会第17回ワークショップ岩槻見学会で踏査した真福寺貝塚・花積貝塚について、同行いただいたドン・パンチョ氏が、その記録をホームページにまとめて、アップしてくださいました。
読み応えのあるたいへん充実した内容です。
参加された方も、できなかった方もぜひご覧ください。
次のページに左枠の見出しから入れます。
http://sde.jp/travel/saitama/index.htm

また、さわらびYのブログの記事中にもリンクしました。
ワークショップ見学会の成果を、形あるものとしてくださったドン・パンチョ氏に感謝します。

ご心配いただいた私の歯痛ですが、抜歯して無事治まりました。
メールでのお見舞いありがとうございました。
風邪も流行っているようです。Iさん、お大事に。



2408. なつかしい西安の大慈恩寺と岩槻の玄奘塔 さわらびY(ゆみ)  2005/10/25 (火) 20:20
ドン・パンチョさま
HPアップのお知らせありがとうございました。
拝見して、慈恩寺と玄奘塔について、現地で貴兄にお聞きしたかった詳しいことがよくわかりました。

そういえば、西安の大慈恩寺を3年前の訪ねたことを思い出しました。大雁塔は西安のシンボルでしたね。http://homepage1.nifty.com/sawarabi/seian.rakuyou/21seian/21seian.htm

「埼玉の古代史跡を巡る」シリーズ楽しみにしています。

勤め先の小岩に「慈恩寺道」の道標があります。
この道標と慈恩寺巡礼について、ブログにも書こうと思っていましたが、今夕、歯を抜いたので、痛み止めが効いているうちに、無理せず休もうかと思います。
というわけで、また。



2407. 三蔵法師の遺骨が日本に渡った経緯 ドン・パンチョ [URL]  2005/10/25 (火) 11:22
馬場小室山遺跡研究会の第17回ワークショップに参加された皆さん。
去る22日の「岩槻の資料館・遺跡・文化財巡り」では、不勉強で近くに住みながら今まで訪れたことのない遺跡・史跡をご案内していただき有り難うございました。特に、貴重な資料を用意していただいた長野さんには感謝しております。

探訪した各サイトについては、いずれ小生のHPの中の「埼玉の古代史跡を巡る」に追加する予定でいます。玄奘三蔵の霊骨を奉安している慈恩寺は以前から是非訪れてみたい寺でしたし、なぜ三蔵法師の霊骨が日本にあるのかも不思議でしたので、その経緯をすこし調べて見ました。調査した範囲での一文をHPの橿原日記にアップしておきましたので、お知らせします。
下記アドレスをクリックすれば、アクセスできます。
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/index.htm

なにぶんにも即席で作りましたので、間違いもあろうかと思います。修正・訂正すべき箇所や内容をご教示いただければ、幸甚です。
パンチョ



2406. 歯が痛くて、青菜に塩です さわらびY(ゆみ)  2005/10/24 (月) 22:14
土曜日、岩槻へ行ったころより、歯が痛くなり、今日は激痛で、仕事先からとうとう苦手な歯医者に行きました。差し歯の歯根が割れているようで、治療は長引きそう。
今は痛み止めが効いていますが、薬が切れると青菜に塩です。

左手を頬に当てるくせがついて、窓に映った自分の姿は、十九夜塔の如意輪観音のできの悪い石仏みたい?

そういえばずっと前、歴博で春成先生から縄文人の抜歯と刻みを入れた事例を聞いて以来、歯医者の看板を見ただけでも思い出して怖くなりますが、痛いときの歯医者さんは神様です。

しばらくは、夜の縄文大学も、物見遊山も、宴会も自重です。(たまには、おとなしくしていなさいとの思し召しか?)
というわけで、今日はおやすみなさい。



2404. 馬場小室山遺跡出土遺物見学&真福寺貝塚踏査をしてきました さわらびY(ゆみ)  2005/10/22 (土) 23:32
今日は、馬場小室山遺跡研究会第17回ワークショップで岩槻まで行きました。

岩槻在住の長野さんのご案内で、明日でおしまいの「さいたま市最新出土品展」で馬場小室山遺跡出土した遺物やパネル写真を見て、午後から真福寺貝塚の踏査、さらにせっかく岩槻まで来たのですから、岩槻城址、花積貝塚、そして慈恩寺の歴史探訪もという企画です。
参加者は9名。3台の車に分乗し、幸い雨にも降られず、最後は、岩槻城にあった「時の鐘」まで連れていっていただきました。

今回は日本考古学協会福島大会などいろいろなイベントが重なり、いつもご指導いただいている考古学の専門家の皆様が来られないという中でのワークショップでしたが、馬場小室山に集う市民メンバーだけで資料をそろえ、大宮台地の縄文遺跡をしっかり見学してきました。
不参加の鈴木正博さんからは、「真福寺貝塚・泥炭層遺跡を歩くパブリック・アーケオロジー」実践の資料として「泥炭層遺跡の特徴と真福寺貝塚研究の意義」などの丁寧なレジメいただき、「広義の『遺丘集落』としての後晩期貝塚集落遺跡として、往時の地形を読み取れるか」という宿題を課せられての見学会でしたので、のほほんと物見遊山とはいかず、調査報告書の実測図を見ながら、まじめに議論しながら現地を歩きました。

とりあえず、今日はここまで。
資料の準備とご案内くださった長野さん、ありがとうございました。



2403. 縄文土器の見方 さわらびY(ゆみ)  2005/10/21 (金) 01:04
19日、船橋駅前きららで、斉藤弘道先生の講演をお聞きしてきました。

斉藤先生の経験から、写真でもわからないことに注目し、土器の紋様のつけ方の順番はどうか、隆帯が先か、沈線が先かを自分の目で確かめたかということが大事だということなど、中峠遺跡の調査を通じての思い出を語ってくれました。

勝坂式から加曽利E式への変化。その中間の中峠式の連続コの字紋。阿玉台式茨城県宮後遺跡の阿玉台式土器にみられる三叉紋などの北方(大木式)からの影響、阿玉台式のとっての数は4が多く奇数は少ないが新しい土器や勝坂では奇数もでてくるなど、ひとつひとつの土器紋様のもつ意味や特徴をお教えいただき、変化にとんだその姿は、その地方の個性を表しているとのことでした。

また紋様のない浅鉢などの土器もかつては真っ赤に彩色で飾られていたのではないだろうか、それが装飾される中期の土器のかつての姿ではなかったかという疑問を呈していらっしゃいました。

今日は久しぶりに夫婦で平日休みましたので、平日しか開いていない千葉県教育財団の文化財センターに行ってきました。

お目当ては、八千代市の道地遺跡から出た弥生後期の土器群だったのですが、残念ながら拝見できませんでした。
その代わり、西根遺跡の出土縄文土器を見ることができ、実際に手にとって、昨日の斉藤先生の「授業」の復習をしてきました。

O課長さんが丁寧に解説してくだり、土器は一世帯にこんなにたくさんあったわけでなく、一括して廃棄されたとも考えられ、また炉に据えられた深鉢に物を入れて煮ては掬って食べ、中を空にしてきれいに洗うことはせず、なくなったら注ぎ足すことをくり返していたのではないかとお話くださいました。
また土器を見るときは、何を入れて煮炊きしていたのか、ということまで思いながら見ることが大事とのこと。

とくに何式とは書いていなくても、馬場小室山遺跡で学んだ経験から、特徴のある完形土器なら、阿玉台式、掘之内、加曽利Eなど多少型式がわかるようになってきたことも、うれしく思えたことでした。
とはいうものの、でもやはり博物館、資料館の皆様、型式はやはり書いておいてくださいね。(型式をめぐる論議がいろいろあって、書きたくないという場合もあるようですが・・)



2402. 飛ノ台での縄文中期の華麗な土器展 さわらびY(ゆみ)  2005/10/16 (日) 21:19
昨日は、船橋市飛ノ台史跡公園博物館で、始まったばかりの「縄文世界のアールヌーヴォー 華麗なる装飾美 中期土器の表現」の企画展を見てきましたhttp://www.city.funabashi.chiba.jp/tobinodai/h17kikakuten.htm

美術品or芸術品として有名な華麗な土器が並んでいて、迫力ある展示会でした。
K学芸員さんに、ぜひ宣伝して来場者を増やしてとお願いされましたが、これは長野や北陸へ行かなくても中期土器の絶品を見られるチャンスです。
19日には、船橋駅前きららで、馬場小室山フォーラムでもご活躍の斉藤弘道先生の講演会があります。

ところで、この展示会は、北陸の国宝火焔形土器から始まって、焼町・勝坂・阿玉台、そして見慣れすぎた?加曽利Eとつづき、最後は曽利式の水煙形土器が締めとなっています。

私は、最後の水煙形土器に惹かれました。
出品されていたのは、山梨県須玉町の御所前遺跡出土の大渦文大把手付深鉢(水煙土器)でした。
http://www.sutama.ed.jp/museum/doki/doki_iseki/gosyomae.html
粘土の渦が深鉢という器を極限まで装飾していくそのデザインは、上へ勢いよく立ち上がる火焔形の華麗さに勝るとも劣らないすばらしさだと感じました。

添えられた解説には、曽利式はその後、新しい段階では加曽利E式土器の文化の波にのまれ激減してしまうのだそうです。

土器の考古学的な見方で見るのではなく、アートとして、あるいは好き嫌いで鑑賞してみると、自分の好み(自分の性格?)がわかってけっこう面白いものでした。